新型コロナウイルスの感染者急増で、東京都杉並区の医療が崩壊しかねない事態に陥っている。
区内の感染者の合計は4月10日までに90人。うち退院者数は14人とされているが、「実は30人以上が一度も病院に入院しないまま自宅待機となっているのです。1週間もすれば自宅待機者は100人を超えるのではないでしょうか。軽症でも急変する場合があるとされているのに不安です」と区関係者は語る。
「ここで踏みとどまれなければ、医療崩壊してしまう」
だが、医療行政を担っている国と都の動きは遅い。「コロナウイルスの感染拡大スピードは極めて速く、営業自粛要請の対象に理髪店を入れるかどうかなどの議論で、のんびりと何日もかけていられる状況ではありません。このままでは医療崩壊どころか地域が崩壊してしまう」(区関係者)。そう危機感を募らせた杉並区は11日までに、新型コロナウイルス感染者病床を独自に整備する方針を決めた。区内の民間4病院へ合計20億円を超える区費を投入し、いうなれば准区営病院化して、その代わりに病床数を増やそうというのだ。
小池百合子東京都知事 ©AFLO
「それでもギリギリの戦いです。ここで踏みとどまれなければ、もう完全に医療崩壊してしまう」と区関係者は焦っている。
東京都の発表によると(杉並区とのまとめに時間差があり数値は一致しない)、都内の4月11日までの累計感染者は1902人だ。うち死亡者は40人。退院者は52人しかいない。
前日までの23区内の発生状況は、(1)世田谷区173人、(2)港区143人、(3)新宿区133人の順で、杉並区は4番目に多い。
3月19日に事態が一変した
杉並区で最初の患者が確認されたのは2月18日だ。区内の病院に入院していた高齢の夫妻が感染していると判明し、同室の入院患者1人と看護師1人に移っていたことが分かった。この病院は外来診療を一時取り止めて、院内を消毒するなどしたため、それ以上の感染拡大はなかった。
「その後は1日に5~7人程度の検体が保健所経由で検査され、ずっと陰性が続いていました」と区関係者は語る。
事態が一変したのは3月19日だ。「一気に6~7人の感染が判明し、その後もどんどん増えていきました」と話す。
4月の第2週になると1日に18人判明という日もあった。12日未明までに飛び込んできた最新情報によると、11日も10人の感染が分かった。
通常の救急搬送の受け入れができない
しかし、杉並区内で新型コロナウイルスの感染者を受け入れられる病院の病床数は、最初の感染者が出た2月時点で2院に計4床しかなかった。3月19日からの感染拡大を受け、この2院が11日までに計21床へと増やした。だが、事態の進行には追いつけなかった。
しかも、2院の病床は軽症と中等症の感染者用に整備したはずなのに、重症者を受け入れる都内の感染症指定病院が満床になったため、重症者への対応も迫られる事態になっている。例えば、「入院中の患者の呼吸状態が悪くなり、人工呼吸器を装着しなければならなくなっても、感染症指定病院の転院先がありませんでした」と、区内の医療関係者は語る。
さらに悪いことに、他の疾病や外傷による救急搬送にも支障が出始めた。別の医療関係者は「ある病院の発熱外来を受診した患者の状態が悪く、すぐに入院が必要と診断されました。ところが、既に新型コロナウイルス対応のベッドは満床でした。そこで入院先の確保を保健所に依頼しましたが、案の定見つかりませんでした。結局、その病院の救急科で診療せざるを得なくなり、通常の救急搬送の受け入れはできなくなってしまいました。相当数の搬送を断ったそうです。しかも、救急科から感染症の患者を移した後も、消毒するまでは救急搬送を受け入れられませんでした。こうした事態が何度も起きているのです」と切々と訴える。
感染者を受け入れると「毎月1億円とか2億円の赤字」
小池百合子・東京都知事は3月23日、140床しかなかった新型コロナウイルス感染症の受け入れ病床数を4000床に増やすと表明したが、そんなに簡単にはいかない。
このため都は軽症者をホテルへ移動させ始めたが、もはや感染拡大のスピードが完全に上回っているのだ。
東京で新型感染症が発生した場合に真っ先に受け入れる役割を持っている都立病院では、外気との圧力差でウイルスが広がらないようにした「陰圧」の病室を整備しているところがある。しかし、一般の民間病院にそのような病室はない。
そこで、病室の線引きをしたり、一般病床との導線を分けたりするだけでなく、感染症対応のスタッフも確保しなければならない。それどころか、感染者を受け入れていると知られた段階で風評被害を受け、他の症状の受診者が激減してしまう。
「各院とも毎月1億円とか2億円とかの赤字が発生すると言われています。そんなことを続けていたら経営が持ちません。長い戦いになると言われているのに、病院そのものが破綻してしまう」と区関係者は危機感を募らせる。
20億円の区費を投入して病床を確保する
そこで、杉並区は医師会や区内の病院と相談し、名乗りを上げた4院を対象に(既存の2院も含む)、新たに70床程度の新型コロナウイルス専門の病床を確保すべく、合計20億円を超える区費を投入すると決めた。近く議会に諮りたい考えだ。
「既に感染者を受け入れている病院では医師や看護師がかなり疲弊しているのが実情です。でも今、踏ん張らなければ完全に医療崩壊してしまいます。そこでせめて病院の経営を支えるために支出するのです。実質的な半官半民と言えるでしょう。ただし、金額を細かく積み上げている余裕はありません。とりあえず支援し、あとできっちりと監査する予定です」と区関係者は話す。
また、区内ではいくつかの病院で、新型コロナウイルス用の発熱外来がプレハブやテントで整備されている。ここで働く医師や看護師は防護服を着なければならず、これから暑くなる季節はストレスと肉体的な疲労にさらされる。一方、個人の開業医も、感染が疑われる患者が外来に来ると、スタッフに移る恐れがあり、専門の外来を受診してもらいたいのが本音だ。
そこで杉並区は、病院で整備されている発熱外来には、開業医にも詰めてもらえないかと考え、その分の日当を1日当たり約16万円分支払う方針を固めた。この額は休日急病夜間診療に区が支払っている費用から計算したが、詰めてもらうのは1回当たり3~4時間程度になる見込みで、実質は5~8万円程度になるようだ。
「今がまさに分岐点です」
こうした医師への日当は、都が既に約3万円を補助している。ところが、都は区の方針を知った段階で「区が出すなら都は支出しない」と決めた。
これに対して区関係者は「とんでもない態度です。開業医は診療所を休み、場合によっては感染の恐れもあるのに、わざわざ来てくれるのです。ならば逆に都に聞きたい。もし都の約3万円の補助だけだと、自分が経営する診療所の看護師や事務員の給料も支払わなければならないのに、開業医は発熱外来に詰めるだけで赤字になりかねない。それでいいのか」と憤慨する。区は都が支出を止めた分を代わりに負担する方法を検討している。
「民間病院や診療所は、新型コロナウイルス対策に関われば関わるほど疲弊していくのが現状です。そのような事態を、国も都もシミュレーションしていなかったのではないでしょうか。これでは第二次世界大戦で物資の補給もなく多くの兵士が死亡したインパール作戦と同じです。新型コロナウイルスは国や都の医療政策や政治家の都合に合わせてくれません。こちらが合わさなければウイルスとの戦いに負けてしまうのです。今がまさに分岐点です」と区関係者は語った。
(葉上 太郎)