特にフィリピンの場合は民衆が一斉蜂起して反米運動を起こし、米軍を追い出すというドラマチックな展開だった。米軍が撤退したフィリピンは非武装中立国家になり、西側の領海の殆どを中国に占領されたが、それはずっと後の事である。
不思議な事に反米運動で米軍撤退を迫っているのは、フィリピン、沖縄、韓国と米軍無しでは成り立たない地域ばかりでした。
米軍に最も恩恵を受けた地域の住民ほど反米意識が強い。
日本本土、ドイツやイタリアなど、米軍が居なくても自力で守れそうな地域ではそれほどでも無い。
現実世界で米軍への依存が強いほど、それを認めたくないという意識が働くのかも知れない。フィリピンは植民地時代からずっと米軍が駐留していたが、裏を返すとフィリピンは世界最強の軍隊から無料で守ってもらっていました。
沖縄も同じことで米軍が駐留している限り、最強の無料用心棒を雇っているのと同じなのです。
韓国などは朝鮮戦争で一度は負けて国土の95%を北に占領されたが、米軍に奪還してもらったのが現在の領土です。こうした米軍依存の国や地域ほど「米軍は必要ない。米軍には迷惑している」と言いたがるのは不思議です。
日本軍の半島撤退
意外というか当然というか、米軍は1945年に朝鮮半島南部を占領していた日本軍から、朝鮮の統治を引き継いだ。韓国という国が出来る前、既に在韓米軍は存在していて後から韓国と韓国軍が創設されました。1945年8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を破棄して日本に宣戦布告しきました。
対する満州や朝鮮の日本軍は局地戦をしながら後退し、最後に本土へ帰還する計画を立てた。
日本に帰還するには海を渡らねばならないが、アメリカの海上封鎖で海路を塞がれていました。
この帰還作戦は日本がアメリカに降伏し、海上封鎖が解かれ兵士と居留民は帰国し、入れ替わりに米軍が朝鮮に上陸する事に期待していた。
そうならない場合には朝鮮半島の日本軍はソ連には降伏せず、ソ連軍と決戦し玉砕する事になっていました。ソ連参戦が8月9日で昭和天皇が降伏を決めたのが8月10日過ぎ、終戦の詔勅(玉音放送)が録音されたのは8月14日だった。
8月13日に中立国を通じてアメリカには15日の降伏が伝えられていて、14日には目立った戦闘はなく、15日の玉音放送をもって日本軍は停戦した。
8月6日に広島、8月9日に長崎原爆投下し、米軍機は8月15日にも東京を爆撃している。まさに一日を争うタイミングで、数日遅れたらソ連軍が北海道や朝鮮南部に襲い掛かってくるのは確実でした。
この時日本にとって切羽詰った問題は、米軍機による民間人への空襲を止めさせる事、米軍によってソ連軍を食い止める事でした。
大本営と関東軍は米軍の到着が早ければソ連に占領されずに済み、日本は分割を免れやがてまた独立できると計算した。米軍の到着が遅ければ満州と朝鮮の日本軍と民間人数百万人が玉砕し、北海道や東日本はソ連の領土になってしまうでしょう。9月8日に最初の米軍が仁川に上陸するまでの約1ヶ月間、弱体化した日本軍守備隊は強大なソ連軍と38度線で対峙した。
ソ連軍が攻めてくればソウルは一日で陥落し、1週間で朝鮮半島全体を占領されただろうが、何故か最後まで攻めてこなかった。
この1ヶ月間の空白は物資と軍隊を欧州から輸送するためという意味もあったが、ソ連首脳は特攻や玉砕を恐れない日本軍が兵力以上に強いと思い込んでいた。
アメリカは日本軍と本土で戦えば100万人以上の犠牲が出ると試算したし、ソ連軍もそうした見方をした。
特攻・玉砕はソ連軍を恐れさせ、食い止めたという意味はあったのかも知れない。
米軍の上陸によって日本軍は海路で帰国することが出来、韓国の統治権を米軍に引き渡した。
朝鮮戦争の米軍
日本軍の停戦は1945年8月15日だが、米軍が朝鮮に上陸したのは9月8日だった。
9月9日に朝鮮総督府がアメリカ軍への降伏文書に署名し、朝鮮半島で第二次大戦が終わった。
日本は満州も米軍に占領してもらいたかったのだが、軍に余裕が無いという理由で拒否されている。
1945年9月7日、米軍は南朝鮮に軍政を宣言し、1982年まで戒厳令を敷いた。
因みに「サウス コリア」(南朝鮮)をそのまま英語の国名として現在も使用している。
9月11日には軍政庁を作って統治を始めたが、中身は朝鮮総督府の朝鮮人役人達だった。
1948年8月15日に朝鮮総督府を公式に韓国政府とし、大韓民国を建国した。
即ち現在の韓国政府は、朝鮮総督府を韓国人に入れ替えた組織である。
独立2年後の1950年、米軍への反発や朝鮮半島の軽視から、米軍は韓国から撤退してしまっていた。
1950年6月25日、北朝鮮は突如として国境線を突破し28日にソウルを占領した。
頼みのアメリカ軍は、韓国の反米活動で「出て行け」と言われたので、韓国ではなく日本に居た。
米軍は最初日本からの空爆でお茶を濁したが、国連軍を結集して日本で準備している間に、韓国の大半を北に占領されてしまっていた。
北朝鮮軍は朝鮮半島の最南端の釜山まで快進撃を続けたが、そこには日本からの補給を受けた米軍が陣取っており、ようやく止まった。北朝鮮軍が釜山を包囲したのが8月15日ごろで、9月15日に米軍が仁川上陸作戦を決行した。
北朝鮮軍は補給線が延びきったところで強力な敵に遭遇し、背後から上陸されて挟撃され、絵に描いたような大敗を喫した。
連合軍は38度線を突破して、中朝国境まで北朝鮮軍を追い込んだ。ソ連軍と中国軍は「参戦しない」と言いながら参戦し、アメリカ軍は中国軍によって再び38度線に追い返された。
司令官のマッカーサーは中国への原爆使用を要求したが、大統領は将軍を解任し、中国と取引して停戦した。
これが朝鮮戦争で、韓国人は99%までアメリカ軍のお陰で命拾いをした。
戦後の在韓米軍
アメリカ軍のお陰で国土を守った事から、韓国における米軍の権限は強大な物になった。
韓国人は米軍によって抑圧的な生活をさせられていると感じ、反発を強めていった。
韓国人は米軍に感謝するどころか、敵とみなして反対運動を再開しました。
韓国政府は日本に対してもそうしているように、国民の敵意をアメリカ軍に向けさせ、政権への不満の捌け口に利用しました。例えば韓国軍と韓国政府は朝鮮戦争の期間中、100万人以上の韓国人を「スパイ」として粛清していた。
だが米軍がもっと少数の韓国人を、同様の容疑で処分した方を大々的に宣伝して、自らの犯行を隠しています
米軍による犯罪や交通事故も、韓国政府の犯罪を隠すために煽っている側面が強い。米軍向けの慰安婦問題も、韓国政府が怒りを米軍に向けさせる為に煽ったのだが、意に反して国民の怒りは韓国政府に向った。韓国では政府が批判され国民が不満を持つたびに、日本と米国を「いけにえ」にする事で批判をかわしています。
また韓国では米軍の存在で北と対立しているとか、統一の障害になっているという批判もされている。
たしかに北朝鮮が韓国を統治するには米軍は障害になっていて、文在演は米軍撤退を強く望んでいます。
2016年には規模縮小という名目で、韓国から在韓米軍は撤退する事になっていました。
撤退後も空軍の一部と、少数の陸軍は残る事になっているが米韓連合軍の指揮権は韓国に移譲される予定でした。
だが北朝鮮によるミサイル発射や核開発危機があったので、韓国は急に「撤退するな」と言い先送りになった。
今度はまた韓国が「撤退しろ」と言い出していて、アメリカもいい加減うんざりしている。