ヴァイログ (vol.1)

Vitamin Log(ヴァイタミン ログ)略して「ヴァイ ログ」。日々の生活のヒントに。『読む栄養素』

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)

2008-07-25 17:35:38 | 神社・寺(じんじゃ・てら)
JR京都駅、新幹線から奈良行きの在来線に乗り換えて大体15分、駅を降りれば「伏見さん」だ。
正面参道から本殿へ。途中、両脇にそびえるお狐さんに会釈、そして本殿を参拝。
本殿左奥より伸びる道なりに稲荷山へ。ここからが見所。いわゆる「千本鳥居」だ。
文字通りビッシリと建て連なった朱の鳥居の中を進んで行く。ほどなく奥社へ。
実はこの奥社周りのどこかに小さなお社があって、そこにお居しますお狐さんが
ウチをお守りしているお狐さんなのだ、との言伝えがある。どのお社なのか確認していないのだが。
さておき、更に鳥居のトンネルを山の頂上へ向かって進む。途中、小さな社が集合住宅のように点在している。脇の竹道に入ると湧き水のある集落のような社群もある。
だんだんと勾配が足にかかってくる。
場所によっては人気が無くなり朱色の世界に溶けてゆくような、神秘的な感覚を覚える。心地よい。(何とも言えない不気味さ、怖さを感じるヒトもいるようだ。)
朱のトンネルを進みだすと止まらなくなるようで、三つ辻、四つ辻くらいまで行ってしまう。京都の町並みを一望するのにいい場所だ。
山を降り、本殿脇の見世(=店)をブラつく。白に独特の金模様の入った神棚用の陶器や、名物のスズメ焼き・ウズラ焼き、稲荷寿司。お目当てのモノを買ったり食べたり。特にスズメ焼きは皆おっかなびっくり、といった感じで口に運ぶ。肉部が少ないので、山椒を利かせた関節焼き、といった趣だ。頭部の姿焼が混ざっているのもご愛嬌。
ここは稲荷さまの総本宮。
お山のソコカシコに点在する小さなお社群は、全国に散らばっている「お狐」たちが如何に多いかを物語っているようだ。
『お狐のネットワーク』ということを思わず妄想?してしまう。

生かわきスリ傷のバンドエイド

2008-07-19 18:14:06 | 同一化(どういつか)
先日、お台場のほうへ出向いた。
臨海線「ゆりかもめ」は好きな路線の一つだ。
とくに豊洲から東京国際展示場にかけての「ただ今、開発中」という空気がイイ。
しかしこの私、展示場周辺を歩くと「ある感覚」が沸き起こる。
それは丁度「生かわきスリ傷のバンドエイドをバリバリと剥がす」ような感覚だ。
さすがにもう無いだろう、と帰り際に其の場所で少し黄昏てみたら、またぞろ甦ってきた、、。
もっとも30有余年も生きていればそういう場所が一つや二つ、出てくるものなのか。
あの時の自分の判断はとても小さいコト。でも、いまでも「利いている」というコトなのだろう。
すこし昔、『アフリカで羽ばたいた蝶の羽風が、カリフォルニアで台風を起こす』といった怪しげな理論が流行ったことがある。
軽い気持の判断が今も自分を揺さぶってくる。ヒトの感情が複雑系であることの証左なのか、どうか。
「もしかして自分にも『感傷』という現象があったのか!」と少し安心している自分に大きな不安を感じて帰途に着いた(笑)。

フシギな話

2008-07-15 13:58:49 | 同一化(どういつか)
お盆中なので、先代(ジイ様)にまつわる話。
彼は今頃、他のご先祖たちと宜しくやっているだろうが
この世では一族数十年来の『厄』をすべて背負って生きた人生だった。
「なぜこの俺が」という思いがあったのだろう、信心の深いヒトだった。少々『荒馬』でもあったが、、。
後継者として育てられながら本家の屋を追われた彼は、小さいときから屋に祀られていたお稲荷さんが気になっていた。そして、その稲荷を確認する事も儘(まま)ならないまま「三大稲荷」と言われるものの一つにお参りしていた。相続をめぐる裁判と一族の税金全てを負担する生活の中、午前3時~4時に車を飛ばして。
ところが彼の身辺は収まるどころか、ますます複雑な事になってしまう。「どうしたものか」と悩んでいるとき、あるスジの人から千葉に住む不思議なお婆さんを紹介された。俗に言う『おがみ屋さん』だ。彼女はトランス状態になるなり、トーンと後ろに跳ねた(らしい)。「お狐さん」が憑依したのだ。そして「我を忘れたか?なぜ我が方を軽んじるのか?」という趣旨を告げたという。もちろん彼女にお稲荷さんのことは打ち明けていない。目の前で起きた一種異様な雰囲気に気圧(けお)されたことだろう。三大稲荷の一つにお参りしてはいたが、それは自屋の稲荷さんではなかったのだ。以降、彼は体が動かなくなるまでほぼ毎年、初午(はつうま)の時期に「我が方」の稲荷へお参りを続けていた。決して平坦でなく失ったものも甚大だったけれど、争いを仕掛けた者達すべてが凋落してゆくのを見届けながら、八十数年の生涯を全うした。
私は小さい頃からこうした話題を耳にし、実際に彼の人生を見て育った。なので、今でも「お稲荷さん」については気を使う。
まあ、この種の話を真に受けつけないヒトのほうが普通だと思う。
フシギな話。

ほおずき市

2008-07-10 16:22:31 | 不動産(ふどうさん)
浅草、ほおずき市の2日目。午前を早々に切り上げ、浅草寺へ。
きのう今日の2日間のお参りは、4万6千日分のご利益があるそうだ。
4万6千とは、1升に入る米粒の数に由来する。
そして1升は「イッショウ」=「一生」につながる。
4万6千日を年換算すると、46000÷365で126年。
どこかで聞いた話だが、一般にヒトが最大限生きられる年数は大体130年弱だそうだ。
結構な人混み。
境内のほうずき市から仲見世をおもい思いににそぞろ歩きする人々。
[伝法院通り]などの町道も、なんとなく江戸時代の佇まい?を連想させる通りに改装されたので、ヒト(観光客)が以前よりも流れるようになったようだ。
しかし、「町並みの情緒」を作ってゆくには、もっと建物の高さや色合いに統一感を持たせてなければならない。コツコツと。特に建物の色合いに配慮が足りない。東京は。統一感なく「白くしておけば無難」とばかりに味気ない白味の建物が多いようだ。年数が経つと汚らしくなる。この点では京都がやはりすごいと思う。歴史地区だけでなく、普通の生活地区も、なんとなくクリームやベージュかかった色味の建物ばかりで、目にまぶしいような白味の建物はあまり見当たらない。塗装の年数劣化が「味」になる色調、というか明らかに少し枯れた色調で初めから塗装をしている。ここは見習うべき。もっとも東京人は[グレー]にこだわりを持って建物や町並みを考えるといいかもしれない。江戸時代の江戸人はグレーに対して細やかな選別をしていたようなので、その伝統を生かせば良い。
などという事を考えながら、神田明神へもお参り。
「将門煎餅(まさかどせんべい)」を3パック購入。
今のところ最強のおやつだ。この煎餅が。

宗教文化施設のマナー

2008-07-05 14:51:36 | 時事(じじ)
異国の宗教文化施設に落書きをした日本人が問題になりました。
考えたコト、2点。
1.彼(彼女)たちは、日本の宗教文化施設でも同じことをするだろうか?
2.彼(彼女)たちは、文化施設でのマナーについて教わったことがあるのかどうか?
1.について、彼(彼女)たちは普通、国内ではやらないと思う。同国人の「目」があるということ、そして穢しては「ヤバイ」という独特の感覚が働くので。ただ、条件が揃えばやりかねないと思う。
なぜなら、
2.彼(彼女)たちは、宗教文化施設でのマナーということについて教わったことや体験したことがないだろうから。
これは彼(彼女)たちだけではない。私もそうだ。自分は小・中・高校と公立学校だったが、12年間の学校教育の中でマナーや、ドレスコードについて教わった記憶は全くない。
何度も恥ずかしい思いや体験をして「そういうものなのだ」と知らしめられるばかりです。ただ幸運にも大事に至ることなくある程度知ることができた、ということ。今回の彼(彼女)たちは「不幸」にも広く世間に晒され、マナーについて教わることになった。
若い世代すべてが今回のような問題を起こす『予備軍』になっているという事実はよくよく恐ろしいことだし、個々人にとっても不幸なことです。これだけ気軽に世界中へ移動する昨今、地域によってはシャレでは済まされない、最悪その場で身に危険が及ぶ場合もあろう。
繰り返しになるけれど、日本には10年近くも教育期間がある。その間にそれなりのマナーやドレスコードを教わり体験する機会があっても良い。
例えば、修学旅行。伊勢神宮へ行くとする。神宮内へ入るときにはネクタイ・リボン、革靴を着用。携帯の電源を切り私語も慎み、道の端を歩く。厳粛な雰囲気を味わう。さらに、御正殿まで来れば2礼2拍手1礼をするのが「礼儀」。ムズカしい屁理屈はない。どうあれ立振舞いで文化に対しての敬意を表す、ということは万国共通なのだから。御苑を出れば、おはらい横丁で存分に楽しんで、というコース。神宮内(=聖)とおはらい横丁(=俗)とのメリハリ。
これくらいのことでもやるとやらないでは違うと思うのです。
宗教文化施設でのマナーは、他の文化施設や自然遺産、ひいては日常でも確実に通用することでしょう。