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覚書あれこれ

かつて見た映画、かつてやったマイナーゲームなどの覚書と単発ラクガキなどなど

トルコにも腹芸があった!(「歌い、踊り、奏で、にぎやかにトルコ」レポート)

2008年03月25日 | タワゴトと萌え語り

3月23日 某方からのリークで伊丹市アイフォニックホールでイスタンブル工科大によるトルコ民族音楽の演奏会があるという秘密情報を得たワタクシ、やはり無類のトルコ好きの友人を強引に誘って行って参りました、そぼ降る雨をものともせず宝塚線に乗り換えて伊丹市へ!(詳細はアイフォニックホールのHPで→こちら

てっぺん禿げ+出腹の食べちゃいたいくらいかわゆらしいナイスおじさまに率いられた大学生、総勢14人の奏で踊るトルコの民族音楽を堪能してまいりましたよ!

衣装

民族衣装って、どうしてどこもそこも可愛らしいのかしら!トルコの民族衣装は多彩で、演目一番目のくるくるダンス…もとい、スーフィズムの教義に基づく舞いでは長くて白いスカートに円錐帽、次の勇壮なダンスではタイの山岳少数民族風、他にも、肩から袖をたらしたヨーロッパ風あり、腰布の上から上着を羽織ったような割合自由のきく衣装有り、ベリーダンス(トルコではオリエンタルダンスというらしい)の妖艶な衣装有り、どの演目でも目を楽しませてもらいました。楽器奏者の白いシャツに、黒のベスト・ズボン、黒のサッシュ、靴というシンプルないでたちもステキだったなあ。
女の子の衣装は、ベリーダンス以外は、足首で絞ったズボンの上にエプロンみたいな上着をつけてることが多くって、そのズボンのふくらみ具合がまたかわゆらしい。腰帯の背中側に装飾品をつけたヒモをたらしてることもあって、ダンスするたびにお尻の辺で飛び跳ねてカワイイの!頭に載せた小さい帽子とベールもステキでした!

管楽器

まさかクラリネットを使ってるとは知らなかった。そして、民謡の旋律を奏でるクラリネットがあんなに色っぽい音を出すとは知らなかった。チャルメラみたいな音を出すズルナという木管楽器も、…あの音、トルコ音楽には欠かせないよな~~!!と、しびれました。他の管楽器は、遠すぎてよく見えなかった…

弦楽器

これまた遠すぎてあまり見えず。弦でひくものと、指で爪弾くものがあるみたい。弦で弾く方、ヨーロッパの民族音楽のフィドル奏者がするように、弾き手が足でリズム取ったり踊り手を囃したりしながら弾いてるのがすごく楽しそうだったなあ。

打楽器

アタシも叩きたい!!!!

でっかいタンバリンみたいな、片側にしか皮を張ってない太鼓(多分ケス)も、軍楽隊にも使われてる肩からヒモで吊って演奏するダウル(ドリル演奏用の大太鼓のようなもの)も、すんごいかっこ良かったよ~!!!リズムがもう、全然日本のものとは違いますよ!まず早い!そして複雑!ああ、あんなリズムを演奏してみたい!!(そんな技術ないけど) ダウル奏者4人による掛け合いなんか、音量にもリズムにも度肝を抜かれましたもの!

演者

女の子は踊り一本なんだけど、団長のデミルバウ先生を含め男の子達は歌を歌ったかと思えば次のシーンではズルナを奏で、ケスを叩き、オマケに踊りまで踊っちゃうというマルチぶり。途中の解説で選りすぐりの学生を連れてきた、と言ってたけど、ほんとうに頷いてしまいました。

西洋式の発声とは明らかに違う、なんとも悩ましく色っぽい男性の声。どっちかというと演歌に近いのではないかと思いました。

イスタンブル工科大

「なんで工科大で民族音楽なの?」とは誰しもが心に抱く疑問。ちゃんとコレについての解説がありました。曰く、もともとオスマン・トルコ時代からあった由緒正しい音楽院だったらしいんだけど、トルコが近代化してから、どこかの大学に所属しないと資金が出ないことになって、とりあえず、近くにあった工科大学に所属させてもらったんだそうな。
…それでいいんだ…

トルコ人

解説の細川直子さん(アタシ、この人の本実は2冊ほど持ってる)によると、トルコ人は目上の人や教師なんかに対する尊敬の念があって、義理人情に厚く、感情表現が大らかで裏表がなく、そんでもって熱い人が多いらしい。カワユイ(笑)。でもって、結婚式や秋祭りなんかでは踊りまくったりする生活に歌と踊りがしみこんでる人々なんだそうな。
数少ない親日国なんですよ?イスタンブルでアパートに入居する時も、「ヨーロッパ人はアレだけど、日本人だったら信用できる」なんて身に余る言葉をかけてもらえちゃったりするらしいですよ!?アタシもトルコ人大好きだよー!

手拍子

最初はかしこまって演奏を聞いていた日本人観客ですが、真ん中過ぎたあたりから箍が外れ、また、演奏のトルコ人のほうも、「手拍子をねだると意外と日本人は応えてくれる」と察したらしく、最後のあたりはねだられるままに手拍子しまくりました(さすがに踊ったり歌ったりはようせんが)。楽しかった~!ただし、手拍子の拍は、通常日本人歌手にする手拍子の約3倍高速。

 

で、どの演目も楽しかったのですが、なかでも特に印象的だったものを以下にメモっておきます。

なんと、トルコにも腹芸があった!!

シリフケ地方の腹踊りAsukmasuk(アーシュクマーシュク)

胸から臍の辺りまでにかけて、でっかく顔を描いております。女の人まで眉毛つながってまっす!

 

男女の腹人間が出てきて、男は女に言い寄りますが、なかなか応えてもらえません。

言い寄る→断られる→追いかけっこみたいなダンス→言い寄る→断られる→ダンス…を繰り返します。

なんど追いかけても振られる男に、客席から思わず「頑張れー!」という声援が(笑)

もちろん、最後はちゃんとくっつきます。

 


11月のお茶会

2007年11月20日 | タワゴトと萌え語り

17日は

18日は
年度末(3月)まで蓄えておけるほどのモエを補充

では、各々への率直な感想を美内先生のお力を借りて表現してみます。
(以下、全部C・『ガラスの仮面』美内すずえ)

某遠矢の神さま

言葉などもはや必要ありません。

 

②アレス

ユキさんのアレスは本当に毎回思いっきり可愛がりたくなっちゃうような愛を覚えます…(ぽ)
(お二人には、なんだか気を使っていただいちゃったみたいで、恐縮ですが)最後のアレにもドキドキしましたよ~!!
何らかの愛はあって良かったね(心の底から)!
ほんと、何たる萌えでしょう!

 

③なりチャとは関係ないけど、もひとつの大いなるモエの源泉

恐れ多くも月影先生に語らせて見ました。
でも同時にスドゥも好きなの…。あの二人、完璧よ…

 


以下、暇な人だけどうぞ(茶会感想詳細


 


こそっと

2007年11月08日 | タワゴトと萌え語り

なりチャ関連の記事、色々自分に正直すぎて今更ちょっと恥ずかしくなってきてしまいました…(きゃっ)(←ほんとに今更ダナ…)

でも、日記などでコメントを頂いてしまったので消すのもどうかと思って、

こっちに移動しました☆2003年2月に入れといた。


人間科学研究所特別企画シンポジウムレポートその2

2007年10月25日 | タワゴトと萌え語り

三人目:坂田千鶴子先生 「日本神話の荒ぶる女神とその夫」

 坂田先生は、シャイなあんちくしょうでございました。シンポジウムのテーマが『暴力と女神』なので、とりあえず上記のようなタイトルで頑張ってみたけど、日本神話にはそんなに怖い女神はいないのよね…と、はにかんだように仰ってました。
 あと、明治時代に入っちゃうと、文学における男女関係がおもしろくない!とくに浦島太郎!と仰ってたのが印象的で。
 今の一般的な浦島太郎の話って、最後、玉手箱を開けた太郎はじいさんになってシメなんですが、丹後国風土記に載ってるウラシマ君と海の娘さんの恋愛譚はなかなか素敵らしいですよ。最後、同じようにウラシマ君は玉手箱をもらうんだけど、おうちへ帰ってきてその箱を開けると、なんとそこには恋の相手の海の娘さんが入ってたんだって。娘さんは開けてはならぬ箱を開けた途端に飛び去っちゃうんだけど、その後も二人のやり取りはつづいたそうな。二人は遠距離恋愛を頑張ったらしい。

 …いや、わき道の話は置いておいて、日本神話にあんまり荒ぶる女神を見つけられなかった坂田先生、とりあえず、先生の好きなカグヤ姫の原型を探してみることにしたんだそうです。
 で。見つけたのがなんと『出雲国風土記』の中だったらしい。最初聞き始めの頃は「どこに行き着くんだろう、この話…」と人事ながら心配していたものですが、聞き終わってみると、大変興味深いお話でした。

要約すると、『出雲国風土記』の、加賀郷と加賀神埼の項に、“キサカ姫”という姫が出てくるそうな。この姫は、洞窟の中で赤ん坊を生むんだけれど、坂田先生のお話では、この赤ん坊は大国主、つまり、オオナムチなんじゃないかと。
そして、この姫は弓とも関わりが深い。赤ん坊を産んだ後、「私の産んだ子が真実神の子なら無くなった弓矢よ、出てきなさい」と祈願したら、すぐそばの流れに、金の弓矢が流れ着いたんだそうな。その弓を手にとって「ああ、なんて暗い洞窟かしら」と、弓を射たら、たちまち洞窟は光輝いたらしい。で、地名が「かが」になったとか。
 弓、というのが、月の上弦下弦時の形と似ているところから、弓は月とも関連付けられるし、また、月と不死性と蛇も、カガという名前と蛇とも関連付けられるらしい。なので、このキサカ姫は月の神であり、大母神なのではないか?
 この風土記の記述は古事記には載ってなくて、古事記ではナムチの母親は別の人になっているけど、本来はこのキサカ姫がナムチの母親だったのでは。ナムチが兄たちの嫉妬をこうむって、死に掛けたとき乳汁をかけて彼を生き返らせてくれたのもこのキサカ姫(キサカイ姫ともう一人)らしいんだけど、それは、母親だから、と考えれば実に分かりやすい。このキサカ姫の役割は古事記ではイザナミやアマテラスにふりわけられたけど、本来はもっと重要な女神だったのでは?この月女神はアマテラスが太陽の女神として記紀神話で主要な役割を演じる前の時代の、縄文の信仰に根付く女神で、この縄文の月女神は隠され、ばらばらになってはいるが、こうして風土記などの文献に残っているのではなかろうか。

…と、大体こんな感じのことをおっしゃっていたと思います。ワタシの理解がまずくて嘘を言っていたらごめんなさい。


四人目:依田千百子先生 「韓国神話における女神と暴力」

ちょっと前にワタシも読んだ松村一男先生の『女神の神話学 処女母神の誕生』に説明される女神と暴力のカテゴリー分類を元に韓国神話ではどうなっているのか、を見るのが依田先生の趣旨でした。でも、その前にざっと韓国神話の紹介。
まず、伝承形態には文献、巫俗(巫女さんが伝えてるもの)、民間伝承、があり、機能的に分けると国土創世神、地域の守り神、機能神、冤魂神(恨みを残して死んだ女の霊)に分けられ、これにさらに、独身か、既婚か、という別がある、と述べられました。
恨みを残して死んだ人が怨霊化するのは、韓国も一緒なんだなあ、と、妙に感慨深かったり。

ここまでの説明して、ようやく女神と暴力の関係に入りました。
まず、殺された(もしくは自殺した)女神。大体、死んだ後、その体の各部分から、色々と人間の暮らしに役立つものが生まれ出てくる、という、お決まりの例のパターンです。韓国神話のノイルゼデの場合、体の各部分から海産物が生まれてくるあたり、さすが島嶼部の国だなあ、と。
次、殺害し、蘇生させる女神。この項では韓国神話のチャチョンビさんが紹介されました。主人公チャチョンビの波乱万丈人生。これなど、ギリシア神話のアドニスなんかの、若い青年神を殺して生き返らせる大地母神を彷彿とさせます。結局、チャチョンビさんは農業の神様として祭られることになるので、あながちはずれではないかも。
時間が無くて、次の追放・遺棄される女神の項は省略されてしまいました。ちなみに、ここで紹介されるはずだったのは朱蒙神話。

…おっと、先生によって偏りがありすぎですね…。いや、依田先生はほぼテキストに沿ってのお話で、自分が記憶しておかないといけないことが少なかったから、ついサボってしまって(最後の方でワタシの集中力も途切れがちになってたし)…スミマセン


次、大幅に時間を過ぎての討論会。この時点で終了時間の4時を軽く過ぎてます。
いくつか質問が出たうち、かろうじて覚えているものだけ抜粋しておきます。


Q:(吉田先生に)暴力の根源にガイアがいる、ということをもう少し具体的に解釈してください。

A:つまり、ギリシア神話における暴力というのは、女神の力を抑圧して、男神優位の神話と社会が確立する過程で起こっているのではないか。
 一番最初に人類が持った神はやはり女神で、食物(狩の獲物など)を人間に与えてくれる“産む神”として、大女神崇拝があった。そして、農耕、栽培が始まると、その植物の擬人化から大女神の愛人的な男神が想定され始める。(トルコ東南部の牡牛の姿の男神などこれに当たるのではないかと。女神の子であり夫で、穀物神であり、収穫後は女神の体に帰ってゆく。)大体、もともとギリシアのあたりは、こういう宗教を持っていたのでは。ただ、ここで注意しておかなければならないのは、女神を崇拝していたからといって、その社会が母権社会だったというわけではない事である。
 これが、印欧語族・セム語族の侵入で変化する。侵入してきた部族は強力な天候神(男神)の信仰を持っており、社会も王(男性)が支配している。彼らも昔は大女神を信仰していたかもしれないが、既に社会的な要求やら何やらで男神の優位が神話上確立している。(ギリシアにも天候神(男)はいたかもしれないが、侵入した側よりは穏やかな神だったろうと推測される)。ここで、異質な信仰形態が出会った結果、相変わらず力を持っている被制服民の大女神をいかに男神が制御するか、という神話が生じる。
ちなみに、この大女神を男神が屈服せる傾向が極端まで進んでしまったのが、1神教であり、であるからして、けっこう女神の力が削がれているギリシア神話でさえ、キリスト教から見るとけしからん神話だ!ということになる。
(最初の説明では、男神の暴力を裏で仕組んでいたのは大女神だった、という話で、それで終りかと思っていたら、さらにどんでん返しがあった、というオチ。実は裏で暴力を仕組んでいた女神は、男神に力をそがれる側だった!わたしでは上手に説明できませんが、聞いていてとてもスリリングでした!)


Q:(篠田先生に)文化と暴力について具体的に教えてください。あと、地域による女神の特徴というのはありますか?

A:三身一体の女神、というのは、先進的で洗練された神話における特徴で、印欧語族に多い。大女神、というカテゴリーの中で見れば、イヌイットのセドナ(セドナ神話、不気味で好きだ…)や、オセアニアのヒナなどは、原初の形を残している古い女神といえるのではないか。古い時代の大女神というのは、地域による差が少ない。文化の想像と暴力との関係について言えば、ギリシア神話におけるディオニュソスなんかはコレに当たるのではないか。ディオニュソス信仰では狂乱するマイナスたちが有名だが、そのディオニュソスは悲劇などの文化的創造も司る。⇒芸術は狂気から生まれる、という寓意か?確かに、日常生活からは生まれ得ない。


Q:(吉田先生に)縄文文化の価値や文化のルーツに関して語ってください。


A:長い間「日本史は稲作から始まる」、と説明されてきた。その従来の日本史観を最近の縄文研究は大幅に修正することに成功した。稲作以前の縄文時代にも豊かな文化は生きていた。
もちろん、現代でも縄文時代に日本人がもっていた文化的な視点は行き続けている。それは、母神信仰である。(と、大胆な仮説を打ち出す吉田先生)。
縄文時代には、男の力は表現しても、男神はいない(少なくとも記録には残っていない。とはいえ、男神信仰は精神的なものである傾向もあるんだけど)。力は必要だが神として崇めない。しかし、女神は苦しみながら人間の食物を産む神である。その事は、縄文の土器にもよく現れている。女神の顔が取っ手やはらに付いている土器など、まさしく体の中から食物を人間に与える女神、おなかを火で燃やす女神、火を産む女神を表現しているのだ。
(ちょっと説明が入ったはずだけど、すっぽり忘れちゃった。てことで、結論)
今の時代こそ、共存・併存を可能とする縄文の文化を見直すべきではないか。


Q:(吉田先生に)今回のシンポジウムのテーマは『暴力と女神』ですが、今回の話を聞いているとどうも、神話成立の過程で暴力が発生するのであって、女神が暴力的だというわけではないのではないという気がするのですがどうなのでしょう?それに、暴力の発生は、ある地域に別の文化が流れ込んだ時に起こる摩擦と関係しているような気がするのですが、その二つの文化間の隔たりが大きい場合と、結構類似している場合では、暴力の発生具合も変わってくるのでは?日本神話にギリシア神話に見られるほど暴力が見られないのは、侵入した側がさほど異質なものではなかったからではないでしょうか?

A:(この頭のいい質問には、見習い、感服いたしました。)大体、仰るとおりだと思う、と吉田先生もおっしゃっておられました。

あと、坂田先生の月神、カグヤ姫関連の話もおもしろかったのですが、断片的にしか覚えていないので箇条書きで書きます。

・カグヤ姫はウグイス姫とも呼ばれていた。
・ほうきの国風土記にカグヤ姫の話があるらしい。ホウキというのは、ウグイスの鳴き声からつけられた地名だが、カグヤ姫は上述の通りウグイス姫とも呼ばれる。
・カグヤ姫のあの話は、父権制への反逆か?結婚して何が女の得なのさ、と結婚拒否、しかも、そんな事言うなら死ぬ!とまで。
・帝に袖を捕らえられてキトカゲになる、という叙述があるが、これは光り輝いた、という意味らしい。
・帝VSカグヤ姫の構図は、太陽対月?
・月神が弓を持っているのは、やっぱり上限の月なんかを見て弓を連想したからなんだろうなあ(これにはなんとなく納得した)
・月が太陽を射落とす神話も、上限・下限の月は常に矢の方向が太陽を向いていることから生まれたのでは(これにも納得した)
・マッチ売りの少女のおばあさんは月の女神(コレには疑問)
・昔は月が一番美しいのは13夜だと考えられていた(へー、そうなんだ)
・元々アマテラスは月神だったのでは。「アマテラス」というのは実は月にかかる枕詞で「海照らす」だった?

…以上。
ワタクシの理解が悪くて間違って記憶している部分が多数ありそうな気がしますが、個人的な備忘録と思ってご容赦くださいまし。しかし、楽しかったが頭使った…。

人間科学研究所特別企画シンポジウムレポートその1

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人間科学研究所特別企画シンポジウムレポートその1

2007年10月25日 | タワゴトと萌え語り

2007年9月22日(土) K南大学人間科学研究所特別企画シンポジウム 『暴力の神話と女神』

に行って参りました!(近場でこんな催しをやってるなんて知りませんでしたよ、S様情報ありがとうございました!)
参加自由・申込不要、とあったので、素人が図々しくも紛れてこんでみたわけですが、一体どういう形式なのか、参加者はどういった層なのか、何人くらいなのか、先生に当てられちゃったりしたらどうしよう、などと不安山盛りでした。
当日、のっけから開催場所の18号館がどこか分からず30分も校内をさまよったりしつつなんとか無事到着、ふたを開けてみれば、参加者は40~50人ほどで、まじめに勉強している院生さんや教授も混じってはいそうでしたが、付き合いで来ているらしい職員さんや常連の一般人などもちらほらいて大いに安心。講演者は4人の先生方で、一人の持ち時間が30分、その後質問受付、という流れでした。

以下、プログラムより抜粋

『暴力の神話と女神』
シンポジスト
吉田敦彦 「ギリシア神話に見る大地母神の暴力」
篠田知和其 「恐ろしい女神 ―ライオンの姿をしたセクメトとその周辺」
坂田千鶴子 「日本神話の荒ぶる女神とその夫」
依田千百子 「韓国神話における女神と暴力」

結局、30分は短すぎ、それぞれの先生がちょっとずつずれ込んだせいで、4時半に終わる予定が6時前まで延び延びになったのですが、聴講する側にとってはそれもラッキー。

では、忘れ去ってしまわないうちに、講演内容をメモ程度に要約しておこうと思います。

まず、シンポジウムの大まかなテーマは
「暴力の蔓延する現在社会。いったい暴力はいつ生まれたのか。そこのところについて比較神話学・比較文学の観点から暴力の起源を神話にまで遡って、各地の神話が暴力をどのように説明しているかを見てみたい。特に、ジェンダーの視点から。暴力には当然ながら力の差、性差が付きまとうが、女神における二面性、女性性と暴力はどのように結びつくかに焦点を当てたい」ほど。


一人目:吉田敦彦先生 「ギリシア神話に見る大地母神の暴力」
講演内容 まず、ヘシオドスの創世神話から、ゼウスの支配の確立までを、吉田訳『神統記』の抜粋を資料に解説。

はじめに、何かが生まれるべき空間(カオス)が誕生し、ガイア(大地)、タルタロス(淵)、エロス(今後色々な事象を生み出すための原動力)が生じる。

・これでカオスがなくなったわけじゃなく、ガイア、タルタロスの外側に相変わらず果て無く広がっている、という説明に、妙に納得しました。世界が区別されていく過程で秩序も生まれるが、それでもカオスはなくならないのですね。3種の風の区別もカオスの中ではないそうで、秩序の及ばない外側の世界として残されているのです。

・ガイアは最初はエロスの力を借りずにウラノスを産むんだけど、その後はエロスの力を借りてティターンたちを生んでいく。
ちなみにこのティターンたち、ところどころ何を司るかはっきりしない人がいるそうで(コイオスやイアペトスなど)、それは、ゼウスの支配が確立した後の役割分担に組み込まれていないからじゃないか、というのが吉田先生のご意見。逆に、ゼウスと結婚して子供を生むテミス、やムネモシュネ、ティタノマキアに加わらなかったオケアノスなんかには役割が振られている。

ウラノスは生まれた子供をガイアに押し込んで光を見せない。→ガイアが子供たちにウラノスへの謀反を持ちかける。→クロノス一人が母の呼びかけに応じる。という、経緯が語られる。

・ガイアはアダマース(鉄より硬い神話上の金属)を産み、それでこしらえたギザギザの刃のついた鎌をクロノスに与えたんだそうな。痛そうだなあ…。

クロノスは待ち伏せして父ウラノスを去勢→ウラノスの勢力を削ぐことに成功。
後、クロノスは姉のレイアと結婚して子供を生むが、ガイアに「子供に王位を奪われる」と予言され、生まれた順に飲み込む。
末っ子のゼウスだけは、レイアが真夜中にこっそりクロノスの目を欺いたらしい。この際、ゼウスはレイア→ガイア→クレタ島のニンフの順で人手を渡って落ち着く。ガイアの協力に注目。

・この時の、吉田先生の兄弟順の説明に不肖見習い目から鱗が落ちました!まず生まれたのは
ヘスティア→デメテル→ヘラ→ハデス→ポセイドン→ゼウス の順。
で、その順に飲み込まれ、次に、吐剤によって逆順に吐き出されたので、その際もう一度誕生しなおしたとみなされ、兄弟順の逆転が起こった。

ゼウス→ポセイドン→ハデス→ヘラ→デメテル→ヘスティア

なるほど!!

ゼウスの一派VSクロノスの兄弟たちの図式でティタノマキア勃発
この時点では、ガイアはゼウスの敵ではない。実力が拮抗して決着がつかず困るゼウスに、ガイアは自分の奥深くに押し込められたキュクロプスとヘカトンケイルの救出を助言する。
上記の巨人たちの協力を得て、ティターン神族に勝利する。

・ここでさりげにポセイドンの大地との関係深さが示されるのが興味深かったです。ティターン神族を幽閉するため、タルタロスの周りに塀をめぐらせたのはポセイドンだったんだって。どこでもかしこでも塀作ってるな、この人。ちなみに、ここの地点の見張り番にはヘカトンケイルがついた。

・ここでやっとゼウスが暫定最高支配者になったので、ゼウスの一派の神々にはギリシア神話上初めて権能が振り分けられた、と仰る吉田先生。前述とかぶりますが、だからティターンの一部の人には権能がないし、ムネモシュネーやテミスなどは、オリュンポスメンバーとなる子供を産む母親ゆえに、彼女らにも役割が振られている。…ということらしい。

ゼウスはティターンたちをタルタロスに幽閉する。ガイアは自分の子供たちが幽閉されたことに憤ってゼウスに反旗を翻す。まずはガイアの生んだ巨人たちとのギガントマキアが起こるが、巨人たちは不死ではなかったので、何とかこれを撃破。次、テュポーンとの戦いが語られ、いったんは押されつつもなんとか勝利。
ここにいたってようやくゼウスの恒常的な支配が確立される。

ここまでの流れを説明された後、吉田先生は浮き彫りになるガイアの役割を指摘されました。
ウラノス→クロノス→ゼウスの交替劇をしくんだのはガイアである。
ガイアはゼウスをも追い落とそうとするが、前者二人と違ってゼウスはこれに打ち勝つ。このことによって(ガイアも認める)ゼウスの支配が確立するのである。暴力を実際に振るうのは男神だが、それを仕組んだのは女神だったのだ。

吉田先生のお話はまだ終わってないのですが、持ち時間を大幅に過ぎたせいで、いったんここで話者交替。

 

二人目:篠田知和其先生 「恐ろしい女神 ―ライオンの姿をしたセクメトとその周辺」

実は、篠田先生のお話は、聞いている間は分かったような気になっていたのですが、終わってみるとあんまり覚えていないのです…。
当日配布されたプリントと、それに書いたメモを頼りに記憶を辿ってなんとか復元してみます。

・もともと、神に性別はなかった。性別を超越したものであり、自然の脅威=神だったのでは?

・狩猟生活を送るうち、獲物をたくさん取らせてくれるよう「動物の主」に祈るようになると、その主=動物を生み出すもの=大いなる子宮=女性という流れで、明確に女性である女神が生まれたのでは?

もともと電気のない時代人間は昼のうち働いて、夜は祭りに充てられた。だから、原初は太陽よりも月が重視されていたのではないか?女神は太陽ではなく月だったのでは?

月の神である女神は闇を司る神であり、すなわち、死を司る神でもあった。生むと同時に生を吸い取る二面性。再生を司る蛇は女神の死の力の象徴でもある。

次に、女神と蛇の関係の深さの説明。テュポーン(これは女神じゃないけどな)、エキドナ、メリジューヌ、などの蛇伝説や、大蛇と接吻して美女に代わった話、蛇の美女と結婚した話、女の腹から出てきた蛇に食われた話、見るなの禁忌、などの蛇信仰の例があげられ、ワギナ・デンタタの伝承(女陰に歯が生えてて男根をちょん切るらしい)ともなったことが語られる。月(夜)=蛇=女神の信仰は、太陽=獅子信仰に先立つのでは?

次に蛇(生命を象徴)から太陽信仰(王権に関連)が述べられる。ライオンと関連の深い女神の羅列。セクメトや、ライオンをつれたキュベレー、ドゥルガーやそのアバターであるカリ。ライオン女神にはセクメト-ハトホル-バステト、パールバティ-ドゥルガー-カリと、もっとおだやかな一面をも併せ持つことが多く、いくつかある層のうちの怒りの面がライオン女神??必ず3対で、そのうちの一つは必ず死であり、地下だった??

つまり、王権が生じるとともに太陽信仰が生まれ(地上の支配が天上にも反映されるため)、追いやられた月信仰と月の女神は地下へ下って冥界の女神に?

このあたりから、話は急展開、地上の王権は常に簒奪者、暗殺者におびえている。ウラノスやクロノスの神話はこれの反映では?という説が話され、その循環を断ち切ることが出来るのは自分自身は権力を要求しないトリックスターによる世界価値の転換しかない。それは、つまり、原初の力を文化に転換することである。破壊的暴力的な力はトリックスターの原理によって文化的生産力に転換される。

…このあたり、なんか、、もう、ようわからんように…。シャクティがどうとか、女神のために道化を演じる道化師がどうとか、…むむ、理解が及ばなくてすみません。


人間科学研究所特別企画シンポジウムレポートその2

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