野沢温泉 旅館 清風館 ほのぼの日記

源泉かけ流しの湯宿
ゆっくり、ゆったり、くつろぎのひとときを
~メッセージお待ちしています~

風林火山その1

2007-10-13 00:32:09 | これぞ、野沢温泉
大河ドラマ「風林火山」いよいよ佳境に入ってきましたね。
川中島の合戦も始まって、ますますおもしろくなってきましたよ。
さて、この野沢温泉でも今年は「風林火山」をテーマに頑張って
いるのをご存知ですか?

「風」~風呂(温泉)源泉かけ流し生源泉はいいぞお!
    nozawa-gensen.jp/参照
「林」~自然のブナ林に行こう!
「火」~日本三大火祭りの一つ 道祖神まつりに来てね!
「山」~日本有数の規模を誇る 野沢温泉スキー場も面白い!

ほとんどこじつけみたいなものですが、それでもなんとか格好が
つく所が野沢温泉の奥深い点でもありますねえ。

さてさて、その風林火山「山本勘助」と野沢温泉って縁があるんです。
ご存知でしたか?

そもそも「甲陽軍艦」などで大活躍する山本勘助は、実在の人物で
はなくて架空のものと疑われてきたらしい。
ところが、弘治3年(1557)に今の野沢温泉村辺りを支配して
いた豪族、市河藤若氏宛てに武田晴信が送った書状(市河文書)が
近年、発見されたことで、その存在が俄かに信憑性を帯びてきたそ
うです。

その書状にはこう書かれていたそうです。
「景虎が野沢の湯まで陣を進めたが、(市河軍の)備えが堅固だっ
た為、飯山城まで退いたのは、誠に心地よかった。中略(周囲の
軍事情勢等)、重要なことは使者、山本菅助をもって伝える。」
(細かいところが間違ってたらごめんなさい。)

第3回川中島合戦の直前の頃で、北信濃の武田軍最前線に向け
て、武田晴信が山本勘助をもって対越後作戦を授けたのではな
いかとされているわけで、これをもってしても、主君の重要な
使者としての働きをしていることが証明されたらしい。

なお書状の「菅」の字が違うのは、この時代にはよくあったこと
らしい。

なんだか「らしい」ばかりで、私も書いていてじれったくなるん
だけど、なんといっても昔の事なので、本当のところは誰にもわ
からないそうだ。

まあ要するに、野沢温泉にいた豪族の市河氏がいなかったら、今
の大河ドラマに山本勘助が登場することはなかったであろうとい
うことかしら?
(市河文書を持っていたのは市河氏の子孫です。)

てなわけで、ここ野沢温泉の湯に武田信玄も上杉謙信も山本勘助
も、入ったかも?キャンペーンです。
由緒ある野沢の湯に、皆さん入りに来て下さい!!!

一生懸命説明したつもりですが、よくわからない方いらっしゃいま
したら、遠慮なくお尋ね下さいませ。

野沢温泉 清風館はこちら www.seifukan.co.jp

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