3月11日14時45分頃、三陸沖を震源とするマグニチュード(M)8.8の大きな地震がありました。
現在は、9.0に上方修正され、これは、観測史上世界4番目の規模とのこと。
被災地の方とは比べるのも申し訳ないくらい少しですが、私の生活にも影響がありました。
電車が止まり、その日中の運行再開は難しいとの事で、皆、会社に泊まるか歩いて帰るかの
選択に迫られました。次の日が土曜日との事もあり、多くの人が何キロもの距離を歩いて帰宅
する事を選びました。私も職場から2時間強。同じ方面の上司や同僚と一緒に帰りました。
帰って、エレベーターに乗ろうとすると近所の方たちが。
家の中もかなりの被害にあっているとの事でした。上層階に行けば行くほど被害も大きいと。
私の住む10階の廊下を見上げてみると、窓が割れていました。覚悟して家のドアを開けてみると、
想像以上の見たこともない光景が広がっていました。
玄関近くの小物や姿見が倒れ、冷蔵庫も廊下のど真ん中まで動いていて、中に入るのも一苦労。
冷凍庫の中身も出て、廊下は水浸し。キッチンもメチャメチャでした。
部屋に入ると、棚もテレビも倒れ、割れた食器が散乱していて、足の踏み場がありません。
当日、旦那さんは職場待機との事で、近所の方々と避難所へ泊まる事にしました。余震を
恐れながら、必要最低限の荷物と毛布を持って避難所へ。思うように電話も通じず、不安な
夜を過ごしましたが、明日になれば家に帰れる。ガスは、止まっていましたが、電気も水道も
きちんと使える。と言う事がとてもありがたく、励みにもなり、夜中中流れているテレビの報道を
観ながら被災地の方々を思い、胸が傷くなりました。
朝を迎え、旦那さんを待ちながら、出きる所からお片付。
今後のためにも、他人事ではないと忘れないためにも、画像を残しておきます。

普段使いの気に入っていた食器は割れてしまったけれど、幸いな事に、電化製品の故障や、
家具の破損はなく、ふたりで1日頑張って片付けを終わらせたら、通常の生活に戻る事が
できました。
心配してくれる父母や姉、会社の方からも、何度も力強い言葉をもらい、助けられました。
そして、夕食は
弟が、名古屋に転勤した頃から「いつか送るね!」と言われ続けた台湾ラーメン。
予期せぬタイミングで、土曜日の朝に到着しました。
辛いけど美味しい~。そして元気がでる!作る気もおきないし、コンビニにもほとんど商品
が無い中で、本当に助かりました。弟からしたら、全くそんな気なかったのにね。
どうもありがとう。

硬いところで寝たからなのか、慣れない体勢で歩いたり片付をしたせいなのか、原因はよく
分からないけれど、全身が筋肉痛の様な鈍い痛みにおそわれています。
そして今でも、ずっと揺れているような変な感覚。
今回の経験を経て、もっともっといろいろな事を、現実的に感じて行かないと、と考えさせられ
ました。
車の鍵も、防災グッズも、毛布だって、倒れたものの下敷きになって探すのも一苦労、見つけ
ても取り出すことがかなり難しい状況でした。
まだまだ、大きな影響を与えている東日本大震災。一日も早い復興を祈るばかりです。