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CubとSRと

ただの日記

どんどん実力がついてくる!

2024年02月24日 | 日々の暮らし
 2月16日(金)

 日付が変われば。遅くとも午前2時には雨はすっかり上がる。
 ・・・ということだった。

 5時に起きて外を見たら、なるほど空には千切れ雲が少し浮かんでいるだけで、夜空には透き通った闇が広がっている。二階の窓から見える神戸の街もジオラマみたいな光の中にある。
 しょうがない。着替えて散歩に出ることにしよう。

 血圧を測ったりストレッチをしたりして、出る準備をする。
 今朝は、あの微かな眩暈はすっかり影を潜めている。(結局いつもの通り二日間で消えた)

 玄関を出て、「あれっ?」と思った。
 空が見えない。
 いつの間にかすっかり薄雲に覆われている。三十分前後経っていただろうか。
 一歩踏み出す。ヤッケに小さな雨粒の当たる音が聞こえた。
 また玄関で引き返すパターンか?
 
 門扉まで数歩、ゆっくり進む。小さな雨粒の当たり方には、そのわずか数歩の間にも波がある。
 この分なら強くなることはなさそうだ、と判断し、そのまま散歩に出ることにした。
 結局、帰って来るまでに雨粒の当たる音がしたのは、門扉を開けるまでの数歩の間だけだった。
 以降、先述した通り雨の降ることはなかった。しかし窓の結露が完全に消えたのは昼を過ぎてからだった。寒い一日だったということだ。

 そんなだから出て出られないことはなかったのだが、「ここまで冷え込む中、用事もないのに」と、出るのは止めた。
 明日、明後日と一気に温かくなるらしいので、二日続けて出ようか。

 「出歩く」こと自体よりも「出歩く前の準備」を、色々想像している方が楽しい、と感じるようになったのは、やっぱり歳を取ったからなのだろう。
 それでも出歩くこと自体は相変わらず楽しいままなのだから、「準備も楽しい」と思うようになったのは、出歩くことを二倍楽しめるようになったということでもある。
 勿論、バイクに乗り始めた頃は準備だって楽しかった。けれど実際に出歩くことの方が気になって「心、ここに在らず」状態。準備に手がつかなかったし、期待で前の晩はなかなか眠れなかった。
 そわそわして準備(物心両面)の楽しさをじっくり味わってなかったのじゃないか、と今にして思う。

 やっぱりこれも「年の功」?いやいや「老人力」、か。

 
 

 
 
コメント
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