いのち感謝 メイ今あるところ

夢 日々のちいさなありがとうを

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ほんとうにほしいものは・・・

2008-10-31 16:53:47 | 宇宙と人 ・気づき
神隠し いろいろな解釈ができますが、行方不明になることを指します。
しかし、生まれるときに記憶消され 新しい世界にやってきた 
そして依存のこころが求める外の神や仏は、そこにはいないことも神隠しといえるかもしれません(あえて隠れられるのかしら

「千と千尋の神隠し」にカオナシという名前をもたない神が登場します。
カオナシは一人寂しい神様、橋に消えそうになりながら立っています。
誰も姿を確認できません。
しかし、千尋が通って彼に気付きます。
それは、千尋が寂しく大きな不安と唯一頼れそうなハクへの依存の状態だったからでしょう。

カオナシは自分に気がつき、優しくしてくれる千にいろいろな物質を差し出し気を惹こうとします。
しかしなびきません。

それに対してカエル男や爬虫類である従業員達が欲望として登場します。
それをことごとく飲み込み、それぞれの特性を取り込みカオナシは醜い姿に変貌し膨らみ続けます。

欲望を掻き立てられ欲しくもないものを求めてしまう、私たちのようです。
でも、千は欲しがりません。
「千は何が欲しいんだ言ってごらん」
そして「欲しがれ・欲しがれ」と言います。「千は何が欲しいんだ」
欲望を共有し取り込むために強要します。

「あなたはここにいてはいけない、来たところへ帰ったほうがいいよ、私の欲しいものはあなたには出せない」
千が欲しいものとは、物質的な欲望の対象ではなく、愛(愛し・愛される)だったんでしょう。

「千がほしい・・千がほしい・・」そしてすべては、カオナシの愛の裏返しの行為だったのでしょう。
カオナシが、にが団子を食べてそう叫びながら、ひとつづつ汚い欲望を抱いたものを吐き(カタルシス=浄化・排泄)もとの姿に戻る、むしろ遠慮がちな、手先が器用なやさしい神様に戻った。

カオという個性と存在感のないどこか寂しい現代の人を象徴する姿。

そして、内なる意識していない抑圧から、吐き出す行為で浄化していく。
こういう過程なくして、ほんとうの姿は見えないのかもしれません。


私は宗教から脱会することにかなりのこころの葛藤がありました。
生まれてすぐでしたから、もう体のすみずみまで信じていたものでしたし、なにより怖かった。
罪悪感と罰(ばち)があたるのではないかと。(思い込んでいた)
そして何より、以前同士だった近所の方たちと接触するのが最も苦痛でした。
知らない土地で一番頼りにしていたのが、その宗教信者の同士。
脱会してからは、とにかく会いたくなかったし、最悪な人達に見えた。
あいさつはしてもできるだけ避ける。
もうすっかり大丈夫となってもどこかにそういうこだわりととらわれが残っていた証拠に、夫同士が同業者なうえ、こどもの歳も近い一番近所の方が一番苦手でした

ところが、先週です。
こどもの参観が終わって、道でひさしぶりにお会いした時、ごあいさつをして「元気にしてますか?お子さん学校どう?」なんてお話をしたのです やっと^^;
しばらくお話をしてお別れしましたが、その後その方が引き返して来られました。

「実はね・・・私達(家族)もいろいろあってね、脱会したのよ」
そこからお互いの今までの思いを話ながら、
「すごく避けてたでしょ?」「わかった」「もう一番会いたくない人だったわ」「私もそうよ」「今日こうして話せてよかった」
私もそうだったけど、脱会した私を批判していた彼女自身が脱会して、かえって会いづらかったんですね。「もっと早く話せたらよかったね」

ずっと仲良しだったように心から分かり合えました。
今は、会えばお互い手を振り今までのことがうそのよう。

ひとつづつ絡まった糸がほどけていきます。
それにはお互い「時」が必要でした。
そして、本心を打ち明けあった時、ほんとうにすっきりと笑えた。
ほんとうにいい人だった、優しくて思いやりに溢れ。大好きになれそう!
知らなかった・・・というより、観ていなかったことに気づいた。

すべての壁は自分の側に築いていたのかもしれない。今ほっとした。
ほんとうは皆 必要なものは 一緒 お金で買えないもの・・それは・・
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金子みすず

2008-10-31 16:39:27 | Weblog
 日の光  金子みすず

   おてんと様のお使いが
   そろって空をたちました。   
   みちで出会ったみなみ風、
  何しに、どこへ。とききました。


   ひとりは答えていいました。
   この「明るさ」を地にまくの、
   みんながお仕事できるよう。

   ひとりはさもさもうれしそう。
  わたしはお花をさかせるの、

   世界をたのしくするために。

   ひとりはやさしく、おとなしく、
  わたしはきよいたましいの、
   
   のぼるそり橋かけるのよ。   

   のこったひとりはさみしそう。
  わたしは「かげ」をつくるため、

   やっぱりいっしょにまいります。

いろいろなお役目ありがとうございます。
感謝しかありません。むしろ寂しそうな影さんへひかりは影と一緒にあります。
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曲の持つ力

2008-10-29 22:56:59 | 音楽と気づき
今日演奏にうかがったのは、重度のスペシャルニーズのかたの施設でした。

いろいろなところで奏でさせて頂くのですが、最も今私達がある状態を写しだして頂けるのが、こどもたちの前とそしてスペシャルニーズの方の前で奏でさせていただく場である。

とにかくダイレクトである。
好き 嫌いが反応で即座にわかる。
テクニックではないような気がする。

弾き手のマインドを見られるように感じていた。

そして今日はもうひとつ学ばせていただいた。
今までスペシャルニーズの施設もいくつかお邪魔したが、今日ほど重度のところは
初めてであった。
身体そして知的にも手厚い介助が必要なかたがた。
頭で聴くのでない 魂が聴いていると感じる。

即座に体が反応している。

そして、曲の持つ力を観た。
十二曲用意していった、どれを弾くかはその場で決めようと・・。

日本の秋の曲が多かったのですが、やはり昔から歌い継がれた曲はほとんど聴いてくださっている。
バッハもなかなか。

一番すべての方が静寂の中で聴いてくださったのが、宮沢賢治の「星めぐりの歌」だった。詩の朗読と共に弾かせていただいた。
すべての方が奇声もなく耳を澄ませていただけるというのは奇跡のように思えた。
その空間を弾いている私達も共に味わいたくて、予定外で途中で目配せをして
終わるところを延長していつもの倍、星めぐりの歌の中に共にあった。

星めぐりの歌は宮沢賢治の作詞・作曲である。
彼の最初期の童話「双子の星」では、「空の星めぐりの歌」に合わせて銀の笛を奏でるというのが、チュンセ童子とポウセ童子の毎晩のつとめでした。
下の歌詞は、この童話のなかで登場しています。
 また、晩年の「銀河鉄道の夜」においても、子供たちはケンタウル祭の夜に、みんなで「星めぐりの歌」を唄うことになっています。ジョバンニもカンパネルラも、物語のなかで何回か、この曲を口笛で吹きます。その響きは、ある時は「高く高く」、ある時は「さびしそう」で、作品の舞台における重要な小道具になっています。

「星めぐりの歌」歌詞
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだめの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。

私の一番好きな曲である。七つの子とこの曲は弾きながら鳥肌がたつ。
魂に染みる そういう表現がぴったり。
すばらしい時間だった。

その後、招いて下さったそのこどもの中のひとりのお母さんとお手伝いに遠くから駆けつけてくださった仲間と共に自然食レストランにご招待いただき、いい景色を味わいながら美味しい食事も頂き すばらしい方達のこころに出会い うれしくて涙がでそうになった。

ありがたい うれしい ほんとうにこころからありがとうございました。
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ちょっとのすきまに

2008-10-28 21:47:58 | 音楽と気づき
秋は音楽シーズンです。
これからクリスマス過ぎまでアマチュア音楽家の私たちのグループも一年で一番忙しい季節です。
一ヶ月前くらいからその時にあったプログラムを練習していきます。
先週ひとつ終り、明日もあるわけなんですが・・・なんと3人のうちの一人が今日午後風邪でダウン・・・・

夕方から3人のプログラムを急遽2人用に曲の選曲して 頑張れ自分です。
まあ今までそういうこともなかったので、想定外 なんとかなるか~ いやなんとかしましょ。

今夜は久々徹夜かな^^ 
想定外は誰にでも起こること そういうときこそ OH!力沸きます!!
きっと明日最高の音楽してみせましょ!
なんとかなるさ ははは そんな日も明日になればいい思い出。
今 は~~~い いきます!
勇気百倍 あっ!アンパンマンだったかな 間違えた
十万馬力だ♪でした
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センター・オブ・ジ・アースを観て来ました

2008-10-27 17:08:09 | 
1970年大阪で万博がありました。
田舎者の小さかった私が見たのはすべて夢の未来の姿だったように思います。
歩く歩道、モノレール、TV電話、そして3D映像、今はぜんぜん不思議でないものばかりですが
科学も多くの現実になる夢を見ていた頃でした。

3Dを映画館で観る時代。
料金は通常より200円ほど高かったですが、あの頃は赤と青の紙でできた目がねでしたが、昨日は映画のチケットを買うとりっぱなサングラスがもらえました。
普通にかけてもちょっと暗めに伊達めがねのような感じで、赤と青にはみえませんでした。

センター・オブ・ジ・アースは冒険SF小説の金字塔ジュール・ヴェルヌの「地底旅行」の世界を完全映画化したものです。
この地底世界に行ったまま帰らぬ人となった兄の忘れ形見である甥のショーン(無気力でろくに返事もしないで、携帯ゲームやインターネット携帯電話にばかり夢中の今どきの若者)
と兄の研究を引き継ぐトレバーがアイスランドの地底世界への入り口があるという地へ。
地底世界の存在を信じていたアイスランドの父の研究所にいた美しき山岳ガイドと
ともに、地底世界へ

そこに出てくる地底の世界は美しかった。
太古の絶滅した生物が飛び 水が美しく 太陽のように輝くもの 人のようなものは出てはきませんでしたが 青い鳥はかわいかったです。
ストーリーは・・・・う~ん・・・そんなにうまくいくか・・・と思うほど安直な感じでしたが とにかく 私にとっては子供の頃に夢のようなことだった3Dの長編が映画館で観れるということがわくわくしました。

映画を観ながらふと、夢を見ている時って丁度この画面の最前列でもっとリアルに観ている観客のような感覚に似ていると思いました。
主役であるのだけれど、それを見ているわたしが存在しているような。

すぐさま場面(場所)が変ったり、時系列(時)が変ったり、登場人物がへんげする夢の中、時にはその主人公であり、もうひとりのわたしがある(ふたり?)世界。

過去、現実では呆然自失という瞬間が人生の中でありますが、そういう時同じような感覚がありました。周りの色が一瞬なくなり 外の騒音も違う世界での言葉

我をまったく無にする時にあらわれるのでしょう。

体から魂が抜ける体験をした時もそういう感じです。
現実ではまだ、そういった自然と無となる瞬間はなるべく来て欲しくないシチュエーションが今まで多かったんですが
嬉しくて感激で最高!という時はむしろしっかりわたしがあります。

けれど、夢の中では主役でありながらそれをしっかり観察している私と言う存在がいます。だから呆然自失となるシュチエーションの夢でも、決して必要以上に動揺してわたしを失くすということはありません。

現実でもそういう客観的に観るわたしを意識しだしてから、結構大変な事態と遭遇しても茫然自失で我をなくすことすくなくなったと思います。
そのようなことが無いとは言いませんが、建て直しが早くなりました。

意識しなくても 無になり観察できるのは夢の中 
意識をしないと 無(自分の主観のみで見ない)にならない現実

今は現実をこの瞬間を生きるもの

意識もそのうち思考をそれほど加えなくても すべてあり 完璧に備わっている
ことがわかれば、あるがままで境界無くなるのかもしれません。

ここに来る時 どんなにここに来たくて 来たくて 楽しみで わくわくしてきたのかを夢を通して現実でも感じています、今が最高の瞬間である時、人は明日のことも過去のことも忘れます。
今あるままで 感じ 表現し 分かち合える しあわせなことです。
ありがたいです。今日もこころで見た風景はハナマルでした。
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奇跡!!天から舞い降りた 大蛇(オロチ)出現

2008-10-24 10:19:20 | 不思議
見にくいお写真ですみません。(新聞を携帯で撮りました)

saitaさんこれですねお知らせありがとうございます

記事のお写真をお持ちのご本人様だったんですねありがとうございます。
ぜひ、そのお写真にまつわる「幸運」を呼び寄せる!お話をお聞きしたいです。
またいらしてください

先日下記のようなコメントをsaitaさんから頂き、大阪スポーツでも見れるかもと他の方からお聞きして、昨日今日と買ってみました。(初めて買いました 夕刊だということで、今朝の紙面だったんですね!)
人類初の超常現象現る! (saita)
2008-10-21 01:30:13

シーサーのように縁起がいい超常現象なので投稿します。
鹿児島県出水市下鯖加紫久利神社の「しだれ桜」に宿る!!詳しくは10月23日発刊の東スポに掲載されますのでぜひご覧ください!

私もびっくりした超常現象です!

記事によりますと

鹿児島県出水市の加紫久利神社で撮られた写真に、大きな蛇のような物体が写り、
大騒ぎになっている。
・・・・右上から中央にかけて輝く細長いものが・・かすかに横しまのようなウロコのような線が浮かびあがっており、蛇のしっぽ付近を想起してしまうのも不自然ではない。ほかにも、赤いモヤがかかったものや、空から地上にかけて一筋の光が降りてきている写真もある。
 
提供してくれたのは、写っているしだれ桜を神社に献木したsaita氏。
(6年前友人が桜を撮って送ってくださったそうです。誰にも話さず、神棚に飾っておられたそうです。大蛇の恩恵か途端に仕事もうまくいくようになったそうです)

「幸運」を呼び寄せる!?大蛇の存在は封印されるハズだった。だが、今年9月、saita氏が帰郷し神社に向かうと、近くに植えられていた木が成長し、しだれ桜に覆いかぶさっていた。
「大蛇様が宿っているかもしれないのにマズイ」氏はすぐに宮司に写真のことを話し、おはらいの後、覆いかぶさっていた木を切ることを了解してもらった。

こうして写真の存在が明るみに出ると同時に、大蛇説が濃厚になってきた。
調べてみると、加紫久利神社には、江戸時代に人気力士が大蛇を巻いた神様を見たという伝説が残っていたのだ。これ以外にも付近には大蛇に関する逸話が語り継がれており、「神社の空に蛇のようなものが飛んでいるのを見た」という目撃談も少なくないという。

小さな町は今、この話題でもちきり。しだれ桜を「開運桜 大蛇しだれ」と命名し
境内を改築、25日に竣工式典を開き、多くの人にその幸運を分けようとしている
暗い世の中、すこしでもあやかりたいものである。


こうありました。
ちいさな町に活気をもたらし、ひとのこころに明るい幸運を感じさせるきっかけをありがとうございます。
いいですねこういうお話は ところでsaitaさん・・どうして私におしらせくださったんですか?をお聞きしてみたいです
私の両親はふたりとも九州出身です、母は鹿児島 祖父は信心深い人で、もともと下駄屋さんでしたが、長崎の原爆で長男を亡くしてから、山に入り木こりになったそうです。ご縁をありがとうございます。

加紫久利神社 こちらもどうぞ
薩摩の二ノ宮だそうで、祭神も天照皇大神ですね
そのうえ宗像三女神の多紀理毘売命そして住吉三神 応神天皇とその母君神功皇后と豪華な顔ぶれですね。

加紫久利の信仰
・薩摩の総社としての加紫久利の御祭神は伊勢の内宮と同一神であり「天照皇大神」日の神と尊び仰ぎ「光明」「仁愛」「生命」「救済」「幸せ」の大親神であります
・「多紀理毘賣命」は天照大神の御女(むすめ)で宗像三女神の一で海上陸上の交通安全の守り神であります。田心姫とも伝う。
・「表筒男命」「中筒男命」「底筒男命」は住吉大神と伝われ,航海を掌る神即ち船魂の神であります。(海・川の表面,中程,底部の守護神)
・「誉田別命」は又の名を「応神天皇」とも伝い八幡社の神で神功皇后の御子で両神の関係は母子(ははこ)神の信仰があり母が子供を抱きかかえ,慈愛を以ってこれをはぐくみ育てる大愛を本願とされている。
・「息長帯比賣命」は又の名を「神功皇后」とも伝い,応神天皇の母君である。安産・慈愛・子育ての神として崇敬されている。 ・「伊邪那岐,伊邪那美命」は摂社,伊勢神社の祭神で合祀された神である。二神の神は万物の生みの祖神として生命の祖神,延いては「延命長寿」の信仰がある。
・境内社「稲荷大神」は五穀豊穣・商売繁盛・殖産興業の神であります。
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夢のおちゃめな微笑み

2008-10-22 11:11:23 | 
今朝方のです。
いつかきっとさんの掲示板で昨夜 お会いしたいと心に決めていると書いた夢の神様とまた再会と私は思っています。

どうもその夢の背景は現代ではないんです、古い時代です。
多くの追ってがその方を追っています。
ある一軒の家に入り 家の周りも取り囲み家の中に踏み込む追っ手の方がた。

すると、するりと高窓から軽々(若いヒゲの男性です)笑みさえ浮かべひょいと出て 私の横をすり抜けて行きました。
茫然自失の追ってたち。
でも・・・悪人を捕まえるという様子ではないんです。
だから危害を加えるような剣を構えたりとかではなくて、おちゃめにするりと姿をくらますたいせつな方をお引止めしようとするお年よりがたです。

それからすぐ、私の横にひとりのお年寄り風の人が立ちました。
「あれ~~~」姿こそ、年寄りに変身していますが、さっきの高窓からひょいと飛び降りてすり抜けていった方。
「なにかあったのかの?」と尋ねられました。

じ~っと笑いながらその方を見ていたら、「ばれちゃった?」とおちゃめに微笑まれました。
私もまわりに気づかれないように笑い そこで目覚めました。

時空(時も空間も)飛び越えられるかたは、変幻自在、しかもかなりのおちゃめさ
なんてすてきな朝なんだろう。
夢のおはなしですのでご容赦の程

私はどこでもこのメイというHNです。
しかし、その場と相手への配慮からかマルチHNを使う方もいらっしゃいます。
それは賛成です。
そんなことから、よく誰だろ?とどうしても立ち止まり気になるHN。
文体や性別を変えても、なんとなく伝わるそのかたの持つ波動。
以前になんとなく根拠も無く、あの方でしょ・・なんて遠まわしに言うとその通りだったって事よくありました。
IP解析できるんだろう?なんて他の方からご指摘があったほど
いえいえ わかるもんなんですよね なんとなく たいせつな方や 感謝しているご縁ある方ならなおさら。

わたしもこのところ冴えてます。ためさないで下さいね
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いつかきっとの新聞による交信 メイ編

2008-10-22 10:16:31 | nasi
【あらかじめの質問】>
Q1 メイの回答者また変わりましたか?>
A  正常に交流する権利を擁護するよう求める

Q2 前回の回答出しにくかったですね、もっと質問早いほうがいいですか?
A  光を当てる  

Q3 いつかきっとさんへ何かひとこと
A  報われざる忠義に殉じた男大久保彦左衛門。 その凛然たる信念を見よ。

Q4 この掲示板(いつかきっとの新聞による交信掲示板)に今期待することは?
A  その先の輝きを、見つけたい。

Q5 今年はこれから「」です
A  共和防戦、焦る支持者

Q6 今そこにいる方に一言どうぞ
A  いかがしたら よいものか・・・ 責任ある行動求めよ

Q7 今 必要なことは?回答を
A  博物館よりお堂が似合う仏様。市場で決まらぬ値打ちがあろう。
   毎日、近所のおばあさんが手を合わせていたかもしれない。
   「ブルマー」や「運慶作」とは違う、生きたお宝だ。
  ☆名高いものに価値があるのではないということ。

Q8 「」なら今しかない!
   天声人語最後の▼
★Q7とQ8は回答の指定場所が重複していました^^;; 失敗!しかし・・・質問も似たようなことだったということかもしれないな・・。 質問力不足すみません。

コメント

宇宙の交響詩

2008-10-21 10:19:39 | 宇宙と人 ・気づき
ひかりが降りる

ガイアと宇宙の織り成すシンフォニーが高らかになる。

体のすみずみまでゆきわたるひかりと振動
意識がすこし後ずさる 
わたしがゆっくり起き上がり立つ 
ひかりが放たれ
すべてがひとつとなる 
わたしとこの大地と宇宙の境界がとける

奏でられる響きの振動とひかりが透き通る

愛されている とんでもないおおきな愛の中にある

今つながりゆくすべての存在のいのちのグリットが朝露にひかるように見える

すべてのなかのひとつのひかりであり全体でもある。
生きている ありがとうここに今こうしてここにあります 
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暮らしの中の感謝

2008-10-21 09:57:46 | 旅・出会い
上の写真は沖縄のトートーメー(仏壇)とその続き間にある床の間です。
沖縄では盛大な先祖供養や神への感謝をするそうです。

お墓にござを敷き歌ったり踊ったりの大宴会もあるそう。
3月にはシーミー(清明祭)の月で、沖縄は家族で先祖供養で墓参り ご馳走を仏壇にささげ、先祖や火の神さまに御供養と感謝を捧げるのだそうです。
その際ユタを呼ばれる御家も多いそうです。

博物館でこの上の写真の神棚にお料理を並べているのを見ましたが、この神棚の前にちゃぶ台のような四角い机に色とりどりのお料理が重箱にはいって並べられます。
重箱の中は?: 昆布巻き・揚げ豆腐・カマボコ・ごぼう・天ぷら・豚肉煮しめ三枚肉・ターウム(田芋)・もち・・・・などです。
そして・・・とても珍しかったのが、神棚の下の左に小さいお皿に少しだけお料理を盛ってありました。

そこにはこうありました、「餓鬼へ供え物手をつけないで下さい 先祖や神へのお料理に手をつけないため」このような感じで書かれてありました。
食いしん坊予防のようです。
おもしろいですね

琉球の信仰には、全体的に古代の日本神道と多くの共通点が見られ、琉球の信仰と日本神道は、祖を同じくすると思われている。
その核となる祖霊崇拝、来訪神といった琉球の信仰の特性は「古事記」「日本書紀」といった史料と照らしても、日本神道と非常に似通っている。一例として、柳田國男がニライカナイを根の国と同一のものであると指摘し、共に常世信仰であるとしていることが挙げられる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

沖縄では琉球信仰は祖霊信仰を核として来訪神信仰、東方(太陽)信仰、おなり神信仰であるそうです。「来訪神」と「守護神」
「守護神」はもともと地域集落の死者の魂=祖霊であり、ニライカナイで神となって集落に戻ってくると信じられているところからも、先祖供養の習わしがしっかりと根づいているのですね。

輝いて生きていることを先祖に伝え、感謝するのが沖縄の先祖供養
「命のお祝い」目に見えない命のつながりと尊さに気付く
いのちに感謝することなのですね。
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あらたな創造のために

2008-10-20 10:23:47 | 宇宙と人 ・気づき
以前に新聞による交信をした際
これまでの常識が、激変する時代のフレームに合わなくなっています。
常識とは過去から昨日までの支配的な考え方に過ぎません。
ある種、期間限定、賞味期限は人間にもあります。それを決めるのは、年齢ではなく、柔軟な考え方や創造力の有無なのです
このような回答がありました。
昨日「枠」について書いたのであわせて掲載します。

フレームがあることを知る その上で外す そこからあらたな創造がはじまるのでしょう。
その柔軟さやしなやかさを獲得するために 自分の意識を観察することが必須だと思います。

たったひとつのものを感情抜きに毎日観察するのも有効であると思います。
対象は石でもドアの取ってでも。
物言わぬ動かぬものがいいかもしれません。

どうしたって、石を見ていても感情は沸き起こったり、以前の記憶が蘇ったりして感情が動きますが、ただ意識を向ける。
石を観察するのなら 形状・重量・温度・硬度・感覚
意識(感情・感覚・観念)のバランスがとれる(感情が静まる)

そして寝る前に今から順番に一日を振り返るということをします。
必ず今を起点にします。今から遡るんです。
その際、もっとも気をつけることは感情を入れないということです。
ただ観察する。感情もふくめてどう動いたのか。
(思い返しながら感情を入れると、眠れなくなるほどになるかもしれませんから怒りがこみ上げたりして・・

例えばです・・。
悪感情を持つ出来事があったとします。
その時の様子を客観的に観る。
あの時の情景を感情抜きに。
出来事だけ。
否定も肯定もせず 例えば会話そのものを感情抜きで思い出す。
その時にこういいましたとか。まわりにはあの人がいましたとか。怒りに相手の顔が赤く変ったとか。
批評もどちらが正しいとか反省という感情も沈黙させて。
毎日する中で、自分の傾向が見えてきます。

忘れていたことを思い出すかもしれません。
それほど、人の観察は出来ても、必ずいつも感情が動き、物事のほんとうを案外観ている人は少ないものです。
もちろん私もそうです。

意識は行動に先んじない(つまり後追いする)という事が確認されており、この事から「意識とは自分の現状をモニター(監視)する機能である」と結論付けられつつある。 つまり意識はモニター監視した結果をフィードバックする事で、その後の行動に反映するという形で間接的に行動を制御は出来るが、その瞬間瞬間に行動を直接的に制御しているのではない、といったことである。[要出典フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』]


己を知ると不思議と相手に対する思いも変ってくるのが不思議です。

相手や周りが変ればいいんじゃないんです。
自分を知り受け入れる。

だれもがのぞんでいること。
きっとそんなに変りはないんでしょう。
しっかりつながるために自分を見つめ 受け入れる。
そんなことから
コメント

いつかきっとの新聞による交信 メイ編

2008-10-20 09:15:32 | nasi
10月17日交信
【あらかじめの質問】
Q1 その時々に起こることの感知の相違は役割の違いであるとの認識も必要ですね。回答を
A  「超」整理法・知的生産力を飛躍的に拡大させるセオリー・分類するな

Q2 違いもいつか差が取れますか?回答をどうぞ
A  「仕事の配分に考慮を」「好きで時間外」は違う
Q3 ファーストコントクトの情報開示で何がおきましたか?回答をどうぞ
A  理想の・・のために、機動力を極めたデジタルEOSテクノロジーQ4 すべてのことがそれぞれの気づきのアプローチですね?回答をどうぞ
A  未来の受賞者 育ってる?・若手支援へ環境整備Q5 今回琉球に行くは何か意味がある?回答をどうぞ
  (の回答) 感慨に寄り添えば、演じた役のすべてが本物の・・・である。
    最後は・・・優しげな背中で、秋の夕景の一部になりきった。
  この回答の・・・の部分はなんですか
A 本物の「ごめん・謝罪」である。最後は  
「生みの苦しみ」優しげな背中で秋の夕景の一部になりきった。
Q6 奇跡の大発見とはこの掲示板で起きたようなことでしょうか?回答を
A  思い出は 私の胸の銀の箱にある そんなものがあるってことも
    中に何が入っているのかも だれもしらないの
Q7 こころが暖かくなるつながりをありがとうございます それが広がっていますね回答を
A 世界につながる・今も青春の街です
Q8 いつかきっとさんの掲示板の今にひとことどうぞ。
A 差つけず・対現場・他の方法思いつかぬ


Q1 その時々に起こることの感知の相違は役割の違いであるとの認識も必要ですね回答を
A  「超」整理法・知的生産力を飛躍的に拡大させるセオリー・分類するな

相違のあるものがあって知的生産力を飛躍的に拡大させるセオリーというところでしょうか。
違うものを排除せず分けずそして 違うという分類さえもしない 
「超」整理法は、むしろ今まで分類することで出来ていた常識を覆すような回答のように思いました。
たしかに、同調するものだけの集まりによる議論より相違があり、なおかつ 
お互いの意見に耳を傾け理解しようとする中で そしてその出来事をそれぞれの内なる意識の観察とし
双方が飛躍的に気づく手ごたえを感じて来ました。

>Q5 今回琉球に行くは何か意味がある?回答をどうぞ
  (の回答) 感慨に寄り添えば、演じた役のすべてが本物の・・・である。
    最後は・・・優しげな背中で、秋の夕景の一部になりきった。
  この回答の・・・の部分はなんですか

A 本物の「ごめん・謝罪」である。最後は
  
「生みの苦しみ」優しげな背中で秋の夕景の一部になりきった。


琉球の旅・・・私が掲示板投稿を始めたきっかけは夢やこどものころの不思議な体験ですが、それにともない いつも行き着く方がニギハヤヒの謎でした。
古墳でお話した媛も物部の媛でしたが、必ず偶然行き着くのがニギハヤヒの存在

夢にも出て来て、自分の食べる分まで分け与えるやさしい愛に打ち震えました。
今回もそういう延長上の出来事。
今もう既にイワトが開き愛のひろがりとひかりの解放しか感じません。
ありがとうございました。
コメント

わくがいの世界へ (枠の外)

2008-10-19 08:05:59 | 宇宙と人 ・気づき
日本人はほんとうにまじめで勤勉で、生まれたときからこの世界で成功するための親心からの、こうあらねばという教育やしつけをまじめに演じての中にきちんと入ったところに存在しやすいですね。

親心も自分の失敗をたいせつなこどもには味あわせたくないという愛らしい親心から発するんです。
とくに母親はこどもと一体。自分の一部(付属)のような感覚になりやすいので、生まれた瞬間は生きてさえいればありがとう、あとは何も望まないわ・・と思っていても、それが生きている前提のうえにどんどん「こうあってほしい よりよく」とが出て来易いです。

そんな循環の中で育ち どこか奥底で羽目をはずしたり 自由に生きたい 人とは違う自分がどこかで感じている自分らしくありたいと思っても まじめ であるが故、そうでないすこし枠から飛び出した者や意見にひっかかる。
奥底の本質を写しだされれば余計にひっかかる。抵抗する。

自分が自分として生き切っているのなら、それに満たされ 今世生まれたことに喜びと感謝の中にいるのなら、きっと自分と違う意見も周りの誰かにも批判や否定の気持ちは生まれないんでしょうね。
あっても過程・途上であると全体の評価にはしない。

枠をはめない生き方がどんなにすてきなことか知っている人は、他者にわたしの枠をはめたりはしない。

おとなに介入されたこどもがおとなとなり、おとながこどもの世界に介入しすぎ、おとなの「こうあってほしい」思いに しっかり枠に入った演技をまた繰り返す。
ほんとうはどう生きたいのか? どこかで循環が切れて欲しい

少子化となり大きな「こうあってほしい」まわりのおとなの思いを一心に背負った今のこどもや若者は、抱えきれないほどの「私はほんとうは こう生きたかったんだ!」の気づかない叫びがあるのでしょうね・・。

顔も見えないネットの社会の中で批判・否定が爆発するのは、枠の中から、枠以外を認めたくない 赦せない ほんとうは 違う わたしの叫びなのかもしれません。
自分と違う判断の中で育ったので、おとなになっても、自分以外の自分にとって頼れる意見や存在が必要なんですね。

依存から抜けましょう!えい!!

みんな違ってもいい 違いを楽しめるのには、自分を解放し 満たされた状態でなければ感じないんです。
ありがとうございます。同じ時・同じ空間に存在させていただいて。
 生まれてきてくれてほんとうにありがとう。 
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無意識を意識する

2008-10-17 19:00:43 | 宇宙と人 ・気づき
よくどこに置いたか忘れてしまうことありませんか?

私もよく無意識で置いた場合、また大体いつもの場所以外に置いた時に次に必要となったとき「ない・・・ない」と大騒ぎしたことがよくありました。

よく物はいつも決まったところに置けば 探さなくてもすむというので物の定位置というものを皆さん決めていらっしゃると思います。

おもしろいアドバイスがありました。

ものの置き場を決めずに、必ず置く時に意識を向けるです。
簡単そうで実は難しい、ほとんど無意識にしている行動がなんと多いのかと思います。
これをやりだすと最初 しっかり覚えたつもりでも「あれれ?」とやっぱり探す羽目になりますが、次はかなりしっかり覚えておくために意識をそのものに向けます。

整っている環境や日常の無意識でやれている行為に すこし意識を向けて行動することで活性化するんです。

急いでいる いつもと違う そういう時にも 日頃から意識を行動に向ける訓練をすることで、今無意識でやっているなと意識できるだけで 頭が真っ白になることは少なくなります。

きっとそう若い時からしていたら、歳をとって引越して急にボケてしまったようになることは減るかもしれません。

案外家の中では多いです。(真っ暗闇でもトイレに行けちゃいますね)
私の知り合いは模様替えが趣味で行く度に部屋の配置が変っているという感じですが模様替えなどもいいですね。
寝ておきた時、無意識でドアのつもりで壁にぶつかりませんように

無意識を意識する 身近にできるうっかり訓練です。
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波上宮 

2008-10-16 19:03:42 | 神社
社殿の創建年は不詳だが、当地は古くより聖所として崇敬されてきた。古くは「端城(ハナグスク)」と呼ばれた御嶽だったという説もある。

伝説によれば、

南風原の里主という者が釣りをしていると、ある日浜辺で「光り、ものを言う」霊石を見つけた。この石に祈るたびに豊漁となるので、諸神がこの霊石を奪おうとした。そこで里主が当地へ逃れると「吾は熊野権現也、この地に社を建て祀れ、然らば国家を鎮護すべし」との神託があった。里主は琉球王府にこれを奏上し、社殿が創建された…

という。海から聖なるものが届く、とのストーリーは、ニライカナイ信仰の現われと言える。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

祭  神:主神 伊奘冊尊
    相殿左 速玉男尊       
     相殿右 事解男尊
ただしがきにありましたが、熊野権現が現れとありますから、熊野に関係します
速玉男尊はスサノオの尊・事解男尊はニギハヤヒという説もあるそうです。

波上宮こちらもぽっちと見てください。

海から聖なるものがとどく そこに立ちもういちど海を眺めた。

ここは丁度首里城から真西 そして東の端にはあの神の島とよばれる久高島がある
「民族の歴史を、シマ人たちは、近代のように固定された記録として
伝えるのではなく、血族の祖霊たちの存在を皮膚感覚で感じとり、
祖先との一体性を実感する中で継承してきた。」
(比嘉康雄著「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」集英社)

「・・・・・・あたりは限りなく明るい光の世界。清潔だ。天地根元時代の
みずみずしい清らかさ、けがれなさはこのようではなかったか。
久高島の印象は今度の旅行でも、私にとってもっとも神秘的であり、
その気韻はまだ私のからだの中に響きつづけているのである。」

(岡本太郎著「忘れられた日本 沖縄文化論」中央公論社)

人口300人くらいの島らしく、その上土地制度が

久高島は土地が総有制、個人の持ち物ではない為に外部の資本がほぼ入れません。久高島は土地が総有制、個人の持ち物ではない為に外部の資本がほぼ入れません。いつまでも、この制度を残せるように久高島土地憲章を制定して守っています。根底にあるのは、天、地、海を何よりも大切なものとしてきたこの島の生きざまです。この島にいると平気で土地を売り買いする現代社会が異常なものに感じてきます。
島民は字から土地を借りて、家を建て、畑を耕します(ノロなど特別な役職に対しては別に土地が与えられていました)。島人には土地を所有するという概念は無いようです。まさに忘れ去られたようにここだけに残った土地制度、原始共産制の名残と言われます。正確に言うと、久高島の土地は字の共有財産、個人には使用権が与えられます。久高島にこれだけの自然、文化が残ったのは外部資本が入ってくるのを守るこの制度のおかげと言えるでしょう

そういうところが今も日本にそんざいしているんですね。
たいせつに たいせつにされながら。
久高島の本 祈りの島「沖縄・久高島」と著者の淺川嘉富さんのHPより久高島 
久高島映画 久高島オデッセイ

自然とともに生きてきた今も存在する神の島。
そんな場所とひとのこころがどこにでも存在する世となりますように。

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