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仏マクロン24歳年上妻「元夫」の数奇なる人生 フランス人は有名人の元配偶者を詮索しない
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2025年5月27日
フランスのエマニュエル・マクロン大統領が25日夜、ベトナム・ハノイに到着した際、妻のブリジット・マクロンさんに顔を押される様子が映像に捉えられ、話題となっている。
映像では、大統領専用機のドアが開いた直後、ブリジットさんの姿は機体に隠れて見えないものの、両手が現れ、マクロン大統領の顔を押すのが確認できる。
マクロン大統領は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに平静を取り戻し、階下のカメラに向かって手を振った。
この出来事について、仏大統領府(エリゼ宮)は「旅の始まりを目前に、夫婦がリラックスしてふざけ合っていた瞬間だった」と説明し、深刻なものではないと強調した。マクロン大統領自身も「いつものように冗談を言い合っていただけだ」と述べ、「大げさに取り上げるようなことではない」と語った 。
“マクロンを大統領に導いた妻ブリジットの役割を「内助の功」という日本人もいるだろうけど、まったく違うね。選挙運動中の彼の表現――言葉遣いから立ち居振る舞いまで――のすべてを指導していた舞台監督だったのさ。100%彼は彼女のものなのさ。それを内助の功とは言わないだろう?”
~ミュレ 金融トレーダー(日本駐在歴あり)
彗星のごとく現れたエマニュエル・マクロン。フランスの大統領になりました。24歳年上の妻ブリジットも、今や世界で誰ひとりとして知らぬ者はいない女性です。
マクロンが経済界で大成功を収めてから、フランソワ・オランド前大統領に見いだされて経済・産業・デジタル大臣に抜擢されたあたりから、私はその“センシュアリティ”を評価してフィーチャーしてきましたので、今回の当選は感慨もひとしおです。
当初から、彼に年齢が離れた妻がいることは知られていましたが、メディア露出がなく、私生活はうかがい知れませんでした。夫は大臣の公職に就いたとしても、妻はまだイエズス会系の高校の教師で保護されるべき私人だったのですから、当然のことです。
マクロンは1年前から仏マダムの心をつかんでいた
どんな妻がいようがいまいが、1年も前のテレビリサーチでマクロンは「大統領になってほしい人」ランキングでトップでしたし、女性誌でもひいきにされてたくさん露出しておりました。女性誌ですから男はイケメンであるほうがいいに決まっています。少なくとも好色マダムの心はつかんでいたのでしょう。好色マダムとは? 私を含めフランスにいるオトナの女性のほとんどのことです。
マクロンとブリジットの夫婦に対し、世界が大熱狂の最中にある今、そのなれ初めから、引き裂かれた仲を初志貫徹して結婚に至るまでの驚きのラブストーリーは、揶揄と称賛でもみくちゃにされながらあらわになりつつあります。
極東のロリータコンプレックス国の居酒屋ではきっと「酔狂にもほどがある」と、サラリーマンの酒のさかなになっていることでありましょう。一方、アムールの国フランスでは「年の差婚」も「略奪婚」も、それ自体が話題にのぼることはありません。2人の結婚は、そこまで奇想天外なことではなく、十分に考えられるオケージョンです。
極東の島国では「女房と畳は新しいものがいいに決まってら」であっても、それは女の使い捨て文化でしかないのです。フランス人の間では、使い捨てされる女性を「スコッティ」とか「クリネックス」と言うのだとか。若さや外見の美しさだけが売りの女性は「鼻紙チーンで捨てられるよ」ということなのでしょう。ティッシュペーパーにはなりたくないものです。
ブリジットは学生のころから、嫌味のないインテリジェンスにあふれた、人好きのする女性だったそうです。一方のマクロンは、ベスト・アンド・ブライテスト(the Best & the Brightest)。天性の頭脳はキラキラしていたに違いありません。そんな2人が出会ったとき、ふたつの知性と感性がぶつかり、磁石のように引き合いピタリとはまり込んで、恍惚(こうこつ)の共鳴に打ち震えたのではないかと想像します。
ブリジットはスタイルがいいうえ、ファッションセンスも抜群との評判です。センシュアリティが放つ魅力は、天賦というよりも努力によって身につけていくもの。年齢や外見といったものを吹き飛ばす力をもっています。そこがセクシュアリティとの違いなのです。
大フィーバーの2人の陰に「透明な存在」
さて、ずいぶん前置きが長くなりました。ここからが本題です。私が心惹(ひ)かれるのは、大フィーバー中のブリジットとマクロンの陰に隠れた、「透明な存在」です。
聖母マリアの夫は大工のヨゼフです。マリアは神によって「処女懐胎」しました。そのことにヨゼフは戸惑い、複雑な思いを抱きます。当然です。でありながらも神に諭されて、彼はその後も母子を支えつづけました。マリアとの間に子もなしたとか、それは他の女との間だとか、教派によって諸説あります。そして、イエスが人々の前に立つ前に亡くなったといわれます。
宗教画で描かれるヨゼフは、男性を感じさせない年老いた容貌ですが、これはマリアとの肉の結合を想像させない配慮と言われます。キリストとマリアという聖なるヒーローとヒロインを前にして、存在を透明にされてしまった老ヨゼフ。どんな思いでいたのか、なんとも切ないものがあります。
ヨゼフに思いを馳せると、"彼"のことを想像せずにはいられません。フランス北部の風光明媚な地方都市、アミアンで、少年マクロンがブリジット家の週末のディナーに招かれる際には、シャンパンと花束を抱えてやってくるのが常だったとか。笑顔がまぶしく、頭脳明晰でシャイ、青の瞳には強い意志がこもっていたであろう美少年のマクロン。
そのとき、彼は娘の同級生でもある前途洋々たる若者を、にこやかに見つめて歓待したことでしょう。そして、この少年が近い将来に、自分が何より大切にしてきたものを根こそぎ奪いさる存在になろうとは、夢にも思わなかったことでしょう。
そう、彼とはブリジットの元夫であり、ブリジットとの間にもうけた3人の子ども
(息子と娘2人)のまぎれもない父親のことです。
先の大統領選で、3人の子どもたちは前線に立って義父のために奮闘しました。でも、元夫は透明な存在になって、私たちが見ることはできません。いまだに、カメルーンで生まれたエリート銀行員ということくらいしかわかっていません。
元夫との離婚は、それなりに大変でつらい思いをしたとブリジットは語っています。しかし、本当に大激震だったのは彼のほうでしょう。それ程の衝撃の中でよくぞ生きていた、と思うのです。
フランス人は有名人の「元配偶者」を詮索しない
日本ではよくある、有名人の元配偶者や元愛人がメディアに登場して発言するようなことは、フランスでは聞いたことがありません。日本とは違う文化というか、倫理風土なのでしょう。大衆の感覚としても、むやみに面白がったりはしません。仕事などやるべきことをやっていれば、プライベートは互いに詮索しないのが不文律なのです。
マクロンとブリジットの結婚を憶測しても、離婚には裁判所を経由する必要がありますので、双方の弁護士において詳細な契約書が作成されたはずです。その時はもうエリートであったマクロン、子どもの親権や慰謝料の規定のほか守秘義務など、万端遺漏はないと思います。そして、「終わったことは口外しない」。つまり、ブリジットの元夫が“透明な存在”になることは、法的にも強いられているのでしょう。
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その点、日本は面白い。元恋人たちが売名行為もあって騒いだりしても、世間は「あいつらしょうがないな」と笑いながら見ています。それでも、不倫となると大騒ぎします。不倫は道徳的にいいことではないでしょうが、犯罪ではありません。さらに、有名人だからといって国民の手本になるべき聖人君子とも限りません。世間から袋だたきにあって、なぜ仕事まで自粛させられるのか不可解です。「汝(なんじ)らのうち罪なき者、石もて打て」ではありませんか?
誰もその正体を窺い知ることはできず、またせんさくもしないブリジットの元夫。“cocu(コキュ)”というフランス語は、「寝取られ男」を揶揄する、かなりあざけった言葉。まさに彼はコキュですが、あざけられるべき存在でしょうか?私は運命に翻弄された彼に深く同情します。史上最年少の大統領となる素質を秘めた半端なく意志の強い少年と、知性と美貌にあこがれる学校教師の妻。どこに彼の責任があるのでしょう。
理不尽でどうしようもないことが、人生にはときに出現するのです。さらに、自国が恋愛に関して寛容な文化風土だったからこそ、希有なシチュエーションに遭遇してしまったのです。誰を恨むでもない、彼はただ嗚咽(おえつ)するしかなかったのでしょう。切ないことです。心にしみるその切なさの感受もまた、センシュアルと言っていいでしょう。
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