goo blog サービス終了のお知らせ 

親の介護から自分の老後へ

母の介護には私がいた。自分の老後はさて?さて?どうしたものか?

痛いけど、幸せな時間

2014年02月18日 | 介護問題

手術後、数日は足を引っ張っていたので詰所隣りの2人部屋へ一人だった。

意外と母は大人しかった。

病院には私だけでなく、妹家族が来てくれるので気持ちが落ち着いていたのだと思う。

妹や孫の名前も思い出さないのだけど、”なんとなく違う”親近感があるのだろう

食事だけでは栄養が摂りにくいと思い、粒タイプのサプリメントを飲ませたら、飲み込まずに咬むので口の中がお歯黒状態・・・

高齢になると、味覚も無くなるようで、薬をそのまま飲んでも、サプリを噛み砕いても”まずい!”という顔をすることはない。

しかし、数回目に看護師さんと先生へ見つかり取り上げられてしまった。

キチンとした栄養素なんだけどな~~??

ちょうど姪っ子達が夏休み中だったので、こまめに病院へ通ってくれたから助かった。

看護科の専門学校生と高校生の二人は、「婆ちゃん、入れ歯外すよ」「薬飲むよ~」

慣れた手つきで入れ歯を出し洗ってくれる。

母が赤ちゃんの頃からお風呂に入れていた孫たちが、今は母の面倒を見てくれている。

なんとなく感激

妹はホームが苦手だと言い、あまりホームへ行くことはなかったが、病院にはこまめに見舞ってくれたので、母の病室は妹家族と私を含め5人がいて、いつも賑やかだった。

怪我して痛かった(→o←)ゞけど、母には幸せな時間になった

          


認知症&骨折患者の病室

2014年02月17日 | 介護問題

”母が転んだ”の続き・・・

手術は無事終了!大腿骨骨折・・ポキッと折れている所を金具?で止める。

1ヶ月入院後、リハビリを2ヶ月の予定。

やはり今までのように歩くことは出来ないので車椅子生活になる。

長期入院になると、通常はホームを一旦退所しなければならない。

又は、ホームの料金を払い続ければ2~3ヶ月?くらいまでは待ってもらえるが、それ以上は無理!ホームも介護料が入らないので運営上厳しくなる。

しかし、今回はホームでの転倒だったので、ホーム側が無料で待ってもらえる事になり有難かった。 

さあ~~て、これからが大変

認知症を発症してから、初めての入院生活。

大丈夫かな~~??

急に歩けなくなったら、どういう反応をするのか不安が尽きなかった。

病院は介護施設ではないので、毎日付き添いが必要になる。ふーー

大きな整形外科病院で、母の病室には認知症患者だけ6人が集められていた。

認知症&骨折患者の集まり

年をとるとは?こういう事なんだ!とつくづく思う。

 

 

 

 

 

 

 


母の帰りたい場所を探す旅

2014年02月04日 | 介護問題

グループホームに入って1年経ても母の「家に帰る」は続いた。

家に連れ帰っても「帰る!」と言うので、まさか?ホームに帰りたい??と思ったら、

ホームに近づくにつれ、とても悲しいそうな顔する。

ホームではない!

では、実家かな??と思って、住まなくなって10年の実家に連れて行った。

すると、しばらくすると「帰る!」

実家でもない!良い思い出がないのか?この家に執着はないようだ。

じゃー自分が生まれ育った家??

もうすでに跡形もないが、風景だけでも懐かしいかも?と思い連れて行った。

でも「帰る!」

結局、母の脳裏に浮かんでいるのは、多分?自分が小さい頃の懐しい風景なんだと思う。

父・母・兄妹たちがいる風景・・・

母は弟3人、妹一人いたが、弟3人は他界している。

最近では子供の名前より、弟達の名前を呼んで「アキラは?」「マサユキは?」と探す。

もうすぐ会えるから、もうしばらく頑張ろうね。

 

 

 

 


認知症の虐待

2014年02月03日 | 介護問題

定期通院の日、物忘れ外来は予約ではあっても診察まで時間がかかるので、母が退屈しないよう売店前の休憩所で”おやつ”を食べながら順番を待っていると、車椅子に叔母あちゃんを乗せた女性と会った。

「ご自分のお母さんですか?」と尋ねられ事をきっかけに、その女性からショッキングな話を効いた。

車椅子のお婆ちゃんはなんと!103歳で、彼女はお姑さん介護を10年以上続けているとのこと。

数年前まで老人ホームへ預けて働いていたが、度々ホームで虐待では?と思うようなアザがあったらしく、ある日行ってみると一目で殴られたとわかる鼻が曲がっていた。

勿論施設側に説明を求めたところ、「嫌なら出て行ってもらっても構わないですよ。うちは順番待ち状態ですから」と、逆ギレされて施設を出されたそうだ。

ひぇ~~怖い~~

その女性は仕事を辞め、自宅介護をすでに7年続けていた。

その反対に、家族の虐待も多いだろう。

母をお泊りで連れ戻り、よく日に連れて帰ると後日連絡がある時がある。

「足にアザがありますが、転ばれましたか?」など・・・

今、振り返れば、あれは家族の虐待の可能性を疑っていたのかな??

施設側も、「昨日少しふらつかれて、テーブルに顔をぶつけてアザができてしまいました。」

と、些細な事も電話してくれる。

母のようなジッとしていない人は、ホームもヒヤヒヤだろう。

これからの日本は高齢者が増え、経済も確実に悪化に向かっている。

そんな中で自宅介護が増え、悪質な施設が増える可能性もあり、高齢者の虐待は益々増えるのではないだろうか??

”安心して、余生を過ごそう”と思うなら、老後の準備は早めに考えるべきだと思う。

 

 


グループホームと有料老人ホームの違い

2014年01月30日 | 介護問題

グループホームと有料老人ホームの違い

グループホームとは、「病気や障がいによって一般的な生活が困難な人たちを、専門のスタッフの支援によって一般の住宅で集団生活するもの」というのが一般的な定義です。その中で高齢者に限って言えば、認知症対応型となる「認知症対応型共同生活介護」を指すことが多くあります。

認知症を患っている高齢者が、専門の介護スタッフの援助を受けながら1つのユニット(5~9人)で共同生活を送るのがグループホーム。

「認知症対応型老人共同生活援助事業」と呼ばれ、入居者の能力に応じてそれぞれが料理や掃除などの役割を分担しながら、自立した生活を送ります。家庭の団らんを楽しみながら、自宅で過ごすのと同じような雰囲気での生活を送れるのが最大の特徴です。


有料老人ホームとは、高齢者が暮らしやすいように配慮した”住まい”に、”食事の提供””介護の提供””洗濯・掃除などの家事、健康管理など日常生活で必要な”サービスが付いた住まい”です。全ての有料老人ホームで入居の条件が一定ではなく、年齢や健康状態により選ぶホームが異なります。


 

私の周りには、有料老人ホームをグループホームと同じだと思っている人が圧倒的に多い

 

母をホームに置いて帰る日に、「面会は最初頻繁に来てほうが良いでしょうか?」「慣れるまでしばらく来ない方が良いでしょうか?」と聞いてみた。

施設の主任の答えは、後者だったので1週間ほど面会へ行かずに電話で様子をみる事に。

その方が私自身も辛くなかったから、内心ホッ

でも、当時の母は足腰しっかりしていたので、「帰る!」「帰る!」と言って、狭い施設内をウロウロとしてスタッフを困らせた。

母が慣れる??イヤ・諦めるまでに1年はかかったと思う(^_^;)

施設長が「普通は3ヶ月くらいで馴れられるのですが、お母さんは中々ですね」

と困った感じで呟いた。

その中でも施設の行事で母が笑っている写真を見ると、私の罪悪感が少し薄れた。

笑っている♡

久しぶりに見る母の笑顔

ホッ♡

 


一人介護と老老介護

2014年01月23日 | 介護問題

最近、私のように結婚しない人が増えている。

友達の子供たちにも多い。親子で楽しく暮らしている。

今は楽しいだろうが・・・

私は親の結婚が遅かったので親の介護は40代後半から始まった。

シングル仲間の友人は、同居している両親共にまだ元気だ!

当然、これから両親の介護・看護が始まる。

老老介護だ・・・

すでに友人は還暦迎えたので、両親の介護は70歳前後になる。

親の介護が終わった時には、自分も介護が必要な年齢

一人で親の介護・しかも自分も60歳以上になると、精神的・肉体的・金銭的に大変!

資金的余裕があれば良いが、無い場合は最悪

介護の実情がわかっていない兄妹は他人より冷たい場合もある。

私の場合は、子供のいない妹夫婦がかなり資金的援助してくれたので助かった。

本当に感謝

援助したくても、子育て中の兄妹には無理である。

友達が私の経験を”結婚しないと決めている娘”に話して欲しいと頼まれる。

今は娘さんと一緒で友達も心強いが、娘さんの将来を心配しているという。

友達は離婚したばかりで、今は親子で生活をエンジョイ中

どの選択が幸福かは誰にもわからないが、自分の選択に後悔しないよう将来の準備を今!すべきだと思う。

日本が成長期の時はどうにかなった。

しかし、確実に低迷期に入るのだから、自分の身は自分で守る時代だ。

と・・言っても、その時にならないと実感が沸かないかな。(^_^;)

 

 


介護慰労金・・雀の涙

2014年01月22日 | 介護問題

昨日、市の広報誌で”介護慰労金手続きのお知らせ”平成25年度受付の掲載があった。

①要介護4、5の要介護高齢者=年額6万円

②要介護2(重度認知症に限る)、要介護3の要介護高齢者=年額3万円

在宅で介護をしている人への慰労金だが、月2500円~5000円

在宅で介護をするという事になると、家族の一人が仕事を辞めなければいけない。

しかも介護は何年続くか?わからない。

最近、雑誌で有名アナウンサーの介護記事を読んだが、在宅介護は社会的にも問題がある事を指摘されていた。

社会的にも家族の家計にも大打撃を与える。

先日出張先で聞いた話では、施設に入れるにもお金がかかる!

在宅で介護するしかないが、仕事にも行かねばならない!

だから、部屋から出れないように鍵をかけ仕事に行くのだという。

これから老後を迎える私たちは、明日は我が身

 


介護する側・される側の人間模様

2014年01月10日 | 介護問題

私は自分の親介護なので、どんなに大変でも・腹がたっても・母と一緒に過ごしてきた過去を思い出しながら、日々耐える事ができた。

しかし、義父・義母介護が一般的には圧倒的に多いから、良い思い出ばかりでない関係から介護する事になったら??・・・精神的に本当に大変だろう

私の父方祖母は30代で亡くなっており、その代わり曾祖母が元気で家を仕切っていた。

長男の嫁として嫁いできた母は、かなり曾祖母に厳しく言われたらしく「私が死んだら絶対に同じ墓に入れてくれるな。あの世に行っても”いびられる”のは嫌だから」と口癖のように言っていた。

その曾祖母も最後にはボケて「うちの嫁は私にご飯を食べさせてくれない・・」と言っていたらしい。母の認知症は一番苦手だった曾祖母に似ているかも。

本人は不本意だろうが・・

当時はまだ”ボケ”と言い世間に認知度が少なかったから、かなり大変だったのだと思う。

母方の祖母は大人しい人で、祖父が亡くなってからずっと一人で暮らしていたが、大腸癌になり入院し、退院後は叔父の家に引き取られた。

退院後直ぐに母と見舞いに行くと「ほらっ、そこに白髪の叔父さんいる」と・・急にボケていた。

持って行った果物を食べさせると「何でも食べさせるとウンチが出て大変だから食べさせないで!」と叔母から言われた言葉を今でも忘れられない。

私はまだ20代前半だったが「うちで引き取ろうよ。婆ちゃん可哀想だよ」と帰りに母に訴えたが、「そんな簡単に連れて行くことはできないんだよ」と言われて悔しかった想いが残る。

祖母はそれから直ぐに亡くなったが、遺体を運んだ直後に祖母の寝ていた部屋を掃除始めた叔母の姿が目に焼きつき今でも離れない。

その当時の母の年齢になった私だが、今ならどうするか?自分で引き取れるか?

悲しいけど、やっぱり無理なのかな??

介護は、一時的な感情や気持ちで出来るものではない事がわかった。

 

 


認知症の症状は性格・生き方に関係する?

2014年01月09日 | 介護問題

認知症になると、いままでと全く違う言動をして家族を驚かせる。

友達の場合は、凄く上品で夫婦仲も良いお母さんが、お父さんへ対しての嫉妬「浮気しているのよ」を口にしたり、物を投げつけたりで家族は驚いた。

また、ボランティアで出会ったお色気たっぷりのお婆ちゃんは、「あの先生がいつも誘うの」と、男性スタッフには笑顔が可愛い

うちの母は、他人の分まで食べるようになった。油断すると隣の食事まで手を伸ばす。

健康な頃は、自分は食べたくても我慢するタイプだったので、その抑制していた理性が制御できなくなるのだろうか?

其々認知症の症状を見ていると、今私たちが言わずに我慢している事や、耐えていることや、抑制している事がドッと出てくる??と想像すると怖い・怖い。

私だったら、どんな症状がでるのだろう? きっと可愛くないだろうな?

予防策として、ストレスためないようにしよう!と思う。

また、英字新聞を読み・ピアノを弾き・公文の計算もスラスラとこなすスーパー婆ちゃんには驚いた。本当に認知症??と疑いたくなるが、「私の家には東郷平八郎やマッカーサーからも手紙がくるの」と言う。

年代的にいって「本当?」と信じてしまいそうな私に、スタッフが”ウソだよ~”の目配せをした。

人間は欲が全て無くなったら死ぬそうだ

食欲・金銭欲・性欲・物欲・・・・

母は今のところ食欲だけが残っている。

 

 


私の介護を変えた詩「手紙~親愛なる子供たちへ」

2014年01月05日 | 介護問題

自宅介護している時に「手紙~親愛なる子供たちへ~」という詩を書いた紙を友達からもらった。

少し汚れた紙に書いてある詩を読んだとき涙が止まらなくなった。

それを綺麗に清書しコピーして、私もまた介護に疲れている友達に渡す事にしている。

今回ブログ投稿する前に、「一体これは誰が書いた?」と改めて疑問になりインターネットで調べてみたら、角川書店から出版されていた。

これを読んでから、私の介護は変わった。


 

手紙~親愛なる子供たちへ~

年老いた私が、ある日 今までの私と違っていたとしても

どうかそのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても 靴紐を結び忘れても

あなたに色んなことを教えたように 見守って欲しい

あなたと話すとき、同じ話を何度も何度も繰り返しても

その結末を どうかさえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は

いつも同じで 私の心を平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと

励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり

お風呂に入るのを嫌がる時には 思い出して欲しい

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて

嫌がるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に

祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱まり 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない

足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったら

あなたが か弱い足で立ち上がろうと 私に助けを求めたように

よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい

あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど

私を理解して支えてくれる 心だけを持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで 私には勇気がわいてくるのです。

あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように

私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと

あなたに対する変わらぬ愛を持って 笑顔で答えたい

私の子供たちへ

愛する子供たちへ


角川書店出版「手紙~親愛なる子供たちへ~」

日々の介護でヘトヘトになり、イライラする時には、この詩を読んで気持ちを落ちつかせた。

そして、母の寝顔を見ると涙が流れる。

なんて!ひどいことを言ったのだろう・・・