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去る7日(土)、朝7時半の約束に遅れない様睡眠不足の眼をこすおりながら、我が家のすぐ近くにある上野さん宅へ向かう。上野さんご夫婦はその日のイベントの為、餅つき道具一式を準備して待っていただいていた。それを我が車に積み込み、鉾杉塾塾長の河原林さん宅へ向かい、移動式の唐臼を上野さんの軽トラに積み込む。こうして上野さんご夫婦と、河原林さん、私の4人は、「おこしやす癒しやす京都」企画の餅搗き会場、京都市北区青少年活動センターへと少し雪も舞う朝、車を走らせた。京見峠を越えると天気は晴れ、青空だ。
「おこしやす癒しやす京都」という、福島からの子供たちをおもてなしする企画の一部で、唐臼で餅搗きを楽しんでいただくお手伝いの一員として参加した。京北ふるさと祭りでこの唐臼に目を付けたのがNPO法人フロンティア協会の徳丸さんだ。これで餅を搗き、納豆餅も振舞ってはというアイディア。
3階の会場に運び込み、早速組み立てる。運び込まれたもち米は立命館大の学生さん達が上野さんの田んぼで植え刈り取って稲木で天日干しされたものだ。前日に徳丸さんが洗ったとのこと。冷たかった~そうだ。ご苦労様。
さて本番、最初は河原林さんと私で搗き始め、参加者にも体験してもらった。この唐臼は京北の家には必ずといっていいほどあったのだが、家の改築が進み、生活様式が変わった今では殆ど無くなってしまった。河原林さんがそれを移動可能な形で復活された。これは全国にあったはずだが、今回の参加者に聞いてみると、初めて見た、との答えだ。まあ参加されたのが若い方せいだろう。ちょっとアドバイスすると皆さん上手に踏んでおられた。
さて、搗いた餅は丸餅やおろし餅、善哉、そして納豆餅にして食べて頂いた。納豆餅への反応に興味があったのだが、これが好評。聞くところによると福島は一人あたりの納豆消費量が日本一とのことで、納豆がお好きなのは分かるが、納豆餅は初めてだとのことだった。京北では正月三が日は納豆餅で祝うとか、暮れに搗いた餅を焼いてそれに納豆を包んで食する、黒砂糖を少し入れる、などのと京北での食べ方も説明した。
今回使用したのは「りつまめ納豆」。藁苞納豆があればそれを見て貰えたら良かったのだが、、。このりつまめ納豆は大粒で、世間様の小粒納豆ではございませぬ。大豆の味を味わってもらえたのが良かったのではないかしら。もちろん塩だけでの味付け。
会場には牛若納豆の福三田社長も参加されていて、いろいろ話することが出来た。納豆の母体たる大豆、その表面、納豆菌、アミノ酸の話や八幡太郎義家、新猿楽記などなど、楽しい談義だった。これを福島からの人達にも聞いて欲しかったが、別室でのプログラムをされているときの我々だけの話だったのは残念といえば残念。しかし納豆餅を食べて貰っての反応には満足した。
これがお世辞でなかろうことは翌日でも経験した。というのは我が職場にも福島の方が滞在されていた。昨日北区役所でねえ、、、と同僚に話しすると、こっちでも餅搗きで歓迎をし、納豆餅も食べてもらったら好評やったよ、おかわりされたで~とのこと、心地い響きだった。
京都新聞 1月7日の記事
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我が故郷を考えるとき、納豆、は大きなキーワードであり、河原林さんと京北に来られた人に「ようこそ納豆のふるさとへ」なんて看板を建てたら、って話し合いなが帰路についた。
※トップの写真は徳丸さんが撮影されfacebookにアップされたものを借用しました。
小学生の子供が唐臼踏みを手伝わされるのは、日常茶飯事でした。誘いに行って早く遊びたいので、私も唐臼踏みの手伝い(足伝い?)を何度もしました。常は米搗きですが、盆や正月は餅搗きです。搗き立ての餅に黄な粉を付けてもらって食べるのが楽しみで、退屈な手伝いを我慢したものです。
手拭いを被った母親が臼取り役で、土間に正座して低い姿勢で屈み込むのは、かなりの重労働だった、と思います。頭を臼に突っ込む様な姿勢になるので、杵で頭を打たないかと本気で心配したものです。唐臼で突き込む餅はよくこなれていて、特別に美味でした。
今回は、藁納豆が無かったのは残念でした。関東甲信越は納豆の本場と思われていますものの、やはり丹波の藁納豆は日本(と言うことは世界)最高でしょう。年末には有難うございました。今回の納豆は、一昨年の物よりも味が良かった気がしました。Mちゃんの技量は益々冴えてきている様です。
正月前には宇津の同級生が納豆餅を送ってくれましたので、これも本物の味を堪能させて戴きました。何と申しましても、味付けは塩味に限ります。京北の藁納豆と納豆餅は完全なも健康食ですし、もっと広く知られてもよいのではないですか。
納豆の糸ひきよせてふるふると奏ではじめし五線譜のみゆ(前川佐重郎)
いつか棄てられる運命にあった杵の部分を引き取り、河原林さんがこの移動式唐臼一式に仕上げられました。
そうなんですよ、藁苞納豆があれば実物を持って行き皆さんに見て貰い、本来の味を賞味して貰えたのに残念です。また昔は餅を搗いてすぐに納豆餅にしたのではなくて、正月などに焼いた餅に納豆をくるんで食べたものです。年末には一家総出で餅を搗き、鏡餅、納豆餅用の餅、菱餅、丸餅、切っておかきにする為の長餅などなどが入った麹蓋を並べると座敷のかなりの部分を占拠していました。
この菱餅を竹の先に挟んでどんどで焼いた風景が懐かしいものです。
あ、そうそう美和ちゃんの納豆を食したかの的場道三郎さんが、これが納豆の味だ、と言われたそうです。田舎には家で藁苞納豆を寝かせておられる人はまだまだおられるので、この食文化は受け継がれていって欲しいと切に願っています。いろいろ方策を考えているのですが。
つきたての餅、うまそうですね。文章を読んでいてヨダレが出そうです。京北の昔語りに出ていた、足でつくとか手でつくとかの話は餅の話でしたか?いまここに本がないので思い出せず、頭の中が気持ちわるーい状態になっています(笑)。
京北の昔がたりに出てくる話は、この唐臼に関連した話です。中江という集落がありますが、その上の方では神様にお供えするの餅を足で搗く、すなわち唐臼で搗くのは失礼に当たるとして唐臼がなかったそうです。下の方は唐臼を使っていたそうで、神様使える人のところでは唐臼がなかったというお話しです。賀茂神社が中江の氏神さんですが、上も下も同じ氏子だったのに何故この様に分かれたかは私にはよく理解できないのですが。
「おこしやす癒しやす京都」の企画、大成功でよかったです。納豆消費、日本一の福島でも、納豆餅を知らない、には驚きです。いったい納豆餅は何処が本場なんかな?やっぱり京都の北桑と日吉あたりでしょうか。
私も「りつまめ納豆」を食べたいな~、納豆は大粒に限りますもんね。
私は今日も納豆餅を食べました。お正月からほぼ毎日です。だから・・・もう○っちゃって、それでも懲りずに・・・。
今日は午後から寒いです。そちらは雪でしょうか?
温かくしてお過ごし下さい。
福島の子らが納豆餅を食べたことがないのは驚きでした。ただ藁で寝させた藁苞納豆を、焼いた餅にくるんで食べる、というのが正統派と思っている私めは、市販の納豆を搗きたての餅にくるんで、というスタイルは完全ではないと思っているのですが。
毎日納豆餅、栄養つけすぎでございますよ~。まあ亀岡城界隈を散歩されているから大丈夫でしょうけれどね。
2時間ほど前からべた雪が降っています。今午後9時前で数センチ程積もっています。