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倉庫番の独り言

「コーノさんちの物置き」アネックス

海外で活躍する日本人

2009-07-03 20:58:25 | トリスタンとイゾルデ
金曜日のカテゴリーは「トリスタンとイゾルデ」である。 で、きょうのタイトルに最も近いのは近年バイロイト音楽祭やミュンヘンのバイエルン国立歌劇場などで活躍している藤村実穂子さんであろう。バイロイトでは「パルジファル」のクンドリーを歌い、各地の「トリスタン」ではブランゲーネで活躍している。

しかし今日はカテゴリーの「トリスタン」から離れてクラシック音楽全般に話を広げたい。

盲目のピアニスト辻井伸行さんがヴァン・クライバーン・コンクールに優勝してマスコミを賑わし、CDの売行きが一躍トップに躍り出ている。私は辻井さんの演奏を聴いていないので、その資質について語ることは出来ないが、マスコミの騒ぎ方には「頗る」付きで疑問を感じている。まず、辻井氏が盲目でなかったらマスコミはこれほど取り上げただろうか。これまでにも海外の音楽コンクールで優秀な成績を上げた日本人は沢山いるが、これ程騒がれた例は知らない。本人の意識は別として、マスコミが境遇を演奏以上にクローズアップした例としてはフジコ・ヘミングさんの例がある。この騒ぎの時には中村紘子さんが「不幸な境遇は演奏の質を高めない」(実際の発言は正確には覚えていないが)といった趣旨の発言をされたのを記憶している。

今回の辻井さんのケースで二つ目の疑問は、無名の新人としてのチャレンジではなく、すでにCDも発売し母親の著作も出版され、批判を恐れずに敢えて言うなら既にコマーシャリズムの線路に乗っている上での受賞である。こうなると、何が受賞に作用しているか判らないのがコンクールの世界でもある。

三つ目は、クライバーン・コンクールに対するマスコミの扱いである。「世界屈指のコンクール」「世界三大音楽コンクール」などと書かれると正に噴飯ものである。コンクールの歴史、優勝者のその後の活躍などを見ても、ショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクール、エリーザベト皇太后コンクールなどと比べて格段に見劣りすることは否めないであろう。

改めて断っておくが、辻井さんの優勝にケチをつけるつもりは毛頭無い。問題はマスコミの取り上げ方の著しい偏向である。

辻井さんの優勝が報じられたのと同じころ、地味な記事が掲載されていた。

イギリスを本拠に活躍しているピアニストの内田光子さんが英国女王から「デイム」に叙せられるという記事である。「デイム」は男性の「ナイト」が「サー」と称されるものの女性形で、貴族に列せられる一つ手前の「騎士」の位に列するという栄誉である。これこそが日本人音楽家が海外で得た快挙中の快挙である。

このニュースが大きく取り上げられないところに日本のマスコミとマスコミに踊らされる我々の民度の低さを示しているのではなかろうか。

トリスタン体験(12) 東京シティ・フィル

2008-09-22 05:18:38 | トリスタンとイゾルデ
東京シティ・フィルは飯守泰次郎の指揮のもとで「オーケストラル・オペラ」と題してワーグナーの作品をミニステージ形式で上演して来ている。以前、日生劇場で「パルジファル」を聴いて、その質の高さに驚嘆したことがあるが、今回はいよいよ「トリスタン」が上演された。昨日(21日)の公演を聴いた。

会場は江東区の文化施設である「ティアラこうとう」、初めて訪れるホールである。ロビーが狭いのが難。

期待を遥かに上回る素晴らしい演奏であったが、日本人だけでここまでやれるんだ、というのが第一の印象である。オーケストラも声楽陣もである。特にトリスタンの成田勝美、マルケ王の小鉄和広、ブランゲーネの福原寿美枝が素晴らしい。声量も表現力も国際レベルではないかと思われる。イゾルデの緑川まりは声の質が私がイメージするイゾルデとは異なっており、やや絶叫的に聞こえたが、熱唱であった事には変わりは無い。

全体として良くも悪くも飯守泰次郎のトリスタンであった。各幕の幕切れに向けての緩急は日頃聞き慣れているオペラとしての大団円というよりも管弦楽曲の終結部を感じさせられた。



「トリスタン」は1950、60年代のヴィーラントの演出がそうであった様に、特に大きな舞台装置を用いずに上演される事が多く、今回のミニステージ方式で十分に舞台効果を発揮させることができる。

第1幕の途中からステージ奥の壁に静止画の映像が映し出され、パリの二の舞かと危惧したが、それほど邪魔にはならなかった。但し、第3幕の前半のソラリゼーションした女性(イゾルデとの再会を待ち望む瀕死のトリスタンの心象風景であろう)と、イゾルデの愛の死における胎児の画像は若干鼻白むものがあったが。

とまれ、大満足の一日であった。

トリスタン体験(11) パリ国立オペラ@渋谷 (2)

2008-08-02 20:02:09 | トリスタンとイゾルデ
週が変わる前に「感想」を書いておこう。

期待して行った公演だが、演出がトンデモ無くてガッカリでした、というのが先ずは結論だ。まずステージ上方に設けられた巨大なスクリーンに映し出された映像が邪魔だ。このために音楽への集中度が大いに阻害された感じである。かつてヴィーラントが簡素な舞台、暗い照明で戦後の新しいワーグナー演出を始めた時に「舞台上の余計なものに気を奪われずに音楽に集中するため」と(正確な文言は違うかも知れないが、大意としてはこんなこと)言っていたのに正面から歯向かう様な演出である。

しかも映像の内容が「ソノママ」で下らない。プログラムに付録として付いている映像作家のビル・ヴィオラのメッセージのチラシを読むと「ありのままのストーリーを描写したり表現したりするような映像イメージを創りたいとは思いませんでした」とある。勿論、オペラ映画ではないけれど主としてトリスタンの心象を「暗示」すべく創ったものだろうけれど、その表現は何ともあからさまで鼻白むものであった。


プログラムに掲載された写真から

プログラムに演出家モルティエのインタビューが掲載されている。モルティエ曰く「《トリスタンとイゾルデ》を初めて観た人は、往々にしてその長さに退屈します。しかし今回は映像が訴える力が強いので、退屈することはありません。音楽と映像の融合は皆さんの心を動かすでしょう」と。この演出は初めて観る人を対象としているのだろうか。そうであればそれで、初めて「トリスタン」を観る人に大きな誤解を与えるだろう。ワーグナーが描いた情念の世界は、あの映像が伝える薄っぺらなものではない。

入門講座ではなく「きちんとした演出」であるならば、オペラの世のワーグナー愛好者の民度はそんなに低くない、と言いたい。第1幕からいらつき続けて第3幕に向かってますます「心象」の具象度が高まって行くのに腹立たしさすら感じた。

閑話休題、開演前1階の後方の右よりにあった私の座席に就くと、更に左端に近い座席に来た観客を係員が中央の座席に移し変えている。後で判ったのだが、2階席がせり出している部分が視界を遮っていて「肝心の」スクリーンがよく見えない席に当たっていたのである。私の右隣の人までは中央に移動して、結局私が最も右に位置することになった。

再び映像に戻って、こういう映像を見せたければ映像作品として、トリスタンの音楽をサウンドトラックで流せば良いだろうが、独立した映像作品だとすると至極つまらないものである。

第2幕の愛の場面で二人が舞台の前縁で客席に向かって歌うのは演奏会形式の様で、これも映像があるからの演出であろう。私は楽劇を鑑賞に来たのであって演奏会形式を聴きに来たのではないと言いたくなった。ただ、良かったのは、例えば「愛の死」など歌手が無理の無い姿勢で十分に歌うことが出来たこと、多分これがこの演出の唯一のメリットだったのではないかと思う。

SNSの「トリスタン」のコミュニティでもこの演出への批判が支配的であり、プラスに評価する書き込みは見受けない。

このテーマとは関係ないが、ホームページのテリアのコーナーを更新したので併せてご笑覧戴きたい。

トリスタン体験(10) パリ国立オペラ@渋谷 (1)

2008-07-27 22:21:39 | トリスタンとイゾルデ
先月から今月に掛けてNHK教育テレビで放映していた「NHK知るを楽しむ この人この世界」の作家島田雅彦氏の「オペラ偏愛主義」の第6回「極上なる催眠」で「トリスタンとイゾルデ」を取り上げていた。

氏曰く、「『ワグネリアン』と呼ばれるシンパを生み出すことなど他の作曲家では考えられません」と。また曰く、「実際、日本でワーグナーの公演を見に行きますと、ヴェルディなどイタリア・オペラの聴衆には夫婦や中年の女性が多いのに対し、独身男性と思われる人がひとりで聴いている割合がぐっと増えます。彼らは往々にして、ワーグナー信奉者ですから云々」と。

今日の午後、渋谷のオーチャード・ホールの光景もまさにその通りであった。斯く言う私も、一と夜の「トリスタン」を観るためだけにミュンヘンやニューヨークにトンボ返りするなど『ワグネリアン』を名乗るに人後に落ちないのではあるが。

パリ国立オペラの日本初公演である。持って来た演目が振るっているではないか。パリのオペラ座と言えば、ビゼーの「カルメン」、サン=サーンスの「サムソンとデリラ」、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」、あるいはロッシーニの作品などが「本場モノ」として挙げられるだろうか。今回の演目は、デュカスの「アリアーヌと青ひげ」、バルトークの「青ひげ公の城」とヤナーチェクの「消えた男の日記」のセット、そしてこの「トリスタンとイゾルデ」である。



「トリスタンとイゾルデ」全曲のCD、DVDは58種のコレクションを持っているが、パリ・オペラ座のものは無く、その存在も寡聞にして知らないのである。

演出はアメリカ出身の鬼才ピーター・セラーズ。「ピンク・パンサー」シリーズで名高いイギリスのコメディ俳優の「ピーセラ」とは同姓同名の別人である。

感想は次回以降として、今回は「観て来ました」の報告に留めることにする。

トリスタン体験(9) 横浜2007(2) あれれ?

2007-11-05 21:42:35 | トリスタンとイゾルデ
おとといのブログにベルリン国立歌劇場の今回の引越し公演の
「トリスタン」の舞台装置はデボラ・ポラスキのCDのジャケ
ット写真のものと同じだと書いた。

10月8日に神奈川県民ホールでプログラムを買った時にその
中にあった「ワルトラウト・マイヤー演じるイゾルデ」と書か
れた写真がポラスキのCDを想い起こさせたのだ。それを思い
出して改めて両方の写真を見比べて見た。 あれれ???


ベルリン国立歌劇場の引越し公演のプログラムに掲載されている写真。
右下に「ワルトラウト・マイヤー演じるイゾルデ」と書かれている。

ポラスキのCDのジャケット。

うーーん・・・・

トリスタン体験(8) 横浜2007

2007-11-03 23:50:07 | トリスタンとイゾルデ
このところのサボり癖と3週に渡る海外出張のせいで、すっかり旧聞になってしまったが、10月8日(月・祝)に横浜の神奈川県民ホールでベルリン国立歌劇場の引越し公演の「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞した。

指揮はダニエル・バレンボイム、イゾルデは私の「追っかけ」のディーヴァ、ラルトラウト・マイアーである。トリスタンは初めて聴くクリスティアン・フランツ、マルケ王はニューヨークのメトで聴いたルネ・パーペ、クルヴェナルは最近の活躍が著しいがまだ聴いていないロマン・トレケル、そしてブランゲーネはこれも最近名前をよく聞くミシェル・デ・ヤングである。演出は鬼才ハリー・クプファー。

先ずは演出から。舞台中央に羽を付けた女性が蹲る姿の大きな彫像が置かれている。全3幕を通じて舞台装置はこれだけである。これを回り舞台で回して使う。実はベルリンではこの演出は1世代前のもので今は新演出になっているが、引越し公演にはこの演出の方が適していたのだろう。それに新演出は不評だとも聞いている。ポラスキがイゾルデを歌うOehms ClassicsのCDのジャケット写真がこの彫像である。

次に歌手たち。「我が」マイアーは円熟の極致とも言うべきだが、若干お疲れなのか声量がもう一つという感じがした。圧巻はマルケ王のパーペだろう。今やこれ以上は無いと思われる深みと大きさである。トリスタンのフランツはやや体型が災いしていて可哀相でもあるが、なかなかの熱唱である。今回は脇を固めるクルヴェナルとブランゲーネが視覚的にもしっかりした土台を据えていた。超長身のトレケルと、女性としては長身のデ・ヤングが夫々の主人たちよりも背が高いことが、このトリスタン体験をこれまでのものと違った印象を与えていた事は否定できない。

実は昨年11月にドイツに出張する機会があり、その時に丁度ベルリンでこのキャストで「トリスタン」が掛かっていた。ところが直前になって出張が変更になり本場での鑑賞がふいになった。今回はその雪辱戦でもあった。

この公演のスポンサーはキヤノン。経団連会長の御手洗さんの会社である。ホールには御手洗さんに招待された財界の大物の姿が目立った。

トリスタン体験(7) ミュンヘン2001 (その2)

2007-07-19 23:47:13 | トリスタンとイゾルデ
この時期のミュンヘンの「トリスタン」はペーター・コンヴィチュニの演出である。コンヴィチュニは近年の斬新な演出家達の旗頭の様な感じで話題を集めているが、この「トリスタン」もご他聞に洩れず現代に時代を設定した演出であるが、私には違和感は無かった。とかく最近のワーグナー演出は何か観客をびっくりさせる様な事をやらないといけないといった風潮で奇抜な演出が続々と出てくるが、ドイツの国立歌劇場の様に市民の税金で運営している様な所で演出家の自己満足を満たすだけのために税金を勝手に使っていいのだろうか、とすら思えるが、中にはこういう説得力のある演出もあるのである。



指揮はズービン・メータ、トリスタンはヴォルフガング・ミュラー=ローレンツ、そしてイゾルデが我が傾倒するワルトラウト・マイアーである。ブランゲーネに藤村実穂子が出演していたが、彼女の最近の活躍は目覚しい。また、クルト・モルが重厚なマルケ王を聴かせていた。

この演出、演奏はDVDにもなっていてご覧になった方も多いと思うので、ここで演奏の印象や感想を下手な文章で綴る必要は無かろうと思う。唯、有給休暇を取って、この公演のためにだけドイツまでやって来た価値は十分にあった、とだけ記しておきたい。

トリスタン体験 (5) ミュンヘン2001 (その1)

2007-07-10 23:40:42 | トリスタンとイゾルデ
トリスタン体験 (5) ミュンヘン2001 (その1)

2001年秋にバイエルン国立歌劇場の日本への引越し公演が予定されていた。その出し物の中にワルトラウト・マイアーがイゾルデを歌う「トリスタンとイゾルデ」があった。会場はNHKホール。関係者には申し訳ないがNHKホールはオペラやコンサートを鑑賞する場所としては避けたいホールである。座席によって響きがまるで違うし、本当に響きが良い場所は1階中央部分の一部に限られている。海外のオペラハウスの引越し公演などではこういった座席は5万円も6万円もするけれど、とてもそれだけのお金を出して聴きたいという気持ちにならない。一番安い座席でも1万7千円くらいかかるが、ここになると音が伸びずに遠くの舞台を演奏をベールが懸かった様な曖昧模糊とした音響で聴くことになりこれまた買う気にならない。

その年の春、バイエルン国立歌劇場のWEBサイトを見ていたら全く同じキャストの「トリスタンとイゾルデ」が6月に何回か舞台に懸かることが判った。インターネット予約がまだ無かったので早速ボックスオフィスに電話を架けてみた。何と1階中央の良い席がまだ残っていて、日本円で1万3千円くらいだと言う。早速チケットを買い、会社に年休の届けを出し、航空会社にマイレージ利用で往復のフライトを予約した。

公演は6月14日の金曜日。13日、14日を有給休暇として13日のフライトでドイツに向かう。フランクフルトで乗り継いでミュンヘンに着き、以前の会社の仕事でご一緒した現地の大企業の幹部をリタイアした方と会って会食し、翌14日は昼間は教会や博物館を見て、夜はお目当ての「トリスタンとイゾルデ」を楽しんだ。15日には朝のフライトでフランクフルトに飛び、ハイデルベルクまで電車で行ってフルトヴェングラーのお墓を詣で、夜フランクフルト発のフライトで15日の日曜日には帰国していた。

次回以降のこのカテゴリーでは、友人・同僚から呆れられる「ワンポイント ドイツ旅行」について書いていく事にする。


トリスタン体験 (5) バイロイト1977 (その5)

2007-06-17 23:37:56 | トリスタンとイゾルデ
長い休憩が終わり、再びバルコニーで吹奏される第2幕のモチーフのファンファーレに誘われて劇場内に入る。第2幕ではイヴォンヌ・ミントンのブランゲーネが歌った「ご用心、ご用心」の温かみのある声が印象に残っている。マルケ王のモノローグは歌詞の中味をまだ理解していなかったので退屈。おそらくレコードで聞いていたベーム盤のタルヴェラのマルケ王が惹き付ける魅力に欠けていたのが先入観としてあったのでもあろう。


トリスタン体験 (4) バイロイト1977 (その4)

2007-06-12 23:03:27 | トリスタンとイゾルデ
第1幕が終わり休憩時間となる。休憩はたっぷりと1時間である。夏のバイロイトは日が長く、しかも午後4時開演であるから第1幕の後の休憩時間にはまだ太陽は高い。

劇場にはロビーが無いので劇場の外に出て休憩時間を過ごす。大型のテントに設けられた売店で食事を取る人々、口々に今終わった演奏の感想を述べ合う人々、演奏の余韻に浸りながら庭園を散策人々など、思い思いに休憩時間を過ごす。

私は家内と二人だけなので、年配の西洋人たちがベームの時はどうだった、などとドイツ語で語り合っているのに聞き耳を立てるが、どうもベームなどと比較をしている様ではあるが、その内容までは判らない。