

今日は6:50発の「バス」で「当陽」に行きます。

なので、5:00起床し、6:20チェックアウトしました。
「バス」は6:50に発車しましたが、この「バス」は「宜昌」行きなので途中下車しなければなりません。

昨晩中国語で「メモ」を作成しておき、乗車した後「運転手」に見せました。

それは「私は中国人ではありません。当陽で降りるのですが、もし市内か汽車站まで行かないなら、せめてタクシーが拾える所で降ろしてください。」というもの。
こういう「長距離バス」での経由地下車では「高速道路」の出口前の「分岐点」で降ろされてしまうんです…

「運転手」と「車掌」は俺の「メモ」を見て「当陽のどこへ行くんだ?」と。
俺が「長坂坡」と答えると、通路を挟んで隣りに座ってた「ニイちゃん」が「私も当陽の長坂坡へ行くんだ」と。
「運転手」は「じゃあ、日本朋友を長坂坡まで連れて行ってやってくれよ」と。

「おぉ…助かりそうだぞ



9:50「高速道路」で降ろされました…

ここ「当陽」では10人ほど降りていました。
でも、この「霧」ですよ…

歩いて「高速道路」の出口まで行き…って、日本じゃ考えられないよね。
それからは一般道で「タクシー」か「バス」待ちです。
すると「当陽」市内に行く「バン」が通り、10:10『長坂坡』まで一緒に行く「ニイちゃん(多分20代半ば)」と乗り込みました。


10:20『長坂坡公園』に着きました。

ここは『趙雲子龍』ファンにとっては「パラダイス」ですね。


『長坂坡公園』の向かいには「子龍客店」なんてのがありました。


『長坂坡公園』の門を入ると石段があり、その上にあるのが「子龍閣」です。


「子龍閣」内の『趙雲』の塑像です。
さぁ、ここからは『長坂坡公園』内の像で、「長坂坡の戦い」を再現したいと思います。

なので、写真を撮った順とレポートは異なっています。
時は208年…『劉備』も「荊州」を治める「劉表」を頼って「新野」に駐屯し、7年が経とうとしていました。
当時の「荊州」は戦乱とは無縁の平和で豊かな地域でした。
そのためここには『諸葛亮』「司馬徽」「龐徳公」「龐統」など多くの知識人が戦を逃れて移り住んでいました。
207年に『劉備』は「三顧の礼」で『諸葛亮』を得ています。(昨日の「古隆中」参照)
そんな平和な「荊州」にも、ついに「河北」を平定した『曹操』の脅威が迫ってきました。
しかし「劉表」は『曹操』が到着する前に病没し、跡を継いだ「劉」はあっさり『曹操』に降伏してしまいました。
このことは「樊城」にいた『劉備』には知らされず、気がついた時には『曹操』軍が間近に…。
逃げる『劉備』らに『劉備』を慕う「劉」の配下や民衆が従ってきました。
『劉備』が「当陽」に着いた頃には10万人あまりの人々、数千台の荷物が従ったため、1日の行程は10里たらずです…。
ついに「長坂」で『曹操』軍に追いつかれてしまいました。
ある人が『劉備』に「民間人は足手まといになるので、ここは速やかに江陵に向かわれては」と進言しましたが、『劉備』は「自分に身を寄せてくれている民間人を見捨てられると思うか!」と怒ったといいます。

さぁ、それでは『長坂坡』劇場の始まりでーす。




『趙雲』は『劉備』から家族の護衛を頼まれていましたが、見失ってしまいました。
趙雲「ご夫人!幼君!いずこに!」

『趙雲』は避難民の中に「甘夫人」を見つけ、救出しました。
残るは「麋夫人」と「阿斗(劉禅)」です…。
『曹操』軍の中を探し回る『趙雲』。

すると「太子橋」の下に「阿斗」を抱き、傷を負った「麋夫人」が…。
趙雲「ご夫人、しっかりしてください!」
麋夫人「私はもう動けません…」
趙雲「馬がございます」
麋夫人「私があなたの馬に乗ってしまえば、あなたは馬を引いて敵中を歩くことになります」

麋夫人「私がいては足手まといになります。どうかこの子(阿斗)をよろしく頼みますよ」


趙雲「ご、ご夫人!」
「麋夫人」は『趙雲』の制止を振り切って、「古井戸」に身を投げてしまいました。


趙雲「もう、ぐずぐずしていられない」
胸に「阿斗」を抱き、『曹操』軍の中を突き進む『趙雲』。


趙雲「えぇーい、邪魔だぁ!」

この様子を「綿屏山」から見ていた『曹操(左)』と「徐庶(右)」。
曹操「誰じゃ、あの我が軍の中を一騎で駆け抜けておる武将は?」
徐庶「はい、あれは趙雲子龍にございます」
曹操「あの武将を殺すな!生け捕りにしろ!」


「長坂橋」に辿り着いた『趙雲』。
そこには『張飛』が待っていました。
そして『趙雲』を自軍に逃がし、「長坂橋」に仁王立ちしました。
張飛「我こそは張益徳なり!死を賭けて戦おうぞ!」
『張飛』が叫ぶと、『曹操』軍は恐れをなし退却を始めました。

『劉備』の下に戻った『趙雲』は「麋夫人」のことを報告しました。

『劉備』は『趙雲』から「阿斗」を受け取ると、投げ捨てました。
劉備「おまえ(阿斗)のおかげで大事な武将を死なすところであったぞ!」

趙雲「今のお言葉、趙雲、生涯忘れは致しません!」

阿斗「オギャー!ヒビ割れたやんけ!」
ちなみに「阿斗(劉禅)」は「甘夫人」との子です。
その後『劉備』らは『関羽』『諸葛亮』とも合流し、「夏口」まで辿り着いたのでした…。
以上で『長坂坡』劇場を終わりまーす



「ミニ武侯祠」もありました。


中央の『諸葛亮』は「羽扇」が無くなってるぞ…


「忠義堂」なる「関帝廟」もありました。


「忠義堂」の前にいた「王平(右)」と、左はまさか…『関羽』?


この『長坂坡公園』が入場無料なので、ここに10元のお布施をあげました。



「関平」『関羽』「周倉」ですね。
10:55『長坂坡公園』を出ました。
この公園で、この旅で初めて日本人を見ましたよ。
俺が写真を撮りまくってたら、「あれ日本人じゃない?」と家族連れの「オバさん」が。
ちゃんと聞こえてるぞ

まぁ確かに、ここで写真を撮りまくる人民なんて、そんなにいないだろうしな…

次は『太子橋』と『娘娘井』に行きますが、レポートは続きを見てね。

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