去る21日、京都市産業観光局・観光部・観光振興課が企画された、「京のおもてなし交流会」及び「おもてなし実践者表彰」という催しがありました。
当日のプログラムはこのページを見てください。
私自身が今回のおもてなし実践者としての28人の表彰者の一人だったので、表彰式に参加しなさいとの京北観光ボランティアの一瀬会長の命令で会場の高台寺へと同行させていただきました。
・この企画は今回が初めてだと思いますが、実際に京都へ観光に来られるお客様をもてなして案内したりしておられる人を表彰するのは、励みにもなり良い事だと思いました。
今回の表彰者リストです。
・パネルディスカッションは、私にはあまりインパクトはなかったというのが正直な感想です。それよりも例えば旅館のおかみとして、日頃こういう気持ちで、こういった点に気を配りながらおもてなしをしている、という話を聞いたほうがよかったかなとも思いました。
・また表彰された人の誰かが、自分の体験や心構えを発表されるのも一計だったかも知れません。
・ただ、おもてなし、という言葉には,どの様に接するかという大切な要素を含んでいると解釈されがちですが、この言葉にはどう魅力や誇りを伝えるかという要素も見逃してはいけないと思います。また、何を求めてこられたかを理解してそれにどう答えるか、ということが大切なことだと思います。
・京都市は、京都ならではのおもてなしを実践し,京都観光の魅力発信に貢献していただく方として京都おもてなし大使を61人を任命されたそうです。ただ前にリンクを張った、ネコのミモロのJAPAN TRAVELなどの様な活動をされている分野の人にも大使になっていただいて活動してもらいたい気持ちもあります。
・交流会もありましたが、庭園での交流会でなく、研修室でお互いの活動を発表しあったり、質疑応答しあって、情報交換したり、それによってお互いが知り合いになれ、今後の活動に活かすことが出来る機会をつくって欲しいとも思いました。ただ私は用事があり最初だけしか参加できませんでしたのでこの感想は差し控えたく思います。
・私自身は隣の席の方から声を掛けていただき、街道歩きの活動などで共通点もあり、今後お互いに情報交換しようとのお言葉を頂けたのはうれしかったです。
・私自身は京都の文化を語れる資格はありません。ただ京都市にも自然豊かな京北という地があり、その魅力を発信しようとこつこつ活動している一個人です。その視点から今回の受賞者の活動を見ると実に様々な活動があるものだと感心させられ、京都はやはり観光に関しての資源というか資産が豊富だと感じました。でも京都には、古の都としての神社仏閣、伝統文化や食文化以外にも歴史や食文化で別の視点から見ていただけるエリアもあることを、ここ京北からその情報を発信し、謂わばかくれ里で何かを発見すべく訪れていただけたらうれしいと思っています。
・そのためには、先般受けた、体験型観光インストラクター養成講座についても得た知識やノウハウも活用しなければならないと思い、復習をしています。
・余談になりますが、この日は表彰式ということでスーツ姿で参加したのですが、一瀬会長が、何やのスーツ着て、とひやかされました。考えてみると彼女と会うときはトレッキングスタイルが多く、スーツ姿はお見せしていなかったのかもしれません。
これはTwitterでもつぶやきましたので、このブログの右にあるtwitterのログで読んでいただいた方もあるかもしれません。ただ、京都市の観光行政を担っておられるもう一つの部局、観光企画課の課長、砂川さんからtwitterですぐさまおめでとうとのメッセージをいただいたのは、情報化が進んでいるとの印象を受けました。また以前から山行きや飲み会で付き合いのある京都市の元市民文化局長をしておられた柴田さんからもfacebookでおめでとうとの言葉をいただきました。これはお互いの行動がインターネットサイトで情報が直ぐに伝わるという環境になっているということが実感できたものです。
京都の観光産業はV字回復しているそうです。嵯峨野の花灯路なども人出は増加しているそうですし、この様なしくみは観光行政として成果をおさめています。ただ私は、人・人の中で訪れていただいた人が本当の京都を感じて帰って貰えるだろうかという心配も持っています。
というのは例えば京都の寺院は訪れる人にその庭園や建物等々でおもてなしをされていますが、お寺はその外形を見せるためにあるのではない本来の役目があるはずです。来て頂いた方達に佛の心を伝えようとするのが本当のおもてなしではないでしょうか。その観点から今回の表彰者のなかには法話などを積極的にされている人がいらっしゃったのは嬉しく思いました。
ではお前は何でおもてなしをするねん、と問われると苦しいのですが、今は我がふるさとの魅力とは、を真剣に考えています。それをどういう形で発信し、体験していただけるか、悶々としつつも色々な企画を提案すべくトライし続けたいと思っています。
・長く生活した大阪から、田舎に帰るよというと娘が田舎で何するの、と聞いて来ましたので、そうやな、山が好きやから北山をあちこち歩いて、北山を歩きたいという人を案内できたらええなあ、と思っているよ答えたのを思い出します。今の我が活動はその一部が実現されていると分析しています。しかし理想にはまだまだ遠く更なる努力が必要なのですが、色々な素晴らしい人との出会いに恵まれたことを感謝し、これを資源にして、と考えると楽しいものがあります。娘よ、父ちゃん楽しんでるよ~というところでしょうか。
これ以上書いていくと、観光って何やね、となっていきますので、雑感のみ羅列して、さいなら、しとうございます。
切畑、二つ↓のコメント欄で述べたこと、ウソでした(爆)。弓槻橋から左岸を下流に向かわねばなりませんでした。切畑山というのがどれかはすぐに分かりましたが、これというものは未だ見つけられていません。
新企画ね、あれやこれやと考えております。
さてさて、切畑ですが、国道477の向かい側、すなわち大堰川の左岸、弓槻橋一つ下流に架かる橋(小弓槻橋でしたっけ?)のすぐ傍の集落の裏山が平らになっている辺りと思っているのですが、、そうですか何もなかったですか。まあ伝説ですからね~(^_')雪が積もっていたでしょう。宇津は積もらなかったかしら?
今地図をみると切畑は切畠と表記されていますね。
老舗旅館や古寺など有名な場所の女将や僧侶が多い中から、山里のおもてなし担当者として唯一人表彰彰を受けられたことは、大いに意義のあることと思います。我が事の様に嬉しいです。
この中に「吉田山荘」の女将も入っていますが、今月の初めにの長女が来宅している折に、偶然訪れました。注文したコーヒーの横に、女将の筆になる和歌(その日は凡河内躬恒でした)を筆書して添えてありました。そんな心遣いの喫茶店は始めてです。私は、横に自作の歌を書いておきましたが、女将が見られたかどうかは、分かりません。
長い歴史があるとは申せ、京北地区でのガイドは、謂わばこれからの仕事でしょう。かつては、と言いますよりつい最近まで、そんなおもてなしなど全く考えられませんでした。
京北が美山と行政が別れて以来、あちらの活性化に比較して、京北の逡巡が一層目立つ様になった、と思います。
今回、西の鯖街道設置を一つの契機として、関係地域と協力しながら、京北の活性化事業にも漸く弾みが出て来た様です。地域の人をもてなす。これは、簡単な様で奥は極めて深いと思います。地域の歴史や風俗や文化や様々な知識の習得は、並大抵ではなく、むしろ限りない奥深さがあるものです。まして、過疎化にある、謂わば言葉は悪いのですが、放置すれば廃れ兼ねない地域にあっては、それらの習得はなお一層困難と苦労が伴うことでしょう。
それらは、文字通り一朝一夕には不可能です。日頃の勉学や自己研鑽の必要性は言うまでもありません。しかし、努力すれば必ず実を結ぶことです。
それ以前の課題として、ガイドに携わる人物の人間性が、やはり完全なキーポイントになることは他言を許しません。
今回、mfujinoさんが京北第一号として選出を受けられたことは、私は大いに納得しております。推薦者も、やはり人物を見ておられます。
第2の人生を如何に活性化させ得るか。これは誰にとっても長寿時代の最大の課題です。しかし、やりたい事柄があっても、誰にでもそれが叶うことはありません。
mfujinoさんが古里へ帰られ、そして新しい仕事に携わり、それが徐々に実を結びつつある事は、大いに賞賛の価値のあるす快挙です。それには、やはり能力に加えて、人間性、つまり、心の在り方が大いに関係することです。
お嬢さんに大声で伝えて上げてください。
「オヤジは楽しみながら生きてるデ」と。
これからも、どうか楽しみながら頑張って下さい。よかったです!
書いておられます様に、京北は美山ほど話題には上りませんが、最近は訪れていただく人は確実に増えています。美山はかやぶきの里に訪れられる人は多いのですが、少々乱暴な云い方をすれば、それ以外は低迷していると私は分析しています。この比較は意味はないのですが、京北はもっともっと新たな取り組みをしないとジリ貧なのは間違いないでしょう。観光も一つの産業には違いないのですが、私は人口が増える策を練らないといけないと思っています。すなわちそこに住居を構える若者が増えるための施策、すなわち仕事があるという環境作りが必要だということです。これについてはここでは書ききれません。ただ大上段に構えた議論はしつつも、一方で自分で出来る日々の地道な努力は続けていかねばと言い聞かせています。
よく子供や若者に言っているのは、どんな小さな事でもいいから、その道で一番になれ、このことならあの人に聞けと言われる様になれということです。今私について言えば、西の鯖街道や京北トレイルなどについてはいろいろ話が舞い込んでくる様になりました。その他いろいろ取り組んでいることもあり、一つ一つが果実になるようにしたいものです。
西の鯖街道をはじめ色々ガイドして頂きました中でmfujino様への選考は深く納得いたします。
私がゼミナールハウスの友の会に入ったきっかけは、周山中学校の卒業生だというのに、分校に在籍したため長く半世紀も周山に(今の京北に)もの凄い憧れを抱いていたこと。京北ってどんなとこかな、知りたいばかりでした。幸いにこうして講座に参加できる様になり、ますます虜になっていきました。
お迎のバスの車内から、mfujino さんの笑顔のガイドが始まりますと、参加者は和やかムードになりますね。講座の道中でもさりげなく教養が覗き、加えて話術もなかなかで、私たちはそれらに惹かれ引っ張られて、苦しい山道も登れるというものです。
「おもてなし」は立派な文化。この12月から京北も075の市内局番になり、名実ともに京都市民になられ、京北の魅力をひきだし、引き立てていただきたいと願うものです。
改めておめでとうございます。乾杯!
田舎に帰って嬉しかったことの一つは、ゼミナールハウスで西の鯖街道の講座を担当させてもらえたことです。この講座は小畑實先生という先達があってこそなのですが、私自身講座の為のコース設定から下見などに色々な経験をしてきましたが、この様に書いていただくと嬉しいです。昔の人が歩かれた鯖街道については実際に歩き、そのルートを記録し、出来れば整備しておきたいと思っていますし、実際にその活動をすることが出来ました。西の鯖街道は殆ど歩いてしまい、来年の講座はどのルートを歩いてもらおうか苦慮しているのが現状です。
参加していたいた方を二条駅までお迎えに行くのですが、和やかなムードになると言っていただけるのは嬉しいですね。これに関しては、京北ボランティアガイドとしての初ガイドで、今日は私達(その時は二人で担当しました)の初めてガイドさせて頂きます、素人ガイドに案内される皆様はご不満でしょうが、まあこんな星の下に生まれたのかと諦めてください、と挨拶したのを思い出します。割りと図々しいでしょう(^_*)。
表彰式の後こんなことがありました。同行した一瀬会長さんを門川市長が見つけて近寄って、栗尾トンネルはあと66mになりましたね、と工事の進展状況で挨拶を始められたそうです。京北も京都市になったんやなあという実感がしたものです。
来年はゼミナールハウスの講座の数を増やします。どれに参加しようかと迷って貰いましょう(ウインク)気に入った講座があればどんどん参加してください。