わたしの記憶が確かな限り、今年は一度も風邪を引いたり体調を崩したことがない。しんどくて家で寝込んでた、なんてことはなかったように思う。
ヒトってなにかを無くしたときにしか、それがあることのありがたさを実感することができない。あわただしい現代社会に生きている私たちは、今目の前で起こっている出来事についてあっちこっち思考を繰り返すことに忙しくて、当たり前にあることに思考を移す暇もない。
いや、当たり前、なんてものはこの世にはないのかもしれないけれど。
なので今日の感謝リストは健康への感謝で埋め尽くしてみた。風邪を引いたとき、その体のだるさに普段の自由に動き回れる軽い体が恋しくなる。そんなとき、「あぁ、風邪なんて引くんじゃなかった」って思いが頭をよぎる。そして健康な体のありがたさが身に染みるのだ。
自由に使える手足、臭いを感じられる嗅覚、布団の気持ちよさを感じられる触覚、ものを見ることができる視覚、ありとあらゆる感覚、感じる、という感情があることにまで感謝した。だって生きるってそういうことだと思うんだ、って感謝しているうちに気づいた。食べて味が分かって、美味しい、とか不味い、と感じる。好きなことしててあーやっぱりこれ好きだーって感じる。そもそも感情がなければ好きも嫌いもないわけで。
そう考えると人間から感情が消えたとしたら、嬉しいもムカつくも楽しいもつまんないも無くなったとしたら、人はどうなるんだろうと思ってしまう。世界から色は消えて、生きててもなにも感じなければなにもしていないことと同じになって生きる意味を見いだせなくなることがあるかもしれない。辛いと感じることもあるけど、嬉しい!楽しい!良かった!っていう感情があるから生きるのは楽しいと感じられる、だから人間は辞められないのだ、と思う。
なんだかうまく言えた気がしないがそういうことにも感謝なのだ。ほんとうに健康って大事だ。
今年は一度も体調を崩していない。でも今年はまだあと25日ほど残っている。もし大晦日まで元気でいれたら1月1日はご褒美におもちをたらふく食べようと思う。
ヒトってなにかを無くしたときにしか、それがあることのありがたさを実感することができない。あわただしい現代社会に生きている私たちは、今目の前で起こっている出来事についてあっちこっち思考を繰り返すことに忙しくて、当たり前にあることに思考を移す暇もない。
いや、当たり前、なんてものはこの世にはないのかもしれないけれど。
なので今日の感謝リストは健康への感謝で埋め尽くしてみた。風邪を引いたとき、その体のだるさに普段の自由に動き回れる軽い体が恋しくなる。そんなとき、「あぁ、風邪なんて引くんじゃなかった」って思いが頭をよぎる。そして健康な体のありがたさが身に染みるのだ。
自由に使える手足、臭いを感じられる嗅覚、布団の気持ちよさを感じられる触覚、ものを見ることができる視覚、ありとあらゆる感覚、感じる、という感情があることにまで感謝した。だって生きるってそういうことだと思うんだ、って感謝しているうちに気づいた。食べて味が分かって、美味しい、とか不味い、と感じる。好きなことしててあーやっぱりこれ好きだーって感じる。そもそも感情がなければ好きも嫌いもないわけで。
そう考えると人間から感情が消えたとしたら、嬉しいもムカつくも楽しいもつまんないも無くなったとしたら、人はどうなるんだろうと思ってしまう。世界から色は消えて、生きててもなにも感じなければなにもしていないことと同じになって生きる意味を見いだせなくなることがあるかもしれない。辛いと感じることもあるけど、嬉しい!楽しい!良かった!っていう感情があるから生きるのは楽しいと感じられる、だから人間は辞められないのだ、と思う。
なんだかうまく言えた気がしないがそういうことにも感謝なのだ。ほんとうに健康って大事だ。
今年は一度も体調を崩していない。でも今年はまだあと25日ほど残っている。もし大晦日まで元気でいれたら1月1日はご褒美におもちをたらふく食べようと思う。