KLCで高齢不妊治療→卒業できました!→2011年9月無事出産しました!

初陽性判定で授かった息子は18トリソミーで34週目にお空に帰ってしまいましたが、8回目の移植でまた授かる事ができました!

入院16日目(産後2日目) 退院

2010-10-06 | 2010 妊娠後期(28週~34週:死産)
入院16日目の9月29日(産後2日目)、やっと退院してお家に帰る事が出来ました。
出産時熱が高かったしそんなに急いで退院しなくても…、と医師から言われましたが、とにかく帰りたくて帰りたくて。

27日に出産した際、熱が40度以上で40分以上の痙攣が続いた為、後で何か後遺症が出る可能性がある、との事で出産後からずっと心電図をモニター、27日の夜には背中に麻酔を打ち、脊髄液を取って調べ、28日には脳波の検査もして頂き、29日の朝は再度違うモニターを使って心電図を取って調べて頂きましたが、何も問題ありませんでした。

また、出産日の27日夜に子宮を診て頂いた際、何かまだ沢山入っているとの事、一度綺麗にした方が治りも早い、と言われ、28日の朝、静脈麻酔で眠っている間に子宮を綺麗にして頂きました。
29日の朝、再度子宮を診て頂くと綺麗になっているとの事、骨髄液、脳波、心電図にも異常はないとの事で、痛み止め、子宮伸縮剤、便秘の薬を頂き退院してきました。

病室を出て清算を済ませてから、旦那さまと病院の地下に眠っているあっくんに会いに行きました。やはりあっくんの姿をみた瞬間に涙があふれてきました。あっくんは小さい白い箱に入っていて、冷蔵庫に入れられており、冷たく、日に日に小さくなっているような気がしました。主人とお線香を上げた後、少し時間を頂き、主人とあっくんと私の三人で過ごしました。箱に入ったあっくんを胸に抱き、本当にあっくんはお空へかえってしまったんだなーと感じ、しばらく込み上げてくる涙を抑える事ができませんでした。声が聞きたい、目を開けてほしい、手足を動かしているあっくんい会いたいという思いを抑える事ができませんでした。

その後、主人とお葬儀屋さんとで火葬の日取りを5日後の10月4日と決め、あっくんにさよならを言って病院を後にしました。

34週0日目 入院14日目 出産(死産)

2010-10-05 | 2010 妊娠後期(28週~34週:死産)
34週0日目(9ヶ月目)の9月27日(月)14:28分、あっくんを出産しました。
 *分娩時間:4時間33分
 *体重:1435g (男の子)
 *身長:40.0cm
 *死産(18トリソミー)
 *無痛分娩

9月23日の朝に心拍停止をしてから4日、私のお腹の中にいてくれたあっくんですが、私の熱が昨日お昼から夜にかけて40度を超えた為、この日の朝、人工的に破水をさせて出産する事になりました(医師によると、高熱は母体があっくんを異物だと感じているからだろう、と)。
9月23日の夕方から子宮口を広げる処置を受け、24日、25日、26日とそれぞれ4度の陣痛促進剤を使用するも子宮口が2cmのまま開きませんでしたが、27日の朝は3cmくらい開いていました。

27日朝9:30頃に1回目の陣痛促進剤を入れると少し陣痛らしきものが始まり、赤ちゃんもだいぶ下がって来ているとの事で腰の痛みと猛烈な尿意を感じ始めました。11:30頃、2回目の陣痛促進剤を入れる前には「朝よりも子宮口が開いてきているし、いい感じですよ」、と言われ、2回目の陣痛促進剤を入れると次第に陣痛がひどくなって来たため、強めの麻酔を入れていただきました。麻酔で痛みはなくなってきましたが、尿意は相変わらず強いものでした。

ここから全く時間の感覚がないのですが、医師の「そろそろ破水をさせますね」という声を聞いたあと、一度「バッサー」と言う破水の音。もう片方の医師が「もう一度」と代わって破水をさせると、2度目の「バッサー」という1回目よりも大きい音がしました。羊水がかなり出たんだと思います。破水が終わると「左を下にして寝て下さい」と言われその通りに。「赤ちゃんが自然に降りて来るのを待ちましょうね」との事だったのですが、赤ちゃんがお腹からいなくなると思うと急に涙が溢れて来て。。。。看護婦さんが「一人になりたい?」と聞いてくれたので、「少し。。。」と言うと、私はもうこらえる事ができず、声をあげて泣いていました。

10分くらい泣いた頃だと思いますが、痙攣が始まりました。ナースコールを押すと看護婦さんが駆け付けてくれて、大丈夫?聞こえる?と体を押さえてくれたのですが、それからどれくらい時間がたったか、麻酔で30分くらい眠らされていたようで、その間に熱を測ったらまた40度以上あったそうです。目が覚めると右側に男の先生がたっていて、ぼんやり眼を開けるとまた右腕から痙攣が始まり。。。。そこまでは覚えているのですが、そこからまた私の記憶はなくなり、しばらくしてまた麻酔で眠らされたようです。

次に目が覚めると、「はい、力んでー、上手ですよー」という声が聞こえ、自分が力んでいるのが分かりました。覚えているだけですが、4回くらい力んだ後、「もう大丈夫ですよー、産まれましたよー」と聞こえました。またそれからは記憶がなくて。。。 後で看護婦さんに聞くと、目を覚ましてからは、トイレに行きたい、喉が渇いた、を繰り返し訴えていたようで、普通に話しをしていたようです。看護婦さんも、「覚えてないの?」と不思議そうでした。力んだのも4回くらいしか覚えていませんが、もっと力んでいたようで、産まれた瞬間から泣きだしたそうです。

次に覚えているのは、看護婦さんから「ご主人にご連絡されました?」と聞かれ、すぐに旦那さまに連絡した事です。旦那さまは30分くらいで駆けつけてくれ、一緒に赤ちゃんに会いました。あっくんはとても小さな小さな体でしたが、旦那さまが買ってくれた可愛い青い服を看護婦さんが着させてくれていました。洋服が大きすぎたのは言うまでもありませんが、私と一緒に寝ているところ、主人があっくんを抱いているところなど、看護婦さんに数枚写真を取って頂きました。あっくんの肌は紫色で目を閉じたままでしたが、とてもとても可愛らしい赤ちゃんで、産まれて来てくれて、ここまで頑張ってくれて本当にありがとうね、って何度も繰り返しあっくんに言いました。涙が止まりませんでした。

あっくんの声が聞きたい、あっくんの目を開けた姿が見たい、小さい手足を動かしているところが見たい、一日だけでも一緒に生きたかった、そう願ってしまうばかりです。

33週3日目 入院10日目 あっくんお空へ帰る

2010-10-03 | 2010 妊娠後期(28週~34週:死産)
なかなかブログを開く勇気がなかったのですが、沢山の温かい励ましのお言葉を頂いて本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

もう色々ありすぎて何から書いて良いのか分かりませんが、息子のあっくん(瑛央:アキオと名付ける予定でした)は9月23日(33週3日目)の朝、お空へ帰ってしまいました。

もう一回、どこかで羊水を抜きましょうね、と話していた矢先の9月23日、朝6:30頃、いつもどおり看護婦さんが赤ちゃんの心音確認に部屋へ来てくれた時、昨夜まで聞こえていた心音が聞こえなかったのです。羊水を2リットル抜いたとは言えまだまだ羊水は多かったので心音が聞きにくい事もあり、その時は、まさか、と思っていましたが、看護婦さんが少しアレっという表情だったので私も少し不安に。2-3分後、看護婦さんが直ぐに医師に連絡をしてくれたのか、エコー室へすぐ来るように指示がありました。エコーの画面を私ものぞいていましたが、赤ちゃんの心臓が動いているようには見えず。。。。。物凄く不安になり何を言われるのかドキドキしてベットに横たわっていました。5分くらい経過した頃でしょうか、医師も看護婦さんも何も言わないので、私から、心臓が止まっているように見えるのですが。。。。っと言うと、そうですね、残念ながら。。。と。えっ、うそでしょ?なんで?どうして?昨日まで元気だったのに?何も感じてあげられなかったのはなぜ?うそだよね?もっとエコーみてよ、こんなことってある?と、しばらくは本当に信じる事ができず、受け入れられず、でも涙が止まらず声をあげて泣いてしまいました。

産科の部屋だと辛いだろうと、婦人科の部屋へ移動させて頂き、これからの事について朝のうちに先生とお話をしました。今日の晩(9月23日)から子宮を広げる棒を入れて明日朝から陣痛促進剤で出産を試みるか、もしくは急ぐ必要はないので、もう少し気持ちが落ち着いてからの方が良ければ1-2日明けてから陣痛促進剤で出産するか、落ち着いたら詳しくお話ししましょう、との事でした。さすがに朝直ぐには赤ちゃんが亡くなった事を受け入れる事ができず決断できませんでしたが、このまま何日たっても悲しみから抜けられるものじゃない、あっくんだってここまで頑張ってくれたんだから体だけでも無理やりにでも前向きにもっていかなければ、と思い、夕方から早速出産の準備をして頂くようにお願いしました。

先生から無痛分娩の方がいいのでは、と言って頂き、私も同意。夜20:30頃から早速子宮口を広げる棒を入れたのですが、これが猛烈に痛かったです。この時、再度赤ちゃんをエコーで診て頂くようお願いしました。やはり赤ちゃんの心臓は動いてなくて、事実なんだな、と思いました。

翌24日、朝6:00から飲食禁止で8:00頃から処置が始まりました。
まず昨夜入れた棒を抜いたのですが、これがまた物凄く痛かったのに開いた子宮口はたったの2cm。それから麻酔の為のチューブを背中に入れ、9:00くらいに1回目の陣痛促進剤を入れました。それから2~3時間おきに4回ほど陣痛促進剤を入れましたがこの日は子宮もこれ以上開かず、夜ごはんのみ頂き、また子宮口を広げるための棒を入れて就寝となりました。

翌25日、朝6:00から飲食禁止。9:00頃分娩室へ。直ぐに昨夜入れた棒を抜き、子宮口の確認。相変わらず2cm。昨日同様2~3時間おきに4回程陣痛促進剤を入れましたがこの日も赤ちゃんは降りてこず。夜にまた子宮を広げるための棒を入れて頂きましたが、あまりにも痛いので少し麻酔を増やしてから入れて頂くと、あまり痛い思いをせずにすみました。一日何も飲めないので喉がからからでかなり苦しかったです。

翌26日、また朝6:00から飲食禁止で8:00頃から処置再開。
昨日同様、昨晩入れた棒を抜き、子宮口を確認。相変わらず2cmしか開いてないとの事でしたが、この日も9:00くらいから陣痛促進剤を2~3時間おきに4回投入。でも夕方には熱が40.1度まで上がったため中止となりました。夜ごはんの後、再度子宮口を広げる為の棒を入れる予定だったのですが、20:00過ぎに陣痛らしきものが来たため再度処置室へ。でも夜中になると治まってきたので部屋へ戻り就寝。明日処置を再開するかは明朝決めるとの事でした。

翌27日、また朝6:00から飲食禁止となりました。3日続けて夜ごはんしか食べてないし、水分も十分にとれてないから体力的にも精神的にも辛いでしょう、だから本来なら今日一日は体を休ませてあげたいけど、昨日熱が40度まで上がったという事は、きっと母体が赤ちゃんを異物とみなしているから、というお話が先生からあり、早めに出産する必要があるため今日も頑張りましょう、と言われました。我が子なのに体が赤ちゃんを異物と感じてるなんて、、、、となんだか更に悲しくなってきましたが、今日は赤ちゃんの入っている膜を切って破水させるとの事で、絶対今日産まれて来るんだな、やっとあっくんに会えるんだな、と思いました。

出産に関しては、また日を改めて記録させて頂きます。
沢山の励ましのお言葉を頂いて本当にありがとうございます。
気持ちがもう少し落ち着きましたらお返事させて頂きますね。
まだ出産後1週間なので、心身ともに落ち着くまで時間がかかりそうです。

明日、10月4日はあっくんの火葬へ行って来ます。
まだまだ何をしていてもあっくんの顔を思い出してしまい涙があふれてきてしまいます。
明日会えるのが最後だと思うと本当にどうしていいか、ただただ悲しくて涙があふれてきてしまいますが、頑張ってくれたあっくんにありがとうを言ってこようと思います。

32週2日目 入院2日目

2010-09-15 | 2010 妊娠後期(28週~34週:死産)
今羊水を約2リットル抜いて、病室に帰って来ました。消毒後、へそ下10センチくらいにまず麻酔を打って、その後長い針を刺して羊水を抜きました。ちなみに羊水は黄色い透明な液でした。麻酔はさほど痛くなく、子宮に刺さる時!?チクっとした程度でした。ただ、1リットル抜いたくらいから子宮に刺さっている部分が痛く感じ始めると、最後の500ミリリットルくらいから変な汗をかいくるくらい痛く、たまらず、先生に「限界です、刺してる部分がかなり痛いです」、と言ってしまいました(T_T) 本当だったらお腹も張らなかったからもっと多くの羊水が抜けたかもしれなかったのですがかなりの痛さで(-_-#) 針を抜いてからもかなり痛かったので痛み止めを頂き今は大分回復してきましたが、まだ少し痛みます。

今日は2リットル抜いて、ウエストが6センチ小さくなりました\(^_^)/

31週4日目 18トリソミーと羊水過多

2010-09-10 | 2010 妊娠後期(28週~34週:死産)
9月3日から9日にかけて実家に帰って来ました。
医師には羊水過多症で破水の危険性が高いので飛行機に乗る事はすすめられない、安静にしておいた方がいい、と言われましたがどうしても実家の両親に会って赤ちゃんの事を話しておきたくて。。。。

でも結局、お腹の息子が18トリソミーで重篤な状態だと事実を伝えようと帰郷したにも関わらず、本当の事を伝える事が出来ずに帰って来ました。ただ、実家近くの産婦人科で出産予定だったのをキャンセルして東京で出産する事を伝えなければならなかったので、心臓が弱い様なので今かかっている大学病院で出産することにした、とだけ伝え昨日東京に戻って来ました。

今日は朝から病院へ検査へ行ったのですが、羊水過多がかなり進んでいて、今日から管理入院できますか?と言われびっくり。確かに最近石のようにお腹が固くなる事が多いんですが。。。
でも一泊18,000円の部屋しか空いてない、と言われ、それはちょっと私たちには高すぎで。。。とやんわりお断り。結局来週火曜日の14日から管理入院する事になりました。
いつまで入院するかは未定で、とりあえず15日には羊水を1リットルくらいは抜く事に。

早く退院出来ますように。。。。

30週2日目 18トリソミー

2010-09-01 | 2010 妊娠後期(28週~34週:死産)
今日は旦那さまに無理言って付き添ってもらって、定期健診に行って来ました。
私一人だと何か決断を迫られたりした時自信ないし、ショックを受けた時やっぱり側にいて欲しかったので。。。。結構無理に付き添ってもらいました。
わが子が18トリソミーと分かってからのこの数週間、気を抜くと涙があふれるし、外で元気な子供たちを見る度にわが子は。。。。短命なんだなー、という事実を嫌でも思い出すし。。。とても精神状態が良いとは言えませんでしたが、それでも冷静に色々と考えられるようになってきたかな、と思います。
今日も先生から私たちに説明があったのは前回同様、
*通常より小さい、低体重で生まれてくるでしょう
*重篤な心疾患と思われる(心室中隔欠損症、総肺静脈還流異常症らしいとの事)
*その他手の関節異常など
*羊水がかなり多く、お腹が臨月程の大きさになって来ているので破水注意、今産まれて来ても助かる可能性はかなり低いと思って下さい。
で、やはりわが子は長くは生きられないでしょう、と言う事でした。

これから私たち夫婦は、子供の自然な生命力だけにたより自然分娩をして延命治療を行わないか、弱いわが子に負担をかけないように帝王切開で分娩をして延命措置を行うかを決めなくてはなりません。ただ、先生曰く、延命措置を行ってもそう長くは生きられないし沢山のチューブでつながれた生活を保育器の中で送る事になるでしょう、と言われ。。。延命措置を行わない場合はお母さんの腕の中で逝かせてあげる事ができます、との事。何度考えても答えなんて出るはずもなく、旦那様もどうして良いかまだ分からないと。。。。
でも、毎日毎日わが子はお腹を蹴ってきて、ここにいるよ!元気だよ!って言ってくれてる気がしてなりません。エコーで診てもらっている時もよく動いているし、元気に見えるし。

これから色々な事をもっと勉強して、これからの事を旦那さまと一つ一つ乗り越えていかなければ、と思ってます。せっかく授かった命ですから、大切に大切にしていきます。

28週6日目(8ヶ月目)18トリソミー発覚

2010-08-22 | 2010 妊娠後期(28週~34週:死産)
色々あって、当分更新できませんでした
自分の気持ちの整理がつかない日々がつづいていますが、とりあえず現状を記しておこうと思います。
タイトルにも記しましたが、つい昨日、赤ちゃんが染色体異常である18トリソミーである事がはっきりしました。
【経緯】
-7月31日(25W5D)の通常の妊婦検診で羊水過多と診断。
-8月4日、会社を休んでいつも通っている病院にてエコーの専門医に診て頂いたが、大学病院で診てもらうように指示される。
-8月5日、会社を休んで再度いつも通っている病院に朝から行き紹介状を頂き、その足で大学病院へいく。4時間待ちの後エコーをしていただき、8月7日に再度検診に来るよう指示される。
-8月7日、大学病院でハイリスク患者を診る准教授の先生と9:40分に予約。詳しいエコーをしていただいた。旦那さまと、心臓奇形、脳浮腫、手の奇形を疑われる事を先生から説明を受ける。羊水検査をすることに。羊水検査で重篤と判断された場合、延命措置を取らない事もあると説明を受けかなりショックを受けて帰るが、まだ希望はもっていた。
-8月9日、9:00に旦那様に病院へ送ってもらい、一日入院で羊水検査実施。長い針をお腹の下の方にさして羊水を抜いた。最初の麻酔の針をさす時は結構痛かったが、その後は我慢できる程度の痛さ。通常取る羊水は10cc~で良いが、私の場合は組織があまり元気でない可能性が強く培養できない可能性もあるため、最低でも40cc~はとりますと言われた。針をさすと、その針を子宮の赤ちゃんがつかもうとするのがとても可愛いと感じた。先生曰く、いつも何故か針をさすと寄ってこなくてもいいのにあかちゃんは寄ってくるのだと言う。羊水検査の結果は2週間後、お会計は14万800円也。
-8月21日2(28W5D)、11:00の予約にあわせ主人と大学病院へ。この日はまだ羊水結果を知らせる事ができないかも、との事だったが、再度詳しくエコーして頂いたのち、先生から18トリソミーと確定した結果を聞く事ができた。

【18トリソミー】
わが子は染色体異常の18トリソミーである事がわかりました。18番目の染色体が1本多くある病気です。心臓は二つの心室の間の壁に穴がある事、肺動脈に奇形がある事、手足に奇形が見られる事など色々説明を受けました。先生はエコーをしている時から、18トリソミーを疑っていたみたいでした。また、90%の赤ちゃんが1年未満に、50%が1ヶ月以内に亡くなっている事などを知らされました。私たちは少しの希望を持って先生に会いに行ったため、私も旦那様も直ぐには現実を受け入れる事ができませんでした。でも事実なんですね、家に帰って来て、夕方頃ようやく実感がわいてきて私は涙が止まらなくなりました。先生は、早産になる事、子宮の中で亡くなってしまう事も多いと言われ、また、子供の生命力に任せて自然に出産し、延命措置をとらずに両親の腕の中で最期を看取るか、子供の体力の防ぐために帝王切開で出産し、手術を少しずつしていくか、ゆっくり考えて下さい、と言われました。でも手術を繰り返して言ってももともと体力のない子供なので90%な1年ももたないし、チューブにつながれて一生を終わらせるのも可哀そうという意見もある、というような事を説明されました。 旦那様に、帰りに、「私は帝王切開であかちゃんを産みたい」というと、旦那様は、「俺は自然に産んで全てを子供の生命力に託したい」と言いました。簡単に出せる答えではないけど、ゆっくり考えて行こうと思います。こんなに触って分かるくらい蹴ってくる赤ちゃんが元気ないなんて。。。。正直まだまだ半分受け入れる事ができてないですが、私たちを選んでくれてきた赤ちゃんなので、この子にとって何が最善なのかを考えなくては、と思っています。