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終戦時満州に取り残された日本人 ソ連兵と中国人は何をしたか
トトメス5世さんの記事です
ここでは 満州軍が 極悪人みたいに書いていますが どうして そんな事になったかは 2年前の 同氏の
日本陸軍が終戦後に毛嫌いされた理由
も 読んでおこう
終戦時満州に取り残された日本人 ソ連兵と中国人は何をしたか
戦後ずっと中国、南北朝鮮、ロシアは自分たちが日本軍によって被害を受けたと言い続けてきました。アメリカ、イギリス、フランスなど西側の連合国も、自分たちが正しいと言うために日本軍を批判してきた。
その一方で自分たちが日本人に行った行為は隠され、なかったかのように言いつくろっている。
安倍晋三をはじめとする歴代首相や政治家、言論人もこの事には目をつぶり、一種のタブーになっています。終戦時に満州や半島、千島列島や樺太に居た日本人はソ連や中国に何をされたか、日本政府が口封じをして喋らないようにしていた。終戦時に外地にいた日本人は数年後に復員や引揚げしたが、日本政府は棄民として扱い存在しないように振舞った。
日本軍が大陸から引き上げた時、満州周辺には200万人の日本人が居たが、民間人は置き去りにしました。昭和20年8月9日、ソ連は突如日ソ不可侵条約を破棄して満州に侵攻したが、大本営は秘密裏に関東軍(大陸部隊)を日本本土に帰国させる計画を建てた。
この時200万人の日本人居住者は足手まといであり、船も食料もなく帰国させたらさらなる食糧不足を招くとして、現地に置き去りにする決定を下した。
200万人の居住者はソ連が侵攻してきたのを知らされず、移動や避難を禁止されその場に留まるよう命令された。
満州国の首都は新京だったが、8月9日にソ連の空襲(大した空襲ではない)を受けると、なんとその日のうちに全軍脱走しました。
軍の逃走を市民に隠すために主要道路を封鎖して鉄道を使用し、「ソ連軍と戦いに行くのだ」と大嘘をついて出発しました。
日本軍に騙された200万人の日本人居住者
真に受けた日本人らは本当に軍はソ連と決戦に行くのだと信じ、感動して涙を流し日の丸の旗を振って見送りました。
軍が避難するために8月10日まで鉄道は使用禁止に成り、8月11日から「軍人の家族だけ」避難指示が出ました。
8月13日ごろ満州国の公務員に避難指示が出て、一般市民(100万人以上)に避難指示が出たのは8月15日になってからでした。
8月15日の日本軍降伏と同時に、ソ連軍と中国軍、暴徒化した中国人らが日本人居住者に襲い掛かりました。
満州国の首都新京には100万人もの日本人が居たので団結して身を守ったが、地方に居た満州開拓団はされるがままでした。
満州開拓団とは日本の食糧危機を解決するため、日本軍が送り出した農村開拓団で、数十万人も居ました。開拓団は表向き応募だったが、実際には県や村、集落単位で割り当てがあり、人数が決められていました。長男は村に残るので開拓団に行くのは次男以下、満州で子孫を増やすため夫婦ものが選ばれたので、行く人は決まっていました。もし満州行きを拒否したら村八分にされるので、個人の意思とは関係なく行かざるを得ませんでした。開拓村の人口を増やすのに女性が必要なので、大勢の少女らを騙して満州に送り込んだ。満州では内地よりずっといい暮らしができるとか、まだ判断力がない少年少女に吹き込んでいました。
満州の開拓村とは荒れ地を手作業で開拓し、ゼロから村をつくるもので、日本からの支援はほとんどなかった。それぞれの開拓村の人口は数十人程度で、ソ連軍に襲われたらひとたまりもなかった。多くの村では若い女をソ連兵や中国人に差し出し、命乞いをしたという事実が記録に残っている。
被害者なのに帰国したら加害者扱い
関東軍は事前に終戦を知っていたので8月15日までに南朝鮮まで逃げ、38度線を防衛ラインとした。日本まで逃げる船はアメリカにすべて撃沈されていたので、もしソ連軍が38度線を突破したら今度こそソ連と決戦するつもりでした。
ここで関東軍は計略をめぐらし、ソ連軍と接触して「もし自分達を助けたら東日本を差し出す」と提案したと伝えられている。
その効果があったのか関東軍は本土に帰還できたが、約束は反故にし東日本は米軍が占領した。
満州在留日本人や北朝鮮居住者には38度線の存在自体が隠され、「その場から動くな」と言って立ち去った。
せっかく北朝鮮まで逃げて来たのに38度線の存在を知らず、ソ連軍支配地域にとどまった人が多かった。
ここでまた朝鮮人は日本の女をソ連兵に差し出して、ソ連とのコネを作ったり食料を得たり、地位を得たりした。
千島列島や樺太でも同じ事が行われ、200万人居たソ連中国支配地域の日本人のうち、約50万人がなくなった。
強制的に開拓団に参加させられ散々な目に合って帰国した人々に日本政府は冷たく、軍人のような恩給も保証もなかった。
一般の日本人はGHQの宣伝によって「開拓団は中国を侵略した悪人」と思い込み、罵声を浴びせたり石をぶつけたりした。
こうして帰国した人々は開拓団や外地居住者だったのを隠すようになり、ソ連や中国からの被害もひた隠した。
連合軍だった国は自分たちの被害を訴え、日本政府すら満州ソ連居住者の被害を無視しつづけている。
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