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ぶらり「北京」散歩~其之十「故宮博物院」編 Part.2

2008年10月26日 | 北京散歩
10月26日(日) 3/3
次は「乾清宮」の東サイドに行ってみました。
主要な所だけ紹介します。

これは「延禧宮」です…って址か?
そして東サイドの「珍宝館」に入りました。
(珍宝館は別途10元の入場料が掛かります)

入ると、すぐ『九龍壁』を見ることが出来ます。
1771年に造られた幅31mの巨大壁画で、「山西省大同(2008年9月30日訪問)」と「北京・北海公園」の『九龍壁』で“中国三大九龍壁”なんです。
近々「北海公園」にも行って“中国三大九龍壁”を制覇します。

これは「寧寿門」です。

これは「皇極殿」です。
「乾隆帝」はここで招待客2,000人の「長寿の宴」を開き、『西太后』も真似て大宴会を開いています。

これは「寧寿宮」です。

「寧寿宮」は全体が「珍宝館」になっていて「清」朝が所蔵した宮廷装飾品などの至宝が多数展示されています。

これは小物入れですか?

玉で作られた「十二支」ですね。

「皇帝」や「皇后」の装飾品の説明です。

これは帽子の上の飾りかな。

これは髪飾りかな?

これは「冠」ですかね。

これは「養性殿」です。

これは「宮廷音楽(雅楽)」に使われた楽器のようです。

左は「暢音閣」で、向かいには「閲是楼(右)」があります。

「暢音閣」は「紫禁城」内の京劇舞台です。
『西太后』は50歳の誕生日に24日間続けて上演させるほどの京劇好きだったらしいです。

「閲是楼」内に展示されている京劇鑑賞に座った「宝座」です。

これは当時の模様を描いた絵ですね。
左に「閲是楼」、右に「暢音閣」が描かれています。

「洛陽」で『董卓』暗殺に失敗した『曹操(中央)』は「陳宮(右)」に救われました。
「陳留」に逃走する途中で「呂伯奢(左)」のもてなしを受けるのですが…。

『周瑜』『魯粛』「太史慈」らが描かれている絵です。
『西太后』も「三国演義」を題材にした「京劇」が好きだったんでしょうか?

「閲是楼」内に展示されている「京劇」の装飾品です。

こちらは楽器系です。

これは「楽寿堂」です。

かつては「乾隆帝」の母が暮らした場所で、後に『西太后』が晩年を過ごし、ここで息を引き取りました。

数々の宝物が展示されていました。

これは「頤和軒」です。

よく分からないけど「頤和軒」内の展示品です。

これは「珍妃井」です。
1900年に「8ヶ国連合軍」が「北京」に侵入した際、『西太后』は「光緒帝」と共に「西安」へ避難しましたが、反目していた「光緒帝」の妃「珍妃」をこの「井戸」に投げ込み溺死させたという熾烈なエピソードが残っています。
でも…この「井戸」じゃ、小さすぎて人は落とせないと思うけど…
そして「珍宝館」を出ました。

この赤く高い壁がある「外東路」は『溥儀』が「自転車」で走り、中国で最初に「自転車」が走った道といわれています。
映画「ラスト・エンペラー」で「ジョンストン」からプレゼントされた「自転車」に『溥儀』が乗ってたシーンを思い出しました。
「神武門(右)」は『故宮』の北側の門で、「皇帝」に仕えた「官吏」や「宦官」などが夕刻の鐘と共にここから宮殿を出て行きました。
俺は「神武門」から出てしまうと「地下鉄駅」から遠いんで、また『故宮博物院』内を「天安門」方面に戻ることにしました。

象の像を発見しました。

再び「乾清宮」を抜けました。

そして「太和殿」を抜けました。
この「太和殿」前の広場で、儀式の時には数千人の「官吏」たちが並び万歳を唱えたといいます。

16:40『故宮博物院』を出ました。
「天安門国旗護衛隊」の演習です。

これは「明清紅夷炮」です。
17:00「天安門」を出て、17:20「地下鉄1号線・天安門西」に着きました。
そして「地下鉄2号線」と「地下鉄13号線」を乗り継ぎ、17:55「知春路」で降りました。
それから「WAL★MART」で夕飯や、明日からの朝食を買って、19:00学校に戻りました。

今日の「戦利品」は「大柵欄街」の「お土産屋」で買った「三国演義」と「水滸伝」の「トランプ」です。

また「ラスト・エンペラー」を見て『故宮』の復習をしようと思います。
では、また。



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