先週の『魔笛』に続いて、この週末はロイヤル・アルバート・ホールで『蝶々夫人』を見てきました。
日本でイタリア語やドイツ語のオペラを日本語で上演することがあるように、
この『蝶々夫人』の歌詞は本来のイタリア語ではなく英語。
英語圏の国ならではということもあって、
昨年の6月にチケットを予約して楽しみにいてた作品でした。
ホール内に人工的に作られた美しいウォーター・ガーデン
(オペラ後半には池の水は排水され、枯山水に)
この広いホールと360度見渡せる舞台のためか、マイクとスピーカーを通しての上演でした。
時にはスモークがたかれ、照明も鮮やか、歌詞も英語のためか、
「ミュージカル?」と錯覚してしまいそうになることもしばしば。
しかも、ビブラートが強くなると私のリスニング力では歌詞が全く聴きとれませんでした
それでも、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラの演奏は、
悲劇的で甘く切ないプッチーニ音楽の表情をよくとらえていて大変美しいものでした。
蝶々さん役は、日本人女性2人と韓国人女性が交代で演じているそうですが、
(日本人向け新聞にお二人のインタビュー記事が掲載されていました)
私達の時は韓国人の方でした。
今回、どの出演者もとても素晴らしかったのですが、一つ贅沢を言ってしまうと、
蝶々さんだけは可愛らしさやひたむきさ、こみ上げる怒りなどの感情が過剰に表現されすぎていて、
表情や振る舞いが滑稽(悪く言えば下品)に見えてしまうのが少々残念でした。
蝶々さんの舞台は日本、オペラは西洋、
その両方の心得を持ち合わせていないと難しい役なんですね。
ただ、下女スズキはアメリカ人女性が演じていましたが、
こちらは仕草や所作が日本人そのもので蝶々さんとは対照的でした
舞台上には、歌わずにひっそりと、そしてもくもくと演技を続ける役者さん達がいたり、
日本をよく考察した上で作り上げている衣装や派手な舞台演出は、オペラという枠を超え、
「マダム・バタフライ スペクタキュラー・ショー」といった雰囲気でした
日本でイタリア語やドイツ語のオペラを日本語で上演することがあるように、
この『蝶々夫人』の歌詞は本来のイタリア語ではなく英語。
英語圏の国ならではということもあって、
昨年の6月にチケットを予約して楽しみにいてた作品でした。
ホール内に人工的に作られた美しいウォーター・ガーデン
(オペラ後半には池の水は排水され、枯山水に)
この広いホールと360度見渡せる舞台のためか、マイクとスピーカーを通しての上演でした。
時にはスモークがたかれ、照明も鮮やか、歌詞も英語のためか、
「ミュージカル?」と錯覚してしまいそうになることもしばしば。
しかも、ビブラートが強くなると私のリスニング力では歌詞が全く聴きとれませんでした
それでも、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラの演奏は、
悲劇的で甘く切ないプッチーニ音楽の表情をよくとらえていて大変美しいものでした。
蝶々さん役は、日本人女性2人と韓国人女性が交代で演じているそうですが、
(日本人向け新聞にお二人のインタビュー記事が掲載されていました)
私達の時は韓国人の方でした。
今回、どの出演者もとても素晴らしかったのですが、一つ贅沢を言ってしまうと、
蝶々さんだけは可愛らしさやひたむきさ、こみ上げる怒りなどの感情が過剰に表現されすぎていて、
表情や振る舞いが滑稽(悪く言えば下品)に見えてしまうのが少々残念でした。
蝶々さんの舞台は日本、オペラは西洋、
その両方の心得を持ち合わせていないと難しい役なんですね。
ただ、下女スズキはアメリカ人女性が演じていましたが、
こちらは仕草や所作が日本人そのもので蝶々さんとは対照的でした
舞台上には、歌わずにひっそりと、そしてもくもくと演技を続ける役者さん達がいたり、
日本をよく考察した上で作り上げている衣装や派手な舞台演出は、オペラという枠を超え、
「マダム・バタフライ スペクタキュラー・ショー」といった雰囲気でした