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「労働節」旅行~⑤河北省邯鄲市『ギョウ城遺址』編

2008年05月02日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
5月2日(金)
今日は「河北省邯鄲市」にある『鄴城遺址』に行きます。

「邯鄲」行きの「バス」は7:30発なので、6:00起床し、7:10チェックアウトしました。

7:30「バス」は発車しました。
今日は12:00には「邯鄲」に着いて、14:00には『鄴城遺址』に着き、夜には「山東省聊城」まで出れれば…ってな感じです。

そして12:50「邯鄲」の手前の「磁県」で降りることにしました。
「邯鄲」まで行ってしまうと、また「磁県」方面まで戻らなきゃいけないからね。
それに気付いたのも「磁県」に入る直前でしたからね。
でも、この作戦に切り替えて正解でしたね。
「磁県」から「臨漳」行きの「バス」に乗りましたが、出発したのは30分後でした。

そして「臨漳」に着いたのは、13:50でした…
ちょっと時間が押してるぞ…「磁県」から「臨漳」に行く途中、『鄴城遺址』に行く道があったんだけど、そこで降りても交通手段が無さそうだったんで(距離は8Km)、そのまま「臨漳」まで行ってしまったんです。

「臨漳」からは「3路バス」が『鄴城遺址』まで行くんで探し出すと…15:00出発だと~
まだ1時間以上待つのかよ…
これじゃ、今晩「聊城」まで出れなくなっちゃうよ
14:00、仕方なく付近で「白タク」を拾い、『鄴城遺址』に向かいました。

14:30『鄴城遺址』に着きました。 (入場料10元)

『曹操』像でーす。

「鄴城」は春秋時代…「斉」の「桓公」の時代に建てられたのが始めとなります。
後漢時代では『曹操』が『袁紹』を破った後にここを「都城」としています。
『曹操』が建てた「銅雀」「金鳳」「冰井」の3つの台があったことから「三台」が村の名前として残っています。
今でも立派な台基を残しているのは「金鳳台」のみです。

この門を入ると…

左は「転軍洞」、石段を上がると「金鳳台」です。

「転軍洞」の中は、こんな感じです。
「転軍洞」は『曹操』軍が閲兵を行った際、兵数を多く見せる為に洞内を何度も通させたと言います。

「金鳳台」に上がると…

『曹操』の塑像がありました。

『曹操』配下の武将なんだろうけど…どれが誰だか分からないや。

ここには「建安七子」が祀られていました。

左から「王粲」『孔融』「劉」です。
『孔融』も「臨淄」の墓陵探しでお馴染みになりましたね。

そして「阮瑀」「陳琳」と…

「徐幹」「応瑒」です。
『孔融』以外は知りませんでした…「文学者」だしね。

いろんな像が放置されてるんだけど…誰なんだろ

畑にもいました。

「ここにも隠れてやがったか

入口の「楼閣・文昌閣」には「文姫帰漢」の画があります。
当時『曹操』は「蔡文姫」を「銅雀台」で出迎えたと言います。

15:10ごろ、待たせていた「白タク」に乗り、そのまま「邯鄲」まで出ることにしました。
金はまあまあ掛かったけど、これが最良の方法だったと思う…

16:10「邯鄲汽車客運総站」に着きました。
16:45「山東省聊城」行きの「バス」は発車し、20:10「聊城」に着きました。
20:30「聊城汽車総站」近くの「ホテル」にチェックインしました。

ちょっと「輪タク」で繁華街まで出ましたが「日本料理店」も無く、21:15中華のチェーン店に入りました。

「鉄板牛肉」と…

俺は「ワンタン」を食べました。
22:10店を出て「輪タク」を拾い、22:20「ホテル」に戻りました。

明日は「水滸伝」の『水泊梁山』に行きます。



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