7月29日(金)
今日も史跡ハントのみの日ですよ~
果たして1日でどこまで行けるだろうか…
8:25チェックアウトし、ホテル前でタクシーを拾いました。
ここ「淮安」は「韓信」の故里で、事前に調べておいた史跡を運チャンに連れて行ってもらうことにしたんだけど…どこも知らないって。
とりあえず、近くに行って聞き込みをするって言うんで、楚州区に向かいました。
9:10ごろ、地元人民に聞き込みを重ね…連れて来てもらったのは、この「韓信釣台(漂母祠)」なんだけど、ただの亭じゃん。
確か(ネットで見た写真では)こんなじゃなかったけど…地元人民に聞いても分からないくらいだもんな…ダメだこりゃ。
そして、またも聞き込みして、9:20ごろ「漢韓侯祠」に着きました…って、運チャンは気づかず通り過ぎちゃってさ、俺の方が気づいてたんで戻ってもらったくらい。
入場券10元は、この祠前にいたオッちゃんに支払ったんだけど、券がなぜか湿ってました。
祠の中には、この「韓信」像があるだけで…
あとは壁に絵が貼られてるくらいでした…
これも運チャンやS君も気づかなかった「漢淮陰侯韓信故里」碑です。
他に「胯下橋」なんてのもピックアップしてたんだけど…もういいや。
9:40「周恩来紀念館」でタクシーを降りました。
ここ「淮安」は「周恩来」の出身地なんです。
ちなみに「西遊記」の作者「呉承恩」の出身地でもあります。
入場は無料でした。
これが「周恩来紀念館」です。
中の「周恩来」像です。
1972年に、日本国首相の「田中角栄」と日中共同声明に調印したことでも知られている方ですね。
1954年に日本にいる溥傑(溥儀の弟)の長女「慧生」からの手紙を読んで感動し、獄中の「溥傑」と日本にいる妻子(浩と2人の娘)との文通を認めました。
1960年に「溥傑」が釈放された際も、当時まだ日本と中華人民共和国の国交が無かったにもかかわらず、「浩」の訪中を歓迎しました。
「周恩来」は日本留学経験もあるし、凄く“いい人”ってイメージなんだよね。
1976年に死去されてるんで、後から聞いたりしたエピソードでだけどさ。
だから、俺は「毛沢東」は嫌いだけど、「周恩来」は大好きですね。
こちらは「周恩来」の生涯や偉業を紹介する紀念館でした。
「周恩来」は優しそうな感じだもんね。
まだ奥にも建物があるよ…
でも、これは見てもつまらなそうだったんで入りませんでした。
10:30ごろ「周恩来紀念館」を出て、タクシーを拾って「汽車站」に行きたいのに全然タクシーなんて通らないじゃん。
その後は輪タクらの勧誘が煩くて…
20分以上待ってやっとタクシーが拾え、その前に「韓信故里」関係に連れて行ってもらった運チャンからのアドバイス通り、一度楚州区を出る手前で降り、すぐタクシーを乗り換えて11:35「淮安汽車北站」に着きました。
その運チャンが言うには「城区とそれ以外では料金体制が違う」らしいんだけど…よく分からんわ。
でも、次に行く「宿遷市」に行くバスは「淮安汽車客運站」から出るらしいんで、今度は路バスに乗って戻る形になったんだけど循環バスの逆行きに乗ってしまい…
12:20「淮安汽車客運站」に着きました。
「北站」に着いた時(11:35)には12:10に「宿遷」行きのバスがあったんで十分間に合ったのにさ…次のバスは13:00発だって。
もう…S君がいてもいなくても変わらんなぁ。
そして14:35「宿遷汽車客運站」に着きました。
この「宿遷」は覇王「項羽」の故里なんです。
付近には「項王小区」なんて地名も。
14:45タクシーを拾い…
14:55「項王故里」に着きました。
入場料は20元でしたが、S君は入場券売場の中で待ってると言うんで1人で入りました。
入ると、また門があり…
「英風閣」があります。
その前にあるのが「覇王鼎」で、高さ2.6m、直径1.9mあります。
「項羽」が持ち上げたという逸話があります。
「英風閣」の「項羽」像と…
右側には楚側の…
「范増」「項庄」
「項伯」「項梁」です。
左側には漢側の…
「劉邦」「陳平」
「英布」「浦将軍」の像がありました。
中庭の「項王手植槐(えんじゅ)」です。
これは「飲馬槽」です。
これは「項羽」の愛馬の騅(すい)です。
これは「項王故居紀念室」です。
「項王故居紀念室」の中には「虞姫」の像があります。
この後は「虞姫」の墓(安徽省霊壁県)にも行く予定です。
これは寝室かな?
これは…客間?
これは「項里桐」と「項羽習武場」です。
これは井戸ですね。
15:10「項王故里」を出ました。
その前方に何か建物が見えたんで、ちょっと行ってみることに。
何か分からなかったんだけど、後で聞いたら寺でした。
そしたら付近に「項王蜡像館」ってのがあり、ちょっと入ってみました。(入場料10元)
正面の建物が「第1庁」って書いてあったんで入ってみると…中の人形と説明は3~5なんだよね…
どうも建物の番号と人形の順番が違うようなので、人形の順番通りに紹介します。
一、呉中兵変
二、怒殺宋義
三、破釜沈舟
四、定都彭城
五、彭城大捷
六、鴻門謝罪
七、兵困垓下
あれ?記事作成中にネットで調べたら8シーンあったみたいね…見落とした?
15:15ごろ「項王蜡像館」を出て、タクシーを拾いました。
「宿遷」での史跡ハントはこれだけなんでね…「汽車站」に向かいました。
その途中で「覇王挙鼎」像の写真を撮るために降ろしてもらいました。
15:30「宿遷汽車客運站」に戻りました。
次の目的地の「睢寧県」行きのバスは15:40発車しました。
そして16:10「睢寧汽車東站」に着いたんだけど、目的地の「古邳鎮」に行くには「汽車西站」に出なきゃならないみたい…
バスに乗り、17:00「西站」に着いたんだけど、これから「古邳鎮」に行くのは無謀じゃないかなぁ…
17:15「古邳鎮」行きのバスは発車しました。
俺は2008年4月5日に「古邳鎮」には来てるんでね…あそこじゃホテルなんて無いぞ。
17:50「古邳鎮」に着きました。
ここでは2ヶ所「張良」に関する史跡をハントする予定なんだけど、1ヶ所は祠なんで、もう入れないかもな…
とりあえず、輪タクに乗り…17:55「留侯祠」に着きました。
そしたら、この門にオジイさんがいて…まだ入れるみたい。(入場料1元・門票無し)
これは「張良殿」です。
「劉邦」より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので「留侯」とも呼ばれています。
中に「張良」像があります。
「張良」は軍師として「劉邦」を補佐し、楚(項羽)を倒して漢を建国した立役者の1人です。
その後輪タクに連れて行ってもらったのは「圮橋」です。
「張良」って書いてあるし。
韓の宰相の子に生まれた「張良」は、まだ若き頃(20歳くらい?)に国を秦に滅ぼされました。
「張良」は復讐のため、同志を求めて東へ旅をし、「倉海君」という人物に出会い、その人物と話し合って屈強な力士を借り受け、紀元前218年頃に「始皇帝」が巡幸の途中で博狼沙(現在の河南省陽武の南)を通った所を狙いました。
方法は重さ120斤(約30kg)という鉄槌を投げつけ、「始皇帝」が乗った車を潰すというものでしたが、鉄槌は副車に当たってしまって暗殺は失敗に終わり、「張良」たちは逃亡しました。
「始皇帝」は自らを暗殺しようとした者に怒り、全国に触れを回して捕らえようとしました。
そこで「張良」は偽名を使って「下邳」に隠れていました。
ある日「張良」が橋の袂を通りかかると、汚い服を着た老人が自分の靴を橋の下に放り投げ、「張良」に向かって「小僧、取って来い」と言いつけました。
「張良」は頭に来て殴りつけようかと思いましたが、相手が老人なので我慢して靴を取って来ました。
すると老人は足を突き出して「履かせろ」と言います。
「張良」は「この爺さんに最後まで付き合おう」と考え、跪いて老人に靴を履かせました。
老人は笑って去って行きましたが、その後で戻って来て「お前に教えることがある。5日後の朝にここに来い」と言いました。
5日後の朝、日が出てから「張良」が約束の場所に行くと、既に老人は来ていました。
老人は「目上の人間と約束して遅れてくるとは何事だ」と言い「また5日後に来い」と言い残して去って行きました。
5日後、「張良」は日の出の前に家を出ましたが、既に老人は来ていました。
老人は再び「5日後に来い」と言い残して去って行きました。
次の5日後、「張良」は夜中から約束の場所で待ちました。
しばらくして老人がやって来て、老人は満足気に「おう、わしより先に来たのう。こうでなくてはならん。その謙虚さこそが大切なのだ」と言い、「張良」に“太公望の兵法書”を渡して「これを読めば王者の師となれる。13年後にお前は山の麓で黄色い石を見るだろう。それがわしである」と言い残して消え去ったといいます。
後年、「張良」はこの予言通り「黄石」に出会い、これを持ち帰って家宝とし、死後には一緒に墓に入れられたといいます。
これら石碑には、その故事が記されていたのかなぁ?もう読めなかったけどね。
18:10バスを降りた場所に戻って来ました。
何とか「睢寧」に戻るバスもまだあったよ~
18:50「汽車西站」に着いたけど、今日はもう「安徽省霊壁県」に行くバスは終わってました。
そこに行くバスがあるなんて思ってなかったんだけど…今日はこの「睢寧県」に宿泊するしかないワケか…
19:00路バスに乗り、19:20街の中心部で降りました。
19:30近くのホテルにチェックインして、街に夕飯を食べに行きました。
中心部は思ったより(青州より)開けてたよ。
レストランで20元の弁当?を食べ、
アイスコーヒーを注文したんだけど…これが1杯21元(約250円)だよ~
ホットだと18元らしいんだけど、それをアイスにすると+3元になる意味が分からん。
…ってか、21元でもいいけど、何でアイスコーヒーがカップなのさ?3秒で飲み干したわ…
最後は「ロッテ・マート」で買い物してホテルに帰りました。
「楽天」と書いて「ロッテ」ってのが面白いでしょ。
今日は何とか「睢寧」の史跡ハントまで終わらせ、この未知の地でホテルも探せて良かったです。
では、また明日。
今日も史跡ハントのみの日ですよ~
果たして1日でどこまで行けるだろうか…
8:25チェックアウトし、ホテル前でタクシーを拾いました。
ここ「淮安」は「韓信」の故里で、事前に調べておいた史跡を運チャンに連れて行ってもらうことにしたんだけど…どこも知らないって。
とりあえず、近くに行って聞き込みをするって言うんで、楚州区に向かいました。
9:10ごろ、地元人民に聞き込みを重ね…連れて来てもらったのは、この「韓信釣台(漂母祠)」なんだけど、ただの亭じゃん。
確か(ネットで見た写真では)こんなじゃなかったけど…地元人民に聞いても分からないくらいだもんな…ダメだこりゃ。
そして、またも聞き込みして、9:20ごろ「漢韓侯祠」に着きました…って、運チャンは気づかず通り過ぎちゃってさ、俺の方が気づいてたんで戻ってもらったくらい。
入場券10元は、この祠前にいたオッちゃんに支払ったんだけど、券がなぜか湿ってました。
祠の中には、この「韓信」像があるだけで…
あとは壁に絵が貼られてるくらいでした…
これも運チャンやS君も気づかなかった「漢淮陰侯韓信故里」碑です。
他に「胯下橋」なんてのもピックアップしてたんだけど…もういいや。
9:40「周恩来紀念館」でタクシーを降りました。
ここ「淮安」は「周恩来」の出身地なんです。
ちなみに「西遊記」の作者「呉承恩」の出身地でもあります。
入場は無料でした。
これが「周恩来紀念館」です。
中の「周恩来」像です。
1972年に、日本国首相の「田中角栄」と日中共同声明に調印したことでも知られている方ですね。
1954年に日本にいる溥傑(溥儀の弟)の長女「慧生」からの手紙を読んで感動し、獄中の「溥傑」と日本にいる妻子(浩と2人の娘)との文通を認めました。
1960年に「溥傑」が釈放された際も、当時まだ日本と中華人民共和国の国交が無かったにもかかわらず、「浩」の訪中を歓迎しました。
「周恩来」は日本留学経験もあるし、凄く“いい人”ってイメージなんだよね。
1976年に死去されてるんで、後から聞いたりしたエピソードでだけどさ。
だから、俺は「毛沢東」は嫌いだけど、「周恩来」は大好きですね。
こちらは「周恩来」の生涯や偉業を紹介する紀念館でした。
「周恩来」は優しそうな感じだもんね。
まだ奥にも建物があるよ…
でも、これは見てもつまらなそうだったんで入りませんでした。
10:30ごろ「周恩来紀念館」を出て、タクシーを拾って「汽車站」に行きたいのに全然タクシーなんて通らないじゃん。
その後は輪タクらの勧誘が煩くて…
20分以上待ってやっとタクシーが拾え、その前に「韓信故里」関係に連れて行ってもらった運チャンからのアドバイス通り、一度楚州区を出る手前で降り、すぐタクシーを乗り換えて11:35「淮安汽車北站」に着きました。
その運チャンが言うには「城区とそれ以外では料金体制が違う」らしいんだけど…よく分からんわ。
でも、次に行く「宿遷市」に行くバスは「淮安汽車客運站」から出るらしいんで、今度は路バスに乗って戻る形になったんだけど循環バスの逆行きに乗ってしまい…
12:20「淮安汽車客運站」に着きました。
「北站」に着いた時(11:35)には12:10に「宿遷」行きのバスがあったんで十分間に合ったのにさ…次のバスは13:00発だって。
もう…S君がいてもいなくても変わらんなぁ。
そして14:35「宿遷汽車客運站」に着きました。
この「宿遷」は覇王「項羽」の故里なんです。
付近には「項王小区」なんて地名も。
14:45タクシーを拾い…
14:55「項王故里」に着きました。
入場料は20元でしたが、S君は入場券売場の中で待ってると言うんで1人で入りました。
入ると、また門があり…
「英風閣」があります。
その前にあるのが「覇王鼎」で、高さ2.6m、直径1.9mあります。
「項羽」が持ち上げたという逸話があります。
「英風閣」の「項羽」像と…
右側には楚側の…
「范増」「項庄」
「項伯」「項梁」です。
左側には漢側の…
「劉邦」「陳平」
「英布」「浦将軍」の像がありました。
中庭の「項王手植槐(えんじゅ)」です。
これは「飲馬槽」です。
これは「項羽」の愛馬の騅(すい)です。
これは「項王故居紀念室」です。
「項王故居紀念室」の中には「虞姫」の像があります。
この後は「虞姫」の墓(安徽省霊壁県)にも行く予定です。
これは寝室かな?
これは…客間?
これは「項里桐」と「項羽習武場」です。
これは井戸ですね。
15:10「項王故里」を出ました。
その前方に何か建物が見えたんで、ちょっと行ってみることに。
何か分からなかったんだけど、後で聞いたら寺でした。
そしたら付近に「項王蜡像館」ってのがあり、ちょっと入ってみました。(入場料10元)
正面の建物が「第1庁」って書いてあったんで入ってみると…中の人形と説明は3~5なんだよね…
どうも建物の番号と人形の順番が違うようなので、人形の順番通りに紹介します。
一、呉中兵変
二、怒殺宋義
三、破釜沈舟
四、定都彭城
五、彭城大捷
六、鴻門謝罪
七、兵困垓下
あれ?記事作成中にネットで調べたら8シーンあったみたいね…見落とした?
15:15ごろ「項王蜡像館」を出て、タクシーを拾いました。
「宿遷」での史跡ハントはこれだけなんでね…「汽車站」に向かいました。
その途中で「覇王挙鼎」像の写真を撮るために降ろしてもらいました。
15:30「宿遷汽車客運站」に戻りました。
次の目的地の「睢寧県」行きのバスは15:40発車しました。
そして16:10「睢寧汽車東站」に着いたんだけど、目的地の「古邳鎮」に行くには「汽車西站」に出なきゃならないみたい…
バスに乗り、17:00「西站」に着いたんだけど、これから「古邳鎮」に行くのは無謀じゃないかなぁ…
17:15「古邳鎮」行きのバスは発車しました。
俺は2008年4月5日に「古邳鎮」には来てるんでね…あそこじゃホテルなんて無いぞ。
17:50「古邳鎮」に着きました。
ここでは2ヶ所「張良」に関する史跡をハントする予定なんだけど、1ヶ所は祠なんで、もう入れないかもな…
とりあえず、輪タクに乗り…17:55「留侯祠」に着きました。
そしたら、この門にオジイさんがいて…まだ入れるみたい。(入場料1元・門票無し)
これは「張良殿」です。
「劉邦」より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので「留侯」とも呼ばれています。
中に「張良」像があります。
「張良」は軍師として「劉邦」を補佐し、楚(項羽)を倒して漢を建国した立役者の1人です。
その後輪タクに連れて行ってもらったのは「圮橋」です。
「張良」って書いてあるし。
韓の宰相の子に生まれた「張良」は、まだ若き頃(20歳くらい?)に国を秦に滅ぼされました。
「張良」は復讐のため、同志を求めて東へ旅をし、「倉海君」という人物に出会い、その人物と話し合って屈強な力士を借り受け、紀元前218年頃に「始皇帝」が巡幸の途中で博狼沙(現在の河南省陽武の南)を通った所を狙いました。
方法は重さ120斤(約30kg)という鉄槌を投げつけ、「始皇帝」が乗った車を潰すというものでしたが、鉄槌は副車に当たってしまって暗殺は失敗に終わり、「張良」たちは逃亡しました。
「始皇帝」は自らを暗殺しようとした者に怒り、全国に触れを回して捕らえようとしました。
そこで「張良」は偽名を使って「下邳」に隠れていました。
ある日「張良」が橋の袂を通りかかると、汚い服を着た老人が自分の靴を橋の下に放り投げ、「張良」に向かって「小僧、取って来い」と言いつけました。
「張良」は頭に来て殴りつけようかと思いましたが、相手が老人なので我慢して靴を取って来ました。
すると老人は足を突き出して「履かせろ」と言います。
「張良」は「この爺さんに最後まで付き合おう」と考え、跪いて老人に靴を履かせました。
老人は笑って去って行きましたが、その後で戻って来て「お前に教えることがある。5日後の朝にここに来い」と言いました。
5日後の朝、日が出てから「張良」が約束の場所に行くと、既に老人は来ていました。
老人は「目上の人間と約束して遅れてくるとは何事だ」と言い「また5日後に来い」と言い残して去って行きました。
5日後、「張良」は日の出の前に家を出ましたが、既に老人は来ていました。
老人は再び「5日後に来い」と言い残して去って行きました。
次の5日後、「張良」は夜中から約束の場所で待ちました。
しばらくして老人がやって来て、老人は満足気に「おう、わしより先に来たのう。こうでなくてはならん。その謙虚さこそが大切なのだ」と言い、「張良」に“太公望の兵法書”を渡して「これを読めば王者の師となれる。13年後にお前は山の麓で黄色い石を見るだろう。それがわしである」と言い残して消え去ったといいます。
後年、「張良」はこの予言通り「黄石」に出会い、これを持ち帰って家宝とし、死後には一緒に墓に入れられたといいます。
これら石碑には、その故事が記されていたのかなぁ?もう読めなかったけどね。
18:10バスを降りた場所に戻って来ました。
何とか「睢寧」に戻るバスもまだあったよ~
18:50「汽車西站」に着いたけど、今日はもう「安徽省霊壁県」に行くバスは終わってました。
そこに行くバスがあるなんて思ってなかったんだけど…今日はこの「睢寧県」に宿泊するしかないワケか…
19:00路バスに乗り、19:20街の中心部で降りました。
19:30近くのホテルにチェックインして、街に夕飯を食べに行きました。
中心部は思ったより(青州より)開けてたよ。
レストランで20元の弁当?を食べ、
アイスコーヒーを注文したんだけど…これが1杯21元(約250円)だよ~
ホットだと18元らしいんだけど、それをアイスにすると+3元になる意味が分からん。
…ってか、21元でもいいけど、何でアイスコーヒーがカップなのさ?3秒で飲み干したわ…
最後は「ロッテ・マート」で買い物してホテルに帰りました。
「楽天」と書いて「ロッテ」ってのが面白いでしょ。
今日は何とか「睢寧」の史跡ハントまで終わらせ、この未知の地でホテルも探せて良かったです。
では、また明日。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます