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親の介護から自分の老後へ

母の介護には私がいた。自分の老後はさて?さて?どうしたものか?

年末大掃除中に見つけた母との思い出

2018年12月24日 | 自宅介護

大掃除していたら1冊のノートを見つけた。

母が介護初期の頃、私が2~3日留守することになり、

妹が愛知から帰ってきて母の面倒みてもらうことになったようだ。

あまり覚えておらずノートをみて、こんな事があったのか?と懐かしく読んだ。

そのノートには私から妹へ、母との生活をする上での注意点を書いていた。

洗濯

*大事な服、洗わない服は脱衣所に置きっ放しにすると、トイレカバーも一緒に洗濯する。

*洗濯機を終わらないうちに途中で開けるらしく、スイッチ入れ直すので同じ洗濯物が1時間以上廻っているときがあるので注意

*1~2枚でも洗濯するので、洗濯物は洗濯機の前に置かないor水道の元栓を閉める。

*脱いだショーツや汚れたズボンをタンスへ入れるので時々チェックする

風呂

*もし温泉など公共施設へ行ったら、髪・身体を洗ってあげる。自分で洗うと、隣の人にお湯をかけて迷惑になります。

台所

*食器は同じ場所に収納できないのでバラバラになっている。

*魚焼きグリルは、火の止め忘れで危険なのでストッパーで止めています。

食べ物

*菓子類は目の前に置くと、食べ過ぎるので隠しててください。

その他

*メガネなど、そこらへんに置いておくと直ぐに片付けてしまうので探すのが大変ですから、枕元へ置いてください。

など・・・・

今となれば懐かしいな~~

妹からは、少しは私の大変さを理解してくれたようですが、母も私への愚痴を聞いてもらってスッキリしたのだと思う。

在宅介護はお互い息抜きが必要だが、それが出来ない現状があると思う。

 

 

 


自宅介護は、親子関係の集大成!?

2014年05月26日 | 自宅介護

最近は”嫁が舅・姑を看て当たり前”の時代は終わっている

でも、時々?舅・姑にとって”理想的なお嫁さん”に出会う(注:外から見ただけの感想)

息子をもつ親にとって、一番の親孝行はこの”理想的なお嫁さん”と結婚してくれた事だろう。

私の親戚にも”理想的なお嫁さん”だな、と思う人がいて、舅さんと息子二人の家族5人暮らしだが、引きこもりな舅と思春期の子供とのトラブルを遊びに行った時に目撃した。

「大変だね~」と言うと、彼女曰く「自分も親が介護している姿をずっと見て育ったので、あまり大変だと思わない。かえって、子供達に”人間が年をとっていく現実を見せる事ができるから良いと思う」との素晴らしい答えだった。

先日も、特養の前で最近お姑さん94歳が入所したという女性と話をした。

「自宅介護14年で、やっと今年2月に入る事が出来たけど、最初の頃はお義母さんがいないと寂しくて毎日通ったんです。最近は3~4日おきにして、寝たきりのお義母さんですが月1回は自宅へ連れ帰ります。自宅に帰るのを楽しみにしているみたいなんです。」との事。

楽しそうにお話されるので、実母?と思ったがお姑さんらしい。

ご主人は奥さんへ任せっきりで会いに行かないので、お嫁さんの顔はわかっても、息子さんの事はわからないみたい。

「お姑さんはお幸せですね」と言うと、「主人の親だから出来るのかもしれない」との答え

介護する側&介護される側も、長期間育んだお互いの人間関係の集大成。

自宅介護しか道がない時代背景を考えると、お嫁さんとの人間関係を早くから作っておいた方が良いのかも?

但し、お嫁さんの性格にもよるので、孫に沢山小遣い上げる前に、将来を見据えて快適な施設へ入所するお金を貯めておくのも一計だと思う。

「自分の老後は、お早めに自分達で計画たてましょう!」・・by日本国!てかっ?

 

 

 


ウンチ事件

2014年02月05日 | 自宅介護

母は認知症発症前から便秘がちで、1週間便秘は当たり前だった。

でもホームでは3日出ないと大騒ぎ

病院へ下剤と座薬の処方を頼んで欲しいと言われ、かかりつけの先生へお願いした。

最初は緩やかな下剤だったが、それでもスッキリ出ないからと、強めの下剤を処方して欲しいとのこと。

みるみる母の体重は激減した。

確かに便秘は良くないと思うが?・・・・

そんな中、いつものお泊りで連れ戻った冬日、その前に下剤?座薬?を服用したいたらしい。

夜中にトイレに行きたいというので、トイレへ連れて行き便座に座る直前にドバーー

オーーどうしようーどうしようーとオタオタ

トイレはウンチまみれパニック

どうにかお風呂へ連れて行き、下半身を洗って紙パンツを履かせようとすると断固拒否

私のパニックに驚いて怒られていると思ったらしい。

寒い日だったのでどうにか早く履かせようと思い、家中追いかけると更にムキになって逃げる

下半身は裸のまま、私に近づこうとしない。

怒ったりなだめたりしているうちに疲れてしまい、私はホットカーペットに寝てしまった。

朝目覚めて起きると、母が下半身裸そのままの状態で、私から少し離れた場所に寝ているのを見て、可哀想な事をしたと泣けてきた。

冬だったので、寒かったろうと思う。

でも、本当に介護の難しさを痛感した。

自宅介護している人は、こんな事は日常茶飯事だろう。

 

 

 

 


グループホーム入所の決断はしたものの・・・

2014年01月26日 | 自宅介護

”母をグループホームへ預ける”

決断はしたものの、中々次の行動に踏み切れなかった。

母は内臓的に元気!見た目も元気!足腰も元気!口も達者!な認知症

そんな母をグループホームへ預ける罪悪感・・

姉妹の意見は賛否両論

「仕方ないよね・・」「可哀想・・」

そんな時に、義母を介護中の友達に相談したところ、

「お母さんは84歳まで充分生きてこられたんだよ。介護はいつまで続くかわからないから、貴女の人生はどうするの?自分の人生の為に生きるべきだよ。教員をしていた友達が両親を介護する為に仕事を辞め、2人を立派に看取り終わった時、彼女はすでに60歳を超えていた。その後仕事もなく、清掃の仕事をしていたが体調を崩し亡くなった。貴女もそんな人生になるよ」と、アドバイスしてくれた。

アドバイスしてくれた友達自身も、義母に長い人生を尽くし体調を崩していた。

友だちのアドバイスを受け、やっと担当のケアマネージャーへ電話をかける行動に移せた。

誰かが背中を押してくれないと”自分の親を他人へ預ける”ことなど出来ない。

 

 

 


経験した人しか!わからない認知症介護・本当の実態

2014年01月07日 | 自宅介護

昨年9月、この判決を下した裁判官達は、認知症の実態を知らなすぎる

この判決は絶対に間違っている

家族の責任、どこまで 徘徊中、線路に…遺族に賠償命令

 

家を出て徘徊(はいかい)していた認知症の男性が線路内に入り、列車にはねられて亡くなった。この男性の遺族に対し、「事故を防止する責任があった」として、約720万円を鉄道会社に支払うよう命じる判決が出された。認知症の人を支える家族の責任を重くみた裁判所の判断。関係者には懸念の声が広がっている。


子供と違って、認知症の人は歩いてきた人生の経験と知恵が、ある部分生きているのだと思う。

だから、家族の隙を見て行動する。普通の病気と違ってピンピン動けるのだ。

束縛されたくない!という意志もあるように思う。

母も、見ている時はしない事を、後ろを向いた途端に何かやる!

食器を洗っているとき、母が「ウッ!」と言ったので後ろを振り向くと、消毒液を飲んでいた。

あれっ?仏壇の花(胡椒花)食べた跡がある?

悪化すると食べ物以外でも口に入れた。

外出しても私がトイレ入っている間にいなくなるから一緒に入る。

行動が素早く、絶対に相手の隙をみてやっていると思う。

自宅で動ける認知症を看るには、介護施設のような空間にしないと全てが危険である。

母はグループホームでも、玄関の3つの鍵を強引にこじ開けて壊した。

しかも、力が強い!

更に、夜も寝ない!

更に、更に、老老介護!

家族は介護疲れでボロボロになる。

そんな認知症でも、家族がいれば自宅介護が当然であるというのが国の方針だ。

どうせ国家予算がないからだろうが・・・

母の介護をしながら、自分の老後を考えると本当に恐ろしくなる。

税金が諸々上がっても、福祉が良くなる訳では絶対にない!

 

 

 

 

 

 

 


アリセプトとの相性

2014年01月06日 | 自宅介護

自宅介護の時、母は近くの脳神経外科に通っていた。

その当時は今のように「認知症」情報が少なく、母の毎日の行動がおかしくなっていくのに

私の不安・イライラでストレスがMAXになっていた。

認知症介護初心者で誰も相談する相手がいないから、お医者さんに何かアドバイスを求めたいところであるが、先生の義母も認知症で施設へ入っているとのこと。

「もう認知症は仕方ないんだ」という諦めモードが先生から伝わる。

行動や会話を聞けば誰が見ても認知症とわかるようになってから

「お母さんは、違う世界へ行かれてしまいましたね~~」と、病名を告げる訳ではない先生の言葉が記憶に残っている。

でも、その言葉を聞いたとき「そうか!違う世界にいるのか??」と変に納得した。

先生は”薬を無駄に沢山処方しないタイプ”だが、

看護士の妹から「今、認知症に効くアリセプトという凄くいい薬があるから先生に聞いてみて」と言われ、先生に相談したところ、あまり気ノリしない様子だったが??渋々の様子で処方された。

その後、”物忘れ外来”というわかりやすいネーミングがある大きな病院へ転院したのだが、

アリセプト飲むようになってから短気になり怒りやすく、診察の順番を長く待つことも一苦労だった。

一人一人をゆっくり診察される先生なので待ち時間がとても長い

その内、母は「帰る!帰る!」とヘソを曲げて出口に向かう

どうにか売店でジュースやお菓子を買って気を紛らわせるが、

やっと順番がきて名前呼ばれても「嫌だ!帰る!」と言って駄々をこね診察室まで行かない

仕方なく看護士さんへ相談したら、先生が廊下にきて「ここで診察しましょう(^_^;)

その日は整形外科の診察もあったので、2人の先生に廊下で診察して頂いた

結果的に、母には”アリセプト”が合わなかったのだ。

アリセプトの服用を止めてから以前より落ち着いてきた。

振り返れば、この時期にもっと「認知症」について私自身が学んでおくべきだったと反省する。

 


ディサービス挑戦は2回目で成功!

2014年01月03日 | 自宅介護

認知症が進むにつれて、母との喧嘩が耐えなくなった。

2回の行方不明事件後には、「これから、後悔しないようにもっと大事にしよう」と思ったのに・・

介護だけが大変訳ではなく、一人で生活を支えている身では仕事の問題もあり、金銭的な問題や将来の不安もあるから、自分自身に気持ちの余裕がない事も原因だった。

「母の認知症が重くなったのは、姉ちゃんが怒るせいだよ」と、妹たちから言われ更に落ち込む。

その頃は認知症に対する知識がなかったので、今思い返すと本人が一番不安な時に追い討ちをかけたのかも?と反省する。

このままでは駄目!!よし、ディサービスを利用して、少し2人の距離を離さねば!

しかし、案の上「そんな所には全体に行かん」やっぱり・・・

それは、”老人ホームへそのまま入れられる?”という心配があっての抵抗。

「大丈夫!夕方には家に帰ってこれるから」と宥めてやっと近くの施設に入ったが、3日目の朝は「絶対に行かない!」と、あえなく脱落施設が田舎にあるほど、昔からの顔見知りの人が多くて仲間に入れなかったのだと思う。

1年後、今度は大きな施設にチャレンジ!

2回目だったので今回は抵抗少なく、3つの大病院経営ディサービスへ見学に連れて行った。

「どこにする?」と聞くと、最後の施設が良いと言うのでそこに決めた。

今回は大成功で、朝からお迎え待って楽しみに出掛けて行く姿を見て「ホッ

月・水・金の朝10時から夕方4時まで、少し自分自身の時間が作れた。

介護はその時々を、気分転換しながら、無理しない、頑張り過ぎないこと!と、少しづつコツが掴めてきた気がしていた。

 

 

 

 

 

 


今だから笑える面白い事件

2014年01月02日 | 自宅介護

お正月初笑い

今だから笑える母の面白い事件

干し柿事件

初めて干し柿に挑戦して数日後、柿を吊るした紐だけ残っていた

「柿食べた?」と聞くと、「食べるわけない!知らない!

しかし、鳥が食べたら残骸が残っているはず・・・

仏壇のロウソク事件

毎日仏壇にロウソクをたて、線香に火をつけるので、火事が心配になりライターを隠した。

単純に火をつける事を諦めてくれるかな?と思っていたら、ロウソクを持ち台所へ行きガスで火をつけて仏壇の部屋まで持ってきた!危な~~

仕方がないので、ロウソクごと隠した。

散歩事件?

まだ認知症初期の頃は一人で近所の散歩へ行けた。

しかし、帰ってくると必ず大根やゴボウなど野菜を手に持って帰る。

「どうしたの?」と聞くと、「??誰かがくれた」

未だにもらった人が誰なのか?わからない。

パチパチ事件(番外編:友達から聞いた話)

友達のお母さんも認知症で、孫が買っていた”おやつ”を見つけ出して食べるらしい。

その日は、食べるとパチパチ音が出る綿菓子みたいな駄菓子が無くなったので、「おばあちゃん!また食べたでしょ??」と聞くと、「食べてない!」と言っている口の中から”パチパチ・パチパチ”と音が聞こえてきた、という落語のネタに使えそうな笑い話

母の時代は、若い時から身体を使って仕事しているから、足腰が丈夫で握力もあり、そして何より根性がある!

今だから笑って話せるけど、その当時は

認知症は、怒ること、強要すること、不安にさせること、仕事をさせないこと、が一番悪いらしい。

今振り返ると、全てやってきた気がする。

 

 

 

 

 


多くの人に助けられて生きている!

2014年01月01日 | 自宅介護

2014年New\(*^▽^*)/Year

妹家族と母の施設でお正月を祝う

                

        妹家族全員で、お正月飾りと手書きの絵:ありがとう

          

姪っ子達が、部屋にお正月の飾り付けを手作りでしてくれて、母の分まで嬉しかった

私一人だと寂しいけど、こんな時は家族が多いから有り難い

殆どの入所者が家に帰らず、施設でお正月を迎えていた。

お正月休みのスタッフも多いらしく、通常よりスタッフの数が少ない。

先月から300人待機待ちの特別養護老人ホームへ運良く入る事ができたが、ここまでには色々な事があり、やっと落ち着いたお正月を迎える事ができた。

7年前に戻ると、

母が認知症初期の頃、次第に落ち着きがなくなり、喜怒哀楽も激しくなっていた。

大きな事件は、徘徊で警察に2回お世話になったこと。

まだ、私が認知症についての意識が低かったので、車に母を置いて「ちょっと待っててね」と言って15分くらい離れてしまった。

車に戻った時にはいなくて、2時間探しても見つからなかったので警察へお願いした。

1回目はタクシーの運転手さんが、行動が変だと気づいてくれて車に乗せ、その当時は住所が言えたので家まで連れ帰ってくれた。

2回目は家から3時間離れた街のスーパーで見失ってしまい、夕方の小雨降る12月寒い日で深夜になっても見つからなかった。

今頃、一人知らない街の暗闇をさまよっているのかと思うと、自分の認識の甘さを後悔して涙が止まらなかった。

結局、警察から午前3時頃見つかったと連絡があり急いで駆けつけると、母は悠然と足を組み警察の人と笑って話をしていた。

私たちの顔を見ると「どうしたの?」と平気そうな顔で笑っていた。

でも、その姿は靴が片方脱げて裸足、どこかでオシッコしたのか?ズボンは裏返しになり、途中コケて顔を擦りむいていた。

警察の話では、何軒かの家を訪ねて「上山さんですか?」と聞いて回ったらしい。

上山さんは私の友達で、いつも一緒に遊びに行っていたお宅の事で、知らない土地にいるという認識はあったのだと思う。

最後の家の人が”おかしい”と思って、家に引き留めてくれ警察に通報して頂いたお陰で無事見つける事ができて、本当に感謝で有難かった。

2回とも本当に心細かったと思うが、それでも「私は大丈夫!」という虚勢とプライドを持っていた気がする。

1回目、タクシーの運転手さんが声をかけた時も、「大丈夫です」と断って、3回目でようやく車に乗ったそうだ。

今!思い返しても、心が痛くなる出来事だった。

 

 

 

 

 

 


認知症は忍び足で近づいてくる!

2013年12月30日 | 自宅介護

認知症は、これ!といった兆候もなく、ゆっくりと忍び寄り
「これ!認知症??」と明確に家族が認知する頃は、かなり進行している頃だと思う。

母の初期は、
料理が変?「ん??味噌汁に魚と肉が入ってる
片付けが変?「食器を元の位置に戻すことが出来ない
など些細な事から始まった。
でも、私には認知症という意識や知識がなかったので、「ボケたね!」と怒ったり、
イライラしたり、この頃が一番母にキツく当り散らしていた。

今まで出来ていた事が、嘘のように出来なくなる。
私がそれを詰ったり、怒ったりすることで、本人は更に萎縮していたのだと思う。

私が決定的に母の認知症を自覚した出来事があった。
近所の叔母ちゃんが亡くなり、お通夜の席で遺族に挨拶に行った時の事。
母が「今日はどなたが亡くなったのですか?」と一言・・・
「こりゃ~~やっぱり認知症だ~~(^_^;)」と思ったが、今後どういう状況が訪れるのか?この時は想像もつかなかった。

とにかく家族が認知症と向き合うにはどうしたら良いのか?情報が欲しかった。
その当時パソコンを持たなかったが、今はインターネットで多くの情報が得る事ができる。
便利な世の中だ!
しかし、インターネットを高齢者が見る事は少ないので、高齢者対象の情報も少ない。

試行錯誤しながら、この7年母と向き合ってきたけど、このブログは反省と後悔の記録だ。
母の介護をやり直す事は出来ないが、これから介護に直面する人へ少しでも参考になればと思う。
母は来年8月で90歳!
残りの人生で、どのくらい母の笑顔が見れるのか?
どうすれば?笑顔になってくれるのか?
それが私の楽しみであり、生きがいでもある。

老いと向き合う事は、自分の為でもあるのだから。