「無人島の一冊」というテーマがある。無人島に一人ぼっちで住むとして本を一冊だけ持っていくことが許されたとしたら何を持っていくか、という問いである。ある人は聖書と答え、ある人は電話帳と答える。アナログレコードの時代に同様に「無人島の一枚」というのが音楽好きの間でよく語られていた。
この問いに対する答えはまだ出せていない。2曲に絞られてはいるのだが。バッハの「マタイ受難曲」とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」である。どちらも長い楽曲なので一枚という訳には行かないが、1曲あるいは1セットということで許してもらおう。この2曲は時代もスタイルも内容も両極にあるように異なるけれど、どちらも聴くたびに心を揺り動かされる。前者は敬虔な祈りをもって魂に響いてくるし、後者は灼熱の情念を直接魂に叩きつけられる。両者に共通するのは、管弦楽と独唱と合唱とで構成され、ことばが重要な役割りを果たしていること。
カラヤンが「ザルツブルク・イースター・フェスティバル」を始めた時に取り上げたのが「マタイ」と「トリスタン」であったのも、この2作品が無限に広がる音楽の世界の入口にそびえる仁王門の彫像として相応しいと考えたからであろうか。
とまれ金曜日のテーマはしばらく「トリスタン」を中心に進めてみよう。
この問いに対する答えはまだ出せていない。2曲に絞られてはいるのだが。バッハの「マタイ受難曲」とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」である。どちらも長い楽曲なので一枚という訳には行かないが、1曲あるいは1セットということで許してもらおう。この2曲は時代もスタイルも内容も両極にあるように異なるけれど、どちらも聴くたびに心を揺り動かされる。前者は敬虔な祈りをもって魂に響いてくるし、後者は灼熱の情念を直接魂に叩きつけられる。両者に共通するのは、管弦楽と独唱と合唱とで構成され、ことばが重要な役割りを果たしていること。
カラヤンが「ザルツブルク・イースター・フェスティバル」を始めた時に取り上げたのが「マタイ」と「トリスタン」であったのも、この2作品が無限に広がる音楽の世界の入口にそびえる仁王門の彫像として相応しいと考えたからであろうか。
とまれ金曜日のテーマはしばらく「トリスタン」を中心に進めてみよう。