湘南に吹く風

何となく物憂い世相!
庶民目線で世相を診てポジティブに考え発信するブログ

フランスの旧植民地!

2015年01月15日 | 政治
ウィキペディアによると、フランスの旧植民地の主なものは、アルジェリア、チュニジア、モロッコ、スーダン、マダカスガルなどアフリカに多いが、大戦以降も切れ間なく紛争を続けている中東地域、その渦中のシリアがあるのに注目したい。
事実、今回の襲撃テロの犯人のひとりと見られる女がシリアに逃亡したと報じられている。
シリアの過激派が、今回のパリ新聞社襲撃テロに深く関わっているのだろうか?

かって栄華を誇ったオスマントルコが、既に衰退極まった20世紀初頭、第一次世界大戦でドイツ側に組し、結果、1920年連合国側とのセーヴル条約で、領土の大半を失った。
そして、戦勝国の英仏は奪い取った領土を勝手に線引きし、シリア、レバノンをフランスの植民地に、イラク、パレスチナ(現在のヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治区)をイギリスにした。僅か100年にも満たない前の話だ。

現在、500万人といわれるフランスに暮らすイスラム教徒の出身地がどうなっているのか知らないが、シリア、イラクといった中東からの人たちが何十万、或いはそれ以上になのか?

勿論、ムハンマド風刺新聞を「不快」と感じるのは、中東系の彼らだけに限らない。
世界に17億人といわれるイスラム教徒のほぼ全てといってもいいのだろう。
要するに、フランスは何がなんでも(この欺瞞的な)風刺画報道を守るというが、17億人の人達の不快感を無視するものではないか。

暫く、パリに行きたくない!

2015年01月14日 | 政治
パリは、現役時代、仕事で数回行ったことがある。
また、観光目的で家内と数日過ごしたこともあるがもう数年前のことで、近々、また行こうと格安航空券を探していた。
しかし、この騒ぎ、しかも速報によると、例の襲撃された新聞が特別号と称して、再々ムハンマドを風刺したようだが、パリ市民が競って買っているそうだ。
いったいフランス社会はどうなってしまったのだろうか?

フランスの移民政策では、旧植民地、(この場合)イスラム教徒も受け入れるが、その条件はフランス語を喋ることも含めフランス文化のもとで生活することを求めているようだ。だから、フランスで生活する限りでは、ムハンマドの風刺も、お前たちは異を唱えてはいけないとするもののようだ。

この説は、もっともらしく聞こえるが、振り返って、植民地時代、平和であったろうイスラムの社会に、突如、フランス人が侵攻し、資源を含め、掠奪の限りを尽くした歴史をフランス人はどう考えているのだろうか。
要するに、自分たちが侵攻したイスラム教社会では、自分勝手に振る舞い、翻って、フランス社会においては、イスラム教徒の勝手は許さないとする勝者(強者といってもいい)の理屈の強要でしかない。

マスコミの報道では、この新聞社のありようを、パリ市民が何ら疑問を感じてないのか、そこが分からない。
アメリカでは、さすがにイラク侵略の反省もあるのか、ワシントンポスト紙を除いて、事実を文章でのみ伝え、問題の風刺画は転載してないようだ。

今後も、この新聞社は風刺画の掲載を続けるのだろうが、フランス市民の自制が働かないと、イスラムと全面抗争をするということだ。
恐ろしい話で、暫くはパリに近寄らないのが賢明だ。

パリ「反テロ」370万人行進に思う、戦後70年とは!

2015年01月13日 | 政治
パリでの反テロ行進にフランス全土で370万人が参加し、50ヵ国(地域)の政府首脳も行進の先頭に立ったと報じられている。
デモは「報道の自由」を掲げるが、何か一つ、引っ掛かる。

事の発端は、イスラム教開祖のムハンマドを風刺したものだが、キリスト教も含め全ての宗教は、その開祖を神聖にして侵すものではないとしている。
特に、イスラム教においてはそれが絶対的に強い教えになっている。

そのムハンマドを醜い漫画に仕立て、全イスラム教徒の極々一部でしかないテロリストを非難するのは、この場合、キリスト教社会では何の疑問も感じないらしい。
事実、キリストが風刺画に描かれることもあるが、諸悪の根源がキリストとするものがあるのか?
あったとしても、キリスト教社会のいう「報道の自由」であって、イスラムの世界では絶対的に忌み嫌うことだ。

要するに、キリスト教社会は自分たちの信条(文化といってもいい)が、この地球上において絶対「正」であって、イスラムのそれは「悪」だとするものではないか。
言葉を変えていえば、キリスト教文化の押し売りではないか。

話が変わるが、今年は戦後70年の節目の年だという。
アメリカは勿論、中国、韓国も含め戦勝国側は、先の世界大戦を総括するよう、例えば「首相談話」に対し、色々、注文を出し始めているらしい。
もしそういう事が本当なら、戦勝国側も、彼らの戦争行為をどう総括するのか、注目されなければならない。
おりしも、昨日、フランシスコ・ローマ法王がアメリカの原爆投下は「人類史上、最も恐ろしい惨事」と言及した。

1899年に締結されたハーグ条約では「非戦闘員である一般の民間人(市民、住民)を攻撃してはならない」と規定している。
しかし、先の大戦で日本は数百万人の一般人が犠牲になっている。
話が回りくどくなったが、要は、戦勝国側の勝手な理屈の押し売りは御免しなければならない。

でも、歴史は勝者の側の思惑で作られていくから、日本人は、今年は耐え忍ぶ覚悟が必要だ。

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」を見ての雑感!

2015年01月05日 | エッセイ
昨日からNHK恒例の大河ドラマが始まった。
今年は、吉田松陰の実家「杉」家の家族及びその家族に関わった人物を通して、幕末維新を語るようだ。
事前の配役情報や昨日の第一話を見て、特に男性役者、超イケメンをよくも集めたものと感心せざるを得ない。
脚本は女性作家らしいが、NHKの意図するところは、女性の視聴率を獲得する狙いが明白だ。

まだ始まったばかりで、このドラマを批評することは差し控えるが、少なくとも二話、三話と見れると思った。
その見たい理由は、「文」の再婚相手になる「楫取素彦」役に大沢としおが起用されていることだ。
大沢と言えば、確か二、三年前の東宝映画だと思うが「桜田門外の変」で関鉄之助役を演じており、この映画の印象が強く、今回の大河ドラマでどう演じるか興味津々だ。
関鉄之助とは、18人の志士たちを指揮し、井伊直弼の首を上げた人物だが、大沢はその風貌がサムライにぴったりで、当時の志士達の所作挙動を見事に演じたと思っている。

つまらなかった二日目の箱根駅伝!

2015年01月04日 | エッセイ
正月恒例の大学箱根駅伝、茅ケ崎に住んでいることもあり、毎年、沿道応援をしている。

一日目は、トップ4校が競り合い面白かったが、二日目は全くつまらなかった。
どんなスポーツでも、トップの圧勝は見ていて盛り上がらない。
この箱根駅伝の場合、5時間にも及ぶ戦いになるが、それ故にこの5時間、つまらないままに過ぎてしまった。
芦ノ湖のスタート時点の2位との5分弱の差が、区間ごとに更に広がり、ゴールでは11分もの大差になってしまった。

要するに2位以下のチームは、スタート時から優勝を「完全放棄」してしまった。
後は淡々と距離を消化し、ひたすら「途中棄権」を避ける、超安全走行に終始したようだ。
ただ僅かに、シード権に絡む、例えば山梨学院大学等が多少の覇気を示した。

そもそも、駅伝という日本固有の競技、タスキを繋げるというチーム戦だが、この連帯責任を強いる戦が面白い要素になっているのだが、この箱根駅伝の場合、10人中、ただ一人の故障が屈辱的な負けになってしまう。屈辱的というのは、TVのカメラはふらふらになった選手を必要に追い、ついに道端に倒れこむ姿を、これみおがしに全国に放映する、ある面、残酷ともいえる競技だ。

この故障者(監督及び選手)にとって残酷でもあり惨めでもある競技、それが彼らの恐怖心を異常に高めるため、ついつい彼らは、当然、先ず「故障」を絶対的に避ける走法を取らざるを得ない。
それが「管理」されたチーム作りの基本になっているようだが、この場合、「勝」つ走法より「故障」しない走法を重視するものになってしまいがちだ。
そうなると昨日のようなつまらない駅伝になってしまうのではないか。

つまらなかったNHK官兵衛!

2015年01月01日 | エッセイ
NHKと言えば紅白とともに大河ドラマを上げなくてはいけない。
昨年は「黒田官兵衛」であったが、これがまた、つまらなかった。
まあ、官兵衛役はともかくとしても黒田長政や石田三成役などミスキャストとしか言いようがない。
また、三成を徹底的に悪人に仕立てたり、ストーリーもいかがなものかと思う。
でも、歴史にそれほど詳しくない一般視聴者向けとして作られたドラマと考えれば声高に非難するのも大人げないことでもある。

一方、私事になるが、この大河ドラマがあるが故に、それを口実に一人旅を楽しむ自分が居ることも事実だ。
昨年の場合、秀吉の拠点であった姫路城、水攻めの備中松山城、黒田家発生の備前福岡等々、官兵衛ゆかりの史跡を何度かに分け訪ね楽しめた。
今年は、吉田松陰の妹が主人公らしいが、ドラマそのものにはあまり期待していないが、幕末維新に関わる旅行を計画するつもりだ。

更に、雑音だと思うけど、安部総理の地元が何故と勘ぐりたい気もする。
一昨年の大河ドラマも幕末維新物だったが、僅か一年おいてまた又、幕末維新物というのが何か引っ掛かる。

つまらなくなったNHK紅白!

2015年01月01日 | エッセイ
毎年の事ながら大晦日はNHKの紅白歌合戦を見てしまう。
でも年々詰まらなくなっていく。
でも、この詰まらなく感じるのは、番組が詰まらなくなると言うよりは、自分自身の気持ちが番組から離れていくことだろうと思わざるを得ない。
昔は「歌」が中心であったが、昨今は「ドタバタ・バラエティ」が中心で、「歌」はその付属品でしかないようだ。
更に出演者はNHKの人気番組の主役を中心に人選されているようだ。
でも、これ等を並べてNHKを非難するつもりはない。
要は、自分自身が肉体的だけでなく精神的にも老いたことだろうと思うからだ。
今は「バラエティ」全盛の時代、若者を「紅白歌合戦」に引き付けるにはそうなるのがむしろ当然なのだろう。
「バラエティ」番組に面白さを感じられない自分が悪いのだ。
でも、一つ反論したいのは、バラエティ意外にも面白いジャンルが沢山あり、我々老人はその多様な面白さを実感する中にあり、若者達はバラエティとスマホのゲームにしか面白さを見出せない未熟者なのだ。

最後に、このNHK紅白番組の時間帯に、対抗する番組を放棄している民放TV各局の不甲斐なさを非難したい。