∞開運ひとりごと♪~強運人生一本道∞ ☆(・∀・)!

人の中にはすべてがある。求めよ、されば与えられん
ブログには気づきがある。
私という世界でたった一つの物語

最終回 PART4

2009-07-24 | 生き方の哲学
私がもし味方になってあげたい人がいるとすると、それは強い人ではなく弱い人であります。弱い人をこそ励ましてあげたい。強い人は勝手に生きていけばいいのだからね。
弱い心をこそ助けたい。弱い方から助けてあげていかないとね。

そして焦りの点で一言。
周りの人と同じように普通になりたい。という強い願望があり、自分の概念の「普通」という世界はものすごい理想の世界なのであります。それが唯一の弱点ではないかと考えたのです。普通一般平均になろうとする必要がどこにあるんだろうか。自分になることが大切なのに、何を俺は見失っていたのだろうかと。高い所のものは自分の行くべき場所ではない。少なくとも行ける可能性が仮にあったとしても、今は行くべき所ではないということです。

それは成功者としての自分の理想の姿でイメージを強烈に作っている自分と今の自分とのギャップを埋めて改善すること。同化させる事。
理想の姿てのはほんとうのあなたの姿ではない。

あなたは成功するために生まれてきました。それは真実です。ですが、あなたの成功イメージが自分の今のイメージの境界線を越えて、遠ざかれば遠ざかるほどに自分をいじめていじめて苦しめて締め上げます。しあわせというものはそういうギャップを埋めて調和された姿そのものなのです。

もしわたしのような人間でも社会に需要があるのならば人間として生まれて来た理由は大きく見つかってしあわせに生きて行けます。そのためには先ほどの修正が必要になる。

価値のない人間なんてひとりもいない。価値があるからこそ生きていることができる。いのちを与えられて懸命に生きて、どんなに苦しくても少しでも改善できることがあるならば、それはすごく大きな喜びなのであります。少しのしあわせほど魂がよろこぶことはありません。その小さなしあわせを大きく大きく拡大して生きる姿勢って美しい。かっこいい。



完璧主義者などは芸術家に多いような気がします。
完璧に描きたい。思っているものと違うものが出来上がり。それに不満になる。それがまさにストレス状態ってなわけです。自由にそれを表現出来るようになるまで鍛錬に鍛錬を重ね技巧を工夫してどこまでも自分を追いつめていきます。煮詰めて煮詰めてこれだ!(調和がとれるまで)というものができあがるまで、納得がいくまで何度も何度も挑戦するのです。飽くなき戦い。「静からなる動」ひとつのものにこだわりこだわり続けて思いつづけて究極の真理を求めていく。それがいつ見つかるのかわからない。でも見つかるまで探し続ける。自分を問い続ける。問い続けて問い続けて答えが出なくても発し続ける。

なぜ私はこれをしているのか?したいからしているんじゃないか。という自問自答。
目覚めよ。目覚めてくれ。もし眠っているものがあるんだったら目覚めてくれ~ってもう絶叫ですよ。魂の叫びがあの奇抜な絵の表現だったりしますね。ムンクみたいな…

これってありえないですよね。世の中に完璧なものが出せるならば苦しいわけない。
完璧であろうと思うが、完璧なものを偶然みつけちゃったというのが完璧なものかも。

人間の努力が99%、真実はたった1% 

努力って言葉はあんまり好きじゃない。興味だな。探究心だな。向学心だな。
知りたいっていうか体験したいんだな。味わいたいということ。


人生は思っている以上に複雑だと思う事はあります。

けどね、以外に単純だったりするんですよ。

単純に素直に考えて素直に実行できるひとがしあわせだったりね。

きっと将来世界で初めての人間になることでしょう。

思うのは勝手ですから。

究極の真理をなぜ私は追い求めるのか。そうせざるを得ないぐらい求めているから、求め得たものを伝えたいから探しているんだ。そうじゃないのか。
ただ自分のしたいことにもし制約がないとするならば真実はその中にはきっとない。

それだけはわかった。




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