不安な思いに駆られながら、でも行かなきゃ実際のところは分からない。
そして、バイク店の先に帰宅するべき家がある。
良かった。店は開いていた。店主もいた。
クラッチワイヤーが調整のできるギリギリのところまで伸びて来ている。
それでクラッチが切れなかったのだろう、という話。
そうでなければクラッチ板の摩耗。
クラッチワイヤーが伸びているのが理由なら、ワイヤーケーブルを交換する。
そうじゃなくってクラッチ板が摩耗しているならクラッチ板を交換する。
「ただおそらくはクラッチ板の摩耗ではないと思う。そういう乗り方をしていないと思うから」、と付け加えられた。
どちらが大変かは素人だってわかる。けど自分じゃ何もできない。
「クラッチワイヤーは明日注文して明後日届くので、明後日の昼過ぎには交換出来ています」。
そういえば以前、クラッチが切れなくなって助けに来てもらったことがあった。ワイヤーが、チューブ内の中央辺りで錆びて切れてしまっていたということだった。
普通、切れるのは一番負担のかかっているクラッチレバー内の留め具(通称「太鼓」)のところだから、そこにオイルを注す。
チューブ内じゃチェックのしようがない。何かクラッチレバーの握り具合が頼りないような気がする、と思ったって目に見えない部分は注視のしようがない。
まあ、走行距離が十万キロを超えるというのは、そういうことなんだ、ということか。色んなところが経年劣化する。5万キロ毎にクラッチケーブルを交換していることになる。
それにしても今日は大吉日だったはずだが??
「どこが大吉日や!」と独り突っ込みをしてみたが、いや、やはりこれは大吉日だったということかもしれない。
何故って、故障した(エンジンが止まる)のは衝原湖ではない。ましてや隣市ではない。家まであと2キロ弱となった地点のコンビニで、だ。
用事を済ませて帰って来て、帰路上にバイク店。更に後は下るだけ、と言ってもよいような微妙な地点。他の場所なら大惨事になっていた。
そう考えたら、これは本当に奇跡と言ってもいい珍事。
これを大吉日と言わずして何と言う?
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