いのち感謝 メイ今あるところ

夢 日々のちいさなありがとうを

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ポジティブシンキング

2009-03-10 10:21:14 | 宇宙と人 ・気づき
日差しが暖かく ぽかぽかしてきました。

安らぎのなかで気づいたことがあります。

とても静で 以前より冷めたような状態であるということです。

高揚した 浮き足立って落ち着かないようなこともなく。

わくわく~~~うきうき って妙に明るすぎることもなく。

ポジティブシンキングできます。

以前はポジティブを間違えていたかもしれません。

どんな苦境にも弱音を吐かず、いつも笑っている、こころはかなり右往左往していても表に出さず明るく振舞う。

違うんですね

ネガティブな状況もポジティブな状況も 冷静に観て 次どう動くかを思考出来る状態、中心に自分がいて、状況に飲み込まれない状態でいられる。

自分が真ん中にないと 状況をマインドや過去の経験による感情で判断して行き、また繰り返す。

すべてを味わいつくす そうするためにやってきた。
いいとかわるいとか 明るいとか暗いとか 賢いとか馬鹿だとか そういう判断でなく、あるがままを味わいつくす。

穏やかなこころ まあるいこころ あ~あったかい日
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しずかにある

2008-12-10 11:44:54 | 宇宙と人 ・気づき
バランスを取る為に書きます。
よく反戦という言葉を耳にします。
平和を願うという意味であることに違いはありませんが、反となると相対する対極が必要となります。

マザーテレサが反戦運動には参加したくありませんが、平和を願う祈る集まりなら喜んで参加します。というものを以前目にしました。

さて。。。何が出来るのか。
ジョンやヨーコのメッセージにあるのは、反戦でなく 「戦わない」そして穏やかに周りのひとと喜び楽しんでくださいのように感じます。

尊敬するある方が以前に書かれた言葉を抜粋・引用します(以前にどこに掲載してもOKと承諾を得ています 今回は・・・





『あなたは自分自身を救ったのか。まず自分自身を救いなさい。そしてそのあとに世界がどうなっているか見てみなさい』(マハルシ)



自我の為ではなく、世界の平和を祈っていたとしても、世界中で、時を超え、世界平和のお祈りはされているのですが、平和が訪れていないのは何故かを理解する必要があります。

 ある段階からは自我を内なる神に明け渡し、自我に関する問題を一網打尽に解決していくしかないのです。ある時、内なる神=真我が我々が現実だと思っていたもの(幻想))を全て打ち砕いてくれるのですが、その時の衝撃に通常の脳は耐えることができません。そこで我々は真摯な霊性修行が必要になってくるのです。もし、アセンションに際して、西洋風に言うならば、ハイアーセルフが肉体に入ってくるのであるならば、その為の準備はしっかりとしておく必要があります。

 しかし今はとても良い時代です。地球の波動が底上げされていますから、以前ほど大変なことではありません。一つの方法としては、正しい呼吸法をしていると、気の流れが良くなり生命力がアップしてきます。また続けることで横隔膜が徐々に下がってきます。それに伴い、脳(松果体)の活性化とマインドの浄化が進み、真我のパワーに耐えうるものとなります。

 面白いもので、そうなった時に、我々の本質が豊かさそのものであることを知ります。豊かさを祈る必要は何もないのです。違う言い方をすれば、豊かさを求めて祈っていた神が自分自身だったと知るだけです。

 自分の行動は自我を満たそうとするものなのか、それとも自我を打ち砕こうとするものか、そのことにしっかりと気づいていられると良いですね。スピリチュアルな情報を必要以上に求めることも、そうです。神と一つとなるには、マインドを静め、全ての知識を投げ出す時がやってきます。我々は既に神ですので、神になる知識は必要ないのですね。人間になるにはどうしたら良いのですかと尋ね、一生懸命努力して人間になろうとする必要はないことと同じです。

 ですから、聖者の大切な教えは、『静かにしていなさい』です。

ひふみだよりより

★わたしはこれがしっくり行きますが、何事もそれぞれで選び取り、人の言うことを鵜呑みにしないで下さいね。
パラドクス(←ポッチッと)を健やかに超えること。
それぞれの出会いと今に感謝。

ありがとうございます。

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みんなちがって みんな いい!

2008-12-09 11:31:09 | 宇宙と人 ・気づき
先日友人と長電話を(また)した折のお話。
彼女とは、2年前に亡くなった友人が結んでくれたご縁。
彼女も私も仲間たちもこどもの教育活動を別のところでしているが、そういうものたちが今
それら、たての活動を横につなげる活動を1年前から始めた。
その仲間の、共通する友人の支えている保育所のお話となった。

先日演奏に伺った田舎の保育所(学童保育もしている)がそれである、無認可で母親・父親・保育者の手で立ち上げ、今もそこを支え続けてられているのですが、どこも一緒で 立ち上げた者が今もかかわり
資金稼ぎの為にぜんぜん関係のない、バザーや魚の行商なんかもしている。

彼女のそんな現状をわたしはしらなかった。
というのも、彼女はそんなみんなの支えで成り立ち、こどもたちが喜んでいることそのものを喜びとしているからである。

私も自分のこども達のために勉強会から立ち上げた幼稚園に 5年前まで関わっていた。(関わりはじめたのが14年前。 園は12年の時を刻んだ)
立ち上げに関わったのは、私と同じ位の年(今40代その頃は20代後半~30代)か上の世代の方がた(今50代)がんばる!が心情の方がたばかりである。

きっと今の50代から30代後半くらいの教育が、競争と頑張ることで成果があり頑張ることがいいことだ!(こどもの時はやりの宣伝文句にもありました)の時に生きた。

そして50代以上はもっと頑張らねば生きて行くことさえ困難な時であった。

ただ、この40代と50代に共通する頑張るも質が違っているような気がする。
40代は頑張れば誉められた。だから頑張っている姿を強調しがちに思える。
50代以上は、頑張っているところは、人に見せないことが美徳のように動かれる

そして、30代中半以前と20代は、がんばりすぎないで個としての特性、個性を大切にされているように見える。

娘達20代前半~10代は、むしろ頑張らないあるがままでいいとするところ。
ゆとりの教育なんかを見ても、親もそういうことを望んでいた時代。
無理をして頑張るのはよくないようにさえ思う。(それでいいと今私は思っている

これは、私と友人の見解でたわごとなのでお許し願いたい。

その世代のギャップを、会や組織を運営しているとなかなか大変さを感じるわけである。

どの生き方が正しいとも間違っているとか、いいとか悪いとかとも私は言えない。

それぞれが、その時の教育や時代のニーズでそうなっているのだから。
必要としてそうなっていたのだろう。

これをそれぞれの年代で「今のわかいもんは・・・」とか「その考え方堅くてふっる~」となると、当然摩擦が起きるわけです。

会を運営する資金とする、バザーひとつするにしても、40代(現在40代 その当時は30代でこどもの手が離れた)50代(現在50代 その当時40代)は寝る間も惜しんでやる。
若い人たちは、できない状況(小さい子をかかえ) 50代(現在)の方が「今は出来ないだろう状況だから、出来る時にやったらいいのよ」と声賭けをするし、そう思っている。
40代(現在)は「すみません・・・いつか必ずお役に立ちます」会は守ります!
若い人は その頑張っている人たちを目の前で見ているのがつらいらしい。
それ以下は・・・がんばらなくてもいいのに・・・やめちゃえば・・・となる。

この文章を読まれても、きっとその年代に応じた感情の動きがあるのかもしれないな・・・

しかし・・そうは言っても、世界から見ると がんばれない若者と言えども、まだ頑張っているのが日本である。

若い方たちが 「支えるために こどもの家庭でのあり方や いつもやりたくないことをして精神的にいらいらしてたら、何のための教育かわからない」という主張はもっともである。
たしかに・・・立ち上げるために、ひょっとしたら我が子はほったらかしになった時期もあったのは確か。
その後姿で学んで欲しいなんてエゴもあったことも確かである。

その時の関わる人たちのバックグランドを自分の枠にはめると、他者も自己も苦しくなる。
今まで心血を注ぎ(大げさですが)こどものように思っていたもの、事を
わたしもその時必要なことを その時の人たちに任せようと手を離した。
仮に資金が立ち行かなくなり、つぶれたとしても、それはその時必要でなくなったものとして思える。

そして新しい道を歩き出した。
喜びできることだったから。やりたかったから。自分も人も生かされる。

がんばってうれしくわくわくする人は頑張ればいい。
ただ、人に押し付けない。
頑張らない人を斜めに見る自分が存在するのなら、きっと頑張りすぎているのかもしれない。

ほんとうにそうしたいことなら、自然とまわりがどう動こうが気にならなくなるものである。
枠を外す 外せるのは自己以外ない。
他の人がこうなったら いいのに・・・はエゴだったりして。

違うことを違っていいと見れないのなら、離れるのもいい。
渦中では見えないことが見えてくる。熱くなったものを冷ませる。
そして新しく始めればいい。
消耗しきって終わるのでなく、新しく始めるための憩い ブレスです。
それぞれの違いがそれぞれに生かされるために。

みんなちがって みんな いい!
ありがとうございます。
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マッチョマンさん宇宙寄航

2008-12-07 16:37:26 | 宇宙と人 ・気づき
マッチョマンさんの宇宙寄航のお話 ここに「今」掲載させてください。
共鳴する小宇宙のあなたに と・ど・く

わが愛する銀河を思い浮かべてください。
そうアンドロメダと同じような数十億以上の光り輝く生命のきらめきの群れ。
・・・・・・・・・・・・
銀河を見つめる「いつかどこか」の意識生命体は、遊びが好きでした。今でもそうです。
ソンブレロ銀河、数々の表面次元にただよう星雲たちを通りすぎ、
この銀河を見つけました。そう我々の銀河系です。
なぜか有頂天になって、この銀河の探索に乗り出すことになりましたが、
やはり完全なる自由意志をもとに、喧々諤々の協議の結果、探索する者と後方支援の者とが決まりました。
目の前の雄大なる生命惑星の群れに、勇気雀躍するものは、数知れず。また、
涙を呑んでその支援にあたるもの、悲喜こもごもはいつもどこも変わりません。
これは、今で言う、サファリレース競技のようなものです。

先発隊は、さーてどこから探索するかということになったのですが、
とりあえず、銀河の外腕からはじめ、そのごく近くへと抜けるルートが提案されました。
そう、今回は、地球の知識でいうプレアデスからオリオンまでのほんの短いルートです。
目覚めの合図は、あの白色矮星と地球で言われる、シリウスです。
プレアデスからオリオンまでのほんの一小断面の探索ではありますが、
それはとんでもないほどの冒険探索ルートでもあったのです。
・・・・・・・・
しかしながらそのような高次の意識体達のゲームは、
各惑星をめぐりながら、おのれの雄大なる記憶のアクセスキーも忘れながらのゲームです。
その生命圏に行けば、そこのルールに従う、
決して我を通さず、そこにあるエッセンスを身に着けるまで、
次には行かないルールです。なんというルールでしょうか。
プレアデスからオリオンへのルート。
時間などいかようにもできる旅ですが、
大切な心の花を捜し求める旅でもあります。
それがおのれというものにしか咲かない花であることを、
知っているのにもかかわらず。
おのれのアイデンティティまでも賭けて、
はるかなる宇宙を旅することは、確かに大いなる勇気の証でもあります。
わたし達はこの地球という、特異な、愛すべきテーマパークに
いまおります。そう、あなたもわたし達も。
・・・・・・・・・・
このつづきは、またいつかきっと。
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人の為は偽

2008-11-30 23:50:26 | 宇宙と人 ・気づき
奥出雲の森から

忘れかけていた土の匂いを、感じたとき。
緑の息遣い、聞こえた気がするとき。
なんだかなつかしい、思いになります。
新しいいのちも胎動する、
森の木の根もとの枯葉の下は、
すべての生物のふるさと、だからかもしれません。
神話の故郷「奥出雲」の山里から
朝日のまぶしさ、夜露の瑞々しさを託して
人と人の健やかなつながりを
広げられることに
今日も感謝の一日が始まります。
              
木次乳業

我が家のこどもたちがアレルギーだったこともあり、牛乳は今でもほとんど買うことはありませんが、時々ここ「木次乳業のパスチャライズ牛乳」をいただきます。

友人がこちらの創業者のお身内とひょんなことからお話したことを、金曜日にお聞きして、いつもいただいている牛乳だったので興味深く伺いました。

コチラの創業者佐藤忠吉さんは、名刺に会長とか社長とか偉そうな肩書きは一切なく、「百姓」と書いておられるそうです。

HPからも抜粋しますと
酪農を核とした有機農業にこだわり続けました。有機農法の草分けとして、「有機農業マイスター」の称号をいただき、日本有機農業研究会のメンバーとして、現在も有機畜産の推進に関わっています。百姓は百の作物を作る人。米作り、野菜作りはもとより、微生物学、栄養学、気象・天文学などに通じる知恵を駆使し、土作りに始まって炭焼き、牛飼い、養蚕、大工までをこなす人間。そうした百姓が集まり地域自給、村落共同体を再生しようと、木次の自然を大切にしながら仲間作りを続けてきました。

「未完の百姓でございます。」ともあります。

そして「正しいことをいってはいけない」と「人のためにしてはいけない」ということ。
自分にとって正しくても他の人にとっては正しくないかもしれないから言うなということ。つまり自分が納得することをすればよくて、他の人に強制すべきではないということ。
あと「人のためにしよう」と思うから偽装表示とか偽善行為が行なわれる。もともと「偽り」の字自体が、人の為からなっている。だから人のためではなくて自分のためにする。

人の為→偽(いつわり)納得である。

佐藤さんのお写真→ここ

木次乳業→ここ

いのちをいただく ありがたいことです。
自分が喜べる平安な営み 自分のためにする これ大切ですね。

例えば自分が喜べ食べて安心なものを供給することは、結局消費者である他者も安心喜べるわけです。
決して我由ということでないんです。

趣味の延長がすこし最近忙しいのも確か^^;でも 最高に楽しい
11月にCDが出来た。そろそろ予定の2000枚なくなりそう。
喜んで聴いていただいているらしい。
うれしい。

素人のCDが売れたのには訳がある、文化・芸術・教育活動をしているどこかに三分の二寄付をしてくださる目的で何十枚かまとめて預かってくださるのなら、三分の一の価格でお分けしますとしたんです。
残りをどこに寄付したかだけ明確にお知らせくださいと。

暖かく、つながる友とかわいい天使・星の子たちと毎週会えて癒され、キリギリスみたいに好きな音楽をして わたしはしあわせ 生きていてよかった。


いつもありがとうございます。

写真はオーストラリアの牧場で、木次の牛さんとは違います
木次の牛さんは茶色いスイスの牛さんです。
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A NEW EARTH

2008-11-28 22:41:23 | 宇宙と人 ・気づき
昨夜娘がノートを買いたいというので、大きな書店に行った。
文具コーナーに「東大生のノート」という本が置いてあった。
芸術てきなほど綺麗にまとめられたノートが紹介されている。

今日その話を、そこの出身の友人に話したら、「いつもそういう綺麗なノートの人にコピーさせてもらってたな・・・」と。そして、こうもおっしゃっていた、
綺麗にまとめるノートづくりをしたらいいんではなくて、まとめる力があるから自然と美しい芸術的なノートになるという結果だと。
なるほど・・・まねすればいいってもんじゃないんですね・・・何事も。

一冊の本を買った。
A NEW EARTH
買った理由・・・表紙が私の大好きないろだったから
まだ20ページほどしか読んでいませんが、目次を見るだけでもおもしろかった。

第一章 私たちはいますぐ 進化しなければならない
第二章 エゴという 間違った自己のメカニズム
第三章 エゴを乗り越えるために理解するべきこと
第四章 エゴはさまざまな顔で私たちのそばにいる
第五章 ペインボディー 私たちがひきずる過去の古い痛み
第六章 「いまに在る」という意識が私たちを解放する
第七章 ほんとうの自分を見つける
第八章 内なる空間の発見
第九章 人生の目的は「何をするか」ではなく「何者であるか」
第十章 新しい地

目覚めることによってのみ、目覚めるとは何かが、ほんとうに理解できる。

目覚めるに不可欠なのは目覚めていない自分を自覚すること。

あたりまえのようですが・・目覚めないとわからないってことです

ほとんどの人間の「ふつうの」状態には機能不全、もっと言えば狂気と呼べるような強力な要素が含まれている。・・・・中略マーヤ、妄想のベールと呼ぶ。
インドの偉大な賢者の一人ラマナ・マハリシは、「心とは妄想である」と言い切っている。

仏教では別の言葉を使う。ブッタによれば、ふつうの状態の人間の心はドゥッカ、苦を生み出す。苦・不満・惨めさである。ブッタはそれが人間のおかれた状況の特徴とみた。どこにいても、あなたはドゥッカにぶつかるし、ドゥッカは遅かれ早かれあらゆる状況に現れる、とブッタは言う。

キリスト教の教えでは、人類という集団のふつうの状態が「原罪」である。罪という言葉は大いに誤解され、間違って解釈されてきた。新約聖書が書かれた古代ギリシャ語を文字通りに訳せば、罪とは射手の矢が標的からそれるように的を外れることだ。したがって、罪とは的外れな人間の生き方を意味する。先を見ないで不器用に生きて苦しみ、人をも苦しませるのが罪なのだ。文化の覆いや誤解をはぎ取ってみると、ここでも人類の状況に固有の機能不全を指していることがわかる。

うんうん・・・そうなんだな・・・わかるな・・。
ふつうってのがね・・ふつうだと思っていることが結構曲者なんですよね。
「それほんと?」いっぱいありますよね。本当だ!正しい!と思っていること
それってほんと

私はせっかちで・・・最後を読まずにいられない・・・ということで

新しい天と新しい地は、いまこの瞬間にあなたのなかに生じている。
「いまに在る」
たったいま、地上に人類の新しい種が生まれようとしている。あなたもその一人だ!

ということでした・・・おしまい
ってあいだにある8章分端折って~~~

感想・・・(まだ読んでないぞ~)
聖書がかなり土台にあるような気がしています。
カバーの帯の言葉には惹き付けられました

時は来た。
ついに人類は次のステージに移る。
その準備はできているか?


とありました。
EARTHは・・・芸術art があります。Eエデン(地上の楽園)とHヘブン(天国)をむすぶのはARTです
そして並び方をかえると、HEART こころになります

こころの中にあるそして 今この瞬間に生じている そしてだれの内にもある
ふつうだと思っている・・それって ほんと
きっともっと平安なはず・・・すべてが。

ありがとうございました 愛するすべてに。
そして・・今日も見ていただきありがとうございました。

今日はもうひとつすてきなお話を伺った。
牛乳やの百姓と称する89歳のおじさんのお話。
我が家は牛乳めったいに買わないが、たまに買う奥出雲の牛乳の会社のおじさんのお話です。次回にまた
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こころ

2008-11-26 00:30:25 | 宇宙と人 ・気づき
生まれたところと、育ったところへ行って来た。
今の時代 生まれ育ったところでずっと過ごすことは男性も女性も少なくなっている。
女性はとくにそうだろう。
結婚して遠くになることも少なくない。

いくつになっても、育ったところは懐かしく あたたかく感じる・・これは年を重ねたせいだろう。

お年寄りの施設に伺うとふるさとや赤とんぼの歌に皆さん涙される。
遠いこころの目の先に、こどもの頃の景色やにおい なつかしい人たちの姿がうかんでいるんだと感じる。

感じる そして感情にはこころがある。

部首が「心」で感情を表す漢字
「心部」の字は部首が偏になった場合は「情」「性」「憎」のように変形して3画の「忄」の形になる。これを「りっしんべん」と呼ぶ。しかしこれも部首が脚になった「慕」の「」(したごころ)と同一の「心部」の字である。偏になって「忄」となった場合も、「心」の形である場合も、部首は「心」であることに変わりはない(なお、「慕」の下部は「りっしんべん」に一点が加わった形である。)

因みに・・・心を表す感じのりっしんべんは、漢字で書くと立心偏
立つこころと書くんですね。
(こころをはずすしてその漢字を眺めるとなかなかおもしろい そのこころは?みたいなことが すこし見えたりする)


忌 (いむ) ・忍 (しのぶ) ・怒 (いかる) ・恐 (おそれる) ・恥 (はじらう) ・恋 (こい) ・悲 (かなしい) ・愁 (うれえる) ・慕 (したう) ・憂 (うれえる) ・怪 (あやしむ) ・怖 (こわい) ・悔 (くやむ) ・恨 (うらむ) ・惜 (おしむ) ・悼 (いたむ) ・愉 (たのしむ) ・憎 (にくむ) ・憤 (いきどおる) ・懐 (なつかしむ)・悩(なやみ)・惚(ほれる)・悦(よろこび)・快(こころよい)・憧(あこがれ)愉(たのしむ)等々。


すべてこころがある。
愛にも情・悟そして悪にもこころがある。

感謝するのもこころ 「謝」??あやまるが入っている。
謝の意味はなんだったっけ・・。
(1)感謝の心。
「―を述べる」
(2)あやまちをわびる気持ち。謝罪の心。
ありがとうとごめんなさいが入っているんですね。日本語っておもしろい。

中国では
謝はシャ(遮)の音を表す「射」と気持ちを表す「言」の組み合わせからきた文字本来は退く、さえぎるといった意味。
「辞去=別れの言葉を言うこと」。またその意味から、
「代謝=移り変わること。移り変わり」のように用い、さらに、
「去る」の意味を表す。そこから転じて、
「感謝」などのように、「恩に感じて礼を述べること」を意味するようになった。

中国では謝謝(シェイ シェイ)がありがとうだけれど、これは関係の遠い人にしか使わず、あまり身内や親しい人に言うことがない・・水臭い言葉だそうですが、なんとなく中国のもともとの語意からするとそうなのかもしれません。


こころのなせる出来事・感情・状態  こころで感じているさまざまな自分の動きやそう感じていることについて 「ほんとうなのか」感じる謝・・・感じちょっとそこから言(葉)に去り(引き・退き)観る。
ことも必要なんでしょうが・・・・・

やっぱり 自然と湧き出す気持ちを言葉にしたら
今「ありがとう」そうなる

頭でなくこころがダイレクトにそうあふれる。

私は感情の起伏が大きい、すぐ泣く(嬉しくても悲しくても) 笑う 怒る 喜ぶ まわりの人はみんな知っている。
ちょっと意識しないと見失う 今夜はとくにこころからエネルギーが溢れている

そういう日は、ちょっと小難しい思考をしてみようなんてこころざす・こころみる(日本語はおもしろい)が・・・・。

ありがとう うれしい ことばにできない 生きている 今ここに
ありがとう あなたに会えてよかった 愛しい すべて ありがとう ありがとう

すなおにやっぱりこうするのが一番 
こどもみたい・・・夜中に・・・

み難いですが、写真左下に青いオーブが写りました。
最近青い感じ^^
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きょうのお弁当

2008-11-21 19:52:15 | 宇宙と人 ・気づき
ごはん・カブの葉とおじゃこのごま油炒めのふりかけ。
かぼちゃのコロッケ(かぼちゃ・黒豆・にんじん・れんこん)
じゃがいもコロッケ(じゃがいも・にんじん・れんこん)
かぼちゃとごぼう天の煮物
三つ葉としめじ・えのきの煮びたし
カブときゅうりのさらだ・ブロッコリー
えびしゅうまい

寒くなり朝お布団が恋しい季節です。
ただ、寒くなったおかげで物が腐りにくくなって、前日の残り物をお弁当にいれても大丈夫になりすこし助かってます。

今 日本は食べ物も豊かです。毎日食べることが出来るほんとうにありがたいです
戦争時代を経験した母達はやってくるたび、そのころどれだけ食べ物がありがたく
今食べられるということがどれほどしあわせなのかを、こどもたちにも話して聞かせて下さいます。

今日本は、世界人口60億人のうちおよそ8億3000万人の人々が栄養不足で、そのうち7億9100万人は発展途上国に暮らしています。

世界の7人に1人、発展途上国では5人に1人が、飢餓状態にあるということになります。
栄養不足の人々が最も多く住んでいるのがアジア大平洋地域です。 
そのうち3億5千万人以上が子どもたちです。飢えを原因として毎日、5歳未満の子ども1万8,000人を含む、2万5,000人が命を落としています。

私には、チャイルドケアという支援する会で紹介して頂いてベビーの時から支援している、フィリピンの2歳になる娘がおります。(ホストマザーです)
かわいいです おちゃめで美人です。

クリスマスのカードを昨日書きました。

すべてのこどもたちが食べる楽しさ喜びを感じられますように・・。

大地がこれらを下さいました。
太陽がこれらを実らせました。
愛する太陽 愛する大地
私達は決して忘れはいたしません。
いただきます。

食事の時の言葉にしています。
きょうもゆっくりかみ締めながら いのちをいただかせていただきました。
ありがとうございます。
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自己の調和

2008-11-18 10:08:29 | 宇宙と人 ・気づき
掲示板にほぼ毎日書き続けた2年、ほんとうにいろいろな事があった。
外からロムしているのとは違い、そこに立っていると不思議と言葉以上のその時居合わせた人との不思議なつながりが出来る。
言葉以上に感じる何かという・・・波動と表現してもいいかもしれない。

その場に流れる空気。

言葉だけで心を伝えるのは難しい。
誤解もある。

誰かの投稿が上がる、それを読みいろいろな感情がわきあがる。
か~っと熱くかちんと来ることも多々あった。
とりあえず質問。(まったく別の意味合いだったこともある)
その上で、お互いのやり取りの中で自分の感情を観察できるすばらしい場であった

心霊現象掲示板だったので、ほんとうにさまざまな宗教・思想・哲学・霊的現象・スピリチャル そしてそういうのが大嫌いな方も当然参加する。
叩かれることもあるし、共感で救われる思いのすることもある。

特に依存の大きい時は、そういう時に差し伸べられる手をスーパーマンのように感じ。
叩く相手は悪魔に見えた^^

もちろん ただ叩きたいだけの目的の人もいるので、そこはよく見極めないといけないが、今思うと・・・叩いてくださった方に最も感謝している。

そのころの自分を見つめると、私自身がたたかれることにはあまりカチンと来ない。
きっと直接その方との波動コミュニケーションでどういう思いでそうしているのかをダイレクトに感じるので、冷静に自己に向き合えたからだと思う。

私の傾向だった「おせっかい焼き」これがいつも見失わせた。
「なんでそういうことを私の大切なこの方に言うんですか!」みたいな。

完全なる余計な介入。

自分が叩かれたときを振り返っても、そのやり取りの中で多くの感情を見つめ多くの学びが得られ感謝に至っている。

私はプライドが高かった。どうしても意地になる。絶対負けない!どうしたって
言い負かされないぞ!そういう感じだった。
弱みは見せたくない。
正しい理に反することは赦せない!うそつきは大嫌い!
正論を貫く。(そんなの存在しないのに・・)


何度も何度も同じ繰り返しだった・・・。

しかしそれも必然なのか、何度も繰り返し思い起こさせていただけるチャンスだけはめぐって来た。
世の中には・・ほんとうに物好きな人たちがいる・・。(感謝)
そして必然として何度も起こる。
なんとか私自身が気づけるように仕掛けて下さる。
偶然のようで必然のプロセス。

自分のことが一番見えにくいという事実、そしてそれまでに洗脳や教育やしつけと証する枠の中で、価値判断し、それがわかっても実際そのくせはイザという時、やっぱり抜け切れていない。

それは、その波の中で自己の真剣な向き合いの中でしか気づけない。

わかっているのに「おせっかい」がややこしくすることを、なかなかやめられなかった。
ほんとうにそれを何度も指摘する愛の人が私には多く存在した。
ありがたいことである。
うぬぼれて言うなら、きっと見込みがあると思って下さったんだろうと思う。
とにかく、夜を徹して関わってくださった(喩えですが・・ほんとうにそうだった・・・。)

どん底はチャンスである。もっとも自分の山と谷を行き来する波打つ感情を観察できるそして知る最高の贈り物。

相手が誰であろうが起こる事柄がなんであろうが、自己の気づきと学びのチャンスであると思う。

結局自分が創り出した自分の創造の「波」だった。
引いてみるとそれがわかった。
正しいは存在しない。

たしかに私のおせっかいも表面的にはやさしさや愛から生まれているように思えるが、わたしのくせである。
見守って居られないのも、そのかたを信頼していないということの裏返し。
それは、自分を信頼していないんだろう。

私が癒され平安ならつながる意識として、きっといつか その方もそう気づくチャンスが来る。口でそういいながら行動は・・だった

どうしてもかかわらないといけない縁というのも存在する。

チャンスはそのかたのもの。

見守り寄り添うだけの存在としてあること これは誰に対してももち続けたい。
そういう時も、自己を見つめ、イザという時のために、最高の今でありたい。
自己犠牲や疲れるのでは 誰のためにもならない。

自分をまず癒す。
自分を信頼する ゆらぎを調整し もっとも心地よい 今を送る。

それもこれも、いのちある生きているから感じられるありがたいことである。
いのちがあるから痛むし 喜怒哀楽がある ありがたい。

無痛は一見ありがたいように思うけれど、そうではない。
(確かに喜怒哀楽の中での気づきや学びですぐに自己を建て直し、それもありじゃんと調和するうち、無痛に近い感覚は得られる。)

感覚的にしかいえないが、無痛では、無痛でない痛みやゆらぎに付随する喜びや感動や希望はないのかも・・。

怒って泣いて笑って感動し楽しんで人ってすばらしい!
いのちに感謝。
ほんとうに生きているってすばらしい。
ありがとうございます。おおくの見守って下さる存在さん。

そう感じられる「わたし」ありがとう。
わたしすごく愛し愛されています。
誰かではなく 存在「ある」が。

昨日
そやけど (メイ)

2008-11-17 13:14:47

今日はやけに耳が引っ張られてる。
首も肩も凝っています。^^;
あの掲示板も騒がしいぞ~~

本日はすこし和らいだものの、依然として耳の引っ張られ感と肩首の凝りはなおりません。一応ご注意を。遠いかな・・・。
コメント

1/fのゆらぎ

2008-11-16 18:39:20 | 宇宙と人 ・気づき
森羅万象のリズムは一定の正確なリズムを刻んではいない。
ゆらぎを見せる。
人のからだのリズム たとえば心臓のリズム(心拍数)も心電図をご覧になった方はご存知のように、健康で心臓に異常がない人もメトロノームのような正確なリズムでなくこの1/fゆらぎのゆらぎを見る。

自然界に存在するリズムはこの1/fゆらぎの法則である。
波の音、小川のせせらぎ、そよ風、風にゆれる葉の音・・・

1/fゆらぎ (エフぶんのいち - ) とは、パワー(スペクトル密度)が周波数fに反比例するゆらぎのこと。ピンクノイズとも呼ばれ、あらゆる物理現象、生物現象、経済現象に現れる。具体的には人の心拍の間隔や、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぐ音、アルファ波、目の動き方、木漏れ日、物性的には金属の抵抗、ネットワーク情報流、蛍の光り方など。その発生機構や効果は研究途上にある。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


閏(うるう)年は、一日を24時間と決めていますが、季節によって数分づつ異なります。
一年365日で、約6時間も長くなるので、四年ごとに一日加えます。

2000年問題のときも、うるう秒という地球の自転速度と時間の調整をする為に、うるう秒という時間が挿入されることでコンピューターがどうなるかなんてことがありました。


閏は暦と、太陽または月の運行(太陽の運行は季節の移り変わりを、月の運行は月相を決める)とのずれを補正するために挿入される(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

すべての自然のリズム動きは一定ではないこのゆらぎが存在しているんですね。

そしてこの一定でないゆらぎが一番人間にとってリラックスするようです。
当たり前ですが^^;

木の木目 そして手づくり品 幾何学的でない町並み 
人の声もあの解説ですてきな森本レオの声が1/fゆらぎをもっているらしい。

音楽もヒーリング音楽などにこの法則が用いられる。
1/fゆらぎの波形を反転させても1/fとなる。もし1/fゆらぎを取り入れた音楽が人に快適感を与えるのであれば、リバース再生(逆回転)させても同様の効果が得られる理屈になる。また音楽の趣味嗜好にも個人差があり、万人が同じ効果を得られる1/fゆらぎ音楽の発見は、今後の研究課題といわれている(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

私は昔からがすきですが、能の動と静の間のこのゆらぎ感がここちいい。
動と静の間に存在する自然のゆらぎ 

茶道の世界も そして京都の隆安寺石庭にも感じる1/fゆらぎ的 宇宙感とでもいいましょうか・・。
日本には人がそういう自然から感覚的に得たゆらぎの中の美しさを昔から知っていたんだと感じるこのごろ。

人も・・そう・・ゆらぎあってこそすばらしい 感動と喜びと希望を持てる。

ありがとう 日本にうまれてうれしい 人として今日も生きさせていただいてありがとう。

規則正しさと不規則さがちょうどよいバランスで調和した姿
ちょうどよいバランス どちらも生かされる 
正しさと正しいのか?の疑問符の間にできる「ま」すきまにさて・・・何が生まれるのか。
見事な調和に安らぎと真の喜びが生まれるんでしょう。
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ある

2008-11-14 10:29:53 | 宇宙と人 ・気づき
人はしあわせになりたいと願う。
しあわせってなんだろう。
私もこどものころ現実の生活の中で、すべて自分に足りないもを教育され しつけられ まったく自分は愚かで たよりなく 足りない存在だと思っていた。
頭が悪く、貧乏で、友達とも仲良くできず、才能もない私はしあわせなんてなることなどないと思い込んでいた。

そうであったからこそ、人一倍この幸せになる!という願望も大きかった。
満たされないからこそ、不足だからこそ、それを希求するような。

きっとそういう中では、すべてに満たされていたとしても、もっともっとと欲が出る。
現状が到達なんてことはない。

となりの芝生を見て、その差に不足を感じる。(眼の錯覚だとしても^^;)
自分の中の理想や願望との差に足りないわが身を不幸だと感じる。
ある時点で、昔思っていた理想の生活となっていても、もうその時点では不足を感じる。

なんで不足と思ったんだろう?

比べている対象がある。それは他者ということもあるが、それさえ 比べているうらやましいと思っている相手もどこか足りなさを感じているかもしれないのに。

すべて自分が創り出した錯覚。そして果てしなく膨らむ欲。
上へ上へと・・・。

ほんとうに足りてないんだろうか?不足?不完全?

そんな差を生み、対立し、善悪を判断し、いつも正しくないと落ち込む・・・。

正しいって何?善悪って何が基準?

そういう想念を操作し、コントロールしたのは?

きっと生まれたての時、人間であることを意識せず 生きるということ以外のぞむことはあっただろうか?

いつからそうなる?

『もうすでに、光明、悟り、ニルヴァーナ、サマディーなど
実現されっぱなしだ。あなたはその中に、今まさに住んでいるのだ』
昨日あるかたのHPで見つけた言葉。

完璧であったのに、あるのに
いっぱい抱えすぎたもの 知識や思い込み(思考)や洗脳(こうあらねばならない)やそういうものに疑問(?)をもちつつも、私はいつも求めて求めてお腹イパイにしていた。
今は、捨て去る作業。手放していく価値観や思考や不足を生み出す概念。
とにかく捨てて捨てて捨てまくる作業中。生まれ赤子のように。

不足などなにもなく 完璧 すべてある。
あるのだ。

より美しく咲こうと花は思わないだろう。でも美しい。
そこにあることがうれしい。あなたがあってよかった。出会えてよかった。
ありがとう。

私は今うれしく 楽しい。 今の瞬間がイトオシク 最高の愛の中にあったと知った。
しあわせになりたい・・も不足である心の現われだったような気がする。
すでに・・ある。感謝

またまた・・・すてきなコメント!
いただき~~~ありがとうございます 頂いちゃいます
Pさんありがとう(先にお礼・・・)

Pさんのコメントを載せましたが今は私しか観ることが出来ず・・・残念
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感覚

2008-11-11 11:34:08 | 宇宙と人 ・気づき
以前から気になる数字に導かれるように、精神世界を探求した。
そして12
この数字は現実に密着した数字であることから、不思議ではないですが・・。
特に12
音階も12音 以前読んだシュタイナーの「魂の扉・十二感覚」(アルバート・ズスマン)には、感覚の捕らえ方が12であった。

チャクラは7がしられるところであるが、12や14 または7+8という説もあるらしい。
さて、感覚は一般には5感として知られている。
触覚・視覚・聴覚・臭覚・味覚である これにあと7感覚
生命感覚・運動感覚・平衡感覚・熱感覚・言語感覚・思考感覚・自我感覚

詳しい解説は興味のある方は「魂の扉・十二感覚」をどうぞ。
1触覚
境界にきづくことで自分自身に気づく
2生命感覚
自らの体調の良し悪しを感知する

3運動感覚
自らの活動を感知し 自らの身体の動きで表す
4平衡感覚
重力場(創り出された世界)で方向付けをする
5臭覚

自らを空にし満たされるに任せる(物質的に)
6味覚
計量しうるものを調べ 自らの小宇宙へと取り込む(内に向けて)
7視覚
計量し得ないもの(太陽と光の作用)を大宇宙のうちに体験する(外へ向けて)
8熱感覚
関心をもって世界へと流れ出る(非物質的に)
9聴覚
素材を形作っていた霊を解放する(創造する力)
10言語感覚
他者の霊的活動とその顕われを感知する
11思考感覚
他者の霊(思考)の真実と虚偽を感知する
12自我感覚
他者の境界内に入り込み他者の自我に出会う

この本とても深くて、全部読まないと理解できないと思うんですが、感覚で・・・
感じてください。

これをグループに区分すると
肉体感覚(自らの身体性に向けられる)
    
        12星座    知覚領域
1触覚・・・・・てんびん座・・・物質体(肉体)
2生命感覚・・・さそり座・・・・エーテルないし生命体(体調・痛み)
3運動感覚・・・いて座・・・・・アストラル体(表現する、適応する)
4平衡感覚・・・やぎ座・・・・・自我(重力に対峙して)
魂感覚(人間と世界とがかかわる)

5臭覚・・・・・みずがめ座・・・物質素材(直接的に:本能)
6味覚・・・・・うお座・・・・・エーテル素材ないし生命体素材
7視覚・・・・・おとめ座・・・・アストラル素材(太陽・ひかり)
8熱感覚・・・・しし座・・・・・自分自身(自我)の熱(周囲の熱にむかって)
霊的感覚(社会的感覚)内実へと向かい 潜んでいるものを明らかにする
9聴覚・・・・・かに座・・・・・物質(肉体)的なもの(固い素材)
10言語感覚・・ふたご座・・・・エーテル的なもの(他の人間の霊的素材)
11思考感覚・・おうし座・・アストラル的なもの(内なる太陽、他の人間の真実
12自我感覚・・おひつじ座・・自我(他の人間の本質)

そしてこれを円にすると
1と12 2と11 3と10 4と9 5と8 6と7が対極に配置される

星座との対応は、どう捕らえていいのかわかりませんが、前にある方に質問した時
その星座の知覚領域がもっとも知覚しやすいらしい。
感覚を研ぎ澄まし 自ら治癒する。毎日の日常生活の中にも その現れは見出され
感動し喜び 畏敬の念を感じます。
天と地の間に存在する人 感覚すべてを開き このすばらしい地球の生命体である
喜びと感謝 そしてごめんなさい・・・ありがとう

(写真はチベットの山頂の岩塩を切り出したものです。3億5000万年前海だったところが隆起してチベットの山に岩塩層があるらしい・・・。
とても大切な贈り物です)
ろうそくを中で灯すと・・・

余談ですが、美術館へ家族と行くととてもおもしろいそれぞれの鑑賞をします。
特に娘は変っている。
先日もひとりで回っていると多くの館内の人に呼び止められたらしい、「何を見ているんですか?」と・・そりゃそうだ・・・彼女は絵や彫刻そのものを見ていない・・・その絵や彫刻のまわりや影をずっと楽しんでいる。
怪しい・・・・。
どの感覚でなにを見ているのかとほんとうに不思議なんですが、そういう私も
絵からの波動や
絵を見ている人の後ろ姿を見たり感じたりするのが好きだったりするので・・・
変わり者親子かもしれません。

この「魂の扉・十二感覚」(アルバート・ズスマン)を引用します

私達の感覚もすべて、獣帯上(星座)のそれぞれの星座に結びついています。
しかしその際みなさんは、特定の星座が特定の感覚器官を生み出す振動を発しているなどと考えてはなりません。
それは、次のように言った方がよいでしょう。
宇宙には一定数の特定の原型像、原型モチーフ(形態形成理念と云ってもいいでしょう)があり、それは、大宇宙においては星ぼしのいくつもの結びつきとなり、小宇宙においてはわたしたちの身体、私達の感覚器官となる、と。
つまり、大宇宙も小宇宙も、ひとつの源から生じているのです。
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呼吸

2008-11-07 10:50:48 | 宇宙と人 ・気づき
先日沖縄の中学校でクラブの部室に、霊らしきものが出るという多くの目撃情報から、ユタにより徐霊してもらって居る時に、多くの生徒が気分が悪くなり病院に運ばれるということが報道された。←ここ

いろいろな見解があるかもしれませんが、今回は呼吸について。

このニュースで過呼吸によりとあります。
過呼吸はこちら

過呼吸症候群は思春期におきやすいものだそうです。
心理的興奮状態、極度の緊張状態やストレス時に起こりやすく
まわりが落ち着いて対処することが大切です。

紙袋やビニール袋などを口にあて、自分の吐いた二酸化炭素を吸い込み落ち着かせる事により対処できます。

呼吸は、心理状態によって変わります。
逆説的に呼吸を変えることによって、心理状態を変えます。緊張しているときや落ち込んでいるときは、ほとんどの人が息を止めていたり、浅い胸だけの締め付けるような呼吸をしていることが多いです。

無意識でしている呼吸を観察しても、感情やこころの状態で呼吸が違います。
他の人を観察しても、いつも穏やかでリラックスして生きていらっしゃる方は、腹式呼吸で深い呼吸をしています。

いつも落ち着かず、ばたばたせわしい感じの人、またそういった時には、はあはあ呼吸も浅くせわしい。

他人の観察は容易ですが、普段から一番無意識の行為が呼吸です。

ヨガや瞑想や内観また催眠術なども、最初に呼吸 吸って吐くことに意識を集中させるそうです。

いつも無意識でしている呼吸に意識を向ける。
とても大切なことだと思います。

森や山などへいっていい気分で呼吸をしている時、無意識で深い呼吸をしています
感動した時や、心地よい時もそうしていることに気が付きます。
そしていい歌声や発声には、この腹式呼吸が欠かせません。

気持ちよく笑う時もそうですね。

深い腹式呼吸は、逆説的によいここちを招きます。

胸を開き、体中のすみからすみまで細胞のひとつひとつまで酸素や地球そして宇宙のエネルギーを頂く感じで呼吸してみてください。

ただ・・・深い呼吸は回数が増える早い呼吸は過呼吸になります。
深くて長いゆっくりとした呼吸です。

こどもは小さいほど呼吸数が増えます。
年齢        呼吸数 (回/分) 心拍数(回/分)
生後0~24時間 40-50  120
  1~7  日    30    135
  8~30 日    30    160
  3~12ヶ月    25    140
  1~3  歳    25    125
  3~5  歳    25    100
  8~12 歳    20     80
 12~16 歳    16     75
こどもがあわててたり、何がなんだかわからないパニックになっている時も、抱きしめて一緒に呼吸してあげる ゆっくり ゆっくり 吐いて 吸う。
こどもを叱るとき、怒りに震えた時も、どうぞ深い呼吸・・・忘れないようにしたいです→自戒

世界的に平均成人で10回~20回(18回くらい)といわれていますが、概して呼吸が浅くて不規則な欧米人に比べると、日本人の呼吸はより深くて規則正しく回数も少ないのだそうです。
ご自分の呼吸を数えてみてください。平常のゆったりした時に誰かに数えてもらうのがいいと思います。

一日に換算すると 18回×60分×24時間=25920回 約26000回
この数値は惑星歳差運動周期の25920年とフラクタルに同期している。
↑これ検索しましたら、おもしろい論文もありました。興味のある方はどうぞ

人間の体と宇宙 ミクロとマクロの世界 どこかつながっていると感じます。
無意識でしている呼吸・・・無意識で出来 忘れがちなこと
ありがたいです 普通に息が出来ること 喘息で長い間苦しんだ私はほんとうにいま呼吸できることがありがたいです。

読んでいただいてありがとうございます。
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だいじょうぶ

2008-11-06 10:16:52 | 宇宙と人 ・気づき
今日もいいお天気です。
おひさまの光がまぶしい ありがたいことです。

けれど・・・そんな今の瞬間にもどこかで悲しみと苦しみの底にいらっしゃるかたがいる。
おひさまのひかりさえ憎らしく 平和で しあわせそうな人がまぶしすぎて。

周りを見渡しても、経済的にどん底の人、信頼してたのに裏切られた方、リストラにあったかた、病にある方、家族の細いいのちの糸を見つめ続けて看病していらっしゃる方、最愛の人をなくされた方。必要とされてないと感じるこころの方。

弱り目に祟り目とはよく言ったもので、そういうところ、心には、不幸な闇と思われることが次々起こる気がする。
というより、弱くなった心には 何もない時にはどうってことないことが大きな障害、壁として塞がります。
どうにもできない神不在!と思う。

平和でしあわせそうな人といると「ふん・・なんにもわからないくせに」と余計にわが身が悲しく、同じ暗闇の中またそれ以上を見つけてすこしほっとする。
私のほうがすこしまし・・。
明るいところに出たくないんですね。

ますます、まっくら 真っ黒け。

「どうしてわたしばかり こんな目にあうの・・」生きるってつらい。
暗闇の中で 未来への希望もなく 過去を悔いるばかり。
わたしもそんな時がありました。

しかし、ほんとうにそうなんでしょうか?

もう立ち上がれない 死んでしまったほうがいいんでしょうか?

先ほども言った、自分の抱えている問題以上に、自分自身が引き寄せてしまっている闇はありませんか?

人はこの世に転生するとき、自分で課題を決めてやってきます。
飯田史彦さんの講演会や生きがいの・・シリーズで聴いたり読みました。

自分で決めてきたんです!乗り越えられると。
生きていることを心の底から感謝できるために。
誰かのためなんて今は思わなくていいんです。
自然にそういう思いになった時で。ぜんぜんOK 生きているそれだけでOK

もうぎりぎり・・そこからまず顔をあげる。
だれかにこころの中を吐く、困難な時ほど、その状況を意識して客観的に観る。
その中で背負っている荷は四分の一だけ軽くなるかもしれません。

ひかりは自分の中にあり せき止めているものを外したら、引き寄せていた暗いこころ闇はまた四分の一だけ軽くなるかもしれません。

人とそして光と生きているすべてのものにこころを向けるすこし空いたスペースに入れてください。

事態はすぐ変らないかもしれません、でも自分が変った瞬間からすべての流れが
変る。もう一度観て!

「ばかやろ~!絶対!わたしはしあわせになれるんだぞ!生きることを喜べるために生まれたんだ!」
最悪の中で咲く花を一日ひとつ見つけてください。
たったひとつほっとする自分へのごほうびを。

だれも救ってはくれません。
顔を上げるのも、いやすのも、希望のちょっとしたひかりや道筋をつけるの
わたしでありあなた 自分のこころ。

すこしだけ差し込んだひかりに必ずいつの日にか笑っている自分が来ると信じて
だいじょうぶ ほんとうに大丈夫だから。

ほんとうはすべて自分のなかに「ある」ともに歩いている。寄り添っている
ひとりなんかじゃない。

今そう思えたら 変ります 変る!そう信じられますか?

無理しても一日いちど笑ってください。そのすきまに流れてきます。

生きています 生きるって大変だけど 生きるってほんとうにすごいことです。
そして。。すこし元気になったら 余力が出来たら 周りの人にすこしだけ
暖かいこころを流してください。
誰もがみんな同じです。ほしいものは同じ。

立ち止まり 顔を上げたとき 大丈夫とほほえむあなたを待っています。
あなたのいのちと存在とつながっているわたし。
とても大切なあなたへ届きますように。

私の周りには大変大きな課題で今世を送る人が不思議に多いです。
そして乗り越えている 乗り越えようとしている。
すべてに気づきはじめている。
ご苦労様 いつもありがとう ともにいます。
あなたがいるからうれしい。ありがたい かけがえの無い魂たち。

2度目はらくらくよん ねっ

今 そう今が大切 今あるすべてのいのちにありがとうございます。
あなたとともに。
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自給自足の道

2008-11-05 17:57:17 | 宇宙と人 ・気づき
もう14年くらい前に、娘を背負ってマクロビの料理教室に行きました。
まったく食に対する知識も無く、小さい時からジャンクフード大好きだった私には
無縁の世界だったのですが、娘を授かり しかもアトピーだったこともあり、自然食品店や桶谷式(母乳マッサージ)・ラレーチェリーグ(自然卒乳)やそのころ知り合った友人達によって、そういう世界(大げさですが)があることを知りました

マクロビオテック
私が伺った正食協会では、桜沢如一の説を土台として、日本古来の食事のように、玄米を主食、野菜や漬物や乾物などを副食とすることを基本とし、独自の陰陽論を元に食材や調理法のバランスを考える食事法である。
身土不二居住地の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にすることで心身もまた環境に調和するという考え方。

食物のもつ陰と陽の性質を知り、調理する際その性質を使い、鍋の下から陰→陽に重ね煮することで、食材の持つ力を引き出す調理法。

そして一物全体 お米は糠にも栄養が多く、玄米をすすめています。野菜もあく抜きはせず、根や皮まですべて使い切ります。

もともと、完璧にしないと自己嫌悪に陥りがちになる自分を知っていましたから、ほどほど いい塩梅 なんちゃってを心がけつつ。

相当アレルギーのひどい時は除き、外食をするのも楽しみでしたので、肉抜きもそのものでない、スープなどのエキスなら食べていいとことに決めて。
それもこどもがちいさいうちだけでしたが、またこの2年 娘が動物愛護からやめる宣言をして、なんちゃってマクロビ再開・・・(娘はさっさと肉食べだしました)
食材のもつエネルギーと陰陽のバランス またあくなどのうまみでほんとうにだしなど使わなくても甘みが出て ほんとうにその素材が生きる美味しさを知ります。
大地のめぐみと太陽や水のありがたさを実感できるわけです。

食べ物が変るとすべてが変るよ・・・これは その頃食と環境を考える会の友人が私に教えてくれたこと。ほんとうでした。

海外での普及も凄いらしく・・スーパーモデルや有名な俳優・女優なども実践しているようです。

しかし・・何事もあまりこだわりすぎると 幅を狭め かえってしんどくなったり
必要以上にまわりの人に気を使わせる。
玄米も・・・ずっと食べ過ぎると 色が黒くなるような・・気のせいか

シュタイナーの食に関する考え方
 食物と人間の関係を問われた場合、どのような説明が可能でしょうか? この問いに対しては、両極の答え方があります。ひとつは人間にとって大切なことは、霊的な事柄であり、何を食べるべきか、何を飲むべきかということは、人間の本質にとって、重要なことではないという考え方。もうひとつは、人間は食べたもの、飲んだも、つまり身体が消化したものによって成り立つという考え方です。後者の考え方のいう、食べ物、飲み物は、目に見える物質としての、食物という意味です。
 はじめに、シュタイナーが「食」について、講演をする際、繰り返して語っているのは、これらの講演が、特定の食事に賛成したり、反対したりするものではないということです。例えば、菜食と肉食について、シュタイナーは語っていますが、肉食をやめなさいという言い方はしていません。また、いろいろな食べ物について、それが、身体にどのように働きかけるのかという事実を説明しているのだと、シュタイナーは述べています。知りえた事柄のうえにたって、どうするのかは、一人ひとりが決めることだと彼は語ります。
 さて、先の問いに対するシュタイナーの答えはどのようなものでしょうか。二つの答えのいずれでもありません。シュタイナーの考え方は異なっています。確かに、人間は食べたもの、飲んだものによって成り立っているということは事実です。しかし、食べ物、飲み物は、目に見える物質以上のものである、その背後にある霊的なものも、人間は身体に取り込んでいると考えます。その点が大きな違いです。シュタイナーは物質界で生じる外的なことは、霊的な世界(内的な世界)の表出であると捉えます。ですから、私たちが食物を摂取する過程も、単に物質的なものではなく、「精神的な過程の物質的表現なのです」と述べています。
 シュタイナー教育について学んでいくと、人間はどのような成り立ちをしているかということによくであいます。シュタイナーによると、私たち人間は四つの構成要素によって成り立っています。肉体、エーテル体(生命体)、アストラル体(感覚体)、自我です。食べ物を摂取することによって、肉体にどのような化学的経過が生じるのかというものの見方では、人間全体を捉えたことにはなりません。肉体と肉体の構築者であるエーテル体、肉体、エーテル体の背後にあるアストラル体、さらに自我によって成り立っている人間が、食べ物によって、どのような作用を受けるのかという視点で臨むとき、栄養の問題ははじめて包括的に語ることができるとシュタイナーは述べています。

身土不二のこころから行くと、地産地消自給自足ということになりますが、今日本での自給率は40パーセント以下です。
ほとんど輸入に頼っているような状態。
安く 輸送も早くなったおかげで、日本での自給率はどんどん下がりました。

世の中が今 目に見える激動の時にあり ほんとうに自給自足への道を考える時代へと向かいつつあります。
東海アマさんも以前から自給自足への道をおっしゃっています。
ちょっと・・以前にご紹介した ふぐり玉蔵さんのHPでも 2日前にこんな記事

自己責任でご覧下さいね

いずれにせよ、農業は一日にして成らず。
食べる大切さ いのちに感謝しつつ 明日の種をまく そんなことをそれぞれ考えてもいい時なのかもしれません。

大地の恵みに今日も感謝。合掌

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