10月26日(日) 2/3
12:55『故宮博物院』に入りました。
やっぱ『故宮博物院(紫禁城)』と言えば「ラスト・エンペラー」のイメージが強いですね。
『故宮博物院』は1987年に「世界遺産」に登録されており、2004年に追加登録された『瀋陽故宮博物館』と併せて「明・清朝の皇宮群」としての「世界遺産」です。
俺は『瀋陽故宮』へは2006年8月1日(ブログ参照してね)に訪れているんで、両方を制覇したことになりますね。
『紫禁城』は1420年に竣工し、1912年に最後の皇帝『宣統帝(溥儀)』が退位するまで、24人の「皇帝」がおよそ500年に渡ってここを統治の中心としてきました。
総面積は72万㎡で、周囲は高さ10mの城壁で囲まれています。
これは「太和門」です。
「獅子」は主要な「宮殿」などの前には必ずあります。
「皇帝」の早い帰還を祈る意味があるらしいです。
一対であり、東は鞠を弄ぶ雄らしいんで、これは雄だね。
その先に「太和殿」があります。
「太和殿」は中国最大の木造建築物で、外朝といわれ「三大節(元旦・冬至・皇帝誕生日)」や、「皇帝の即位」、「婚礼」、「出兵令」の重要儀式が行われました。
「宮殿建築」には「獅子」の他にもいろいろな装飾があります。
「嘉量(左)」は「乾隆帝」が設置した全国標準の量りです。
「皇帝」の正統性のシンボルでもあります。
日時計は標準時を割り出したモノで、「太和殿」前にある2つは、建物側は夏用で、広場側は冬用に使われたらしいです。
「亀」は長寿のシンボルで、「皇帝」の長寿を祈念しています。
「鳳凰」は「皇后」の幸福のシンボルと言われています。
これは「銅鉄缸」といい、宮中の防火設備の一つだそうです。
「太和殿」といえば1908年に3歳の『溥儀』が即位式を挙げた場所で、映画「ラスト・エンペラー」の撮影も行われています。
「ラスト・エンペラー」では隠していた「こおろぎ」を出すラストシーンでも見ることが出来た「玉座」なんですが、正面から公開してくれて無く左右の扉からしか見れず、こんな写真しか撮れませんでした…
これは「中和殿」です。
これは「中和殿」内の「宝座」です。
「皇帝」は「太和殿」で式典を行う際ここで一時休憩し、臣下の祝賀を受けた場所だそうです。
これは「保和殿」です。
式典前の「皇帝」の更衣室だったようです。
「大石雕(右)」は「保和殿」の裏側にあった最大の「雲龍石」で9匹の龍が彫られています。
これは「乾清門」です。
この「獅子」は左前足で子供をあやす雌です。
これは「乾清宮」です。
「乾清宮」がある辺りは「内廷」といわれ、「皇帝」が政務を行った場所です。
『溥儀』は1912年の退位後も、1924年までここに住んでいたといわれています。
「乾清宮」は「皇帝」の死後、棺を一時安置する場にも使われたそうです。
そして儀式の後、「景山(現・景山公園)」の「観徳殿」に移された後に「皇陵」に埋葬されたそうです。
西サイドの「養心殿」に行ってみました。
「養心殿」は『溥儀』の寝所だった場所で、ここで退位し皇帝制度が終焉しました。
これが「寝所」かな?
これは「三希堂」内のモノだったかな…?
「東暖閣」には「宝座」があり、『西太后(1835年 - 1908年)』はここで「東太后」と共に「同治帝」、「光緒帝」の「垂簾政治」を行いました。
天井の装飾も豪華です。
また「乾清宮」方面に戻りました。
これは「交泰殿」です。
「造り」は「中和殿」と同じのようです。
これは「坤寧宮」です。
1922年には「坤寧宮」で『溥儀』の結婚式が行われたそうです。
ここは「御花園」です。
「御花園」は『溥儀』が幼い頃に遊んだといわれている庭園です。
これらも庭園内にあったモノですが、中央は歯の形をした石です。
天然らしいんだけど、ガイドが『諸葛亮』がどうの…って、それしか聞き取れなかったけど何か関係があるの?
左は「千秋亭」で、右は「万寿亭」です。
この「養性斎」で『溥儀』はイギリス人家庭教師「ジョンストン」から「英語」を教わりました。
「R.F.ジョンストン」の手記「紫禁城の黄昏」が「ラスト・エンペラー」の基になってるのかな?
まだ西サイドで行っていない所にも行きました。
これは「儲秀宮」で、『西太后』は50歳の誕生日に大金を投じて「西六宮」を大改修し、住居を「長春宮」からここに移しました。
これは「長春宮」で、「乾隆帝」の「孝賢皇后」が住み、『西太后』も初期に住んだ宮殿です。
主要な建物しか紹介出来ませんが、東サイドは“Part.2”でレポートします。
12:55『故宮博物院』に入りました。
やっぱ『故宮博物院(紫禁城)』と言えば「ラスト・エンペラー」のイメージが強いですね。
『故宮博物院』は1987年に「世界遺産」に登録されており、2004年に追加登録された『瀋陽故宮博物館』と併せて「明・清朝の皇宮群」としての「世界遺産」です。
俺は『瀋陽故宮』へは2006年8月1日(ブログ参照してね)に訪れているんで、両方を制覇したことになりますね。
『紫禁城』は1420年に竣工し、1912年に最後の皇帝『宣統帝(溥儀)』が退位するまで、24人の「皇帝」がおよそ500年に渡ってここを統治の中心としてきました。
総面積は72万㎡で、周囲は高さ10mの城壁で囲まれています。
これは「太和門」です。
「獅子」は主要な「宮殿」などの前には必ずあります。
「皇帝」の早い帰還を祈る意味があるらしいです。
一対であり、東は鞠を弄ぶ雄らしいんで、これは雄だね。
その先に「太和殿」があります。
「太和殿」は中国最大の木造建築物で、外朝といわれ「三大節(元旦・冬至・皇帝誕生日)」や、「皇帝の即位」、「婚礼」、「出兵令」の重要儀式が行われました。
「宮殿建築」には「獅子」の他にもいろいろな装飾があります。
「嘉量(左)」は「乾隆帝」が設置した全国標準の量りです。
「皇帝」の正統性のシンボルでもあります。
日時計は標準時を割り出したモノで、「太和殿」前にある2つは、建物側は夏用で、広場側は冬用に使われたらしいです。
「亀」は長寿のシンボルで、「皇帝」の長寿を祈念しています。
「鳳凰」は「皇后」の幸福のシンボルと言われています。
これは「銅鉄缸」といい、宮中の防火設備の一つだそうです。
「太和殿」といえば1908年に3歳の『溥儀』が即位式を挙げた場所で、映画「ラスト・エンペラー」の撮影も行われています。
「ラスト・エンペラー」では隠していた「こおろぎ」を出すラストシーンでも見ることが出来た「玉座」なんですが、正面から公開してくれて無く左右の扉からしか見れず、こんな写真しか撮れませんでした…
これは「中和殿」です。
これは「中和殿」内の「宝座」です。
「皇帝」は「太和殿」で式典を行う際ここで一時休憩し、臣下の祝賀を受けた場所だそうです。
これは「保和殿」です。
式典前の「皇帝」の更衣室だったようです。
「大石雕(右)」は「保和殿」の裏側にあった最大の「雲龍石」で9匹の龍が彫られています。
これは「乾清門」です。
この「獅子」は左前足で子供をあやす雌です。
これは「乾清宮」です。
「乾清宮」がある辺りは「内廷」といわれ、「皇帝」が政務を行った場所です。
『溥儀』は1912年の退位後も、1924年までここに住んでいたといわれています。
「乾清宮」は「皇帝」の死後、棺を一時安置する場にも使われたそうです。
そして儀式の後、「景山(現・景山公園)」の「観徳殿」に移された後に「皇陵」に埋葬されたそうです。
西サイドの「養心殿」に行ってみました。
「養心殿」は『溥儀』の寝所だった場所で、ここで退位し皇帝制度が終焉しました。
これが「寝所」かな?
これは「三希堂」内のモノだったかな…?
「東暖閣」には「宝座」があり、『西太后(1835年 - 1908年)』はここで「東太后」と共に「同治帝」、「光緒帝」の「垂簾政治」を行いました。
天井の装飾も豪華です。
また「乾清宮」方面に戻りました。
これは「交泰殿」です。
「造り」は「中和殿」と同じのようです。
これは「坤寧宮」です。
1922年には「坤寧宮」で『溥儀』の結婚式が行われたそうです。
ここは「御花園」です。
「御花園」は『溥儀』が幼い頃に遊んだといわれている庭園です。
これらも庭園内にあったモノですが、中央は歯の形をした石です。
天然らしいんだけど、ガイドが『諸葛亮』がどうの…って、それしか聞き取れなかったけど何か関係があるの?
左は「千秋亭」で、右は「万寿亭」です。
この「養性斎」で『溥儀』はイギリス人家庭教師「ジョンストン」から「英語」を教わりました。
「R.F.ジョンストン」の手記「紫禁城の黄昏」が「ラスト・エンペラー」の基になってるのかな?
まだ西サイドで行っていない所にも行きました。
これは「儲秀宮」で、『西太后』は50歳の誕生日に大金を投じて「西六宮」を大改修し、住居を「長春宮」からここに移しました。
これは「長春宮」で、「乾隆帝」の「孝賢皇后」が住み、『西太后』も初期に住んだ宮殿です。
主要な建物しか紹介出来ませんが、東サイドは“Part.2”でレポートします。
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