社会人のネタ探し生活~ネタの倉庫~

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ハンドルネイムと私の性格の関係

2009年02月14日 22時55分51秒 | 寓話

インターネットをしているとさまざまなハンドルネイムに出
会います。
 きっと深い意味があるんだろうなと思うものもあれば、
名前をそのままローマ字表記しているものもあります。

 私は、パソコンを使い始めたときから「胡蝶」というハンド
ルネイムを使っています。
 パソコンを使い始めてすぐに、ハンドルネイムを入力しなけ
ればいけない場面に遭遇し、とっさに思いついたのが、この
「胡蝶」でした。なぜとっさに思い浮かんだのがこの言葉なの
か。

 実は、私の性格が関係しているのです。

 私は、日常のさまざまな場面でよく後悔をします。自分でも
嫌になるほどです。
 今では、昔からこうなので、生まれもっての性格なのだろう、
となかば諦めていますが、なんとかならないものかともがいて
た時期もありました。ただ、大学生のとき、この性格とうまく
つきあっていくことができるある言葉に出会いました。

 それは、今から2000年以上も前の中国の思想家である
荘子の言葉でした。
 荘子には、「胡蝶の夢」という寓話(※1)がありますが、
それがまさに私にとっての救いのメッセージでした。

 今でいう「自分探し」をしていた頃でしたから、この寓話の強
烈なメッセージで心を射抜かれたことを今でもよく覚えていま
す。
 大学を卒業し、パソコンを使うようになったとき、まだこの
言葉が頭の中に鮮明に残っていたから、とっさにハンドル
ネイムにしたのだと思います。


 他にも同じような趣旨を示す気に入っている言葉が2つあり
ます。
 経済評論家の勝間和代さんの言う「起きていることはすべて
正しい」や五木寛之さんの著書でよく登場する「わがはからい
にあらず」という言葉です。

 これらの3つの言葉に助けられながら、自分の嫌な性格となん
とかつきあって生きているのです。

※1
「荘周夢為胡蝶」(荘周、夢に胡蝶となる)
               『荘子(斉物論篇)』より

  以下、私の解釈です。

   荘周は夢のなかで1匹の胡蝶(チョウ)になっていまし
  た。優雅にひらひらと舞っていて自分が荘周なんてことは
  これっぽっちも頭にはありません。ふと目を覚ますとまぎ
  れもなく自分は荘周です。
   ここで荘周はこう思ったのです。
   荘周が夢で胡蝶になったのか、胡蝶が夢で荘周になった
  のか。
   ふつうに考えれば前者であり、荘周と胡蝶は別ものと考
  えるのが一般的かもしれません。
   しかし、後者ではないとは断言できるのでしょうか。
   荘周と胡蝶は別ものと言い切れるのでしょうか。
   ただ、そんなことを考えるよりも、目の前にある現実を
  あるがまま受けいれて、悠々と楽しく生きていく。
   それだけでいいではないか、と荘子は言っているのです。


■■『荘子』豆知識■■

 ○『荘子』は、内篇七篇、外篇十五篇、雑篇十一篇から構成。
  諸説はありますが、内篇だけが荘子本人により書かれたも
  のと言われています。

 ○荘子は、名を周といい、2000年以上前の中国の戦国時
  代の宋の国(今の河南省)に産まれた思想家。
  老子とともに道教の始祖とされる人物。老荘思想と言われ
  ることもあります。

 ○老子は政治色が強いのに比べ、荘子は世俗を離れた無為
     自然の思想が基本。

■■老子と荘子の思想■■

 異論もあるかもしれませんが、両者の思想を簡潔にまとめて
みました。

○老子は、世の中に存在するすべてのものは、それを存在たら
 しめている根源があるといいます。それが「道」です。「道」
 は、それほど大きな働きをしているにもかかわらずいっさい自
 分を主張していません。人間もこういった「道」のありようを
 自分のものにできたとしたら、厳しい現実をしなやかに生き抜
 くことができる、という思想です。

○荘子は、老子と同じく「道」の存在を認めています。
 荘子は、「道」という考え方にたてば、善いか悪いか、美し
 いか醜いか、などという価値観は本質的な違いはないといいま
 す。しかし、人間は世俗の価値観に一喜一憂して、つまなない
 ことにこだわり、あくせく生きています。世俗の価値観を超越
 して、もっとしなやかに自由に生きていこう、というのが荘子
 の思想です。