古伊万里江戸後期物、その日の気分で俳句も

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
あとたわいもない俳句も。

友情のメダル

2008年06月28日 15時25分10秒 | 信楽・瀬戸・その他
このこのお皿は、戦前のベルリンオリンピックの西田修平選手を記念して作られたといわれる作品です。





 ●友情のメダル

  大江選手は昭和11年に開催された第11回ベルリンオリンピックの棒高跳びに出場し、決勝に残りました。
戦前1936年、ヒットラーが威信をかけて開いたベルリン・オリンピック、その大会の棒高跳びの試合でのことです。






決勝戦を争うのは大江選手と西田修平選手とアメリカのメドウス選手らの5人。
5時間にわたる激闘の末にアメリカのメドウス選手が4m35cmを跳んで優勝を確定し、
4m25cmを跳んでいた大江・西田の両選手もメダルが確定されました。
夜の9時を過ぎて2位を決める順位決定戦の際、大江・西田選手両名は競技を打ち切るように
           審判に要請。








競技打ち切りの要請をしたのは…
 「同じ日本人同士が争うべきではない。」との理由でした。
 それは二人とも銀メダルになると思っての要請でした。





     ↑の写真はネットより拝借しました。

しかし、審判の判断は
4m25cmを1回目で跳んだ西田を2位、2回目で跳んだ大江を3位

 表彰式で表彰台に登る際、これからの活躍を願うという想いから
  2位の西田選手は大江選手を2位の表彰台に登るように、
     そっと送り出します。

 こうして大江選手は胸に銀メダルを光らせて2位の表彰台に立って表彰されました。

 オリンピックが終了し帰国した2人は、互いの健闘を讚え合い銀と銅のメダルを繋ぎ合わせました。

 それが友情のメダルだそうです。

 この美談は、そのご教科書にも載ったそうです。


      直径約、20,5cm×約5,5cm

             昭和初期の瀬戸焼と思われます。



幻の東京オリンピック その①

2008年06月21日 14時02分20秒 | 印判
これは、1940年(昭和15年)に開かれるはずの
                幻の東京オリンピックの皿といわれるものです。

一度決まった東京オリンピックでしたが、世界情勢の悪化から、辞退を余儀なくされました。




図録によっては、類似のお皿を昭和39年の東京オリンピックと説明を,入れてあるものもあるようですが、
それは、図録の説明の方がおかしいような気がします。




印判の印刷で、見込みに松竹梅・まわりに松・菊・鶴・扇(末広がり)に五輪らしき紋章と
江戸~明治時代の吉祥紋づくしで、やはり昭和30年代とは合わないと思います。




昭和30年代後半で、こういう稚拙なプリントものはないのではないでしょうか。





直径約・24cm×約・3cm

伊万里ではなく、昭和の初期の瀬戸焼と思われます。


ご参考までに・・・  ↑
☆このお皿の文様が、オリンピックとは関係なく『輪繋ぎ紋』ではないかとのご意見を頂きましたので、
ご参考の為に、このシリーズと思われる、もう一枚のお皿をUPしました。
このお皿は、近いうちに、その②で詳しく日記にUPしたいと思います。
              ↓






鍋島青磁草花模様刻大皿 ?

2008年06月15日 12時07分19秒 | 古伊万里=青磁
これは、箱に『鍋島青磁草花模様刻大皿』とありました。




鍋島系青磁独特の水色がかる青磁で、確かに時代はありますが、
これはどうやら鍋島ではないとご意見をいただきました。




中心に陽刻で、ハスとオモダカが見て取れます。
まわりは、陰刻で、線彫りがしてありますが、
分厚く青磁釉が塗られており、ほとんど平らと言ってもよい感じです。




直径約29,5cm高さ約5cm



白抜き阿蘭陀人つくし八角鉢

2008年06月07日 13時34分02秒 | 紅毛伊万里
白抜きオランダ人つくし八角鉢です。
オランダ人と丸紋が好きで、コレクションしております。
マントを羽織った蘭人と、ステッキを持った蘭人が描いてあります。
このマントは、江戸時代の『合羽からげて三度笠』のカッパの元になったと聴いたことあります。





オランダ人は、人気図柄の一つですが、
けっこう怪しげなモノもあって、注意が必要ですよね。
手元にくれば、それほど迷う事はありませんが、
画像のみのオークションでは、画像だけで判断しなければなりませんよね。




私は、こういう人物紋の真贋は、ひとえに顔に注目するようにしています。
時代感というものは、顔の表情に必ず出るような気がします。




かなり漫画チックに見えますが、これは、時代のあるものだと思います。
同じ文化文政時代くらいの、この手の向こう付けでも、わずかな時代の差や
窯により表情が違う同手のモノがありますが、判断の基準は同じです。




これとよく似た同手のモノが、栗田美術館に五客ありますが、
すこし顔の表情が違います。




直径約、13cm×7,5cm

文化文政のころ



花唐草紋の大皿

2008年06月01日 11時11分33秒 | 古伊万里=染付大皿
これは、ちょっと見ると明治時代に入ってからの作品のように感じますが、江戸時代の作品です。
不思議な感覚がします。




これも、清朝磁器か、あるいはデルフト焼の影響を強く受けたような感じがします。
見込みの花は、牡丹のようにも見えますが、小さい花が横向きにあり、
一つの枝から二つの異なる花が咲いいます。
かなりファジーなデザイン感覚ですよね。
江戸も後期になると、かなり自由な感じがします。





周りの白抜きは、牡丹唐草の一種と言ってもよいでしょう。






何よりも皿裏の力強い作風が江戸時代をものがたっています。
すこし画面が暗くて、ゴメンなさい。




時代は、江戸後期のころ。
  直径約、38cm×高さ約5cm