朝鮮通信使??

朝鮮通信使、鶏盗んで日本人と喧嘩

これも けっさく だが ついでに ↓

谷沢永一:<朝鮮通信使朝鮮人参密売人

「それにしても、朝鮮からのお祝いのためにでけ多人数で駆けつけるというのはヘンである。表向きはそうではあっても、当然のこと裏がある。つまり朝鮮の密売のためだったとしか考えられない。明和元年(1764)四月六日の夜、帰国を目前に、宿舎の大阪御堂に籠っていた朝鮮使節の都訓導(道中目付)の崔天ソウが喉を突かれ殺害された。犯人は使節の通訳として同行していた、対馬の大道辞、鈴木伝蔵である。摂津池田に潜伏していたが、数日後に捕縛、死刑に処せられた。この一大事は大評判で、三年目に歌舞伎の「世話料理鱸包丁」として上演するや大入り、三日後に差し止められ、六年後の寛政元年七月から「漢人漢文手管始」として道頓堀角の芝居に復活、大人気であった。これは大阪では「御堂さんの韓人殺し」として今に言い伝えられている。その原因はどうやら、商売の行き違いであったらし、ということは、一行がお祝いだけに駆けつけたわけではなかったということである。江戸をつうじて朝鮮人参は日本で大活躍する。朝鮮人参を手に入れるためにたいへんな苦労をしたとか、身を売ったというような話が山とある。朝鮮人参を飲んだからすぐに病気が治るわけではないのだが、この時代の医者はさかんに朝鮮人参を飲ませればと言ったのである。」 
新しい歴史教科書の絶版を勧告する P162~163

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