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倉庫番の独り言

「コーノさんちの物置き」アネックス

北京出張から帰って

2011-04-14 23:14:48 | 旅先から
今週の火曜日(4月12日)から翌日まで1泊で北京に出張しました。

カメラを持参しなかったし、北京は何度も行っていてことさらブログに載せる旅日記もあるまいと
タカをくくっていたのだけれど、13日の帰国便が成田に着いたら・・・・

入国審査の手前にテレビカメラを持った報道クルーが2組待っていた。

誰が到着するのかなと思いつつ入国審査を受けて、バゲッジクレームを通り過ぎて(預けた荷物は
なかったので)到着ロビーにでたらフジテレビのクルーが出口に待ち受けていて、そのそばに相撲
の舞の海関がコメンテーターとして待っていた。



Blackberryのカメラなのでピンボケで失礼!

クルーの会話を盗み聞きしたら「ガンマイクを2本持って来て余計だと思ったけど、1本は会見会場
に置いたから結果オーライだ」と言っていたので、到着して空港ターミナルで記者会見をする様な人
が到着したのだ。

コメンテーターが舞の海関だから相撲関係者か?

結局夕刊を見ても翌日の朝刊を見ても誰が着いたのか判らずじまい。スポーツ紙を見れば判ったのだ
ろうけど・・・

再開!!

2011-04-10 09:50:13 | 旅先から
前回の投稿から4ヶ月余りが経過してしまいました。
その間に話題が無かった訳ではなく、また前回の「ピアチェーレ」完成の前にもアメリカのモンゴメリー・ドッグショーを観戦に行ったり掲載すべき話題は沢山あったのですが、なにしろ最近仕事が忙しくなってしまって・・・・

それと最近はFACEBOOKに投稿(浮気)するのに忙しかったのもここのご無沙汰の原因の一つです。

そこで今回はこれまでの分を一気に紹介しますが、さすがに昨年まで遡るのは大変なので今年に入ってからの分とします。

まずは正月休み明け早々にハワイに出張しました。1月5日出発で、世の中はまだ正月気分が抜けないうちにリゾートでの仕事です。


ホノルル空港からホテルに向かうハイウェイから見えた米国太平洋艦隊総司令部の建物(丘の中腹に見えるピンク色の建物)


モンキーポットの林の向こうに見える白いドームは、米軍のXバンドレーダー。元々はアラスカに設置されていたのだけれど、北朝鮮のテポドン発射の後、ここに移されて北朝鮮のミサイル発射を監視しています。今回の出張は軍関係だったので、実際はこのレーダーのすぐ近くまで行ったのですが、その辺りは写真撮影禁止区域になっていたので、この様な遠景しか撮れませんでした。


ホテル前のビーチの日没。こんな場所で仕事をしているのが恨めしい。

往路のフライトでは、野球の松坂大輔選手、サッカーのゴン中山選手などと乗り合わせ、夕食に行ったレストランにはサッカーの小野伸二選手一家が来ていました。正月休みの終盤で一般の観光客が帰り始め、入れ替わりに有名人が休みを過ごしに来始めていた時期なのでしょうか。


さて、1月の後半は中国出張です

始めに上海で日中政府のある部局同士の定例会合に民間が初めて同行して行なわれたセミナーに参加。


正面の赤い服の女性は日本の国土交通省に相当する「住宅・都市農村建設部」の副局長さん。


中国各地で盛んな「エコシティ」開発の状況の紹介を聞きました。



上海から天津に移動して、有名な「天津エコシティ」を訪問。かつてのドバイの様に建設クレーンが林立しています。


天津市人民政府の偉い方との懇談。正面に日本政府の代表と並んで座る政府高官。我々民間人は手前に「コ」の字型に並んでいます。


天津での仕事を終えて北京天津新幹線(京津高速鉄道)で北京南駅に向かいました。


車内はこんな感じです。


時速350キロで走るという触れ込みでしたが、実際に達した最高速度は327キロでした。天津から北京までは20分余りという距離なので高速で走れる区間もあまりありません。


2月にはマレーシアのクアラルンプールに出張しました


クアラルンプールのシンボルのツインタワーです。


朝食はホテルから歩いてこの様なお店で「肉骨茶」(バクテー)を食べました。


豚肉などを「お茶」で煮込んだシチューをご飯にぶっかけて食べます。美味、美味。健康にも良さそう!


クアラルンプールの南に建設された新首都プトラジャヤ。人造湖を配してそれぞれ特徴のある中央官庁の建物が建ち並んでいます。この写真の大通りの突き当たりに見えるモスクの様な建物が首相官邸です。


クアラルンプールの交通のハブの"KL Sentral"駅。空港からの鉄道や市内を走る地下鉄、モノレールなどが集まっています。


日本人の旅行者も多いのでしょう。案内板には日本語も書かれています。


現地ではこれを「LRT」と呼んでいます。LRTはLight Rail Transitで、日本では通常路面電車の様な軽便な鉄道を指します。この電車は高架だったり地下だったりするので地下鉄は言い難いですが、いわゆるメトロで、LRTとはイメージが違うなぁと思いつつ利用しました。


車内はこんな感じです。


さて、3月3日にかねてアメリカの友人ハンドラーにお願いして買ってもらい、アメリカでチャンピオンを取った「龍馬」がいよいよ我が家にやって来ました

という訳で龍馬の写真をいくつか。(既にFACEBOOKでご覧になった写真もありますが・・


山梨のセカンドハウスでの1枚。向かって右端が龍馬です。


同じく山梨のセカンドハウス。右手前の床の上にいるのが龍馬。


こんな顔をしています。


そして東京の家の門の前で。


龍馬(向かって右)とピアチェーレ(同左)は本当に仲良しで、よく口の辺りをなめ合ったりして、いつもくっついています。


手前:ピエタ。奥右:龍馬。奥左:ピアチェーレです。


さて、最も最近の話題は先週のスイス、モントルーへの出張です


成田を飛び立ってフランクフルトに向かう機中から。中禅寺湖と男体山(手前)。


フランクフルトで乗り継いてジュネーヴに向かう機中から。スイス・アルプスを遥かに望む。


モントルーはジャズフェスティバルで有名な、レマン湖畔のリゾート地です。「レマン湖」は対岸のフランスの地名に由来しているので、スイスの人たちは「ジュネーヴ湖」と呼んでいます。
この写真はホテルの部屋から、夜明けで徐々に明るくなってくる湖と街の情景です。


ホテルを出て湖畔のプロムナードから同じ方向を望んでいます。


出張目的の国際会議の会場で。会議が開かれた施設は"Montreux Music and Convention Center"と呼ばれ、略称は「2M2C」と書かれていました。施設内の各ホールには"Miles Davis Hall"と名前が付けられていて、さすがにジャズフェスティバルの街です。


スイスでの夕食と言えば「フォンデュー」。手前の鍋がビーフを油に漬けて食べるもの、左奥の鍋がチーズフォンデューの鍋。


会議が終わって帰国便に乗る日の午前中は時間があったので、登山電車に乗って標高2042メートルのRochers-de-Nayeに行ってみました(モントルーの標高は意外と低くて370メートル)。


Rochers-de-Nayeからの眺望。眼下にジュネーヴ湖を望みます。


上の写真と反対側の眺望。遥かにアルプスの山並みが続きます。


登山電車はすごい急勾配をアプト式で登って行きます。この窓の傾きを見て戴けるとどんなに急な坂を登っているかお判り戴けるでしょう。


登山電車から見えた「シオン城」です。


さてさて、お待ちかねのモントルーのワンコ事情のご紹介です。


湖畔のプロムナードを散歩している市民の方に愛犬の写真を撮らせて戴きました。向かって右がティベタン・スパニエル、左がティベタン・テリアです。よほどチベットがお好きなのでしょうね。


湖畔のプロムナードの街路灯の柱にはところどころこの様な標識がついたものがあります。ここに犬を繋ぎなさいというのか、ここでオシッコをさせても良いというのか・・・?

更にすごいのが・・・


プロムナードや道路にほぼ50メートルおきにゴミ箱が配置されているのもすごいけれど、ゴミ箱の正面の赤いのは???


引っ張り出すと、この様な「ウンチ袋」が出て来ます。犬の排泄物はこの袋に入れてゴミ箱に捨てることになっています。これはすごい。日本でもこういうのがあると住民に迷惑を掛けないのだけれど、袋を別の目的に持って行ってしまう不心得者がいて、いつも袋が品切れになってしまうかもしれない。

という訳で長い長い投稿になってしまいましたが、やっと現在の状況に追いつきました。

オーストラリア その2

2010-10-02 20:47:13 | 旅先から
ダーウィンは今から100年ほど前に金が出てゴールドラッシュで出来た町。現在は金その他の資源開発の拠点と同時にカジキのトロールフィッシングなどのマリンスポーツの拠点となるリゾートの街でもある。


海に面したリゾートホテル。今回の出張はこのホテルに近いコンベンション・センターでの会議。


正面の湾曲した建物がコンベンション・センター。立派な施設ではあるが、この様な街でこの施設はどれ位の稼働率になっているのか、心配にもなってしまう。コンベンション・センターの手前のプールは上の写真のホテルの波のあるプールである。海岸のホテルでプールとは、というのはこのあたりの海にはサメが出るので海での水泳やダイビングは出来ない。今週は学校が「春休み」で沢山の子供たちがプールで遊んでいた。

こういうリゾートにビジネスで来て場違いな思いをしたのはこれで3回目。1回目はブラジルのリオデジャネイロ。有名なコパカバーナの海岸を背広姿で歩いてビーチに展開した水着姿の老若男女の注目を浴びた。2回目はタイのパタヤビーチ。これも出張先の会社を訪問した後、ビーチの「海の家」で昼食を取ったのだが、背広姿の日本人3人はどう見ても風景に合わない光景であった。今回はビーチを歩いたり「海の家」に入った訳ではないので、前2回ほどには違和感が無かったが(年齢を重ねてずうずうしくなったのかも知れないが)こういう所にはこんな恰好で来たくはなかったなという印象は拭えない。


ダーウィンの街並み。ヤシの木など熱帯らしい光景である。


これは何でしょう?

カンガルーのテンダーロインの石焼きである。硯の様な四角い石は400度に熱せられていて、自分で肉を裏返したりしてステーキにする。

カンガルーの肉は随分前に土浦の小料理屋(居酒屋?)で食べた事があるので初めてではないが、ステーキは初めて。クセは無いがビーフほどの甘みは無く、ヨーロッパで鹿肉を食べる時の様にベリー系のドレッシングをかけて甘みを加えて食べる。

現在はどうだか知らないが以前は日本はカンガルー肉の最大の輸入国であった。勿論人間の食用ではなく、飼料の材料だが。

ノーザン・テリトリー準州のお役人に、今回初めてオーストラリアに来たのだけれどその最初の街がダーウィンだと言うのはどう思うか、と尋ねたところ、オーストラリアを代表する街、気候、風景ではないけれどこれもオーストラリアだと言う事で、私のオーストラリアの第一印象はのどかなリゾートである。

オーストラリア その1

2010-10-01 23:20:20 | 旅先から
ドッグショーのネタが切れると海外旅行記となるのがこのブログの定番となってしまった。ブログを始めた頃はきちんとカテゴリーに沿ってエッセイ風のブログを載せていたのだが・・・

9月26日の日曜日から2泊5日でオーストラリアに行った。泊数と日数が合わない?往復が夜行便の機中泊でホテルに泊まったのが2泊!

行き先はノーザン・テリトリーの州都ダーウィン。オーストラリアと言うと南半球だから夏と冬が逆で寒いのではと出掛ける前に職場の同僚の言われたが、ダーウィンはオーストラリアの北の端にあって熱帯。赤道を軸に反転するとフィリピンやベトナムに相当する緯度である。


ダーウィンには日本からの直行便は無い。今回は往路はブリスベーンで乗り継いだ。これはブリスベーン空港のターミナル。


国内線ターミナルビルには三つのサテライトがあるが、今回搭乗したJetStar航空のゲートがあるサテライトは工事中。本来5つあるボーディングブリッジは使えずロビーも工事の仕切りで超狭い!。そこに何便もの搭乗案内が掛るものだから、サテライトの先端に辿り着くのも大仕事。


サテライトの一角の階段を降りるとコンテナの前後をぶち抜いたトンネルを歩いて飛行機に向かう。


格安航空会社(LCC=Low Cost Carrier)のJetStarのエアバスA320-232。久しぶりにタラップを登って搭乗。


離陸して間もなく上空から見たブリスベーン市街地。


そして到着したダーウィン空港は素朴な田舎空港である。

ノッティンガム再訪 その2 Chilwell

2010-08-19 22:03:10 | 旅先から
前回ご紹介した様に、1976年から77年に掛けてノッティンガムに滞在した際に住んでいたのがChilwellという町である。バスも通る大通りのField Laneから小道のWeldbank Closeに曲がる角に我が家があった。番地は42番であった。


現在の42番の家。家自体は変わっていないが庭、垣根などの外構に変化が見られる。


34年前の42番。ノッティンガム滞在中の愛車Morris Miniが見える。通りの角の部分には生垣があったが・・・


家の南東側には生垣は無く、広々した庭が広がっていた。(1976年)


現在の家の南東側。庭全体が生垣に囲まれ、庭には様々な庭木が植わっている。写真の右端に見えるのは上の写真にも写っている玄関の張り出し部だが、1976年当時は屋根は平らだが現在は寄棟の屋根が付いていた。


家の西側、ガレージに入る庭の端に置かれていた「42番」の標識(1976年)。垣根が無いので道路からすぐに見えていた。


現在はガレージの入口に木戸が出来たので、その木戸に「42番」の表示が付けられている。


Weldbank Closeの入口(Field Lane側)から奥を望む。この奥に小学校があり、毎朝通学する児童が「ガイジン」が住んでいる我が家を珍しそうに覗きこんでいたのを思い出す。


Field Laneにはセミデタッチトの住宅が立ち並んでいる。この写真の右側の、明るい緑色の生垣の更に先の濃い緑色の生垣が42番の生垣である。


地名のChilwell(チルウェル)の語源は「子供が遊ぶ湧水、あるいは小川」という意味だそうである。

我が家のチルウェルにうってつけの語源である。

ノッティンガム再訪

2010-08-13 04:32:21 | 旅先から
日曜日に行なわれるリーズのドッグショーの「ベスト・イン・ショー」審査にはケリー・ブルー・テリアがテリア・グループのウィナーとして参加することになり、スコティッシュ・テリアの出番は無くなったので、日曜日は朝リーズを出てモーターウェイM1を下ってロンドン郊外にある私の会社のヨーロッパ統括会社近くのホテルに向かうことにした。

途中M1を降りて、1976年から77年に滞在したノッティンガムに立ち寄った。1995年に家族全員で来ているので15年ぶりの訪問である。


かつて住んでいた"Weldbank Close!。このWELDBANKから現在の犬舎名を取っている。


30数年前の「我が家」であったウェルドバンク・クローズ42番の家。

私が住んでいた当時は生垣は無く庭が明るく道に面していた。建物は「セミ・デタッチト」と呼ばれる、2軒が一つの棟になって左右対称になったものである。壁越しのお隣さんであったパーカー夫妻は現在はこの近くに住んでいる。ノッティンガムに寄れるかどうか判らなかったので事前に連絡をしていなかったが、突然の訪問をとても歓迎して下さった。

これらの家がある町の名前が"Chiwell"(チルウェル)で、我が家のケアーン・テリアのチルウェルはここから命名したものである。


ウェルドバンク・クローズの家を探す間、ノッティンガムでの最初の1ヶ月ほどを過ごした"Harlaxton Drive"の91番の家。これは「デタッチト」と呼ばれる一戸建ての住宅である。ここでは、息子が結婚して家を出たため部屋が余った老夫婦が空いた部屋に入居させる「下宿」の様な形で生活した。私と奥さんの二人は寝室と居間に使える二つの部屋を与えられ、台所、バス、トイレなどは家主さんと共用である。

ガレージの上に突き出たレンガ造りの太い煙突の様なものは、私たちが居た当時の家主さんご夫妻(共に既に他界された)の奥さんが多発性硬化症(MS)に苦しめられていたため、ガレージと玄関の間で車いすを上げ下げするリフトである。


ノッティンガム市の中心である"Old Market Square"。市のシンボルで絵葉書や旅行ガイドの表紙になる"Council House"とその前の広場である。馬蹄形の広場を広い道路が周回し、その両側に大きな商店ビルが立ち並ぶ。

今回行ってみたら、広場の西の端に池が出来ており、広場にはメリーゴーラウンドなどの遊具が立ち並んで小さな遊園地の様になっていた。これは15年前には見られなかった光景である。


更に大きな変化は、広場を周回する道路にLRT(Light Rail Transit)と呼ばれる路面電車が敷設されていたことであった。左奥に見える円柱が並んだ建物が上の写真の正面のCouncil Houseの側面である。

ヨーロッパでは地球環境への配慮から市内交通にLRTを建設する動きが進んでいるがノッティンガムにもLRTが走っているのは驚きであった。

30年の時間の経過を痛感した訪問であった。

ドイツの愛犬誌

2010-07-28 23:09:18 | 旅先から
最近の海外出張の楽しみの一つはその国の犬の雑誌を買い集める事である。雑誌の作り、広告の種類などお国柄が出て面白い。

今回の出張ではミュンヘンの中央駅のニューススタンドに置いてあった6種類の雑誌を買って来た。犬の月刊誌が6種類もあって駅のニューススタンドに並んでいるのが凄い!


買って来たのはこの6誌である。では1冊ずつ見てみよう。

それぞれの雑誌の表紙と広告のページをご紹介する。
共通しているのは日本の愛犬誌と比べて広告が少ないことである。その分、ページ数は少ない。ドイツの雑誌は表紙を第1ページとして広告も含めて裏表紙まで通し番号のページ番号が振られているので全巻で何ページあるのかすぐに判る。


HundeWelt


英語にすると"Dog World"である。全100ページ。2ユーロ70セント。

  
左はフードの広告。どの雑誌もフードの広告は多く、全ページを割いているものが多い。
右はブリーダーの広告。ブリーダーの広告は記事の様な形で掲載されているものが多いが、この様にイラストや写真入りのものもある。1ページにいくつかのブリーダーが掲載されており、ブリーダーで全ページや半ページを占める広告は見られない。


Hunde


単刀直入に「犬たち」(複数形)というタイトルの雑誌。68ページで2ユーロ70セント。

  
左は自家用車に愛犬を載せて移動するためのグッズの広告で、シートカバーやキャリアーが紹介されている。
右は上とは別のフードである。


Der Hunde


英語にすると"The Dog"(単数形)。ドイツ語では(というより、英語以外のヨーロッパ語では)名詞が男性・女性・中性に区分されているが犬は男性名詞である。
84ページ、2ユーロ80セント。

  
左はページの半分を使った広告。ケージ(サークル)の広告が見られる。
右は広告というより記事の一部だが、いわゆる"Classified Section"でカテゴリーごとの広告がまとめて掲載されている個所。このページは"Vaceation"の区分で、犬を連れて泊れるホテル、ペンションの広告が集めてある。


Partner Hund


英語とドイツ語を継ぎ合わせた誌名である。84ページ、2ユーロ70セント。


ブリーダーの広告のページである。


CITY DOG


英語の誌名である。表紙の右上に「ミュンヘン版」と書かれているので、全国でいくつかの地方版が発行されているのであろう。"City Dog"だから都市ごとの特徴があるのだろう。
72ページ、2ユーロ80セント。

  
左はグッズの広告である。右はミュンヘンで8月1日に開催されるバイエルン州のドッグショーの広告である。こういった所に地方版を出して地域密着型の雑誌作りをしているところが伺える。


dog


この雑誌は上に紹介した5誌と趣を異にしている。まず上の5誌は月刊誌だが、この"dog"誌は隔月刊でこれは7月・8月号である。買って帰った6誌の中で最も厚く、この雑誌だけは背表紙がある。132ページ、5ユーロである。

  
広告も他の愛犬誌とは随分異なる。愛犬誌というよりも犬を飼っているセレブ向けの雑誌らしい。
左は他の雑誌には見られない、家具の臭いを取る「ファブリーズ」の広告。右はワインの広告で、これも他の雑誌には見られない種類の広告であって、犬とは直接の関係は無さそうである。
この他、犬用のアクセサリーの広告も多い。フードの広告はこの種の雑誌にも欠かせない様で、裏表紙など一等地に掲載されている。ついでながら上のファブリーズの広告は目次に続いて出てくる最初の広告である。

モンゴル再訪 (2)

2010-04-10 12:44:20 | 旅先から
3日分の記事を一気に投稿しているので、4月8日、9日の分も併せてご覧戴きたい。

さて、今回のモンゴル訪問では前回は訪れなかった庶民的なマーケットを訪ねた。

  
食品市場のこの一角は飲料、菓子、調味料、加工食品などが所狭しと売られている。幅1メートル半くらいが1店舗で、同じような商品を置いた「店」が並んでおり、どこで買ったらよいか迷ってしまう。私はここで岩塩で出来た小皿を買った。焼き肉の取り皿として使うと塩味がついて良いのだそうだ。

このコーナーの一角にある通路を通って奥の店に入ると、野菜と肉の市場である。


肉屋といっても日本の肉屋と違ってダイナミックである。

  
左の写真は豚の頭と足、右の写真に並ぶのは羊の頭部と舌である。
奥に魚の売り場が見えるが、海の無いモンゴルでは魚はマイナーな食材である。売られていたのは淡水魚だと言われたが種類は判らなかった。

この市場の隣に近代的なスーパーマーケットがある。一緒に出張に行った同僚がそこでモンゴルの代表的な酒であるウォツカをお土産に買おうとしたところ、その日は国会議事堂前で大規模なデモがあるので酒の販売が禁止されているとのことだった。


酒の販売が禁止されていることを示す貼り紙。モンゴル語は1950年代にロシアからキリル文字を導入している。

昨年ウランバートルで暴動が起きた時は暴徒の多くが酒に酔っていたと言われ、そのためにデモがある時には酒の販売が禁止になるのだそうだ。しかし、実態としては政府が暴動を「若者が酒に酔って暴れた」ということにして政治的な背景に蓋をしてしまったという事情があるようだ。


国会議事堂前のスフバートル広場に集まったデモ参加者。議会の解散を求めての抗議行動だが、失業者と低所得者のうっぷん晴らしとの見方もある。
集会指導者は広場に設けたゲル(テント)に泊まり込んでいる。この写真を撮ったすぐ後に自動車(ランドクルーザーらしい)がゲルに突入して数人が負傷するという事件があった。

この事件も車を運転していた人物の素生について疑問が多く、反政府勢力の黒幕が仕掛けたとの憶測もあるようだ。

モンゴル再訪 (1)

2010-04-09 23:27:00 | 旅先から
4月5日から8日まで再度モンゴルに出張した。

今回はウランバートルの郊外にまで足を伸ばしたので、前回のモンゴル訪問時にご紹介できなかった様な景色をご紹介しよう。


山裾の平原に散在する「ゲル」(テント式の住居)。ゲルの周囲は防風の板塀に囲まれている。


ゆうゆうと道路を横断する牛。


見渡す限りの原野である。前方の広大な平らな土地にウランバートルの新空港が建設されることになっている。2012年に工事を始めて2015年9月に供用開始となる予定である。この空港は日本の円借款によって建設されるのである。


この様な原野を馬に乗って通り過ぎる人がいる。どこから来てどこへ行くのだろうか。


道路の傍らに「オボー」と呼ばれる石積みと柱があった。オボーはモンゴルの民間信仰で土地の守護神が宿ると信じられている。
柱には「ハダク」と呼ばれる青い絹の布が巻きつけられている。
オボーに対する祈りは、その周りを3回まわる行為である。

このオボーでも通りがかりの車から降りて3回まわっている人たちを見掛けた。
車ごとオボーの周りを回る人もいた。お急ぎの方はオボーの前を通る時にクラクションを鳴らすだけで済ませるそうで、私がこのオボーを見物している間にも何台かの車がクラクションを鳴らして走り去って行った。

ニューデリー (続き)

2010-02-07 07:42:15 | 旅先から
出張先での仕事の合間に現地駐在員に付き合ってもらって土産物の買い物に出掛けた。今日はその時に目にしたニューデリーの光景をいくつかご紹介しよう。


まずは大量に走っているオート三輪のタクシー。もっと沢山固まって走っている光景も目にしたが良い写真に恵まれなかった。下半分が緑、上半分が黄色に色分けされたこのタクシーが市民の足である。

  
駐在員が「銀座」と呼ぶ商店街。左(上)の写真は自動車が通る広い通りに面した店。右手の自動車の更に右手は駐車場になっている。並んだ店の間にある路地から中に入ると右(下)の写真の様に内側の道路が通っていて、背中合わせに並んだ商店の長屋が二つ、小路を挟んで建っている様な感じである。そしてその二つの長屋はところどころで2階が繋がっている。食料品店、衣料品店、装飾品店、家具店、書店、薬局・・・何でもある様だ。

  
ペット用品店もある。左(上)の写真は商店街の端の角にある店。リード、カラー、シューズなどからフードなどまで小さな店に所狭しと置かれている。右(下)の写真の下の入口を入ると奥に別のペット用品ショップがある。こちらは通路を挟んで用品ショップとフードショップに分かれていた。

上の写真では店の前にガードマンが座っている。今回の訪問で印象深かったことの一つはあらゆる所にガードマンが居ること。アメリカ式の大規模なショッピング・モールもあって13年前に見たニューデリーからの変貌に驚嘆したが、モールの出入口での持ち物チェック、ボディーチェックは勿論であるが、モール内の各々のショップにも殆ど例外なくガードマンがいる。店に出入りする時にドアを開けてくれるのでもあるが、目の前で買い物をしているにも拘わらず店を出る時には買った物とレシートをチェックするのである。

これはムンバイでのテロ事件以降、警戒が強化されているという面も勿論あるが、雇用確保の側面の方が大きい様である。様々な建物や店舗についてガードマンを置くことが法律で義務付けられている。

雇用確保の点で面白かったのは、昨日のブログで紹介した高速道路の料金所である。


ETCゲートもあるにはあるが、大半は有人ゲートである。ゲートで料金を支払って領収書を受け取り、2メートル程進むと「改札係」が立っていて領収書を受け取って車を通すのである。全体としては大きな無駄であるが、雇用創出のための苦肉の策でもある。

ニューデリーでは今年の10月に"Commonwealth Games 2010"が開催される。これはインド、パキスタン、オーストラリア、カナダやアフリカ、中近東などの「大英帝国」を形作っていた54ヶ国からなる「英連邦」のオリンピックである。英連邦諸国にとってはIOCのオリンピックやサッカーのワールドカップと並ぶスポーツの一大イベントである。

このため、ニューデリーでは至る所で道路工事や地下鉄(デリー・メトロ)の工事が行われている。


奥の方に鉄骨が見えるのはメイン会場となる「ジャワハルラール・ネルー・スタジアム」である。


市内の道路はあちこちが掘り返されている。


側道の工事であるが手作業で掘った土を女性がざるに入れて頭に乗せて運んでいた。大変な重労働であるがなんとものんびりした施工法である。


メトロは市街地では高架鉄道になる。この様に駅も完成しつつある個所もあるが、まだ高架用のコンクリートの柱を造っている個所、高架軌道の橋梁を掛けている個所、駅の鉄骨を組んでいる個所など、工事進捗のあらゆるフェーズが同時に進行している。