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『トロイ戦争は起こらないだろう』

2009年03月16日 | 映画

劇団四●の『トロイ戦争は起こらないだろう』見てきました。
ジャン・ジロドゥの書いた戯曲。
以下、めちゃめちゃネタばれしてるんで一応下げときます。
とはいえ、ネタばれ以前にトロイ戦争が起こることは作者も観客も皆知ってんだけどね。

あらすじ(四●HPから抜粋)


永年にわたる戦争に終わりを告げ、平和が訪れたトロイの国。
アンドロマックはトロイの王子である夫・エクトールの帰りを待っていた。
しかし、妹のカッサンドルは再び戦争が始まるという不吉な予言をする。

「トロイ戦争は起こるでしょう」

ギリシャ王妃・絶世の美女エレーヌの虜となったパリスは、
戦争の混乱に紛れてギリシャから彼女を誘拐してしまう。
妻を奪われ、名誉を汚されたギリシャ国王・メネラスは激怒し、
「エレーヌを返すか、われわれ、ギリシャ連合軍と戦うか」とトロイに迫る。

しかし、エレーヌの魅力に我を忘れたパリス、そしてトロイ国王プリアムやそのとりまき、
国中の老人たちは、再び戦争を起こしてでもエレーヌを返すまいとする。
幾度もの戦場生活に戦争の虚しさを知らされたエクトールや、その妻アンドロマックらは、
平和を維持するためエレーヌを返そうと説得するが、誰も耳を貸そうとはしない。

「エレーヌは君だけのものじゃない。この都市のもの、この国のものだ」

とうとう、エレーヌ引渡し交渉の最後の使者・ギリシャの知将ユリスがやってくる。
果たして戦争の門を閉じることはできるのか。
あるいは、トロイ戦争は起こってしまうのだろうか。
宿命の罠は、愚かな人間たちが囚われ堕ちていくのを静かに狙っている―――。


※ジロドゥさんは外交官だった人で両大戦特に第二次世界大戦がこの作品の裏にあるそうなので、ソレを踏まえてみるとまた違った感慨があるのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…うん、面白かった。…んですが、そもそも滅多に演劇を見たことがないのでこれが客観的に見て面白いのかどうかの判断がつきません。
なんとなしにもやもやするのは、そもそも大前提としてどう転んでもハッピーエンドにはならない結末があるからなんだけども、ソレはまあ仕方ない。
シナリオ、というか、ジロドゥの原作は、読んだことないけども今回見た劇から推測するにとてもいいと思います。個人的には大好きです。

ヘクトールが頑張って頑張って若干から回りつつ尽力する姿は、いっそ切ないです。
ドン・キホーテですよ。
観客はトロイ戦争が起こることを知ってるわけだから、彼が立ち向かおうとしている運命の大きさも感じてるわけだし。
まったヘクトールの邪魔をしてヘレネーをトロイに取り込み戦争を実行しようとするトロイの重鎮たちがいらつくんだ。この馬鹿!(対するトロイの女たちはヘカベーを筆頭にそんな男たちに冷ややかなんですけどね)
でもってヘレネーは魔性。道理が通用しません。
パリスは若旦那から可愛げをとったようなホスト風の男だし(これはこれで素敵だったけど)。
トロイの全男がヘレネーに夢中で狂喜のうちに戦争へ猛進しようとするのを、ヘクトール一人が(女性たちの援護はあるものの)戦争を押しとどめようと奮闘するんですよ。見てるこっちの胃が痛くなるようなストレスを全編通して受け続けます。

それで、この劇の要は、その努力が報われたかに見えた瞬間にほんの小さな過ち(しかも味方のヘクトールに対するねたみ)から、全てが崩れてしまうというどんでん返しのインパクトじゃないかと思うんですが、

なんか、今回の舞台だとなんの感慨もなしに漫然とスジが進む感じで
ヘクトールの努力が報われた瞬間の喜びや安堵感、
それが覆された時の絶望感、その裏の運命の不気味な巨大さなんかが
あんまり感じれらなかったんです…
エレーヌ(ヘレネー)の中立性っちゅうか、彼女は善でも悪でもないけど運命の方向を決める鍵となる人物であるという位置づけとか、
アンドロマック(アンドロマケー)がちびっ子を使ってエレーヌを言いくるめようとしてエレーヌに反対に言いくるめられてしまった時の気まずさとか、
ものすごい大局に立ったユリスの諦観に満ちた発言がどう考えても戦争を起こしたがってるとしか思えなくてヘクトールが激昂しかけたときに一転協力を持ちかけるその反転の鮮やかさとか、
さっき行った土壇場の安堵から絶望への転落とか、
そういった大事な感情がちょっと分かりにくかったんです…。
一番最初に、フランスで、原作どおりのフランス語で上演された時はもっと分かりやすかったんじゃないのかと推測されるだけに、ものすごくもったいないというか!惜しいの!ほんとはもっと面白い劇なんじゃないかと思うのよ!
スジが好みなだけに、もっと面白さが分かりやすければ、もっとこの劇を好きになる人も増えるんじゃないかと思うと、ものすごくもやもやするんですよ。
でも、演劇鑑賞暦が浅すぎて舞台というのが全般的にこういうものなのか、四●の演出がそうなのかよく分からなくってこれもまたもやもやしてしまったわけです。
どうなだろう…。
演出の問題という気がものすごくするんですが誰か教えてクレー!


以下、雑感
・エクトール(ヘクトール)について
ヘクトールは男前でしたよ。まだまだ若くて練れてない感じは、映画『トロイ』の超男前なヘクトールよりは原作の『イーリアス』のヘクトールそのものといった感じでした。

・アンドロマック(アンドロマケー)
全体的には彼女のことは大体好きです。(女性(というか妻)一般を象徴してんのかな?)
終盤になっての「愛してない二人のために国が滅ぶのは納得いかんが、愛のためならきっとなんとかなる」という超力技の議論には若干唖然としましたが。そらヘレネーさんも「アンタ何言ってんのよ」って顔するって。


・パリス
原作より大分イカサマ師っぽい。これはこれでイイです。開き直りパリス。
原作はあんまり悪いことやってるつもりがない感じでケロっとしてましたが、劇のパリスは自分のやっている悪いことをしっかり認識している確信犯でした。

・エキュブ(ヘカベー)
大体において原作でもどの劇でも男前で頼もしいヘカベーですが、この劇でも大変頼もしゅうございました。ヘクトールの後方援護部隊部隊長。

・エレーヌ(ヘレネー)
実は一番諦観に囚われてるのはこの人かしらという気がしました。

・カッサンドル(カッサンドラー)
超・男・前☆
ヘクトールの妹というよりお姉さん的存在です。

・プリアム・デモコス・ビュジリス
色ボケ三老人。わたしのストレスも限界すれすれ。

・オイアクス(??だれ?小アイアースがモデルなの?)
意外といいやつでした。拳で語る!を地で行く男。でも他人の奥さんに触っちゃいけませんよ。

・ユリス(オデュッセウス)
世界の全オデュッセウスファンも満足する仕上がり。よう出来た人です。むしろ若干出来すぎなくらい。
若いヘクトールより色々な経験をし、その分視野の広い、先を見通せる目を持った人物として描かれてます。
トロイ側は運命を見誤った、トロイ戦争は起こる、そしてその運命の力にはおそらくトロイ側もギリシア側も抗えない、と先を読んで、そうヘクトールを諭すオデュッセウスなんですが、ヘクトールの戦争を起こしたくないという気持ちにはものすごく共感してるわけ。で、ヘクトールがオデュッセウスのあんまりな言い草に「そこまで言うなら帰れ!」と怒りが頂点に達したその時に「エレーヌは引き受けよう。ひとつ運命に逆らってみようじゃないか。このわたしの弁舌を持って」などと大逆転の協力宣言。その上、「ありがとう、あなたはなんていい人だ」と感謝するヘクトールに「何、君の奥さんがおれの女房と全く同じまばたき方をするもんでね」なんてペネロペイアアピールも忘れないサービス精神ですよ!
折角またとない良い役なので、演出家はもっとユリスの素晴らしさを前面に押し出すといいと思います。

 

結局ジロドゥさんは何が言いたかったのか、ということに関しては、アホゆえによう分からん。まあ人によって色々と感じたらいいんだと思います。
どうしても第二次世界大戦を重ねて見ちゃったのでどうしようもなく戦争へと押し流されていく様子がいやおうなく実感させられて怖かったです。それでも、たとえ無理だろうがやはり最後まであがくべき。

 

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HP


『TROY』感想オマケ

2007年06月03日 | 映画

えーさて。ここから先は更なる深淵へ。書かぬなら、アタシが書こう、ホトトギス(まさに自家発電!)現代日本において極端に需要の少ない、

オデュッセウスファンによるオデュッセウスファンのための『トロイ』のススメ

と参りたいと思います。

…と思っていたんですが、いざ書き始めてみると、全ての登場場面について熱く語ってしまい、際限ない上に読み返しても全然面白くありませんでした。ので割愛、全体的に映画のオデュッセウスについて萌えを吐き出すにとどめておこうと思います。(←いや、これだけでも大概なんだけど)

:というわけで全体的に:


 映画版のオデュッセウスはいいですね~。もちろんわたしは原作のオデュッセウスからして好きですが、映画版でもそんなに違和感が無い。ほぼあんな感じの人です。
 その上、俳優のショーン・ビーンのカラーなのでしょうが、そんなに悪人ぽくない。にやりと笑っても「悪人ぶってるけどホントはいい人」感が滲み出しちゃってて、いい感じに万人受けする知将に仕あがっとります。(ショーン・ビーンファンの間でもオデュッセウス役は『なかなか美味しい役だった』と大評判。そうだろうそうだろう)あの脚本とあの配役は全く僥倖でした。ありがとう、ショーン&ベニオフ!

 しかし、この脚本家、オデュッセウスに関しては本当によく『イーリアス』を読み込んでます。
 この人、毎回目的ははっきりしてんですよね。それは兵士たちを一人でも多くなるべく無傷で故郷へつれて帰ること。
 ヘクトールの、統治者としての責任感とはまた違って、なんとなく兵士たちの側に身を置いてるような印象を受けるのはなんでなんでしょう。やっぱり貧乏な国出身だから??暮らしが貧しくて、どっちかというと一般兵たちの気持ちの方が良く分かるとか??でも、弱小イタケー出身で「イタカはアガメムノンに逆らえない」とか言ってる割には、けっこうきつい事をアガメムノンに言ったりもしてるんですよね。このあたりの、一見控えめな知将に見えて、実は自分の実力を良く心得ててその上気の強い性格なんかも原作を踏まえてあり、不肖見習い大喜び。
 
それに、時々奥さんについての言及があるのも良かった。特に登場時の「アガメムノンのことは忘れろ。私のために戦ってくれ。君が私の側だと、女房が安心するんだ。私自身もな」の台詞は秀逸。そらもう色んな意味で。オデュッセウスの台詞はどれも考え抜かれていて、毎回にやにやしてしまいます。どの出番も良かったなあ。

 逆に、原作と違う点について言えば、一番大きいのがアキレウスとの関係だと思うけど、これがまた見れば見るほど楽しくって。原作では、お互いアキレウスにはパトロクロスが、オデュッセウスにはディオメデスが、映画のアキレウスに対するオデュッセウス、オデュッセウスに対するアキレウスの位置にいて、アキレウスとオデュッセウスは不仲でもないけどそんなに付き合いがある風にも見えないんです。対して映画では、原作よりも年が近いし、なによりアキレウスがオデュッセウスのことを認めているんですもの。
 あの性格を踏まえた上で友達やってんだから、アキレウスも大したもんだよ。その上、オデュッセウスのともすればうっかり聞き逃しがちになる言葉の裏なんかも、映画のアキレウスはしっかり見抜いていて、ちゃんと的を得た返事を返したり、釘をさしたりしているのですから、…実は映画のアキレウスってものすごく頭が回るんじゃ…(←かなり失礼)。

 あるとは思わなかったヘクトールとのやり取りも、ほんのワンシーンですが、大好きです。パトロクロスの死を知った二人(エウドロスを含めたら三人)の顔に様々な思いが浮かんだ後、おもむろに視線を合わせてこの場は互いに退却することに決める、というそれだけのシーンなのですが、…なんかこの二人、苦労人っぷりが似てて。ふたりとも、「えらいことなってしもた…」みたいな、くらーい顔してんですよね。

 最後に露出頻度について。けしてオデュッセウスの出番は多くないのですが、脇役好きのわたくしにとっては、このくらいがベストでございます。このくらいの「もうちょっと見せて頂戴よ~」と思う程度がじれったくて良いのよ!!(←我ながらマニアックすぎてちょっとヒク…)
 それに、オデュッセウスは出番が少ないながら、毎回の要所要所を選んでの出演、全く美味しい役どころでした。


 というわけで、総括!
 我こそはオデュッセウス好きだ!というマニアック且つ日ごろ肩身の狭い思いをしていらっしゃる同士の皆様!この『トロイ』、騙されたと思って見て御覧なさいまし!原作より幾分善人で笑顔の素敵なオデュッセウスが堪能できますよ!

オマケのオマケで、脚本ではあったけど映画では端折られていたオデュッセウスの出番一覧→こちら

→感想(3)-2へ

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『TROY』感想(3)-3 アキレウス

2007年05月03日 | 映画

※しつこくネタバレを含みます


●アキレウス(付ブリセイス)

 映画のアキレウスもパリスの場合と同じく原作とは似て非なる性格付けがされているように思います。
 とはいえ、じゃあ原作のアキレウスはどんななんだ、と言われるとこれまた説明が難しいのです。わたしにとって原作のアキレウスは感情がまじりっけ無さ過ぎて人間臭さの薄い、ケルト神話の妖精王たち、ミディールやオイングスと同じカテゴリーなのです。どうだ、分からんだろう。わたしだってよう分からん。

 
…ので、原作のアキレウスはさておいて、映画のアキレウスを述べさせていただきましょう。

 この人、しょっちゅう「人間所詮死んだら終わり」みたいなことを口にするんですよね。いつ死んでも良いみたいに投げやりなところがあるし。
 おそらく、映画のアキレウスはものすごく物事の本質を真っ直ぐ見詰めている人で、人の生死になんのロマンティックな幻想も持っていず、全ての生き物は生きて死ぬ、それだけなのだ、より良く生きる、なんていうのは無駄なタワゴトだと考えているのだと思います。
 だから、神の力だって物質的な現象として現れない限り信じないし、政治的な駆け引きや社交は面倒ごとに過ぎず、死んで残るのは名声だけなんだから、とりあえずそこんとこはクリアしとけとばかりに死を恐れずに名を残そうとする。

 おそらく、それは彼が抜きん出て強すぎるところに端を発しているのだろうなあ。
 彼はこれまでの人生で負けた事なんて無いんじゃなかろうか。
 その上、自分にはそれしかとりえが無い事を自覚している気がします。だから、誰もアキレウスの孤独を分からないけど、彼の方でも弱い者が当然感じる恐怖が分からないのです。駆け引きも社交もいうなれば弱者の知恵だと思うので。

 で、彼の場合は話が進むにつれ、どんどんこれまで自分がどうでも良いと見ようとしなかった瑣末な事(たとえば弱者に対する共感とか、相手にも意思と感情があるということだとか、)に目を向けるようになるのですが、そのせいで結局命を落とすことになってしまったのだと思います。彼の強さはあのある種の単純さがあってこそだったのでは。


 彼の場合の転換点は先ずはブリセイスの存在でしょう。
(しかし、アガメムノンがブリセイスを奪おうとした場面でアキレウスは「その女に手を出したら殺す」とまで脅してるんですが…、
なんだ!?一体その直前のブリセイスとの会話の何がお前の心をソコまで鷲掴みにしたんだ!!??
ほぼ自己紹介で終わってたやないか!あの鼻っ柱の強さにガツン!とやられたんか???)
 …ブリセイスの個性も強烈だから、まあ、今更ながら価値観を揺さぶられてしまったんじゃないかしら。いつも敵をやっつける事のみを求められてたのに初めて「殺すな」て言われるし。

 でも、まだこの時点ではアキレウスは開眼していなかったのです。(その証拠に、パトロクロスを殺されたアキレウスは、ブリセイスの懇願を振り切ってヘクトールを殺してしまう。)
『ガラスの仮面』ヘレン・ケラー編の水の演技のところでいうなら、水風船に水が溜まっていくその過程だったのです。その溜まりに溜まった水がはじける瞬間、それこそが、ヘクトールの遺体を引き取りに来たプリアモスとの邂逅なのです。(また妙な例えを…)

「勇気は認めるが、馬鹿な人だ。どうせ何をしたってヘクトールが生き返るわけじゃないし、明日からあんたとはまた敵だ」と、身も蓋も無い事を言ういうアキレウスにプリアモスは

「だが、敵に礼を尽くしても良かろう」
と返します。

 まさに、この場面に全てが集約されているのです。
 アキレウスはパトロクロスを殺された怒りからヘクトールを討ったわけですが、その従弟を殺された自分と同じ悲しい思いを、プリアモスも抱いている事に気付くのです。アキレウスはここで遅まきながら、やっと人の気持ちを慮る事を知るのでは。自分は色々なものを見過ごしてきたのかも、自分が無用なものだと切り捨ててきたさまざまな事が本当はちゃんと意味のあることだったのかも、と気付いたと思うのです。だから、直後のブリセイスへの不器用な謝罪に繋がるのですね。とはいえ、言葉を尽くして謝ったりできずに言いにくそうに「…傷つけて、悪かったな」とぼそっとつぶやく辺りが、アキレウスなんだけどね。(今回初めて映画のアキレウス可愛いと思ったー!)(快挙)

 これまでトロイア寄りで映画を鑑賞していたためヘクトールを殺したアキレウスに対しては「早くパリスにやられちまえ」などと酷い事を思っていたわたしですが、さすがに上記のように考えながら見ると、トロイア落城辺りは本当に居たたまれなかった。

 良かれと思ってブリセイスをトロイアへ返したのに、オデュッセウスのせいでトロイア落城が確定しちゃって、自分も木馬へもぐりこむアキレウス。
 夜半、木馬から抜け出して、門へ急ぐ一行とは正反対の王城指して、一人まっしぐらにひた走るアキレウス。
 「子供がいるから殺さないでー」と泣き顔のトロイア兵士を見逃してやるアキレウス。
 映画しょっぱなのやる気なさそうな男からの180度の転換ッぷりです。ブリセイスの嘆願を無視してヘクトールを殺したあの時の選択とはまさに正反対のチョイス。
 ラスト、今際のきわ、離れようとしないブリセイスに「君は生きろ」と言う姿など涙無しには語れません。

 パリスの場合はストレートに成長物語なんですが、アキレウスの場合はもう少し複雑で、成長というより、高いところにいた人(まさに半神?)が一段降りて人間に近づいたせいで死んでしまった、という流れに見え、本当にパリスとは好対照でした。そんなアキレウスがけっこう好きかも。(…やっぱり洗脳されてんのかしら)
 

 …ところで、今回のブリセイスさんは、見直すとまあなんと男前なこと!最後の最後でやってくれるぜお嬢さん!『ザ・ウォーズ』の方では、アガメムノンを殺したのはクリュタイムネストラーでしたが、なんと今回はこの小娘とは!!アキレウスにも怯まない気の強さといい、そんなに美人じゃないけどあたしは割と好きだな、この子。

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『TROY』感想(3)-2 パリス

2007年05月03日 | 映画

※やっぱりネタバレを含みます

●パリス

 次は(3)-1でちょっと言及の出たパリスさんに。
 原作未読者の映画感想として、パリスのダメッぷりがよく槍玉に挙げられとるようですが、原作既読者の感想としては、あのパリス、物凄いいい役だと思うんですが、どうでしょう皆さん!!(←だから、誰に言ってんのョ…)

 原作と映画の違いは、そもそものパリスのダメっぷりの根拠にあると思うんです。映画では、彼がダメダメなのは若くて未経験で未熟だから、甘えがあるから、覚悟が出来ていないから、なのです(言い切ったー!)。つまり、それって改善の余地があるってことじゃないですか。
 対して原作では、パリスはもともとああいう人なんよ。人んちの奥さん誘惑しといて、いざ戦いになったら「えへっ、ご免ネ☆」
で済んじゃう人なのよーー!!

 では、追いたくないかもしれませんが映画でのパリスの成長の軌跡を追ってみましょう。

 最初、外交使節で訪れた外国で最高権力者の美人妻と一夜のアバンチュール!
  ↓ 
 それで深みにはまってほだされて(確かに、出立の前の日、『明日が怖い』と言って泣くヘレネーにアタシもちょっと絆されかけた。いや、わたしはそもそも取引相手の奥さんに手など出さんがな!)、とうとうお持ち帰り決行!
  ↓
 で、船上で兄にヘレネーを紹介。
 これ、打ち明ける時もひどいいたずらをして怒られる位の気持ちしかなかったんじゃないかな?(船が出向して暫くたってから打ち明けるあたりがあざとい。)対するヘクトールはもっと年上でパリスより遥かに道理の分かった男なので、弟の打ち明け話にビックリ仰天、この先トロイアとスパルタ、ひいてはギリシアとの間に深刻な問題が持ち上がる事までありありと見通せてしまい心底腹を立てます。(彼の怒りは人の上に立つ者として当然です)
 この際ヘクトールが弟に言う台詞はいちいち的を得ていて、後で見返すと本当に秀逸。
 確実に、この時パリスは自分の引き起こす事態も分かっておらず、何を言うにも口先だけで人が死ぬという事がどういうことかも全く実感しておりません。

 トロイア帰還時には、父王プリアモスにトロイアの主席外交官として遇される兄と違って、あからさまに一人の息子として迎えられるパリス。その場面を入れる事で、パリスがいかに愛され甘やかされているか(反面いかに責任を負わせるに値しないと思われているか)がありありと述べられ、観衆は納得。(しかしその後、父に呼び出されて「兄のお前がしっかりしとけよ」みたいに言われ、本当にヘクトールは気の毒です。なんで、何で親ってやつは…)

 ともあれ、ギリシアの艦隊がトロイアの海岸に迫ったあたりになってようやく
「や、やばい事やっちゃったんじゃ…」
という気になってくるパリス。
 でも、映画のパリスは、今更ヘレネーを送り返すほど非情になれないんですね。それがパリスの甘さでもある。
 で、なんとか自分で責任取らなきゃ、と考えての結論がメネラオスとの一騎打ち。でも、まったく実力の伴わない空論で、言い出したパリスもきちんと死ぬかもしれないことへの覚悟が決まってなかったと思う。結局、メネラオスの前に逃げ出してしまいます。
 この時の父&兄の「立て!立って戦え!」のつぶやきは本当に悲痛です。
 
(ヘクトールも、結局ここで非情になりきれずに王子としての立場よりも兄として弟を助けてしまう。これってトロイア一家の弱点なんかしら。でも、これもアガメムノン・メネラオス兄弟と対比させてあるんだろうなあ)
 ここでパリスはいやっちゅうほど現実を思い知らされるんですな。そんな甘いもんやない、と。また、愛されて満ち足りていたパリスが始めて自分というものの身の程について考え始めたのもこの時からじゃないかと。ヘレネーに足を縫われながら、パリスはおそらくヘレネーの慰めの言葉なんて聞いていなかったんじゃないか。(しかし、直に縫ってるよ~イテテテ) 

 ここまで見てくると、ほんとダメな坊ちゃんですね~。が、ここで自暴自棄になったり、自分に言い訳したりせずに、事実に真摯に向き合う辺りが、この坊ちゃんの唯一といっていい長所なのだと。甘ったれた若造ですが、本質は素直な優しい子なんでしょう(だから、父親にも兄にもあんなに愛されてんだろう)、育ちの良さを感じさせますね~。これも、オーリーでないと出ない味なんだろうなあ。

 で、自ら子供である事をやめようと決意したこの坊ちゃんの転換点が、兄ヘクトールの死であると、そう思うわけです。
 ヘクトールとアキレウスの一騎打ちは、先のパリスとメネラオスのそれと比較されていると思う。どちらも、自分より強い相手との戦いです。パリスの場合は、メネラオスにぶちのめされ、立てなかったのですが、ヘクトールは、自分の負けが見えても、最後まで立ち上がり続けるのよ。その様子を、直前の兄の「お前を誇りに思う」という言葉を噛み締めつつパリスは見守るわけです。目を逸らさずに食い入るように見つめる姿も印象的。
 そして、アキレウスとの決闘で敗れ、戦車に曳かれてゆく兄の姿を目の当たりにして、これまでイマイチ実感しきれてなかった全てをパリスは一気に悟るんよ!いかに自分にとって兄が大事だったかはもちろん、死ぬというのはどういうことか、自分が一体何をしでかしてしまったのか。
 ここに到って、坊ちゃんは兄に代わって責任を負う覚悟を決めるわけです。
 アキレウスもヘクトールも最初ッからそんな覚悟はとうに決めとるわけだから、やはり遅すぎるっちゃ遅すぎる。王子という大勢の人々に影響のある立場にあるものが未熟で愚かである事はそれだけで罪なんかも知れんが、それでも、未熟で愚かな自分に気付いて、遅まきながらそれを変えようとしている姿は健気ではありませんか。
 なので、わたしはどうしても映画のパリス坊ちゃんをそんなに嫌いにはなれないのです。
 犠牲があまりにも大きいので目を覆いたくはなりますが。
 
でも、その犠牲の大きさも、映画のパリス坊ちゃんは正確に理解して一生背負っていくのでしょうしね。

 ヘクトールの死以降のパリス坊ちゃんはホント、どこに出しても恥ずかしくない立派な王子っぷりで、最後、ヘレネーを先に逃がして、「ぼくは父上のそばに残る」と気負いもなく言い切った姿はかつてのヘクトールを見る思いが致しました。おそらく、大きな失敗をしたからこそ、今後のパリス坊ちゃんはヘクトールよりも優しい粘り強い大人になると思います。頑張れよ!

 ただ、最後、いくら兄の仇だからって、アキレウスを殺す事はなかったやんかと(そりゃもちろん物語としては死なないといけないんだけど)。ちゃんと先にブリセイスに話を聞いてさえいれば、あの時点のパリスなら二人を逃がすなり見逃したりしたろうになあ。

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『TROY』感想(3)-1 ヘクトール

2007年05月03日 | 映画

※まだまだネタバレを含みます

…えー、ヘクトール、パリス、アキレウス主要3人物をまとめて書こうと思ったのですが、長くなってしまったため3分割することにしました(かっこ悪)。

●ヘクトール(付アンドロマケー)

 ほぼ原作どおり。原作を読んで気づかない細部まできっちり描ききってくださった感じです。ヘクトールに関しては、映画を見て惚れ直しました。

 
もともと原作でも、公明正大で責任感が強く、しかも本人にさほど落ち度が無いのに弟のせいでとんでもない役目を負わされ、なのに弟に文句は言っても、ヘレネーには親切に接し、その上、いい夫でいい父親で、アンドロマケーとは相思相愛で子供がいるのにラブラブで、そんな立派な人であるにもかかわらず結局パトロクロスを殺したせいで逆上したアキレウスに殺されてしまう、という薄幸っぷり!もうそれだけで不肖見習いご飯3杯はいけるほど萌えてしまうのですが、映画ではいい人さ加減に拍車がかかっていたように思います、もうこれ以上わたしを悶えさせんでくれい、萌え死ぬ!

 だって、最初ッから滅私奉公で全てを国に捧げ、日本の公務員に見習わせたいくらいの心構えのこの人がですよ?最後の最後にたったひとつだけ自分のために言ったわがままが、自分の妻子への生き延びてくれ、という嘆願だったんですが、その際だって

他の人も助けて良いから君だけは生き延びてくれ」

って譲歩付ってどうなの!?
ヘクトール、あんた、あんたって人はどこまでッ…!!!(むせび泣き)

 そんなヘクトール贔屓のアタシですから、原作ではアキレウスの息子の捕虜になるアンドロマケーや、城壁の上から投げ落とされるアステュアナクス(←息子)が映画で無事に逃げ延びる展開を見た時には、心底嬉しい思いを味わいました。これのおかげで、一般には『後味の悪い映画』と評されるこの映画をして『なんてハッピーエンドなんだ!』と思ってしまいましたもの。

 さて、他に映画のヘクトールの特徴としては、「親友パトロクロス」という存在が無くなったせいで、最もアキレウスに近い存在になっているということだと思います。
 アカイア方のアキレウスに唯一対抗できるトロイア方の勇士がヘクトールで、両者は事あるごとに対比され、同じ部分と違う部分が浮き彫りにされています。

 序盤、何より自分の名声のために戦っているアキレウスに対して、ヘクトールは最初から自分個人のことより、家族や国や守るべき人々のために戦っていますし(名声のために戦うのは馬鹿と子供だけだ、と言ってます)、無味乾燥な現実的な考え方のアキレウスに対して、ヘクトールは一見装飾的に見える人と人とのつきあいや伝統や礼儀作法に対してもきちんと価値を認めています。それでも、両者とも神の人間への影響に対して懐疑的(頑なに神を信じようとしないアキレウスに対してヘクトールはそれなりに敬虔だけど)(…いや、原作ではアキレウスは神を信じてますよ?ていうか、女神の息子だしな)という点では良く似ている。他に並ぶもの無き勇士、という点でも似ている。そうか、立ち位置が似ているのか。今回再度画面でヘクトールを見つつ、意外と似ているな、この二人、と思ったのでした。あれか?スポコン漫画でいう『自分と戦う相手が自分に一番近い』って奴か??好敵手と書いて「とも」と読むんか!!?

 次に、これは製作者の意図したことではないのかもしれないのだけれど、…どうもプリアモスがヘクトールよりパリスの方を愛しているように見えて気の毒なんよ…。
 
パリスをオーリーがやってるから余計そう見えるんでしょうが、パリスは何の手柄を立てなくても、パリスというだけで、息子だから、という理由で父親に可愛がられている気がするんです。対して、ヘクトールは息子としてでなく、立派な王子だから、強い武将だから、要するに役に立つから認められている、と、自覚している気がする。絶対頑張ってるのはヘクトールのほうなのに、報われないあたりがまたアタシの乙女回路を超連打なのです。映画中盤、プリアモスに篭城を進言して聞き入れてもらえない時の表情などもう!!
 最後、アキレウスとの決闘直前、プリアモスはヘクトールが頑張んなくても愛してるよ、息子だから別にそれだけでいいんよ、と言ってると思うんだけど、

 …そんな死ぬ直前に判明しても…。

 あのお別れシーンから後は、ヘクトールとプリアモスは居たたまれなくて直視するのが毎回辛いのです。特にプリアモスはアキレウスの元を訪れる時も(あの泣き腫らした目を見て哀れを催さずにおれようか!)、炎上するトロイアを見下ろす時も、最期も、ほんとうに気の毒で。うう、じじいスキーにはあの展開は辛いのよ~。

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