多文化主義こそ共産主義運動破綻後の左翼の隠れ蓑

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

書評

 多文化主義こそ共産主義運動破綻後の左翼の隠れ蓑なのである
  冷戦で自由陣営が勝ったのは一時的、またも左翼の陰謀は進む

福井義高『日本人が知らない最先端の世界史』(祥伝社)

 本書のテーマは大きく四つあって、「歴史修正主義論争の正体」「コミンテルンの陰謀説の真偽」「大衆と知識人」「中国共産党政権誕生の真実」である。
いずれも過去に多くの論争があり、左右を問わず、論壇は侃々諤々、議論は輻輳し、今日に至っても結論を得られないポレミックである。
 著者の福井教授は青山学院大学で教鞭を執られる傍ら、静かに地道に近現代史に挑んで来られ、寡作なので一般的にはあまり知られなかった。
 本書はある意味で、論壇を画期する労作である。
 なぜならグローバリズムの波が世界を覆い尽くそうとしているときにトランプが米国に出現し、英国はEUから離脱する。
 言葉を換えて言えば、これは反グローバリズム、そして反「多文化主義」の流れとは言えないか。
 ドイツの場合、論壇にタブーがあると福井氏は指摘する。
「ホ ロコーストの唯一性を前提にすると、ドイツと比較して日本の謝罪が不十分であるというような議論は、涜神行為とすらいえる。なぜなら、ホロコーストと日本 の通例の戦争犯罪を並べることは、比較を絶するはずの絶対悪を相対化することを意味するからだ。実際、連合軍の戦争犯罪や非人道的行為とナチスのユダヤ人 迫害を比較し、相対化することはホロコーストを『無害化』するとして、ドイツでは厳しく批判される。他の欧州諸国や米国でも同様である」
どういうことか。
「法律に名を借りて国家権力で異なる歴史認識を圧殺しようという動きはホロコーストに限らない」
 その例はフランスなどで拡大するトルコのアルメニア虐殺論争だが、
 「論点は虐殺の有無ではなく、(オスマントルコ)帝国政府による国策としてのジェノサイドを主張するアルメニアに対して、戦時中の軍事的必要性に基づく強制移住の過程にともなう不祥事というのがトルコの立場である」
 しかし、歴史論争として、これらは修正主義の名において国際主義者、左翼ジャーナリズムから激しく糾弾されるのだ。
 「冷戦後の共産主義『無力化』には冷戦期、ソ連共産主義に宥和的であった多くの欧州知識人の自己保身という現実的動機」もある。だが、実態としては、その裏にもっと大きなすり替えの動きが起きている。
 その典型が「多文化主義」なる面妖な、新時代の化粧を施した、共産主義運動の隠れ蓑である。
 福井氏は続ける。
  米国では「多文化主義は、黒人の存在と密接に関連しており、奴隷の子孫に対する白人の贖罪意識がその背景にある。一方、欧州では旧ユーゴスラビアを除き、 殆ど白人キリスト教徒しかいなかったのに、多文化共生を国民に強制するかのように、欧州各区に政府は、冷戦終結直後から、第三世界とくにイスラム圏からの 大量移民受け入れを拡大し、その勢いは止まらないどころか、むしろ加速している。ポストマルクス主義左翼の知的覇権下、欧州国民の大多数が反対する大量移 民受け入れを維持推進するためには、ヘイトスピーチ規制に名を借りた、国家による言論の統制が不可避なことは容易に理解できる」。
 つまり大衆を扇動する新しい道具であり、「反多文化主義=ファシズムという分かりやすい図式を提供することになるのである」と本質を抉り出す。
 ソルジェニーツィンを見よ、と福井氏は言う。
 「ソ連圧政に抵抗する自由の闘士として、欧米で英雄視されたソルジェニーツィンは、冷戦が終わると、多文化主義とは真っ向から対立する、そのロシア民族主義ゆえ、逆に欧米知識人の批判の対象となった」ではないか。
 いま日本に輸入された、面妖なイズム「多文化主義」の本質をずばりと捉え直した瞠目するべき著作の登場である。

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