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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

最強のふたり

2012-09-25 23:24:43 | 映画(さ)

評価点:80点/2011年/フランス/112分

監督:エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ

特筆すべきは、音楽。

身体障害者の大富豪フィリップは新しい介護士を探していた。
そこへドリスという黒人青年が訪れる。
青年は「ここにサインをしてくれ」と紙切れを出す。
彼が言うには、就職活動をした結果不採用にしてそれを証明してくれたら失業手当が出るからということだった。
飄々としたその態度に驚いたフィリップは、彼を雇うことにする。
しかし、スラムで過ごしてきた彼は、介護などまるでできない。

職場の人に勧められて、見に行くことにした。
すこし気にはなっていたが、あまり内容も分からず、飛び込みで鑑賞した。

公開はもう終わるかもしれない。
フランス映画らしい、オサレな映画だ。
是非鑑賞してほしい。


▼以下はネタバレあり▼

フランスは二項対立が思考のパターンである。
だから、飲食店の裏側には「排泄」するためのトイレが設置されているし、その横には公衆電話が置いてある。
今の誰かと話すということは、他の誰かと話すということを自然と想定されるから、ということらしい。
フランス映画にはそういう物事が表裏となる構造を設ける、そういう映画が多い。
この映画はまさにそういうフランスの思考を想像させる。

黒人の貧民層の男と、白人の富裕層の男。
この二人は見事に生き方や思考が背反している。
一人は類まれなる肉体を持ち、身体能力も高い。
一方は、首から下が麻痺していて、全く動かすことができない。

どんなことでもずけずけ口にしてしまう青年は、恥も外聞もない。
自分を抑えることを知らないので、何事にも正直だ。
近代アートを見ても「なぜこんな絵にそんな値段がつくのか理解できない」と言ってのける。

逆に何事も口にすることが反対の障碍者は、皮肉屋で人とこころを通わせることが苦手だ。
不信に心を閉ざしているし、何より自分が障碍者であることを恥じている。
ドリスが貧民であることを恥じていないことに対して、まさに好対照である。
フィリップが他人に対して「素直」になれないのは、周りが自分をどのような目で見ているのかを知っているからだ。
その目とはすなわち、自分が他者を見る目でもある。
だから、自分と同じ考えの人間をすぐに見抜いてしまう。
単なる利己的な人間なのか、そうでないのか、分かってしまうのだ。
利己的な人間には利己的な人間しか引き寄せられない。

自分とは交わるはずのない人間が、目の前に現れる。
それが、ドリスだったわけだ。
フィリップはドリスに対して自身も認める。
「私の最大の障碍は、彼女がいないことだ」
彼女とは最愛の妻であり、亡き妻である。
最愛の妻を亡くすことによって、彼は生きる希望を失っている。
人との付き合いに喜びを見出さずに、芸術にしか興味を示さなくなっているフィリップは、まさに障碍者なのかもしれない。

ドリスにあるのは、その人間性だけである。
ドリスにはお金も(頼りにするべき)家族も経験も、学位も何もない。
人間的な魅力以外、何も持たない。
人間性しかない人間と、人間性だけが欠落している人間。
そういう二人なのだ。

二人が出会うことで、お互いにないものを補い合う関係になっていく。
弟がトラブルを起こし、フィリップのものを去ると、ドリスに驚くべき変化が訪れる。
この映画の最大の見所はここだと僕は思う。

彼が街に戻るシークエンスで流されるのは、クラシック(ごめん、タイトルは分からん)である。
彼を取り巻く街は何も変わっていないけれども、彼の中にしっかりと高い文化性が育っている。
だから、弟をめぐるトラブルの解決も、話し合いで決着させる。
彼は数ヶ月フィリップの生きる世界を体験することで、変化しているのだ。
それがBGMで示される。
なんておしゃれな映画だろう。

一方、ドリスと別れたフィリップは、再び人間不信の男になってしまう。
なぜなら、フィリップはさらに人間を見る目を養ってしまったからだ。
自分を人間としてみない人間を、しっかりと見つけることができる。
象徴的なカットは、苛立ちを見せるフィリップに介護士が「機嫌が悪いんだ」とつぶやくところ。
「機嫌が悪い」という点でしか彼を評価できない介護士が、フィリップの内面を理解することなど到底できない。
これは、僕たちにもあるのではないだろうか。
「今あいつは機嫌が悪いんだ」
でも本当だろうか。
人間が人間と接することの難しさは、障碍者や健常者(?)も関係がないはずだ。

この物語も、往来の物語である。
ドリスが非日常的なフィリップのもとへ訪れ、そして去っていく。
そのことでドリスが変化し、そして最大の障碍であった恋人へのアプローチをフィリップが果たす。
僕はこの映画が「すごくいやな映画」であることを恐れていた。
すなわち、最後にフィリップが死ぬのではないか、ということだ。
実話であればなおさら、死によって物語を終わらせる映画が多いからだ。
けれども、この映画のラストは「死」ではない。
だからこそ、この映画はすごく気持ちがよいし、救われる。

「ミッドナイト・イン・パリ」でも感じたが、この映画はやはり芸術の街、パリだからこそ成り立つ映画だ。
移民の国、フランス。
芸術の国、フランス。
フランスに行きたい。やっぱり。

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