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有村架純が演じた「瀬名」の最期に涙が止まらない…大河ドラマ『どうする家康』に秘められた「裏のテーマ」
面白い話題なので 出しておきます
有村架純が演じた「瀬名」の最期に涙が止まらない…大河ドラマ『どうする家康』に秘められた「裏のテーマ」(堀井 憲一郎) @gendai_biz
大河ドラマを見て「この人は、悪い人ではなかったんやなあ」と感慨深げに言ったのを二度、聞いた
ひとつは1970年の『樅ノ木は残った』である。
平幹二朗が演じる原田甲斐を見て、「原田甲斐って悪い人やなかったんやあ」と感心していた。
もう一回は1976年の『風と雲と虹と』。
加藤剛が演じる平将門を見て、「将門って、悪い人やとおもてたけど、違うてたんやな」とこちらも感慨深げであった。
源義経を善とするなら、源頼朝は悪であり、菅原道真が善だから藤原時平は悪であるというふうに(時平もマイナーですけど)歴史事実と離れても、おもしろくするためのキャラ付けがなされる。
原田甲斐は悪とされ、そのまま悪として語り継がれた。
それをひっくり返したのが作家の山本周五郎である。
1958年に『樅ノ木は残った』という小説を出した。
ここでは原田甲斐はお主(しゅう)のために働く善き人であり、徳川幕府が伊達藩を取り潰そうとしていることに気づいた彼が、それを阻止するために身を挺して、自分を犠牲にすることによって、伊達藩を守った、と読み替えられた。
原田甲斐について、これまでの印象と真反対の人物として描いた。
最後、原田甲斐はお偉いさんの屋敷に呼ばれ、周りの連中ともども、斬られた。
死にそうになりながら原田甲斐は、自分の刀を抜いてそこに血を塗りながら「これはすべて私がやったことだ」と罪をかぶって死んでいった。
平将門は、古来、反逆者とされており、その見立てはいまも変わっていない。
彼ほどわかりやすい反逆者は日本史上、少ないだろう。
「京都政権」に対して直接、戦いを挑んだわけでもなく、京都を攻めたわけでもない。ただ京都政権支配の端っこのほうで、別の政権を立てる意欲を見せただけである。だからこそ、他に例を見ない、わかりやすい「反逆者」である。
ただ、将門の立場に立って見てみれば、いろいろ言い分もあるし、彼らにとっても正義もある。『風と空と虹と』ではそこを見せてくれた。
家康の最初の正妻・瀬名(築山殿)は悪女とされているが、それは後世に書かれたばかりで、瀬名は本当に悪い女だったかはわからない。
ひょっとしたら、別の何かを隠すために、あえて、悪女として語り継がれたのではないか。
家康にとって、瀬名と、息子の信康を失ったことは、いま考えられているよりもっと大変なことだったのだ、ということを暗示していた。
このドラマでは、「瀬名と信康の死」は家康を根源から変え、彼の行動を変え、そしてそれは日本の歴史そのものを変えてしまった。そう主張したいのではないか。
瀬名の死は天正七年、家康は38歳である。75年の生涯のちょうど真ん中にあたる。
家康が瀬名と出会ったのは、今川義元の館である。
「どうする家康」では、家康は、義元をとても敬っている。
「王道と覇道」の違いについて、今川義元は家康に叩き込んでいた。
王道とは、徳をもって治めるもの。
覇道とは、武をもって治めるもの。
織田信長の行いは、覇道そのものであり、今川義元がめざしていた「理想的な治世」こそが王道である。
そして、今川義元の縁戚である瀬名が唱えたのもまた「理想的な治世」であった。
象徴的だったシーン
第25話、瀬名は、みなの説得に応じず、自ら首を斬って死ぬ。
瀬名は「彦、介錯を」と鳥居彦右衛門元忠に声をかけるが、彦は応じない。瀬名が首を切っても、とどめをさせない。介錯に当たる行為をおこなったのは、大ねずみ(松本まりか)とよばれる忍びの女であった。
家康の名だたる家臣たちは、誰も瀬名を斬ろうとしなかった。斬れなかった。
男が斬らず、女が斬った。武将が斬らず、忍びが斬った。
とても象徴的である。
瀬名のために生きる家康の後半生
ドラマ本編のあとの、歴史紀行(どうする家康ツアー)の部分で、ここで有村架純と松本潤が一緒に「瀬名が自害した場所」を訪れるという映像が流れ、しかも二人の素直な感想が流れて、とても驚いた。ちょっとすごい。
このあと、家康は、瀬名をおもいつづけて生きる。
「そなた、悪辣な妻と語りつがれるぞ……」
「平気です、ほんとうのわたくしは(家康の胸に手を置く)あなたの、心におります」
家康の後半生は、瀬名が命をかけたものを達成することになる。
家康は、瀬名の夢のために生きる。
残り37年をかけ、生き続ける。
これがこのドラマのテーマ(裏のテーマとも言えるが)となるのだろう。
だから、秀吉は、あそこまで悪い人に描かれているのだ。彼はいわば「覇道」そのものを体現した存在だからだ。
祖母とみていたら、「瀬名も悪い人ではなかったんやなあ」と言ってくれたとおもう。
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