戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。
だが、戦争を知らない世代が政治の中枢になったときはとても危ない。
田中角栄
戦中、戦後の混乱期を肌感覚で知っている世代は2度と戦争をやりたいとは思わない。
しかしどうだろう、第2次安倍政権以降(安倍・菅)、歴史の事実にまともに向き合わない政権が続いている。
今日76回目の終戦の日を迎えて菅首相の式辞を聴いていたが、なんとも心のこもらない内容だ。
読み飛ばしはなかったようだから、事前に数回読んでリハーサルを行ったのだろうが。
一方天皇陛下のお言葉は、
①コロナ感染拡大の新たな苦難に直面し人々が手を携えて向き合うことを願い
②先の大戦の深い反省に立って再び戦争の惨禍が繰り返されないことを切に願う
象徴天皇として国民に寄り添う姿勢が明確に伝わった。
自民党は、そして公明党も憲法違反とも思われる集団的自衛権の容認に走り、今また防衛費の増額に動こうとしている。
防衛費の増額はいたずらに高額の武器購入に費やされ、肝心の自衛隊員の日常備品が欠乏しているという。
まったくわけのわからない話だ。
小泉純一郎内閣総理大臣の式辞(2001年)は、
我が国は、戦後、平和を国是として、国民のたゆまぬ努力により、焦土の中から立ち上がり、幾多の困難を乗り越え、目覚ましい発展を遂げてまいりました。この平和で豊かな今日においてこそ、我々は、過去を謙虚に振り返り、戦争の悲惨さと、そこに幾多の尊い犠牲があったことを次の世代に語り継ぐとともに、国際社会から孤立しないよう、近隣諸国との友好関係を維持発展させ、世界の恒久平和を確立する責任を負っております。そしてその責任を果たすことが、過去に対する償いとなり、犠牲者の方々に報いる途であると確信するものであります。
官僚が書いたものを棒読みする姿勢は感じられない。心がこもっている。
小泉は特攻隊が出撃した鹿児島県の知覧を何度も訪れている。
このころまでの自民党の歴史観にぶれは無かった。
しかし安倍晋三のような愚かな歴史観、そして菅義偉のような無歴史観に暗澹たる思いである。
いずれにしても国民の生命にまともに向き合わず、自己の権力維持にのみ心を奪われている政権に終止符を打ちべきだ。