∞開運ひとりごと♪~強運人生一本道∞ ☆(・∀・)!

人の中にはすべてがある。求めよ、されば与えられん
ブログには気づきがある。
私という世界でたった一つの物語

はんにゃ6

2011-08-24 | 生き方の哲学

ようやく準備ができました。^^

無無明から苦境涅槃まで行います。


もうすぐ終わります。 こうして何かを終えたことで新たなる扉をまた開くことに成るのでしょう。

無無明、否定の否定。迷いさえも断ち切るもの。焼き切ってしまうものです。

暗闇のない次元世界、大きなときにチャンスを生かすためには普段からの日常で判断することなのであります。小さな判断を繰り返していくうちに大きな判断を的確に行うことができる。

暗闇は迷いではなく光明の反対であるだけです。

恐れているものがあるならば、それを味わうことで二度と味わうことができない扉をひらくことになります。彩りは豊かに浸ります。何度も何度も問い掛けてゆくことでカギは開かれてゆきます。

暗闇を恐れる者は光に照らされることはない。では二度とこない青春のように一度失ってしまったら、すでにないのでしょうか?いやあるのです。

光明の世界に生きるものそれが人の本来の姿であります。

光明尽きることのない世界でい続ける私たちは仮住まいの生物を得て、信じられない中で愛を育むのです。確かなものなどない世界の中で右往左往していくことでクローズされたハートは開かれてゆきます。あなたが遠く離れないように繋がっていることを感じることがキーワードです。

いかにあなたの頭上に雲が覆うことがあろうとも、光はあなたを照らしているのです。
朝がきても夜がきてもあなたは変わらずに光を受けているのです。

真っ青な空でなければ太陽の恩恵を受けることの証明がなされないのは人間の視覚に関しての証明を求める浅ましい心であります。あなたは五感に感じられなくともいますでに受けているのであります。あなたがすることは受けているという事実を受け止め愛を信じることです。

公害とは人間の意志と行動によって作り出された一人一人の心の想念でありまして、正しい生き方でその曇りを消すことができます。

公害的人間になることを止めることができなければそれでいいのです。自分はこのような存在だということを認識しつつ受け入れることから変革をもたらすことができるからです。

いますぐにできないことをどうしてできるでしょうか。ゆったりと構えていきましょう。

空の世界は以前にも書きましたが、その場所に住む者達の心の雰囲気を調和して精妙にして、遮るものがありません。あなたの行動如何ではそのような磁場を作り出すことは可能ということであります。

人間は生きる電磁石でありますから、その磁場を変えるのはその方向性だけであります。

夏の太陽のように燃えているこの心を永遠に燃やしつづけることができます。モチベーションなどと意識せずとも紅く燃え滾る血潮が我々の中にあるのであります。

光明が満ち満ち、光明の尽きることのない無限力が存在している空の世界が死することもなく、老いることもありません。

不変のものを変えようなどと考える必要はありません。元からあなたはあなたですから。
あなたは元のあなたに戻るだけでいいのです。

巣に帰る。

人々の心と心に反応します。光の粒子はちりちりばらばらになって拡散されたものが集ってまたひとつの銀河の母なる宇宙に還っていくのです。

その母船に還りつつ辿り着く場所はあなたが求めてやまない場所だった。

そう、すべては心の調和。やさしくやさしくもとの神に成り成りて行くのです。
終わりのない愛の経験をまた積んでいくのです。色褪せた物語は巻物となり宇宙に収まります。天子の羽に乗ってゆったりと、赤子のゆりかごに乗って次々に調べが聞こえる

 正しく 見よ

 正しく 思え

 正しく 語れ

 正しく 仕事を

 正しく 生活せよ

 正しく 道に精進せよ

 正しく 念じよ

 正しく 定めよ


塵や垢に包まれることのない清浄なる心。歪んだ心のフィルターを通すこともない赤き心。
また彼方から声が聞こえる。

「弦の音は 強すぎれば糸は切れ
 
 弦の音は 弱すぎては音色が悪い

 弦の音は 中程に締めて音色が良い

 弦に合わせて 踊れよ踊れ

 みんな揃って 踊れよ踊れ」

朝霧の甘い声は偏りのない中道を説く


苦しみの原因となるものを洗い流す
過ぎた日々を取り戻すことはできない。

意識の段階が高まれば高まるほどに苦しみの原因を集めて滅することもなくなる姿

子々孫々の境涯、教育、思想、習慣によって人生が変わる。

五感のフィルターが感情を通し物事を感知する。心の中にもやを作り、曇りを作る。

盲目の人生は正しい心の物差しを失う。

☆覚めることない 夢に漂う浮雲の 集めて滅私 神の業なり

知恵を深めよ人よ。実践から始まる業なり


宇宙即我と自覚するものは自らが太陽となる。

所得するものがなくなる。

傷つくことに恐れる必要もない。

幸せ求める心も持たず

信じる知恵もいらない。

ただ内在されているものが神、慈悲、愛の知恵が溢れてくる菩提神

ただただ心の広さが広大無辺の大慈悲の熱を生み出しつづける。


信仰とは、神仏を拝むことでもなく、お経を上げることでもない。他人に嘘はつけても自分の心に嘘はつけぬ。

「嘘をつけない自分の心に忠実なこと、信じること、これこそが信仰だ」


欠けたるものを埋めるようにして飾り立てる人の心は虚しい月を連想させる。


ああ、宴は今夜も始まる。心の灯火は泡の如し

空にたおやかにゆるやかに白く写す鏡の月影

小さく眠る姿が愛しくて丸まって囲んでつついて

掛け直したら暗闇に煌々と照る月に見惚

生きるが一夜の夢ならば果て無き思いをさめざめと

うつけるがよし


月のことを考えるとどうしても心が弱くなる。月は感傷的になる以外に幻想を持って心が拡大する魔力のような存在と感じる。美しければ美しいほどに脆いように、なぜか情緒に訴える。
この世の現界ではこれは私のものと特定することができる。しかし色界では特定することもない。ここは自分の領土だと主張することもない。いまだけ○○と自在に変化する。

固執する姿からは何も生み出すことができない。どうしても手放すことができないならば、こだわり尽くした世界を表すことだ。その先には解放が待っている。肉体のみを持って他は何もなくなる。

より豊かな広い心の進化を作り出して、この世の世界を調和された環境に完成させるための協力を、いつも惜しみなく与えている。

この慈悲や愛について受け取ろうと心を開くが誠の気持ち

私たちは見えている目に感謝したことがあるでしょうか。私たちは見えている世界を当たり前だと思ってはいないでしょうか。反面した教えてくれる存在に対して理解を示してはいないでしょうか。他人が教えてくれる傲慢が自身の傲慢を理解する。そのようなものたちから得られる感謝を学べば暖かな愛の波動を身にまとうことができる。お金で割り切った行為に我慢するのではない。無償の世界。割り切った笑顔もない。

感謝がなければしてあげたいという報恩の心もなくなる。自分しか見えないので、自分の気に入らないことにものすごく腹を立て怒り狂う。視野が狭いために度量も小さい。

誤った自我の粗悪で固定観念に苦しめられた狭い識を生産している。誤った自我の思想が、人々の心を惑わしている。


自らの希望によって、その縁によって、私たちが作り出されている。その環境の中で相互の関係をよく理解し、信頼を持って生活することが大切。


偽りの心を捨てて自分の果たすべきものをすっかりと果たしてしまおう。

より自愛に満ちた人々と心の交流をはかり、貧しい人々に愛の手を差し伸べる。

丸くて豊かな人格が本来の心の広さです。

いかに社会的地位が高く、学識豊かで経済力が優れても自らの欲望に足ることを知らないものたちは貧しい心の持ち主であります。そのようなものと結ばれれば当然地獄を見るのは必至。

心の中に黒い雲を作り暗い心を包み、感情や理性に歪みを作り、偉大な神の光をさえぎってしまうとそのような状態になったり、そのような人々にご縁が作られてしまいます。

心は地獄を通じ、安らぎを放棄した哀れな隣人です。

たとえ財産がなかろうと、地位がなかろうと生活に足ることを知り、友達に信頼され、心にひっかかりがなく、他人の面倒をよく見、家庭にもお互いの信頼を築いた人は平和で、不満をかかえたりはしませし、心が豊かなので自然と災いはやがて雲散霧消してしまいます。

心の中に恨み、そしり、怒り、自己存在の心がないため、光明に包まれています。

常に心は光の天使たちの世界に通じているんです。
慈愛に富み偽りがありません。

所得によって、心の貧富を判断してはなりませぬ。

「しん、むけげ、むけげ、むうくふ」
とは心にひっかかりがない。ひっかかりがないから恐怖心もない。という意味です。
心の苦しみの原因を作らないからひっかかりがないのです。心の窓が開かれた人は何のこだわりもなく、豊かで恐れることはないのです。

「おんりーいっさいてんどうむそう くきょうねはん」

一切の夢のようなてんどうした考え方を、遠くに離して、つまるところは最終的な悟りに入るという意味ですが、心の眼でとらえた世界に生きていくことをあらわしています。

その光の世界の中で光明が燦然と輝いています。その光に包まれた人は安らぎの心を持ち、一切の執着心から離れていること

体の健康は体液循環、血液循環が健康のバロメーターになりますが、気功の世界でも気が全身に回った状態が良い状態です。循環するためにはまわすだけの気が必要になります。

その循環のエネルギーに歯止めをかけるのが、不調和な心の態度なのであります。
不調和であるがゆえに循環を阻害してしまいます。心に何のひっかかりがなく、一切の恐怖心なく、ただ光明ある執着のない悟りの世界が私たちに教えてくれているのです。

つづく

次回は最終回になります。

さんぜしょぶつからはんにゃしんぎょうで締めくくります。






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