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倉庫番の独り言

「コーノさんちの物置き」アネックス

卆寿

2007-07-17 23:45:29 | 言霊との戯れ
今日が母の90歳の誕生日である。90歳の誕生日は「卆寿」と呼ばれる。これは「卆」の字が「九」と「十」を重ねた文字になっているからで、喜寿、傘寿、米寿、白寿、皇寿などと並んで字面から名付けられたものである。

以前、ある国文学者が新聞のコラムで「卆寿」は使わない方が良いと書いていた。なぜなら「卆」の字義は「終わる、死ぬ」という事で、「終わる」の意味では「卒業」が一般的に用いられるし、「死ぬ」という意味では律令制時代に四位・五位の貴人の死を「卒去」と言っていたそうだ。

この年齢になったらそういった事は余り気にしないで素直に祝えばいいのだろう。

Editorial We

2007-07-03 23:19:50 | 言霊との戯れ
英国留学時に留学生向けの「論文の書き方」の課外コースを受講した。この時に「エディトリアル・ウィー[Editorial We]」というものを教わった。ご存知の方も多いと思うが、論文の中では余り一人称の人称代名詞は使わない。通常は「筆者(ら)は[the auther(s)]」を主語にして、代名詞で受ける時は「彼(ら)[he/she (they)」を用いる。

こういった論文の中で「We」を使うのは「筆者と読者」を表わす場合であって、筆者が複数であっても主語が筆者だけを示す場合には「We」を使うべきでは無いそうだ。この「筆者と読者」を表わす「We」を「エディトリアル・ウィー」と呼ぶ。

この考え方は論文に限らず純文学でもある程度当てはまる様に思える。小説においても、その主人公として「語り手」が物語の進行を務める様な場合には一人称が出てくるが、作家自身が一人称で登場することは余り無い筈である。ところが先日、谷崎潤一郎の作品を読み返していたら、「・・・という事は前に書いたが・・・」という表現が地の文に出てきて、あれっと思いエディトリアル・ウィーを思い出した。

フォーラムとシンポジウム

2007-06-25 23:34:43 | 言霊との戯れ
会社で同僚から「フォーラム」と「シンポジウム」はどう違うのかと問われた。語感からするとフォーラムがオープンでシンポジウムが専門的な響きがある。いつもの癖で早速語源を調べる。フォーラムは「広場」を意味することは知っていたが、問題はシンポジウムである。「シン」はシンフォニー、シンクロナイズなどと同様「共に」を意味する接頭語であることは判るが、「ポジウム」は何だろうか。

それは何とギリシァ語で「飲む」を意味する語であった。「一緒に飲む」のが「シンポジウム」の語源である。仲間同士が一緒に飲みながら議論するのである。やはり仲間同士という閉じた世界が背景にあり、そこの話題も自ずとある程度限定されたものとなる。

これでフォーラムがオープンで、シンポジウムがより閉鎖的、専門的であるという語感の根拠が明らかになった。通勤電車のドア上のディスプレイのショートクイズではないが「ああスッキリ」を感じた日であった。

言葉の誤用(その3) 優柔不断ほか

2007-06-13 23:21:05 | 言霊との戯れ
言葉の誤用の前2回よりレベルが落ちるが、実際に私の身の回りで起きた事例を2、3取り上げる。

始めに「優柔不断」である。これを考え方が柔軟、フレキシブルと思い込んでいた同僚がいた。曰く「これからはもっと優柔不断にものごとを見なければいけない」と。

次は「右顧左眄」である。曰く「研究の目標を定めたら右顧左眄しない」。これはこれで間違ってはいないが、彼が言いたかったのは研究の途中で細かい事象に気を取られて研究の本来の目標から逸脱してはいけない、余計な道草を食って時間を浪費してはいけない。ということで「右顧左眄」は媚び諂う意味があるのでやはりニュアンスが違うように思える。

きょうの三つ目は「早生まれ」である。これは私が直接聞いたのではなく、人伝てに聞いたのだが、中学生か高校生の子を持つ母親たちの井戸端会議で「うちの子は早生まれだったので、小さい頃は苦労した」と語っていたという。確かに幼稚園に入る頃は勿論、小学校の低学年までは誕生月が10ヶ月も違うと成長の度合も違うので、同じ学年といっても体の大きさも精神的な成熟度も違っているだろうから親も苦労するだろうな、と思っていたら、この母親は「未熟児だった」という事を言っていたそうだ。

未熟児は予定日より早く生まれるのだから「早生まれ」に間違い無いが、普通はこうは使わないですよね。

仮名の種類 クイズの回答

2007-06-08 23:42:02 | 言霊との戯れ
6月2日の7種類の文字を一回ずつ使った言葉の種明かしを、予告より一日早いがご紹介しよう。

清音=セ
濁音=ジ
半濁音=パ
拗音=ャ
促音=ッ
撥音=ン
長音記号=ー

これらを繋ぎ合わせて出来る言葉は・・・

「パッセンジャー」

仮名の種類

2007-06-02 23:42:04 | 言霊との戯れ
仮名の種類と言えば勿論「平仮名」と「片仮名」であるが、ここで取り上げるのは表音文字としての仮名の表音上の性質の種類である。
まず「清音」と「濁音」とがある。「清音」は言語学上は声帯の振動を伴なわないで発音する子音で、p、k、tなどを指すが、日本語の五十音図では「清音仮名」で表わしたカサタナ行の音を言う。「濁音」は「濁点=゛」を付けて表記するガ、ザ、ダ、バ行の音を言う。
次は「半濁音」。「半濁点=゜」を付けて標記するパ、ピ、プ、ペ、ポの5音である。
四番目は「拗音」。小さい「ャ」「ュ」「ョ」が付く音で「キャ」等二文字で一音に勘定する。五番目は「促音」。小さい「ッ」を付けた「詰まる音」である。六番目は「撥音」。「ン」で表わす撥ねる音である。

五十音図ではこれで全てだが、もう一つ外来語を表記する際に導入された「長音」がある。記号は「ー」。これは仮名では無く「長音記号」と呼ばれている。

さて、この七つの文字を1回ずつ使った7文字の言葉がある。この答は来週の土曜日のこのブログで紹介しよう。

外来語のカタカナ表記

2007-05-17 23:43:18 | 言霊との戯れ
外来語のカタカナ表記にも歴史がある。母音を伴なう音節は多少置き換え易いが子音だけの無声音の表記にはご先祖様も苦労していた様だ。

まずは無声の「k」。古くは「キ」、近年は「ク」で表記する。"ink"は私の年代よりもう少し年上の世代では「インキ」、私の世代以降は「インク」と書く。高校時代に教わった年配の数学の先生は方程式の"X"を「エッキス」と発音していた。同じ英単語が日本に入ってきた時代によって異なる意味の外来語になっている例もある。その表記でどちらが先に入ってきたかが判る。"strike"は「同盟罷業」の「ストライキ」が先に日本語になり、後から野球の「ストライク」が日本語になったことが判る。

もう一つは無声の「t」であろう。近年では「トゥ」と表記されることが多いが語尾では「ト」が多い感じを受ける。ロシアの蒸留酒"Vodka"は「ヴォートゥカ」と書くのが原音に最も近い感じがするが、「ウォツカ」と書かれる事が多く、更には「ツ」が小さい「ッ」になって「ウォッカ」などと書かれるとアルコールをこよなく愛する私としては哀しくなるのである。

誤用(その2) 三位一体

2007-05-05 11:46:45 | 言霊との戯れ
「三位一体」はキリスト教の教義を表わす宗教用語である。「父なる神」と「ロゴス=言葉が受肉した子なるイエス・キリスト」と「聖霊」の三つは、一つなる神の異なる現われであることを示している。

最近のわが国での用法は「3点セット」を一括して進める様な場合にこの言葉が用いられることが多い。小泉内閣の「三位一体改革」などはその好例であろう。私が勤める会社でも、例えばある研究所が三つの技術分野をそのコア技術として強化する、といった場合に所長が役員の前で行なうプレゼンで「三位一体」と述べていて、しかもこの用法は伝染性があるのか幾つかの研究所長が同じ様に表現しているのに遭遇したことがある。

三本柱という考え方は組織運営上は至って使い勝手が良く、また三者の協調・連携という考え方、例えば会社と顧客と株主など納まりが良い。三本の柱は安定していることを経験的に知っているからだろうか。また我々が知覚する世界が三次元空間であることも関係しているかも知れない。キリスト教の言葉を借用しなくても「三拍子揃った」という古来の言い回しもある。

四文字熟語を使うと格調が高く見えると思うためかは知らないが四文字熟語は前回の「先憂後楽」や今回の「三位一体」の様に歴史的な背景の中から成立して来ているものが多く、その背景を知らずに字面(じづら)だけを見て安易に使うと恥を掻くことになる。

外国語のカタカナ書き (その1) ディとヂ

2007-04-25 14:04:57 | 言霊との戯れ
毎日、目や耳にしないことは無い言葉の一つ "digital"。皆さんはカタカタではどうお書きだろうか。新聞などでは「デジタル」が一般的で地上波デジタル放送を「地デジ」と呼んだりする。私は個人的には「ディジタル」の方が好きである。

"digital"は今ではコンピュータ用語として"analogue"と対をなす言葉であるが、語源はラテン語の"digitus"=「指」で、「指折り数える」ところから数値に関する言葉に変化して来た。一方、心臓病への薬効で知られる薬草「ジギタリス」が知られている。これは葉の形が指を広げた様に見えるところから名づけられた植物の名前である。ジギタリスが伝えられた頃の日本は、医学ではオランダ語中心の蘭学、明治以降ではベルツ博士以来のドイツ語が中心であって、"digitalis"はドイツ語風には「ディギタリス」と発音される。

五十音表において「チに濁点」=「ヂ」は、今では「ジ」と同じ様に発音されるが、「ダ "da"」行であることを考えれば「ディ」と発音される文字なのだろう。輸入食品などで有名な「明治屋」はローマ字表記では"Meidi-ya"と書いている。しかし「明治」は「メイディ」ではなかろう。「ヂ」には[di]と[dzi]の両方の発音があったのであろうか。

いずれにしても「ヂギタリス」は「ジギタリス」へ、「ディジタル」は「デジタル」へと同根の言葉は分化して来たのであろう。

誤用(その1) 先憂後楽

2007-04-17 23:31:36 | 言霊との戯れ
今週から新しいカテゴリーを二つ追加することにした。最近同じカテゴリーの話題が続く事が多くなり、これを避けるためでもある。追加するのは『言葉・言語』に関する私の趣味を反映した「言霊との戯れ」と、国内・海外での経験、文化の比較などのエッセイである「旅先から」である。これらの二つはプライベートWEBサイトを立ち上げた当時、そこに掲載していたがその後はやめてしまったものでもある。

「言霊との戯れ」の第一弾は熟語の誤用についてである。そのトップバッターは『先憂後楽』である。

最近、私が勤務する会社も含めて経営者の発言の中に『先憂後楽』という言葉がしばしば使われている。そして、そこで意味することは「今苦労しておけば後が楽になる」といったところで、特損を出して次年度以降の経営を軽くするなどの場合にも使われる。

この言葉は北宋の文学者、範仲淹が記した「岳陽楼記」の中の『先天下之憂而憂、後天下之楽而楽』に原典を拠っている。その意味するところは「優れた為政者は心配事については世の人がまだ気付かないうちからそれを心にとめていろいろ処置をし、楽しみは世の人の楽しむのを見届けたあとに楽しむ。」ということであって、ここで使われる「先」「後」は単純に時間的に今と将来という事ではなく、為政者と国民といった対面する二者の間での相対的な前後関係を言う。

私の上司である方も研究開発のトップであるところから、研究陣に向けたメッセージの中で「今は苦しくても歯を食いしばって頑張れば将来素晴らしい成果が出る」と言った意味合いで使ってきた。ある時私が「本来の意味と違うことをご承知の上で使っておられると思いますが」と申し上げたところ、一瞬「うーん」と唸って「でも、最近はそういう使い方の方が多いよね」と仰った。日本経済新聞の著名な論説委員の西岡氏もあるコラムで「もとの意味とは違うが、最近の経営者がよく使う」という表現を採って居られたのを思い出す。