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ただの日記

気をつけても気をつけても

2020年02月01日 | 心の持ち様
2010.03/16 (Tue)

 私の伯父さんの実体験談。
 身体の調子が悪いから、「ここは一つ、鍼を打ってもらおう」、と鍼灸院に行った。
 何だか知らん、鍼を身体中に一杯打たれた揚句
 「どこが一番痛いですか」
 と聞かれ、
 「こんなに打たれたら、どこかわからん。みんな痛い!」
 まあ、そうでしょうけど。

 似た話は、経験ありませんか?
 小学校で、授業中、一通りの説明をした後で、先生が
 「~というわけです。では、質問はありませんか?ない?」
 「~君、わかった?」
 「分かりません」
 「どこが?」
 「ぜんぶ」

 中学生なら、もうちょっとマシで、
 「どこがわからないんだ?」
 「分からないところが分かりません」
 ふざけてるわけじゃない。本気ですよね。
 でも、これ、大人になったってやってるでしょう?
 ほら、不祥事があった時、よく謝罪会見やってるじゃないですか。
 テレビでは必ずやりますよ、この頃。
 「頭を下げた時の角度が~度。で、時間が~秒だから、誠意は伝わると思いますよ。」「今、唇を歪めたから、本心ではないのが分かりますね」

 何かおかしい。
 これ、求めていることは何だったのかを忘れているから、です。
 「気をつけましょう。振り込め詐欺。」
 気をつけてますよ、詐欺にかかろうとは思ってない。
 でも、引っ掛かるのはなぜか。
 
 「人を見たら泥棒と思え」
 「知らない人に声を掛けられてもついて行かない」
 結局、日本人は人が好過ぎるんだ。でも、そんなこと言ってられない。
 どうする。
 「人を見る目を養う」。

 或る人の日記にあった「真贋を見極める目を養う」。
 これしかない・・・。・・・で終わったら盗作になってしまうのでもう少し書きます。
 「見極める目」。
 これがないから、テレビや新聞の偏向報道に騙されるんですよね。
 だから騙されないように意識します。でも騙されます。
 意識しただけじゃ駄目、気をつけるだけじゃ駄目、です。
 「見極める目をつくる」しかないんです。
 でも、その方法を実は知らないんです、大半の人は。

 というわけで、「見極める目」をつくる方法を書きます。
 それは、まず「集中する」ことです。
 具体的に言えば、「見詰める」ことです。息をつめて、決めた一点を穴が開くほど見詰めることです。見詰め続けることです。
 いくら巧妙にカモフラージュされていても、これをやられると嘘があれば揺れてきます。

 「おれだって、ことに処して、多少の権謀を用いないこともないが、ただこの西郷の至誠は、おれをしてあい欺くことができなかった」
 海舟の言葉です。西郷は、口数が少なかった。訥弁だった。論争をやれば、大概負けたでしょう。でも、騙されることは一度もなかったし、誰も西郷を騙そうなんて思わなかった。「うどめさぁ(太目さん→「大きな目さん」。太っているという意味ではない)」と綽名された大きな目で真摯に見詰められると、だれも巧言を用いることができなかった。

 海舟はそれを、西郷の「至誠」だ、と言います。「だから、おれも至誠をもってこれに応じた」。応じるしかなかったのです。打つ手がなかった。
 見詰めること、しゃべらないで、ただひたすら見詰めること。
 定点観測、と言ってもいいかもしれません。
 一点が見え始めたら、不思議と周りも見え始めますよ。

 さて、この話。信じますか?それとも、「だまされないぞ」?
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