いのち感謝 メイ今あるところ

夢 日々のちいさなありがとうを

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人の為は偽

2008-11-30 23:50:26 | 宇宙と人 ・気づき
奥出雲の森から

忘れかけていた土の匂いを、感じたとき。
緑の息遣い、聞こえた気がするとき。
なんだかなつかしい、思いになります。
新しいいのちも胎動する、
森の木の根もとの枯葉の下は、
すべての生物のふるさと、だからかもしれません。
神話の故郷「奥出雲」の山里から
朝日のまぶしさ、夜露の瑞々しさを託して
人と人の健やかなつながりを
広げられることに
今日も感謝の一日が始まります。
              
木次乳業

我が家のこどもたちがアレルギーだったこともあり、牛乳は今でもほとんど買うことはありませんが、時々ここ「木次乳業のパスチャライズ牛乳」をいただきます。

友人がこちらの創業者のお身内とひょんなことからお話したことを、金曜日にお聞きして、いつもいただいている牛乳だったので興味深く伺いました。

コチラの創業者佐藤忠吉さんは、名刺に会長とか社長とか偉そうな肩書きは一切なく、「百姓」と書いておられるそうです。

HPからも抜粋しますと
酪農を核とした有機農業にこだわり続けました。有機農法の草分けとして、「有機農業マイスター」の称号をいただき、日本有機農業研究会のメンバーとして、現在も有機畜産の推進に関わっています。百姓は百の作物を作る人。米作り、野菜作りはもとより、微生物学、栄養学、気象・天文学などに通じる知恵を駆使し、土作りに始まって炭焼き、牛飼い、養蚕、大工までをこなす人間。そうした百姓が集まり地域自給、村落共同体を再生しようと、木次の自然を大切にしながら仲間作りを続けてきました。

「未完の百姓でございます。」ともあります。

そして「正しいことをいってはいけない」と「人のためにしてはいけない」ということ。
自分にとって正しくても他の人にとっては正しくないかもしれないから言うなということ。つまり自分が納得することをすればよくて、他の人に強制すべきではないということ。
あと「人のためにしよう」と思うから偽装表示とか偽善行為が行なわれる。もともと「偽り」の字自体が、人の為からなっている。だから人のためではなくて自分のためにする。

人の為→偽(いつわり)納得である。

佐藤さんのお写真→ここ

木次乳業→ここ

いのちをいただく ありがたいことです。
自分が喜べる平安な営み 自分のためにする これ大切ですね。

例えば自分が喜べ食べて安心なものを供給することは、結局消費者である他者も安心喜べるわけです。
決して我由ということでないんです。

趣味の延長がすこし最近忙しいのも確か^^;でも 最高に楽しい
11月にCDが出来た。そろそろ予定の2000枚なくなりそう。
喜んで聴いていただいているらしい。
うれしい。

素人のCDが売れたのには訳がある、文化・芸術・教育活動をしているどこかに三分の二寄付をしてくださる目的で何十枚かまとめて預かってくださるのなら、三分の一の価格でお分けしますとしたんです。
残りをどこに寄付したかだけ明確にお知らせくださいと。

暖かく、つながる友とかわいい天使・星の子たちと毎週会えて癒され、キリギリスみたいに好きな音楽をして わたしはしあわせ 生きていてよかった。


いつもありがとうございます。

写真はオーストラリアの牧場で、木次の牛さんとは違います
木次の牛さんは茶色いスイスの牛さんです。
コメント

2008-11-29 10:26:44 | 
この上の写真↑のろうそくの横のちいさなふたつの○は、この写真では見にくいですが、大きく引き伸ばすと、赤い惑星と青く白く発光した惑星のように見えます
とても美しいです。

先日故郷へ行こうと思ったのは、夢でのことが気になったから。
あまりこだわるのは・・と自分でも思いつつ、思うとすぐ行動してしまう。
11月7日の夢
実家だと思った。
しかしもうその建物は今はない。
実物より大きい建物だった。
大勢の人が集まっている。
にぎやかな祝宴をこれから起こることを待ちわびている感じ。

すると、わたしの目の前に鳳凰か孔雀が現れた。
私は孔雀だと思った。
見ていると、その大勢の人の前に進み出た。
そして人(女性)に変身した。
孔雀に乗っているようにも見える。
(尾羽が美しくみえる)
大歓声!と拍手 そしてみんな歌を歌いだした。

その孔雀について移動しながら・・・。
歌はしらなかったが、明るい歌で簡単な歌だったように思う。



この2日の夢・・・。朝方の夢なので日付けはそのように


11月28日
アメリカカリフォルニアの友人の家に道を尋ねに行った。
再会を喜び、こどもたちの成長を喜び合った、これからホームパーティーが始めまる様子で、あわてて駅かバスもしくはタクシーがつかまる場所を聞いてお暇しようとすると、もうぞくぞくとお客さまたちがいらっしゃった。
お話をすこしして失礼しますとなったところで、野菜スープが出てきた。
(しかし、実物の友人宅とは違った)

11月29日
昨日の続きだと思った。
パーティーかイベント、野菜スープもあった^^;
外では、パラグライダーや小さい飛行機や飛行船が飛んでいる。
とても明るいところだった。

多くの海水浴客そしてイベントがある海岸。
白人が多いが日本人も若干いた。

そして私も海で泳いだ。
なんだかいやな感じ・・・つなみ・・・沖合いを見ても変った様子はないが、急いで海から上がろうと思った。
数人の日本人もそう走り出している。
つなみが来る?そう直感して一緒に走る日本人と共に 「津波がくるから にげて~~~」と叫びながら走るが、それにほとんどの人は反応しない。相変わらず。
どうして?たしかに海はいつもと変らない・・・。

すると声がした。

感知して瞬間に行動しないと遅い・・目で認めた時にはもう迫っているということだ・・それを感知し 行動するかで決まる。
感知できるかではない・・・行動できるかだ。

かなり長い時間のあと、津波が来た・・。

中にはその波でサーフィンを楽しんでいる人もいた。(日本人のようだった)

私の夢は災害の予知夢はほとんどないので差し引いて見ていただけるとありがたい

知っている感じているはきっと多くの人が持つ力だろう。
しかし、それからどう行動するかということなんだと思う。
頭で目で見えてから動くのでは遅いということ。

感知した瞬間に 今 どう行動するかと。

この夢の中で、差し迫った恐怖はなかった。
でも動かない人に どうして!と怒りの気持ちがあったのも確か。
きっとこれも私の中にあるエゴなのだろう。

だって・・・そういう時にも、サーフィンを楽しむくらいなビッグな日本人がいたくらいだから。

夢は潜在意識を見せる 象徴てきな出来事としてその時感じる自分の感情を観ることができる。
普段では 感じないわたしの覆いをブロックしているものを取り払うために、見せる 
見るが・・これは観ないと気づかない。
まったくの主人公では見ることは出来ない。

聴こえる声は・・・何かの啓示のように思うけれど、きっと「ある」「おおいなるわたし」の声に違いないと、最近感じている。
気づかせるための、メイのほんとうのわたしが導く声。

きっと誰もが気づく。
それぞれほんとうは、すばらしい存在である「わたし」という存在がすでにあることに気づけば。

覆いとなるブロックしているものは、自分がつくりだしたもの。

冬至が来る・・
スウェーデンでは、「サンタルチア祭」というお祭りがある。
長い冬 闇と暗い日々が長いスウェーデンではひかりを喜ぶお祭りが多い。

最近は参加していないが、以前神戸の外国人クラブであるサンタルチア祭のパーティーに3年ほどお邪魔した。
スウェーデンのこどもは天使のモデルじゃないかといつも思うほど美しかった。

頭にろうそくを立てた、サンタルチア姫と天使が「サンタルチア」を歌いながら
歩く。
そしてみんなで歌い踊る。
ひかりが嬉しい 
ホットにした赤ワインとジンジャークッキーとサフラン入りのきいろいパンを皆でたべる楽しいパーティー。

冬至は12月22日
「一年中で一番昼が短く夜が長い日」

なお、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日と、冬至の日とは一致しない。日本では、日の出が最も遅い日は冬至の半月後頃であり、日の入りが最も早い日は冬至の半月前頃である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この日をさかいに・・・すこしずつひかりがよみがえる日でもある。
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オーブ5

2008-11-29 10:23:04 | 不思議
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オーブ4

2008-11-29 10:23:03 | 不思議
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オーブ3

2008-11-29 10:22:30 | 不思議
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オーブ2

2008-11-29 10:21:55 | 不思議
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オーブ 1

2008-11-29 10:21:20 | 不思議
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A NEW EARTH

2008-11-28 22:41:23 | 宇宙と人 ・気づき
昨夜娘がノートを買いたいというので、大きな書店に行った。
文具コーナーに「東大生のノート」という本が置いてあった。
芸術てきなほど綺麗にまとめられたノートが紹介されている。

今日その話を、そこの出身の友人に話したら、「いつもそういう綺麗なノートの人にコピーさせてもらってたな・・・」と。そして、こうもおっしゃっていた、
綺麗にまとめるノートづくりをしたらいいんではなくて、まとめる力があるから自然と美しい芸術的なノートになるという結果だと。
なるほど・・・まねすればいいってもんじゃないんですね・・・何事も。

一冊の本を買った。
A NEW EARTH
買った理由・・・表紙が私の大好きないろだったから
まだ20ページほどしか読んでいませんが、目次を見るだけでもおもしろかった。

第一章 私たちはいますぐ 進化しなければならない
第二章 エゴという 間違った自己のメカニズム
第三章 エゴを乗り越えるために理解するべきこと
第四章 エゴはさまざまな顔で私たちのそばにいる
第五章 ペインボディー 私たちがひきずる過去の古い痛み
第六章 「いまに在る」という意識が私たちを解放する
第七章 ほんとうの自分を見つける
第八章 内なる空間の発見
第九章 人生の目的は「何をするか」ではなく「何者であるか」
第十章 新しい地

目覚めることによってのみ、目覚めるとは何かが、ほんとうに理解できる。

目覚めるに不可欠なのは目覚めていない自分を自覚すること。

あたりまえのようですが・・目覚めないとわからないってことです

ほとんどの人間の「ふつうの」状態には機能不全、もっと言えば狂気と呼べるような強力な要素が含まれている。・・・・中略マーヤ、妄想のベールと呼ぶ。
インドの偉大な賢者の一人ラマナ・マハリシは、「心とは妄想である」と言い切っている。

仏教では別の言葉を使う。ブッタによれば、ふつうの状態の人間の心はドゥッカ、苦を生み出す。苦・不満・惨めさである。ブッタはそれが人間のおかれた状況の特徴とみた。どこにいても、あなたはドゥッカにぶつかるし、ドゥッカは遅かれ早かれあらゆる状況に現れる、とブッタは言う。

キリスト教の教えでは、人類という集団のふつうの状態が「原罪」である。罪という言葉は大いに誤解され、間違って解釈されてきた。新約聖書が書かれた古代ギリシャ語を文字通りに訳せば、罪とは射手の矢が標的からそれるように的を外れることだ。したがって、罪とは的外れな人間の生き方を意味する。先を見ないで不器用に生きて苦しみ、人をも苦しませるのが罪なのだ。文化の覆いや誤解をはぎ取ってみると、ここでも人類の状況に固有の機能不全を指していることがわかる。

うんうん・・・そうなんだな・・・わかるな・・。
ふつうってのがね・・ふつうだと思っていることが結構曲者なんですよね。
「それほんと?」いっぱいありますよね。本当だ!正しい!と思っていること
それってほんと

私はせっかちで・・・最後を読まずにいられない・・・ということで

新しい天と新しい地は、いまこの瞬間にあなたのなかに生じている。
「いまに在る」
たったいま、地上に人類の新しい種が生まれようとしている。あなたもその一人だ!

ということでした・・・おしまい
ってあいだにある8章分端折って~~~

感想・・・(まだ読んでないぞ~)
聖書がかなり土台にあるような気がしています。
カバーの帯の言葉には惹き付けられました

時は来た。
ついに人類は次のステージに移る。
その準備はできているか?


とありました。
EARTHは・・・芸術art があります。Eエデン(地上の楽園)とHヘブン(天国)をむすぶのはARTです
そして並び方をかえると、HEART こころになります

こころの中にあるそして 今この瞬間に生じている そしてだれの内にもある
ふつうだと思っている・・それって ほんと
きっともっと平安なはず・・・すべてが。

ありがとうございました 愛するすべてに。
そして・・今日も見ていただきありがとうございました。

今日はもうひとつすてきなお話を伺った。
牛乳やの百姓と称する89歳のおじさんのお話。
我が家は牛乳めったいに買わないが、たまに買う奥出雲の牛乳の会社のおじさんのお話です。次回にまた
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熱田神宮 七五三

2008-11-27 19:15:32 | 神社
先日、私が生まれた名古屋にある熱田神宮に行きました。

七五三のかわいいおこさまがたが、うれしいそうに晴れ着を着せてもらって、大勢いらっしゃいました。
それを見守るご両親、そしておじいちゃんおばあちゃんのうれしそうなご様子に、
私もあたたかい気持ちになりました。

とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの細道じゃ
天神様の細道じゃ どうか通してくだしゃんせ
ごようのなにもの通しゃせぬ

このこの七つのお祝いに お札をおさめにまいります
行きはよいよい かえりはこわい こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ

七つのお祝いだから、七五三のことであろうか。

男の子は5歳、女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事。本来は数え年だが、現在は満年齢で行われる場合が多い。地方によっては男の子の3歳を七五三に含めて祝う場合がある(出典:『生活基本大百科』集英社)。

七つのお祝いは女の子ですね。

日本では陰数である奇数が吉数とされ、3・5・7であるそうですが、今ほど医療が発達していない頃は、こどもが七つまで育つのが難しく、節目である三歳と五歳そして七歳を成長したお祝いとお払いをして、無事を喜び願うお祝いなのだそうです。

七歳までは神の内 そういわれているそうですが、実際にこどもたちを見ていると
七歳くらいまでは天上てきで、あずかりものだという親としての気持ちも大きいですね。

11月15日
旧暦の15日はかつては二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされた。また、旧暦の11月は収獲を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになった

二十八宿(にじゅうはっしゅく[1])とは、天球における天の赤道を、28のエリア(星宿)に不均等分割したもの。二十八舎(にじゅうはっしゃ)ともいう。またその区分の基準となった28の星座(中国では星官・天官といった)のこと。中国の天文学・占星術で用いられた。 江戸時代には二十八宿を含む多くの出版物が出され、当時は天文、歴、風俗が一体になっていたことが、多くの古文書から読み取れる。

二十八宿の星座は4つの方角の七宿ごとにまとめられ、そのつなげられた形は4つの聖獣の姿に見たてられ、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀の四象(四神あるいは四陸ともいう)に分けられた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

弘法大師が中国から持ち帰ったといわれていますが・・・・おそらく・・・
それ以前からあることは、古墳などの壁画に現れていますね。

星の運行や配置で吉日を見る、宇宙と人との営みが感じられます。

しかし・・とおりゃんせの歌はくらい

違う見方もできそうです。
天神さまはあの菅原道真のことですね。
熱田神宮の鳥居すぐにも御祀りしてありました。
別の見方では、天神は天神七代と言われる神々

古事記で造化三神からはじまり。『天地の初発の時、高天原に成りませる神の御名は天之御中主神《あめのみなかぬしのかみ》、次に高御産巣日神《たかみむすびのかみ》、次に神産巣日神《かみむすびのかみ》、この三柱の神はみな独神成りまして隠身也……。』

そしてそのあとニ柱宇麻志阿斯訶備比古遅神・天之常立神が生まれここまでの五柱
ですが、男女の性別もなく姿もなく、別天津神(ことあまつかみ)と呼びます

そのあとの 国之常立神・豊雲野神ニ柱で全部で神七柱となるまする。(だいぶ省略

とまあ・・・この七柱の神

創めは三柱・・3 そして二柱足して・・5 とここまでが姿なき天界の別天津神
そして人間の地にて降臨したニ柱で・・7

天界にいた存在がこの地上の世界に降りるというのが7というのもおもしろいです

こういう不思議な偶然のようなこといっぱいありますね。
日本はおもしろすぎる

そういえば3・・・三種の神器(さんしゅのじんぎ)とは、天孫降臨の時に、天照大神から授けられたとする、「八咫鏡」・「八尺瓊勾玉」・「天叢雲剣」(「草薙剣」)のひとつが、この熱田神宮にあると言われていますね。

こちらの御祭神 天照大神 スサノオノミコト 日本武尊 ミヤスヒメノ命
建稲種命 5柱でした。 ちゃんちゃん


コメント

ゆめ

2008-11-26 23:23:56 | Weblog
今日の夢・・・クジャクだか鳳凰だかが出てきました。
それが・・・人が変身それに変身するもので、集まった人たちは喜び歓声をあげ、歌まで歌っていました。
MとJとたしかKというアルファベットも出てきました。
最近時々 言葉や文字だけの夢もあります。
先日は 裁判・裁の字がクローズアップされたりしたので、ひろなさんのところでたまたま出た、死刑問題にコメントした次第です。
(2008/11/07 08:59 :: 編集)
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こころ

2008-11-26 00:30:25 | 宇宙と人 ・気づき
生まれたところと、育ったところへ行って来た。
今の時代 生まれ育ったところでずっと過ごすことは男性も女性も少なくなっている。
女性はとくにそうだろう。
結婚して遠くになることも少なくない。

いくつになっても、育ったところは懐かしく あたたかく感じる・・これは年を重ねたせいだろう。

お年寄りの施設に伺うとふるさとや赤とんぼの歌に皆さん涙される。
遠いこころの目の先に、こどもの頃の景色やにおい なつかしい人たちの姿がうかんでいるんだと感じる。

感じる そして感情にはこころがある。

部首が「心」で感情を表す漢字
「心部」の字は部首が偏になった場合は「情」「性」「憎」のように変形して3画の「忄」の形になる。これを「りっしんべん」と呼ぶ。しかしこれも部首が脚になった「慕」の「」(したごころ)と同一の「心部」の字である。偏になって「忄」となった場合も、「心」の形である場合も、部首は「心」であることに変わりはない(なお、「慕」の下部は「りっしんべん」に一点が加わった形である。)

因みに・・・心を表す感じのりっしんべんは、漢字で書くと立心偏
立つこころと書くんですね。
(こころをはずすしてその漢字を眺めるとなかなかおもしろい そのこころは?みたいなことが すこし見えたりする)


忌 (いむ) ・忍 (しのぶ) ・怒 (いかる) ・恐 (おそれる) ・恥 (はじらう) ・恋 (こい) ・悲 (かなしい) ・愁 (うれえる) ・慕 (したう) ・憂 (うれえる) ・怪 (あやしむ) ・怖 (こわい) ・悔 (くやむ) ・恨 (うらむ) ・惜 (おしむ) ・悼 (いたむ) ・愉 (たのしむ) ・憎 (にくむ) ・憤 (いきどおる) ・懐 (なつかしむ)・悩(なやみ)・惚(ほれる)・悦(よろこび)・快(こころよい)・憧(あこがれ)愉(たのしむ)等々。


すべてこころがある。
愛にも情・悟そして悪にもこころがある。

感謝するのもこころ 「謝」??あやまるが入っている。
謝の意味はなんだったっけ・・。
(1)感謝の心。
「―を述べる」
(2)あやまちをわびる気持ち。謝罪の心。
ありがとうとごめんなさいが入っているんですね。日本語っておもしろい。

中国では
謝はシャ(遮)の音を表す「射」と気持ちを表す「言」の組み合わせからきた文字本来は退く、さえぎるといった意味。
「辞去=別れの言葉を言うこと」。またその意味から、
「代謝=移り変わること。移り変わり」のように用い、さらに、
「去る」の意味を表す。そこから転じて、
「感謝」などのように、「恩に感じて礼を述べること」を意味するようになった。

中国では謝謝(シェイ シェイ)がありがとうだけれど、これは関係の遠い人にしか使わず、あまり身内や親しい人に言うことがない・・水臭い言葉だそうですが、なんとなく中国のもともとの語意からするとそうなのかもしれません。


こころのなせる出来事・感情・状態  こころで感じているさまざまな自分の動きやそう感じていることについて 「ほんとうなのか」感じる謝・・・感じちょっとそこから言(葉)に去り(引き・退き)観る。
ことも必要なんでしょうが・・・・・

やっぱり 自然と湧き出す気持ちを言葉にしたら
今「ありがとう」そうなる

頭でなくこころがダイレクトにそうあふれる。

私は感情の起伏が大きい、すぐ泣く(嬉しくても悲しくても) 笑う 怒る 喜ぶ まわりの人はみんな知っている。
ちょっと意識しないと見失う 今夜はとくにこころからエネルギーが溢れている

そういう日は、ちょっと小難しい思考をしてみようなんてこころざす・こころみる(日本語はおもしろい)が・・・・。

ありがとう うれしい ことばにできない 生きている 今ここに
ありがとう あなたに会えてよかった 愛しい すべて ありがとう ありがとう

すなおにやっぱりこうするのが一番 
こどもみたい・・・夜中に・・・

み難いですが、写真左下に青いオーブが写りました。
最近青い感じ^^
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あさひ

2008-11-24 22:23:21 | Weblog
11月23日朝日 IN GIFU
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いのち 感謝 メイ 今 ありがとう

2008-11-22 02:09:06 | 音楽と気づき
ジュピター
平原綾香 / Jupiter
        作詞: 吉元由美
        作曲: G.Holst

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながってる
果てしない時を越えて 輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙(そら)の御胸(みむね)に 抱かれて

私のこの両手で 何ができるの?
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じて あげられないこと

愛を学ぶために 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂(しじま)に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されてる
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために


原曲は作曲家G.Holstの『惑星』の木星です。
4.Jupiter, the Bringer of Jollity
『木星、歓びをもたらすもの』

歌・音楽は癒されます。
静かな夜更け ほんとうに静か 
ありがとう 今 いのち 感謝  メイ
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きょうのお弁当

2008-11-21 19:52:15 | 宇宙と人 ・気づき
ごはん・カブの葉とおじゃこのごま油炒めのふりかけ。
かぼちゃのコロッケ(かぼちゃ・黒豆・にんじん・れんこん)
じゃがいもコロッケ(じゃがいも・にんじん・れんこん)
かぼちゃとごぼう天の煮物
三つ葉としめじ・えのきの煮びたし
カブときゅうりのさらだ・ブロッコリー
えびしゅうまい

寒くなり朝お布団が恋しい季節です。
ただ、寒くなったおかげで物が腐りにくくなって、前日の残り物をお弁当にいれても大丈夫になりすこし助かってます。

今 日本は食べ物も豊かです。毎日食べることが出来るほんとうにありがたいです
戦争時代を経験した母達はやってくるたび、そのころどれだけ食べ物がありがたく
今食べられるということがどれほどしあわせなのかを、こどもたちにも話して聞かせて下さいます。

今日本は、世界人口60億人のうちおよそ8億3000万人の人々が栄養不足で、そのうち7億9100万人は発展途上国に暮らしています。

世界の7人に1人、発展途上国では5人に1人が、飢餓状態にあるということになります。
栄養不足の人々が最も多く住んでいるのがアジア大平洋地域です。 
そのうち3億5千万人以上が子どもたちです。飢えを原因として毎日、5歳未満の子ども1万8,000人を含む、2万5,000人が命を落としています。

私には、チャイルドケアという支援する会で紹介して頂いてベビーの時から支援している、フィリピンの2歳になる娘がおります。(ホストマザーです)
かわいいです おちゃめで美人です。

クリスマスのカードを昨日書きました。

すべてのこどもたちが食べる楽しさ喜びを感じられますように・・。

大地がこれらを下さいました。
太陽がこれらを実らせました。
愛する太陽 愛する大地
私達は決して忘れはいたしません。
いただきます。

食事の時の言葉にしています。
きょうもゆっくりかみ締めながら いのちをいただかせていただきました。
ありがとうございます。
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自己の調和

2008-11-18 10:08:29 | 宇宙と人 ・気づき
掲示板にほぼ毎日書き続けた2年、ほんとうにいろいろな事があった。
外からロムしているのとは違い、そこに立っていると不思議と言葉以上のその時居合わせた人との不思議なつながりが出来る。
言葉以上に感じる何かという・・・波動と表現してもいいかもしれない。

その場に流れる空気。

言葉だけで心を伝えるのは難しい。
誤解もある。

誰かの投稿が上がる、それを読みいろいろな感情がわきあがる。
か~っと熱くかちんと来ることも多々あった。
とりあえず質問。(まったく別の意味合いだったこともある)
その上で、お互いのやり取りの中で自分の感情を観察できるすばらしい場であった

心霊現象掲示板だったので、ほんとうにさまざまな宗教・思想・哲学・霊的現象・スピリチャル そしてそういうのが大嫌いな方も当然参加する。
叩かれることもあるし、共感で救われる思いのすることもある。

特に依存の大きい時は、そういう時に差し伸べられる手をスーパーマンのように感じ。
叩く相手は悪魔に見えた^^

もちろん ただ叩きたいだけの目的の人もいるので、そこはよく見極めないといけないが、今思うと・・・叩いてくださった方に最も感謝している。

そのころの自分を見つめると、私自身がたたかれることにはあまりカチンと来ない。
きっと直接その方との波動コミュニケーションでどういう思いでそうしているのかをダイレクトに感じるので、冷静に自己に向き合えたからだと思う。

私の傾向だった「おせっかい焼き」これがいつも見失わせた。
「なんでそういうことを私の大切なこの方に言うんですか!」みたいな。

完全なる余計な介入。

自分が叩かれたときを振り返っても、そのやり取りの中で多くの感情を見つめ多くの学びが得られ感謝に至っている。

私はプライドが高かった。どうしても意地になる。絶対負けない!どうしたって
言い負かされないぞ!そういう感じだった。
弱みは見せたくない。
正しい理に反することは赦せない!うそつきは大嫌い!
正論を貫く。(そんなの存在しないのに・・)


何度も何度も同じ繰り返しだった・・・。

しかしそれも必然なのか、何度も繰り返し思い起こさせていただけるチャンスだけはめぐって来た。
世の中には・・ほんとうに物好きな人たちがいる・・。(感謝)
そして必然として何度も起こる。
なんとか私自身が気づけるように仕掛けて下さる。
偶然のようで必然のプロセス。

自分のことが一番見えにくいという事実、そしてそれまでに洗脳や教育やしつけと証する枠の中で、価値判断し、それがわかっても実際そのくせはイザという時、やっぱり抜け切れていない。

それは、その波の中で自己の真剣な向き合いの中でしか気づけない。

わかっているのに「おせっかい」がややこしくすることを、なかなかやめられなかった。
ほんとうにそれを何度も指摘する愛の人が私には多く存在した。
ありがたいことである。
うぬぼれて言うなら、きっと見込みがあると思って下さったんだろうと思う。
とにかく、夜を徹して関わってくださった(喩えですが・・ほんとうにそうだった・・・。)

どん底はチャンスである。もっとも自分の山と谷を行き来する波打つ感情を観察できるそして知る最高の贈り物。

相手が誰であろうが起こる事柄がなんであろうが、自己の気づきと学びのチャンスであると思う。

結局自分が創り出した自分の創造の「波」だった。
引いてみるとそれがわかった。
正しいは存在しない。

たしかに私のおせっかいも表面的にはやさしさや愛から生まれているように思えるが、わたしのくせである。
見守って居られないのも、そのかたを信頼していないということの裏返し。
それは、自分を信頼していないんだろう。

私が癒され平安ならつながる意識として、きっといつか その方もそう気づくチャンスが来る。口でそういいながら行動は・・だった

どうしてもかかわらないといけない縁というのも存在する。

チャンスはそのかたのもの。

見守り寄り添うだけの存在としてあること これは誰に対してももち続けたい。
そういう時も、自己を見つめ、イザという時のために、最高の今でありたい。
自己犠牲や疲れるのでは 誰のためにもならない。

自分をまず癒す。
自分を信頼する ゆらぎを調整し もっとも心地よい 今を送る。

それもこれも、いのちある生きているから感じられるありがたいことである。
いのちがあるから痛むし 喜怒哀楽がある ありがたい。

無痛は一見ありがたいように思うけれど、そうではない。
(確かに喜怒哀楽の中での気づきや学びですぐに自己を建て直し、それもありじゃんと調和するうち、無痛に近い感覚は得られる。)

感覚的にしかいえないが、無痛では、無痛でない痛みやゆらぎに付随する喜びや感動や希望はないのかも・・。

怒って泣いて笑って感動し楽しんで人ってすばらしい!
いのちに感謝。
ほんとうに生きているってすばらしい。
ありがとうございます。おおくの見守って下さる存在さん。

そう感じられる「わたし」ありがとう。
わたしすごく愛し愛されています。
誰かではなく 存在「ある」が。

昨日
そやけど (メイ)

2008-11-17 13:14:47

今日はやけに耳が引っ張られてる。
首も肩も凝っています。^^;
あの掲示板も騒がしいぞ~~

本日はすこし和らいだものの、依然として耳の引っ張られ感と肩首の凝りはなおりません。一応ご注意を。遠いかな・・・。
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