※しつこくネタバレを含みます
●アキレウス(付ブリセイス)
映画のアキレウスもパリスの場合と同じく原作とは似て非なる性格付けがされているように思います。
とはいえ、じゃあ原作のアキレウスはどんななんだ、と言われるとこれまた説明が難しいのです。わたしにとって原作のアキレウスは感情がまじりっけ無さ過ぎて人間臭さの薄い、ケルト神話の妖精王たち、ミディールやオイングスと同じカテゴリーなのです。どうだ、分からんだろう。わたしだってよう分からん。
…ので、原作のアキレウスはさておいて、映画のアキレウスを述べさせていただきましょう。
この人、しょっちゅう「人間所詮死んだら終わり」みたいなことを口にするんですよね。いつ死んでも良いみたいに投げやりなところがあるし。
おそらく、映画のアキレウスはものすごく物事の本質を真っ直ぐ見詰めている人で、人の生死になんのロマンティックな幻想も持っていず、全ての生き物は生きて死ぬ、それだけなのだ、より良く生きる、なんていうのは無駄なタワゴトだと考えているのだと思います。
だから、神の力だって物質的な現象として現れない限り信じないし、政治的な駆け引きや社交は面倒ごとに過ぎず、死んで残るのは名声だけなんだから、とりあえずそこんとこはクリアしとけとばかりに死を恐れずに名を残そうとする。
おそらく、それは彼が抜きん出て強すぎるところに端を発しているのだろうなあ。
彼はこれまでの人生で負けた事なんて無いんじゃなかろうか。
その上、自分にはそれしかとりえが無い事を自覚している気がします。だから、誰もアキレウスの孤独を分からないけど、彼の方でも弱い者が当然感じる恐怖が分からないのです。駆け引きも社交もいうなれば弱者の知恵だと思うので。
で、彼の場合は話が進むにつれ、どんどんこれまで自分がどうでも良いと見ようとしなかった瑣末な事(たとえば弱者に対する共感とか、相手にも意思と感情があるということだとか、)に目を向けるようになるのですが、そのせいで結局命を落とすことになってしまったのだと思います。彼の強さはあのある種の単純さがあってこそだったのでは。
彼の場合の転換点は先ずはブリセイスの存在でしょう。
(しかし、アガメムノンがブリセイスを奪おうとした場面でアキレウスは「その女に手を出したら殺す」とまで脅してるんですが…、
なんだ!?一体その直前のブリセイスとの会話の何がお前の心をソコまで鷲掴みにしたんだ!!??
ほぼ自己紹介で終わってたやないか!あの鼻っ柱の強さにガツン!とやられたんか???)
…ブリセイスの個性も強烈だから、まあ、今更ながら価値観を揺さぶられてしまったんじゃないかしら。いつも敵をやっつける事のみを求められてたのに初めて「殺すな」て言われるし。
でも、まだこの時点ではアキレウスは開眼していなかったのです。(その証拠に、パトロクロスを殺されたアキレウスは、ブリセイスの懇願を振り切ってヘクトールを殺してしまう。)
『ガラスの仮面』ヘレン・ケラー編の水の演技のところでいうなら、水風船に水が溜まっていくその過程だったのです。その溜まりに溜まった水がはじける瞬間、それこそが、ヘクトールの遺体を引き取りに来たプリアモスとの邂逅なのです。(また妙な例えを…)
「勇気は認めるが、馬鹿な人だ。どうせ何をしたってヘクトールが生き返るわけじゃないし、明日からあんたとはまた敵だ」と、身も蓋も無い事を言ういうアキレウスにプリアモスは
「だが、敵に礼を尽くしても良かろう」と返します。
まさに、この場面に全てが集約されているのです。
アキレウスはパトロクロスを殺された怒りからヘクトールを討ったわけですが、その従弟を殺された自分と同じ悲しい思いを、プリアモスも抱いている事に気付くのです。アキレウスはここで遅まきながら、やっと人の気持ちを慮る事を知るのでは。自分は色々なものを見過ごしてきたのかも、自分が無用なものだと切り捨ててきたさまざまな事が本当はちゃんと意味のあることだったのかも、と気付いたと思うのです。だから、直後のブリセイスへの不器用な謝罪に繋がるのですね。とはいえ、言葉を尽くして謝ったりできずに言いにくそうに「…傷つけて、悪かったな」とぼそっとつぶやく辺りが、アキレウスなんだけどね。(今回初めて映画のアキレウス可愛いと思ったー!)(快挙)
これまでトロイア寄りで映画を鑑賞していたためヘクトールを殺したアキレウスに対しては「早くパリスにやられちまえ」などと酷い事を思っていたわたしですが、さすがに上記のように考えながら見ると、トロイア落城辺りは本当に居たたまれなかった。
良かれと思ってブリセイスをトロイアへ返したのに、オデュッセウスのせいでトロイア落城が確定しちゃって、自分も木馬へもぐりこむアキレウス。
夜半、木馬から抜け出して、門へ急ぐ一行とは正反対の王城指して、一人まっしぐらにひた走るアキレウス。
「子供がいるから殺さないでー」と泣き顔のトロイア兵士を見逃してやるアキレウス。
映画しょっぱなのやる気なさそうな男からの180度の転換ッぷりです。ブリセイスの嘆願を無視してヘクトールを殺したあの時の選択とはまさに正反対のチョイス。
ラスト、今際のきわ、離れようとしないブリセイスに「君は生きろ」と言う姿など涙無しには語れません。
パリスの場合はストレートに成長物語なんですが、アキレウスの場合はもう少し複雑で、成長というより、高いところにいた人(まさに半神?)が一段降りて人間に近づいたせいで死んでしまった、という流れに見え、本当にパリスとは好対照でした。そんなアキレウスがけっこう好きかも。(…やっぱり洗脳されてんのかしら)
…ところで、今回のブリセイスさんは、見直すとまあなんと男前なこと!最後の最後でやってくれるぜお嬢さん!『ザ・ウォーズ』の方では、アガメムノンを殺したのはクリュタイムネストラーでしたが、なんと今回はこの小娘とは!!アキレウスにも怯まない気の強さといい、そんなに美人じゃないけどあたしは割と好きだな、この子。