KLCで高齢不妊治療→卒業できました!→2011年9月無事出産しました!

初陽性判定で授かった息子は18トリソミーで34週目にお空に帰ってしまいましたが、8回目の移植でまた授かる事ができました!

あっくん1周忌

2011-09-28 | 2010 あっくんお空へ&産後

9月23日はあっくんの一周忌でした。もうあれから一年も経つんですね。
去年の9月23日に突然お腹の中で心臓が止まり、24日から陣痛促進剤を使って27日にやっと産まれて来たんだよね。
あっくんの小さな小さな体、紫色の冷たい肌、今もやっぱり涙があふれます。
ともやを産んでから何故かあっくんの事を思い出し、涙する事がより多くなりました。

あの時は入院したのが夏の暑い日で半袖だったのに、退院して久しぶりに外へ出るとすっかり秋風が吹いていて
空を見て冷たい空気を感じて、季節が変わったんだな~って感じたのを覚えています。

あっくんのお骨は今も家にあり、一緒に過ごしています。
ともやにも、「お兄ちゃんが居たんだよ~」って何度も話しています。
主人に、ともやの産後1週間目くらいに、
「ともやとあっくんがとても似てるから最初にともやを見た時びっくりしたんだよね」
と言ったら、主人も同じ事を感じてたようで…やっぱり兄弟だね。

あっくん、元気に産んであげられなくて本当にごめんね。
パパとママはずっとあっくんを思ってるからね。
心はずっとそばにあるからね。


四十九日

2010-11-11 | 2010 あっくんお空へ&産後

今日はあっくんが産まれて四十九日目。
28W5Dで18トリソミー発覚。それからの検診は毎回不安で不安で仕方なかったけど、9ヶ月まで頑張ってくれてたから、周りからももう大丈夫だよ、って言われて少し安心してきた矢先、心臓がママの胎内でとまってしまったよね。でも一緒に居れた9ヶ月は本当に毎日が夢のようで。7回目の移植でやっと授かった命、パパもママも義両親もママの両親もどんなにあっくんを抱ける日を楽しみにしていたかあれからもう49日も経つのかー、って気持ちと、なんだかものすごく前の出来事だったようで、まだ49日?、と言う両方の気持ちです。
義父から旦那さまの携帯に、納骨どうするの?二人とも大丈夫?って電話あったみたい。みんな心配してくれてるんだね。ほんと、ありがたい。うちの両親もかなり心配してくれてるし、やっぱり親っていつまでだっても心配してくれるもんだね。私もあっくんのママとして、もっと強くなれるように、あっくんと一緒に成長したかったな
あっくん、少しお空で休んだら、またパパとママに会いに来てね
パパとママはまたいつもの静かで穏やかな日常生活にもどりつつあるけど、また治療頑張るから

そうそう、クルム伊達選手が不妊治療していた、っていうTV番組、この前やってました。同時期に、陣内貴美子さんも不妊治療されていたようで、あんなにスポーツバリバリやっていらっしゃる健康な方でも不妊ってあるんだなーっと。大黒摩季さんも不妊治療されるようだし、太田光代さんは社会の理解が深まるなら、同じ治療をされていらっしゃるかたが少しでもラクになれば、と公に治療のお話をされてるし、案外同じ悩みの方って多いんだな~と最近何度が思いました。有名人が不妊治療について公に話すのって、偉いな、って思います。だって旦那様の理解がないと無理だとおもうし、きっと勇気いりますよね。でも見てる私も沢山勇気もらえたし、また頑張ろう、って思た!不妊治療について社会の理解がもっと深まって保険適用とかになってくれるととっても助かるのにな


産後の検診2

2010-10-27 | 2010 あっくんお空へ&産後
今日はいいお天気、秋晴れです

今日で産後丁度1ヶ月。産後2回目の検診に行って来ました。
また待合室に沢山の妊婦さんと赤ちゃん(産婦人科なんだから当たり前だけど)やっぱり少し見るの辛かったけど、でも幸せそうな妊婦さん、可愛い赤ちゃん、私も後に続かなきゃ、と思いました
朝9:00、いつもの優しい先生。悪露の出血もなくなり、おりものも黄色から白になり微量になっているのを伝えると、「順調ですね」と。エコーでも「子宮回復は順調、生理ももうそろそろ来るでしょう」と言われ、嬉しかったです
私が、「また不妊治療しようと思っています」って言ったら、「mitanさんはKLCで治療されてたんですよね、1-2回生理が来たらまたら治療再開していいと思いますよ」と言って下さいました。大学病院でこれだけ多くの患者さんを日々診てるのに、私が不妊治療してたと覚えてくれていた事にびっくり。カルテを見直したにしても、患者との会話が増えるだけ診察時間が長くなるのに、この先生はやっぱり優しいな~っとここの病院は外来でも病棟でも看護婦さんもテキパキしているし優しいし、とても良い病院でした

病院の帰り、病院が居住区外で妊婦健康診査受診票が使えなかったので、最寄りの健康センターへその分の請求に行って来ました。1万5千円の請求ですが、それでも家計には助かる~
あと、今日は資料が揃ったので保険会社に入院給付金の請求を出します
給付金、って言っても日額5,000円の最低限のやつだし、入院していた16日間分、丸々給付されるのかは不明だけど、それでももらえないよりはいいと思い、7,980円も病院に支払い入院証明書を書いてもらったのだ 16日x5,000円=80,000円までは頂けないにしても、少しでも頂けると嬉しいな

今日で産後検診も終わったし、一つ節目を迎えたような気がします。
お空に帰ったあっくんのお骨に今まで手を合わせるのが、なんか死を認めるのが嫌だったのかよく分かりませんが、旦那さまが家でやってるのを見てもとても違和感があり嫌で出来なかったのに、ここ最近私もお骨に向かって手を合わせる事が出来るようになりました。きっと、これには「四十九日は来世の行き先が決まるもっとも重要な日であり、その間遺族が丁寧に冥福をお祈りする事によって始めて無事に送る事が出来る」というのを読んだ事もありますが、今は日に何度があっくんの来世を願って般若心経を読んでいます。

まだ納骨については何も決まっていませんが、これについてはもう少し時間をかけて考えて行くつもりです

お空のあっくんへ、ママの独り言

2010-10-21 | 2010 あっくんお空へ&産後
あっくん、今は天使になって自由に動き回って沢山笑ってるよね
ママは、あっくんがお腹の中で心臓が止まる時苦しかったんじゃないかと思うとたまらなく涙があふれてきますが、今は悪い心臓からも解き放たれてるんだよね。18番目の染色体が1本多いというだけで長く生きる事が出来ないなんてね、染色体って何なんだろうね。健康に産まれてくる事がこんなにもありがたく難しい事だったなんて。知ってるつもりで知らなかったよ、あっくんに教えてもらいました。パパもママも頑張らなきゃね。あっくんはあんなに頑張ったんだもんね。

あっくんがママのお腹の中で亡くなったのが先月の23日、あと2日で10月23日だから、もう少しで一ヶ月になるね。初の月命日ってやつなのかな。でも亡くなってからもお腹の中に丸4日も居てくれたんだよね。ありがと

今一番思い出されるのはあっくと初めて会った瞬間かな。あっくんは、とーーーーーっても小さくて可愛くてねパパが買ってくれた可愛い青いお洋服を着てたけど、小さいあっくんには大きすぎてぶかぶか。袖は長すぎて何重にも折ってあって(苦笑)。体を洗ってもらったあっくんは髪が濡れたまま連れてこられて、「足形は取れましたが、手は無理にパーにしようとすると皮がむけるので手形は取れませんで」って言われてね、ママは"18っ子のグーの手かぁ~"って思ったよ。一杯幸せを握りしめてくるはずだったのにね。あっくんは少し毛深くてパパ似だったよね。看護婦さんからも「パパ似ですね」って言われて。パパ、「ホントにオレ似?」って看護婦さんが去ったあと、ママに聞いて来たのよ。嬉しそうでした

あっくんは紫色の肌で静かに目も口も閉じていて上体を起こされると左の鼻から鼻血が出るからずっと横になってたよね。看護婦さんがあっくんをママの横に寝かせてくれた時鼻血を拭いてあげたかったのにティッシュもないし動けないし、もどかしかったの覚えてるよ。それにママはパパみたいに起きて抱いてあげられなかった事が今でも悔やまれるけど、パパが優しく抱いてくれてよかったね。パパは、「あまりの軽さに驚いた」って後で言ってたけど、ママがあっくんを抱けたのは、あっくんが産まれて2日後、もう小さい箱の中に眠ってた時だから、あっくんの重さだけを感じる事が出来なかったんだよね。抱っこはいつも箱ごとだったもんね。あの時あっくんにあげたトラックのおもちゃ2つ、あれはパパが買ってきてくれたんだよ。でも対象年齢が5歳以上とあり…ごめんね、あとでパパ叱っておいたから…。

あっくんがママのお腹で9ヶ月一緒の時を過ごしてくれた事はママの体がずーーっと覚えてるからね。パパもママもあっくんに会えて本当に本当に幸せだったよ。パパもママも不妊治療を何年も頑張ってやっとあっくんが来てくれて、そりゃ妊娠だと分かった時は二人して天にも昇るくらい嬉しくてね(月並みな言い方だけど…)。パパとママを選んで来てくれてありがとっ

あっくん、少し休んでゆっくりしたら、またパパとママのところに来てくれたらうれしいなーーーまた会いたいよ。

産後の検診1

2010-10-14 | 2010 あっくんお空へ&産後
産後17日目の昨日、血液検査と診察に病院へ行きました。
久しぶりの外出でしたが、まだまだ外は暑いですね涼しい日々が待ち遠しいです。

病院では妊婦さんや赤ちゃんをたくさん見ました(当たり前ですよね、産婦人科に行ったんですから)。でもやっぱりまだ妊婦さんや新生児を見ると喪失感というか、なんだかやりきれない気持ちでいっぱいになりました。待合室にいた一時間、直ぐ前に座っていた2歳くらいの男の子がずっと騒いでて。。。妊婦の時は子供の騒ぐ声がとても気持ちよく響いてた感じがするのに、昨日はその声を聞くのがとても辛くて。それに、前に座っていた妊娠初期の方がまだ6ヶ月くらいの赤ちゃんを抱いていらっしゃって、その赤ちゃんのとても可愛らしいほほ笑んだり指をしゃぶったり声を発するのを聞いていると、本当に、なんでここに私はあっくんと一緒にいられないんだろう。。。って考えても仕方のない事をまた考えていました。

診察は。。。。血液検査の結果は良好、まだ子宮の中が少し出血しているので、また2週間後に診察となりました。でももうお風呂に入って良いとの事。やっぱり赤ちゃんが小さいと、産後の回復も早いのかな~って思いました。悪露も既に微量、お腹の痛みもむくみも取れました。腰が痛かったので犬印の「産褥ニッパー」をネットで購入し着用しているので腰の痛みも軽減。産褥ニッパーは通常のサイズ+2サイズアップ、と書いてあったし、レビューを見ても小さすぎた、もっと大き目を購入するべきだった、との意見が多かったので3Lを購入しましたが、こんなに大きなサイズを買ったのは失敗でした。お腹をギューっと引き締めて早く引っ込める為に購入したのに、既にゆるゆるとなってしまい。。。
生理は一ヶ月くらいで来るそうです。二人目も欲しいし、心身ともに回復するためにそろそろ軽い運動でも始めようかな~、って考えています。

あっくんの納骨ですが、49日が過ぎる11月11日以降と考えていますが、でも本当に納骨すると思うとなんだか寂しくてたまりません。今は一日に何回も骨壷を抱く事ができるし、実際に触る事ができるのに、それができなくなると思うとたまりません。納骨って必要なんでしょうか。
今日、私の体を心配した母が電話をくれたので、体調は回復してる事を伝え、納骨について相談してみました。母は、私が一歩進む為にもあっくんの為にも納骨する方がいいと思う、という様な事を言ってくれました。そうだなーと思う反面、やっぱり納骨してしまうと寂しすぎるなーっと。母は、まだ産後2週間と少ししか経ってないから、またゆっくり考えたらいいよ、と言ってくれました。時間が経てばまた考え方もかわるかな。

あっくんお空へ(産後7日目) 火葬

2010-10-07 | 2010 あっくんお空へ&産後
朝からどんより曇った一日でした。
10月4日、産後7日目、家の近くにある都営の火葬場へあっくんのお見送りに旦那さまと二人で行って来ました。私はまだ動くとお腹も痛いしもちろん悪露も続いているというのに、もう我が子を火葬しなければならないんて……、こんな日が本当に来るんですね。

子供は温度が高すぎるとだめなので、朝一番に火葬を行うとの事、9:30に火葬場へ行きました。お焼香を済ませた火葬前、「もう一度お会いになりますか?」と聞かれたのでほんの数分でしたが再度あっくんの姿をみることが出来ました。これがあっくんに会える、姿を見る事ができる最後だと思うと涙がとまりませんでした。この時ばかりは旦那さまも泣いているようでした。あっくんは数日前よりも少し濃い紫色の肌をしていて、今回はお口が思いっきり開いていました。主人はだんだん小さくなるね、って言ってました。冷蔵庫の中は寒かっただろうに、今日はもう火葬だなんてね。。。。沢山お花を飾ってもらって小さい箱に入って。。。最後に私があっくんのお顔にレースをかけてあげてお別れしました。もうこの子の顔を見る事も肌を触ってあげる事もできないんだ、って思うと寂しくて寂しくて涙がとまりませんでした。

10:10分頃、火葬が始まりました。あー、本当にあっくんの肉体はこれでなくなってしまうんだー、って思いまた涙がこみ上げてきました。私たちは待合室で待つ様言われ、待合室へ移動。二人でコーヒーを飲みながら静かに過ごしました。

10:40分頃、納骨場へ呼ばれました。旦那さまと一緒にあっくんの骨を1本箸で摘み、白い小さな骨壷に入れました。それから全ての骨をスタッフの方が骨壷に入れて下さり、火葬は終わりました。受け取った骨壷はとても小さかったですが温かかったです。

とうとう小さな骨壷に納まってしまったあっくんですが、やっと一緒におうちに帰る事ができたし、胸に抱いてあげる事もできました。でも我が子に先立れ火葬しなければならない日が来るなんて………本当にこんな日が来るなんて想像もしていませんでしたが、現実なんですよね。

あっくん、パパとママのところに来てくれて本当にありがとうね。パパとママはあっくんに会えて本当に幸せだったよー。