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倉庫番の独り言

「コーノさんちの物置き」アネックス

トリスタン体験 (3) バイロイト1977 (その3)

2007-06-06 23:14:01 | トリスタンとイゾルデ
拍手を受けて指揮者のホルスト・シュタインが登場し、オーケストラ・ピットから聴衆に一礼して前奏曲が始まった。バイロイトのオーケストラ・ピットは舞台の下に潜り込んでいる構造なので客席からは楽団員も譜面台の照明も見えないため、暗黒の中から前奏曲が湧き上がって来るあの雰囲気は何ものにも換え難い経験である。

演出はヴォルフガング・ワーグナー。兄のヴィーラントの様式を継承した簡素でモノトーンな舞台装置である。「トリスタン体験(1)」に書いた通り、当時の私はまだこの曲に十分に精通していなかったので演奏の内容をここに再現する生々しい印象が残っていない。ただイゾルデを歌ったリゲンツァよりもブランゲーネを歌ったイヴォンヌ・ミントンの情感に溢れた歌唱が印象深かったという記憶がある。


トリスタン体験 (2) バイロイト1977 (その2)

2007-05-31 23:21:21 | トリスタンとイゾルデ
バイロイトの「トリスタンとイゾルデ」は午後4時開演である。3時ころ祝祭劇場へ導くなだらかな坂道を盛装に着飾った紳士淑女がそぞろ歩いて行く中に混じって登っていく。祝祭劇場にはロビーが無く、周囲の庭園がロビー代わりである。


劇場の外で開演を待つ。盛装の紳士淑女にTシャツの軽装の若者が混じっている。夏の暑い劇場ではこの方が適しているのだが。

やがて劇場のバルコニーに金管奏者が現われ、トリスタンの第1幕から開演を知らせるファンファーレが響いて、聴衆は劇場内へと誘なわれる。


ファンファーレ

祝祭劇場の座席には縦の通路が無いので、両端の通路から自分の席まで行く。中央に近い人から先に入っていくのが礼儀である。



私と家内の席は前から26列目、左から6番と7番で左端に近いのでゆっくりと中央部の席が埋まっていくのを待つ。座席はお馴染みの木製の堅い椅子である。席に着いて客席が暗くなるのを待つ。

前奏曲と愛の死

2007-05-27 22:26:52 | トリスタンとイゾルデ
会社の以前の部下がフルートで参加しているアマチュア・オーケストラの定期演奏会のチケットをもらって聴きに行った。会場は京成電鉄青砥駅の近くの「かつしかシンフォニー・ヒルズ モーツァルト・ホール」である。

曲目は、前半にワーグナーの「さまよえるオランダ人」序曲と、「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死、後半にシューマンの交響曲第2番ハ長調作品61を配したドイツ的なものである。前奏曲と愛の死は楽団員の皆さん頑張っておられたが、やはりなかなか難しい曲である。揺れ動く弦楽器の上で微妙に色合いを変えていく管楽器のバランスがどうしても別々の動きになって行く。愛の死の最後の和音。フェルマータの上でクレッシェンドしてデクレッシェンドする息の長い和音がやや短めに終わる。この余韻を出すのはプロでも難しい。

トリスタン体験 (1) バイロイト1977 (その1)

2007-05-24 23:32:47 | トリスタンとイゾルデ
私が初めて「トリスタンとイゾルデ」の舞台に接したのは今から30年前の1977年8月15日のバイロイト音楽祭であった。当時の私はイギリスに滞在しており夏休みの旅行でバイロイトとザルツブルクに出掛けたのである。有名な旅行会社トーマス・クックに申し込んでチケットは案外容易に手に入れる事が出来た。

今から思えば勿体無いことだが、それまでに私が聴いていたのはベームとフルトヴェングラーのレコードだけで、「聖地」でのトリスタンを堪能するには十分な知識と理解を持っていなかった。それでもバイロイト祝祭劇場に足を踏み入れた時には思わず身震いを感じた。

次回以降は私のトリスタン体験を書き綴って行こう。



1977年バイロイト音楽祭「トリスタンとイゾルデ」プログラムの表紙

トリスタン論考(7) 脚韻

2007-04-22 23:55:33 | トリスタンとイゾルデ
トリスタン論考は前回から1ヶ月も間を置いてしまった。今回はイゾルデの「愛の死」における脚韻について。

「愛の死」の26行目 "Wonne Klagend,"から35行目の "mich umwallend,"までは、各行の末尾が "-nd"、"-et"の脚韻で次第に高まっていく。私にとってはトリスタン全曲のクライマックスとも言える部分である。

ところが最近の録音ではこの脚韻がしっかり発音されないために全体に「締まりの無い」愛の死が散見されるのである。例えばドミンゴがトリスタンを歌って評判のパッパーノ盤のニナ・ステンメ(「シュテンメ」と記載される事が多いが、ドイツ語と違ってスウェーデン語では"St-"の[S」はシュとはならない)のイゾルデ。始めのうちはTの発音が聞こえるが高まりと共に追いつかなくなってTが消えてしまう。

私が最もドイツ的と感じるのはバレンボイム盤のワルトラウト・マイアーの歌唱である。一時代前のベーム盤のニルソンやカルロス・クライバー盤のプライスなどの歌唱ではそれなりの効果は感じられる。「現役」のイゾルデ歌手ではティーレマン盤のヴォイトは舞台の実況録音というハンディを考慮すればしっかり発音できている様に思う。抜粋盤ではポラスキがいい。同じレーベルの抜粋盤のリンダ・ワトソンは歌唱全体が平板だが、脚韻の発音も殆ど無く意味を知らずに歌っているようにしか思われない。

トリスタン論考(6) 異稿(その3)

2007-03-23 23:02:47 | トリスタンとイゾルデ
トリスタンとイゾルデに見出した異稿の三つ目である。第3幕第3場あの有名な「イゾルデの愛の死」。その38行目から39行目。(異稿は38行目にあるのだが1行だけでは意味をなさないので2行分で取り上げる)

Sind es Wogen
wonniger Düfte?
  大浪となって打ち寄せる
  歓喜の香気でしょうか? (高辻知義訳、音楽之社)

Sind es Wolken
wonniger Düfte?
  雲となって打ち寄せる
  歓喜の香気でしょうか? (高辻知義訳を援用して私訳)

違いはWogen=大浪、大波と、Wolken=雲である。
この前の2行は
sind es Wellen
Sanfter Lüfte?
  それは、さざなみとなって打ち寄せる
  そよ風でしょうか? (高辻知義訳、音楽之社)
とあるので、Wellen=さざなみとの対比では雲よりも大浪の方が良さそうに思えるのであるが。




トリスタン論考(5) 異稿(その2)

2007-03-16 22:15:04 | トリスタンとイゾルデ
きょうは「トリスタンとイゾルデ」の異稿の二つ目をご紹介してさっさと切り上げることにする。

第3幕第1場、羊飼いとクルヴェナールとの短い対話に続いて失神から息を吹き返したトリスタンとクルヴェナールのやり取りを経て、トリスタンの長いモノローグが続く。このモノローグの最後の行である。

Wann wird es Nacht im Haus?
 この屋敷に闇が訪れるのはいつなのか?(訳:高辻知義、音楽之友社)
Wann wird es Ruh' im Haus?
 この屋敷に憩いが訪れるのはいつなのか?(私訳)

Nachtは夜、Ruh'はRuheの短縮形、一音節にするために後ろの母音を省略した形に変形された名詞で憩い、休憩を意味する。

前の行は、Das Licht -- wann löscht es aus? 「あの光--それが消えるのは、いつか?」(訳:高辻知義、音楽之友社)とあるので私自身はNachtの方が適している様に思える。

トリスタン論考(4)  異稿

2007-03-02 23:24:19 | トリスタンとイゾルデ
買い集めた「トリスタンとイゾルデ」のCDを色々聴いているうちに第2幕第3場のマルケ王の歌詞が二通りあるのに気づいたのは7、8年前だったろうか。イゾルデとトリスタンの法悦の極致にマルケ王一行が戻って来る。クルヴェナールの「逃げなさい、トリスタン」の叫び声と共に第3場となる。トリスタン--メロート--マルケ王と受け継がれていく緊迫した歌唱の繋がり。このマルケ王の歌唱の10行目、トリスタンの背信に深く傷ついたマルケ王の歌詞に次の二つの異稿がある。

mit feindlichstem Verrat!
mit schmerzlichstem Verrat!

両者に共通するmitは英語のwith、Verratは裏切りである。"feindlichstem"は"feindlich"(敵対的な)という形容詞の最上級の3格(前置詞mitは3格支配である)であり、"schmerzlichstem"は"schmerzlich"(悲痛な)という形容詞の最上級の3格である。

そこで更に気を付けて聞いてみると第3幕に更に2ヶ所見付かった。しかもその一つは、あの「イゾルデの愛の死」の中にあった。

どの演奏がどちらの版を使用しているかといった事は次回以降に譲るとして、「トリスタンとイゾルデ」にこの様な異稿があるとは不勉強ながら新鮮な驚きだった。バッハがカンタータやコラールを使い回したのと違ってワーグナーはリブレットを自分で書き、作品としては確定版だったのがそれまでの私の認識である。「さまよえるオランダ人」や「タンホイザー」といった初期の作品には、オペラ作家として売り出し中でもあって演奏する場所に応じた書き換えを行なっているが、それらは一塊まりの楽曲ごとの追加や削除、あるいは楽曲の終結部の書き換えなどである。「トリスタンとイゾルデ」を書いた頃のワーグナーはもはや興行師に迎合する必要も無かった筈だ。

「トリスタン異稿」について先学のご指導を乞いたい。

トリスタン論考(3) ライブ

2007-02-23 23:36:01 | トリスタンとイゾルデ
コンサート、オペラ、演劇、舞踊といった劇場芸術(Thearical Arts)においては、レコード、CD、DVDなどは「参考資料」だと考えている。その場に居合わせる体験、チケットを切って貰ってロビーに入り席に着く、客席の照明が落ちてきてざわめきが引いて行く、拍手と共に指揮者が登場し序曲と共に幕が開く。休憩時間にロビーをそぞろ歩きながら今終わった演奏を噛み締め、次の幕に期待が膨らむ。公演が終わって満ち足りた気分で夜風に吹かれる。こういった全体が演奏を、演技を楽しむ行為なのだ。
録音、録画はその「様子」を伝えるに過ぎない。勿論、既に他界したアーティストの芸術の一端を垣間見ることが出来る効果は否定しないが。

先週レコードやCDのコレクションを紹介したが、それでお前は実際の公演に接したことがあるのか、という声が聞こえそうである。日本でオペラ公演に接するの容易ではない。ウィーン、ベルリン、パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークなどの様に夏場を除いて殆ど毎日オペラ公演が、しかも複数の歌劇場で行なわれている国と違って、大相撲のように限られた期間に何回かの公演が行なわれ、それ以外の期間には何も無い。また海外の歌劇場の引越し公演となると大変に高額で、今年はこれとこれ、と厳選しなければならない。そんな中でやはり「トリスタンとイゾルデ」はこれまでに体験したオペラの中で最も回数が多い作品である。
多いと言ってもこれまでに5回である。

1977年のバイロイト音楽祭(シュタインの指揮)が初体験、1986年のウィーン国立歌劇場の日本引越し公演(ホルライザー)、2000年のアバードとベルリン・フィルによる東京公演、2001年にはこの公演を聴く目的だけで2泊4日の短期旅行で渡欧したバイエルン国立歌劇場でのメータの演奏、そして2003年にこれも「椿姫」と「トリスタン」の2夜を聴くだけにニューヨークまで飛んだメトロポリタン歌劇場でのレヴァインの演奏、の5回である。それぞれの公演の配役などはここにリンクを作ってある。

オペラは劇場そのものが楽器の様な役割を果たしているので、出来れば出掛けて行くにしくはない。
それぞれの体験の思い出などは今後追い追い書いていくことにして、今回は先週に続いてこれからの話題の背景としての体験リストの提示である。

トリスタン論考(2) コレクション

2007-02-16 23:19:15 | トリスタンとイゾルデ

初めて「トリスタンとイゾルデ」の全曲盤を買ったのはドイツ・グラモフォンから発売された1966年のバイロイトにおけるカール・ベーム指揮のアナログレコードである。続いて当時東芝EMIからエンジェルレーベルで出ていたフルトヴェングラーの1952年ロンドン録音である。ベーム番は発売と同時に買ったのだが、当時の小遣いとしては清水の舞台から跳ぶ覚悟で買ったのを憶えている。

アナログ・レコードはこの2種だが、CDの時代になって聴き較べの楽しさを知った。爾来、レコードと同じもののCD版も含めて興味がある録音を買っては聴き、聴いてはまた新しい録音に関心が赴き、現在我が家には53種類の「全曲盤」がある。そのリストをここにリンクする。

マニアの間ではもっともっと集めている人がいるだろうから、別段これを誇る訳ではないが今後の「トリスタン論考」の背景にこれらの録音があることをこのコーナーの読者(居ればの話だが)に知っておいてもらいたいと思い、今回の話題とした。