Paradise for Stupids

愚者の楽園たるこの国周辺で起こる愉快なことをつぶやきます

社会が許す犯罪と許さない犯罪

2013-07-04 18:04:57 | 社会
2000年代脚光を浴びた二人のエコノミストの事をしばしば思い起こすのだが、その都度、いろいろな思いが交錯する。二人のエコノミストとは植草一秀氏と高橋洋一氏だ。

植草氏は、2004年品川駅での迷惑防止条例違反で逮捕されて以来転落の人生を歩んでいるように見える。ミラーマンと揶揄された一件の後、一度は名古屋商科大学教授として迎えられるも、今度は痴漢をはたらき再逮捕されてしまった。その後自身のWebサイトを中心に、執筆や講演活動をしているようであるが、贔屓目に見てもエコノミストとして活躍しているとは言いがたい。言わば終わった状態である。付け加えれば、彼の主張には、その妥当性について疑問を感じる内容が多く、勉強はできたかもしれないが、そもそも現実社会を論評したり舵取りをする能力が欠けているのではないかという印象を持っている。

かたや高橋氏は、2009年温泉施設で窃盗をはたらき書類送検、後に教授を務める東洋大学を懲戒解雇となっている。その後暫くメディアで見かけることはなかったが、約1年後嘉悦大学に教授としてのポストを得て以来、テレビやネットで以前同様、高い露出を誇っている。リフレ派とされる高橋氏の主張が、安倍政権の方針と重なることもあり、特にこのところ見かける機会が多い。

メディアを含む社会の両者に対する扱いは、それぞれのエコノミストとしての力量に依存するところがあるだろう。しかし、何事にも表裏がある。リフレ派がいればそれに反対する勢力が存在する。高橋氏だけではなく浜田宏一氏や竹中平蔵氏に相対する論客として、植草氏に声がかかってもよいはずだが、現実にはそうではない。植草氏は9年前のミラーマン事件を機に我々の前から姿を消した。なぜか。そこには犯した犯罪の回数に加え、犯罪の内容があるのではないか。

一般的に、性の問題は難しい。誰もが興味を持つ話題ではあるが、状況に応じて周りの受け止め方が大きく変わる制御することがとても難しいテーマ、それが"性"である。扱い方を一歩間違えれば、その人物の人格否定に繋がりかねない。表面上は取り繕っているが、その実、こんな恥ずべき本性なのだ、と認識されてしまうからだ。

我々が性について敏感に反応してしまう背景には、理性的であるべき人間に残された動物的な特徴であることが影響していると私は考えている。普段はあんなに理知的に振る舞っているのに、実はこんなに動物的(≒恥ずべき性癖を持っている)なのか、野蛮だね・・・というロジックである。より分かりやすく言えば、"キモい"ということだ。なお誰しも関係する性の問題であるが、他人の性を批判する際、自分のことを棚に上げている。他人の不幸は蜜の味、ということである。

さて、テレビで見かけた植草氏に対する私の印象は、過大な自己顕示欲が鼻についたが、基本真面目な人物で、仕事や勉強一図なんだろうな、というものであった。真面目な人物の性犯罪というように、印象とのギャップが大きければ大きいほど、ダメージもより深刻なものとなる。お笑いで売っていた田代まさし氏ですら、最初の盗撮事件後、タレントとしてのイメージや価値を復活させることはできなかったことを思い出してほしい。

一方、窃盗はどうか。言うまでもなく窃盗も犯罪であり、再犯の可能性は低くはないと言われる。しかし窃盗に対する世間の目は、性犯罪に比較して、厳しくはないと、私には感じられる。俗に言う"手癖が悪い"で済まされるような雰囲気があると思うのだ。事実、高橋氏は、エコノミストとして、更には"教育者"として復活している。高橋氏の犯した犯罪は"キモくない"からだ。

再犯率が高いということから言えば、窃盗犯には、窃盗癖とでもいうべき、その人格に根差した問題点があるのだと私は思う。しかし、あくまで"印象"として言えば、窃盗には性犯罪にあるような動物的本性に根差した"キモさ"が無い。"他人の持ち物を自分のものとしたい"という欲望を露わにすることは上品ではないが、我々の社会のプロトコルは、そのような欲望を吐露することを禁じてはいない。暗黙的に、誰もがそのような欲望を共有しているという前提で成り立っている。他人の持ち物を羨むことは日常的な会話の随所で見られるではないか。そのため、万が一、一線を越えて窃盗をはたらいても、"出来心"として許す準備が我々の意識の中に用意されているのだ。

要するに、建前と本音の垣根の高低(性欲は高く、物欲は低い)、あるいはキモイかキモくないかが、社会の犯罪許容度に影響していると思うのである。


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