「あんばい」と打って変換すると「塩梅」と出てくる。
「梅を漬けるのにちょうどよい塩加減」。そんなような説明が付く。
辞書で見ても、まずは「塩梅」が出てくる。
アカニシ貝で調子に乗ったというわけでもないが、昔、「塩梅」と書くのにどうもモヤモヤした思いを拭えなかったことを覚えている。
どう考えたって、「いいあんばいだね」という言葉が、梅を漬ける際の塩加減が初めに在ってできた言葉には思えなかったからだ。
「良い具合」という「あんばい」の意味合いは、塩加減からの発想ではないだろう。
そこで知ったのが「案配」という言葉。まあ、言ってみれば「適切に配置する」。まだ実際には行動にかかっていない状態の「これはここ。それはあっちに置いた方が良いんじゃないか?」みたいな算段をしている雰囲気がある。
「こうすればいいんじゃない?」が「案配」。
「(やってみたら)うん、いい具合だね」が「塩梅」。
それぞれ、草案(案配)と結果(塩梅)、みたいな雰囲気がある。
けれど、実行の部分がもう一つはっきりしない。
そこで「按排」が出てくる。
「按」は「ちょっと押す」。「排」は「ちょっと引く」。きしむ程度の隙間があって、でも、ちゃんとかみ合っている。結果(ゆとりがあるから)、丈夫な組み合わせ・組織が成立する。
この絶妙の「加減」は常に運動する物の中で生まれ、維持される。
だから、「そのもの」はまるで運動していない(動いていない)ように見える。
今朝は4時20分から散歩。5時。素振りも終えて家に入る。
今日は満月を過ぎて十六夜だったらしい。
乱視なので見ただけでは「十六夜(いざよい)の月」なのか「満月」なのか、はたまた「立ち待ちの月」なのか全くわからない。
夜。
驚いたことに、缶ビール(レギュラー缶)1本ですっかり酔ってしまって、気が付いた時には用意していた酒の肴が全てなくなっていた。
温めていた焼酎は1合5勺。冷たくなったとまでは言わないが、すっかりぬるくなってしまってどうしたもんかと悩んでもおかしくないレベル。
どうしようかと思った。
けれど、燗を付け直す、なんてことをするとアルコールが抜けて飲めたものではなかろう。明日まで置いたからと言ってアルコールが復活するわけもない。捨てるか。飲むか。
悩むまでもない。飲んでしまうに限る。
1合5勺を水で割って温めたのだから、実質はほぼ3合。結構ある。
残っていた食べかけのアナゴ弁当とラッキョウの漬物の残りで飲んでしまった。
飲み終わったころには酔いが醒めてしまった。
按排が良くなかったことの実例、か。