安倍政権になって使われ始めた言葉が「忖度」である。
そして菅政権になってもっと悪質な形で出現している。
「忖度」から一歩進めて「介入」だ。その悪しき例が「日本学術会議」への人事介入。
少数の人間を排除する人事権の行使(介入)をすることによって、残された大部分の人たちに忖度させる。
政府の言うとおりになれ、という恫喝に近い。
アメリカの奴隷制廃止運動家のウェンデル・フィリップスは、次のように述べる。
「不断の警戒は自由の代償だ」
「人民の自由という天の恵みは毎日採取せねばならず、さもなくば腐敗する」
安倍政権から常時行われているのが、組織や制度の恣意的改定である。
憲法があるから大丈夫だ、などという安心感は風前の灯火。
安倍・菅政権は憲法すらも簡単に解釈変更で変えてしまう。実に危険な政権だという認識が必要だ。
明らかにヒトラーやロシアのボルシェビキの手法である。
ナチで一番の知性、法哲学者のカール・シュミットの言、
あらゆる規則を破壊する方法は、「例外」という考えに焦点をあてることである。
ナチ指導者の一人は、現時点は例外的なのだという確信を浸透させ、それからその例外的な状態を恒久的な「非常時」に一変させることで政敵や反対者たちの裏をかく。
ついで市民たちが、ほんものの自由を偽りの安全と引き換えにするのだ。
安倍・菅政権で着々となされていることが、なんと上記の表現に似ていることか。
我々はもう一枚のカードを持つ必要がある。
民主主義や自由を破壊する政党が出現した時に、それに代わりうる政党を無理にでも育てておく必要があるということだ。