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中国歴史紀行~安徽省和県「覇王祠」・江蘇省南京市「リベンジ」編

2011年07月27日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
7月27日(水)
今日は6:30チェックアウトし、7:00発の「無錫市」行きのバスに乗りました。

そして9:35「無錫市」に着きました。
ここ「無錫市」では午前1社、午後2社の考察をしたんだけど…最後の1社が中国の「高鉄(新幹線)」開通のため立ち退いて別の場所に移っててさ。
それを知らなかったから行くのに苦労したわ…
その最後(3社目)の企業を17:10に出て、17:15タクシーを拾って17:55「無錫汽車総站」に着きました。

18:00に「南京」行きの乗車券を買ったんだけど、出発は19:05…だったので構内でケンタを買って食べてました。
そしてスーツを着てたんで、物陰で私服に着替えちゃいました。
21:00「南京中央門汽車站」に着き、近くのホテルにチェックインしました。
ちょっと予算オーバーだったけど、他に無かったんでね…
今日はさっき食べたケンタがそのまま夕飯になっちゃいました。
この月~水で計5社の企業考察を終え、残りは2社(うち1社は出発前に担当者と連絡が取れなかった)になりました。
今日の3社はそのジャンルで中国国内でも5位以内に入るんだけど、日本向け製品となると新たに開発をしなきゃならないんで難しいかもな…

7月28日(木)
今日からほとんど俺の史跡ハントのための中国滞在になります。

7:30ごろ食堂に朝食を食べに行きました。
このホテルの食事も美味しかったなぁ。

温泉施設?も隣接してたんで、けっこう賑わってましたよ。

エレベーター内に貼ってあった温泉施設の宣伝に「Gackt」の写真が…
8:30チェックアウトし、8:45バス停に着きました。

8:55「汽車北站」行きの路バスに乗り、「南京長江大橋」を越えて行ったんだけど、終点は車庫みたいな所じゃんよ…
俺はその終点に着く前に窓から「汽車站」前を通り過ぎたのを見てたんだけど、どうやらその路線には2路線あって、終点が「汽車站」じゃない方に乗ってたらしいんです。

すぐ折り返しのバスに乗り、9:50やっと「汽車北站」に着きました。
その「汽車北站」に来た理由は次の目的地が隣の「安徽省和県」なので、この「北站」に荷物を預けて「和県烏江鎮」の近くに行くバスが無いか? 最悪ここからタクシーでも南京中心部からよりは近いだろうと思ったからです。
そしたら何と「烏江鎮」経由「和県」行きってバスがあったんです。

10:10バスは発車し、11:15「烏江鎮」で降りました。
目的地まではそう遠くない事は事前調査で分かってるんで、輪タクを拾い…

11:20下車しました。

これが入場門です。

入場料は15元です。

これは「西楚覇王霊祠」で、「項羽」の終焉(自害)の地に建てられた祠です。

これは「享殿」です。

「享殿」内の「項羽」像です。

「享殿」裏に出ると…

「墓道」だって…でも真っ暗だ。

これが覇王「項羽」の墓です。
実際は衣冠塚らしいんで…後日行く予定の山東省泰安市東平県にある墓は本物?

やはり「墓道」の出口?があり、漢代の棺桶がありました。

やっぱ、こっちも真っ暗だわ…

別の部屋?には「鴻門宴」の石画?などがあり…

「虞姫」と「項羽」の塑像と…

左は誰だろう?「項羽」配下の武将だと…誰だ?
右は間違い無く、亜父「范増」の塑像がありました。

これは「相依樹」と「旗竿台」です。

これは「三圓井」です。

これは「駐馬河」です。
烏江に辿り着いたとき「項羽」に従っていたのは二十四騎でした。
ここで、烏江の亭長が舟を用意して項羽を待っていました。
「さあ、お乗りなさい。江東の地は小なりといえ衆数十万。王たるに足る地です。」
これに対して、項羽は「昔、江東の子弟八千人と江を渡り西へ向かったものを、今ともに帰る者はいない。何の面目あって独り父兄にまみえることができようか。」
愛馬「騅」を惜しみ亭長に与えると、歩行にて漢の大軍の中に切り込んで行ったのでした…。

この鐘は何だったかな?

これは「碑林」入口です。

この中にも「項羽」像がありました。

12:05「覇王祠」を出て、バス通りまで歩きました。

さっき、輪タクで通って来た道は、こんな凸凹道だよ…

その途中の風景です。

どうせなら、この門前でバスを降りてれば良かったなぁ…どうせ、この前を通るんだから。
12:20この門前でバスを待ち始めるも…20分バスは通らず、12:40ようやく「南京」行きのバスに乗れました。

「南京汽車北站」に戻り、路バスに乗って14:10「南京站」に行きました。

14:20地下鉄に乗り、14:45「云錦路」で降りました。

この「云錦路」駅からすぐ「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」に行けます。

まさに3度目の正直だね…ようやく入場することが出来ました。(入場無料)
1度目の2007年8月11日は拡張工事、2度目の2008年8月4日は月曜定休…だったからね。

かつて、このような鐘には「勿忘国恥」といった文字が彫られてたけど、これは「和平大鐘」と彫られていました。

館内を少しご紹介しましょう。

何の跡だろう?

これも、そのままの遺構なのかな?

人骨ですね…

パネルでも日本軍の愚行が紹介されていました。

他にも多数のパネルがありました。

絵画でも…

300000をやたら強調しています。

これは受難者の肖像画の展示館らしいです。

この下には何があるのかな?

ここにも多数の人骨が…

これは“万人杭”遺址です。

あらら…また人骨出て来ましたか…

これは「献花台?」です。

15:40…約1時間で「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」を出ました。

あまり、じっくりゆっくり見れたモンじゃないね…説明の中国語読むのも面倒だったけどさ。

平和の象徴「白鳩」が飼育されていました。
その後近くで路バスに乗り、16:10ごろ下車しました。
バスに乗る時、S君が同じバス停にいた人民に聞き込みをしてくれたんだけど、変なオバさんに話し掛けてしまい、バスの中でも延々とS君にその行き先の事を語ってるんです。
ちょっとオカシイ人だったのか?と思ったけど、降りるバス停など言ってる事は正しかったけど、俺はオバさんなんだと思ってたら、S君は「あれはオジさんですよ…」だって。

下車後少し歩くと「挹江門」があり…

それから「綉球公園」を抜けて…

「儀鳳門」の近くに…

「静海寺」があります。
ここも前回の南京訪問時のリベンジなんだけどさ…その時は月曜定休で入れなかったんです。
今は16:30…微妙な時間だなぁ。

やはり入場券売場は閉じられてたけど、恐らく17:00までは参観出来るみたいで無料で入れてもらえました。

これは「鄭和紀念堂」です。
「鄭和」は明代の大航海家です。

これは「潮音閣」です。
やっぱ「≪南京条約≫資料陳列館」は閉じられてましたね…

「閲江楼」(写真左上)もよく見えました。

16:45「静海寺」前から路バスに乗り、17:05「南京汽車北站」に戻って来ました。
そして次の目的地「淮安市」に向けて17:30バスは発車しました。
19:50「淮安汽車南站」に着いたんだけど、新しい「汽車站」なのか?周囲に何も無いじゃん…
この状況はちょっとヤバイぞ…2、3軒周囲にあったホテルもパスポートではダメ。
しかも郊外なのか?あまり車すら通らない中何とかタクシーが拾え、街の中心部?に出ることが出来ました。
20:30タクシーの運チャンに連れて来てもらったホテルにチェックインしたんだけど、最初知らずにその隣に入っちゃって…

こんなメイド服着たり、奥にはセクシーなドレスを着たお姉さま方が一斉に「歓迎光臨」とお出迎えですよ。
おぉ、こりゃ何て素晴らしいホテルだって思ったら、ホテルじゃなくてカラオケで、彼女らはただのホステスじゃんか…
すぐ隣がホテルだと気づき出たんだけど、あのお出迎えを受けられただけでいい気分でしたね。
(写真右は翌朝撮った玄関…やっぱホテルじゃないよね)

その隣がホテルだから…夜だったから明るい派手な方に行っちゃったのね。

ホテルチェックイン後、近くの食堂に行きました。
「哈尓濱(ハルビン)ビール」は薄くて美味しくなかったなぁ…
「紅焼肉」は美味しかったです。

この「おでん」みたいな感じの料理が30Cm以上の大皿で出て来るとは思わなかったよ。

最後に出て来た「京醤肉絲」は、ほとんど食べられなかったんで明日の朝食用に持ち帰りました。
本来、明日はこの「淮安市」にある1社も考察予定だったんだけど、担当者から返事が来なかったんで中止し、史跡ハントだけする予定です。
では、また明日~



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