「誰も責任を取らない」
2012.06/09 (Sat)
大飯原発再稼動へ。
その前に国会の事故調査委員会に菅(かん)前首相が招致され、質問に返答したわけだが、あまりの無責任、というより、責任転嫁振りに唖然とするしかなかった。
しかし、翌日は「自己弁護だ」、とか「弁解ばかりだ」とかいった記事が新聞に載る一方で、テレビなどでは「国の責任として陳謝した」と報じるのが目立った。
どちらが正しいのか、発言の初めは以下の通り。
「原発事故は、国策として続けられて来た原発によって引き起こされたものであり、最大の原因は国にあると考えている。事故が発生した時の国の責任者として、この事故を止められなかったことを改めて心よりお詫びする。」
1、国に全ての責任があるのだから、偶々総理大臣だった者としてお詫びする。本当はお詫びなんかしなくても良いのだけれど。
2、国策である原発の、事故の責任は、私の本意云々などに関係なく、全て私の責任です。
同じようにまとめても、正反対のものができる。
言葉としては確かに
「(事故が発生した時の)国の責任者として、(この事故を止められなかったことを改めて心より)お詫びする。」
と言っている。
「~国の責任者として~お詫びする。」
まあ、報道には両方あって良かろう。それぞれが(きっと)信念を以って、の報道姿勢から、なんだろう。
その両面を見て、国民は自らの意志でどっちが正しいと思うか考える。
それはあるべき民主主義社会の姿だと思う。賢人も愚者も同じ社会の一員だ。
ただ一つ気になるのは、それ(事故調査委員会での返答)以降、菅(かん)氏のことを誰も批判しなくなった、ということだ。
・・・なんて書いたら
「そんなことはない!ずっと批判を続けている!」と怒る人はたくさんいるだろう。実は私もそう思う。批判が止んだわけではない。
けど、あれ以降、批判が新聞に載り、テレビで繰り返しの放送が為されていますか?
つまり、あの国会招致以降、新聞もテレビも報道しなくなっただけなんだけど、
「もう済んだことだ。ニュース的な価値はなくなった」
とばかりに、報道を止めてしまったんではないですか?
「いやいや、そんなことはない。週刊誌は今でもやっている」
やってますよね、確かに。でも国民は?反応しなくなったんじゃないですか?
十五年前、兵庫県南部地震が起きた。淡路、神戸、阪神間を中心に大災害をもたらした。
ここまで破壊されるのか、と思うくらい徹底的に叩き潰され、そこら中に火の手が上がる。商店街のアーケードの鉄骨は、高熱のために飴の様にまがり、地下鉄の上を併行する道路両側の電柱は魚眼レンズで撮影されたかのように揃って歩道側に傾いてしまった。
そんな写真と、毎日増えていく死者の数が、連日新聞の紙面で踊っている。
地元紙の仮設住宅建設のニュースに、「復興の槌音高く」の見出しの文字が躍っているのを見た時、不覚にも涙がこぼれそうになった。
連日、これでもかというくらいの悲惨な状況が報じられる中だったから、余計そうだったのかもしれない。
それが次第に減って来る。関連の死も含め、6500人近い人が亡くなったけれど、「忘れてはならない!」と叫んでいた新聞が、テレビが、徐々に震災の記事を減らし始めた。しかし、それでも震災の記事は毎日、紙面にあった。
そして或る日突然、震災の記事が紙面から消えた。別な大事件が起こったからだった。地下鉄サリン事件だ。
それからはオウム真理教事件一色になった。
一月十七日の地震。三月二十日のサリン事件。その間、僅か二ヶ月。
今、そのことを思い出して「メディアには節操がない!」と怒る気持ちはない。
メディアは人々の欲するものをより詳しく伝えようとする。「そのために」人々の欲するものなら、人々が喜ぶようにより大袈裟に伝えようとする。
だから、中には捏造もあるだろうし、歪曲もあるだろう。
けれど、根っこには「それを求める人々=国民」がいることを忘れてはならないと思う。
街頭インタビューで、「ええっ?」と思うような政府擁護の意見を聞く。それが多ければ、「あんなのやらせじゃないか?仕込んでないか?編集してるんじゃないか?」などと思う。
反対にそんな中に、一人二人自分の考えと同じようなことをしゃべったのが入っていて、でもそんなのはごく少数で、という時、「編集して一人だけ、にしたんじゃないか?」と思ったりする。
メディアは彼の節操よりも人々の欲するところにおもねる。
「何が何でも脱原発」と言っていた人の声より
「もっと冷静になれよ。今すぐの大停電や、経済の落ち込みはどうするんだ。」という意見が多くなれば、そちらにシフトする。
メディアそのものを、(又は、中の一企業を特定して)叩くことで、世論は変わるのか。却って世論が変われば、特定などしなくても、メディアの姿勢は(それこそ節操がないのだから)豹変するのではないか。
テレビでコメンテーターが言う。
「誰も責任を取ろうとしない」
それはそのままコメンテーターにも返って行く。
勿論、新聞やテレビに頼るばかりで自身で考えようとしない我々、日本国民にも。
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