美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

外山城跡に登ってみました(美里町五百野)

2012-02-05 09:30:56 | 津のこと


2月4日(土)の夕刻、
津市美里町五百野の外山(とやま)城跡に登ってみました。

外山城は、室町時代の初期に土岐一族がこちらに来て築いた城です。
足坂の高宮小学校の裏山にあった今峯城と同じ一族の城です。
外山城跡が、この場所にあるのは知っていたのですが、
「今峯城と外山城」の記事にある写真のように、山のほぼ頂上まで竹林に覆われ、
山頂までの道は無くなっている、と聞いていたので、
登頂は無理とあきらめていたのです。
今峯城(美里町足坂)と外山城(美里町五百野)



ところが、この外山城跡の西斜面の竹がすべて伐採され
山肌が見えているではありませんか。
(1枚目と2枚目の画像)

おそらく持ち主の方が一念発起して竹林を処分されたのだと思います。
冬なので山肌が見えていますが、
これが夏になると笹が生えてくるかもしれません、
登るなら今しかないと、西斜面の下、市道から登り始めました。



外山城跡は標高107mですが、集落が海抜70mなので
差引40mほどの登りになります。
3枚目の画像が、3分の1ほど登ったところです。
急斜面で、道らしきものは全くなく、足場になりそうな場所を選んで、
ジグザグに登っていきました。



竹の間から、コメリ美里店が見えました。
1・2枚目の画像は、そのコメリ付近から撮ったので、
あそこからここまで来たんだと、妙に感心しました。



3分の2ほど登ったところで、
左右に道のようなものが出てきました。
これは道ではなくて、腰郭(こしぐるわ)と呼ばれる、
中世の城に特有のものです。
長野氏城跡の「中の城」にも、これと同じくらいの幅の腰郭があります。

ただ、これが室町時代の形をそのまま遺しているのかどうか、
については疑う余地があります。
ひょっとすると近代に形状を変えている(道幅を拡げた)可能性もあるからです。


(南斜面の頂上付近)



頂上に着きました。頂上には国土地理院の三角点がありました。

頂上はほぼ平坦で、これも長野氏城跡の「東の城」とよく似た
「デコレーションケーキ」のような形状です。

先にも書きましたが、ここは近代になって整形されている可能性があり、
室町時代の城の形を保存しているとは断言できません。
それは、戦時中にこの山頂に、
軍の防空哨(やってくる敵機を監視する部隊)が置かれていたからです。
どのような施設だったのかはわかりませんが、
基地として使いやすいように整地した、
ということがあったのかもしれません。

また、室町時代よりもっと昔の、後期古墳時代には、
ここに横穴式古墳(外山古墳2号)があった
(つまり古墳の上に城が築かれていた)ことが知られていますが、
外山古墳1号のような石材の露出はまったく見られませんでした。



頂上から撮った伊賀街道と青山高原です。絶景です。
中世の城郭マニアの皆さん、ここは必見ですよ。

太陽も沈んでしまったので、山を降りることにしました。
山頂から見渡すと、南斜面の中腹に曲郭(くるわ)のような平地があり、
その脇に、現在も通行しているような道がありました。

確か道はないと聞いていたのですが、
どこかに続いていそうなので、そちらに降りてみることにしました。



道は南方向へ伸び、やがて下の畑に向かって下り坂になっていました。
「なんや、道があるやん、急斜面をよじ登らんでも良かったんや」
と苦笑いをしました。
その帰ってきたルートがこちらの地図です。
 ↓


国道163号、外山集落入口の東側から山に続く道を登ります。
山頂まで約270mです。
南斜面の曲郭までは、幅1mの道がありますが、
そこから山頂までの約10mは、道らしきものは無く、
斜面をよじ登るしかありませんので、気をつけて登ってください。

梅の花が満開の外山城址に行ってきました

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